エリート候補の前世は社畜でした
フェリス・ガードナーは真面目な令嬢だ。
変わり者の多いガードナー侯爵家に赤ん坊の頃に引き取られ、それからというもの勉学・剣術・礼儀作法などありとあらゆるものを学び、社交界でも評判の才女となった。
将来は学者か、文官か、はたまた女性騎士か。
多くの期待を背負い、フェリスは育ててくれたガードナー侯爵家に報いるため、国のため、国民のため、身を粉にして恩を返していく――――はずだった。
そう、前世を思い出すまでは。
☆
朗らかな朝日がカーテンの隙間から部屋を照らし、健やかな目覚めへと誘う。
いつもの癖で使用人が来る前に起き上がると、わたし、フェリス・ガードナーは月曜日の朝のOLのように、殺気だった目で朝日を睨み付ける。
「あーあ、真面目に生きていくって、損ばっかりだわ」
今日ほど最悪な目覚めはないだろう。
社会に憧れを持ち、将来に希望を抱いていたフェリス・ガードナーはもう死んだ。
「……寝起きに前世の記憶を思い出すとか……マジふざけんな」
前世、わたしは日本という豊かな国に生まれた。
平凡な一般家庭に生まれ、学生時代を過ごし、大学を卒業してからすぐに地方公務員となった。安定性ではなく、お世話になった国の役に立ちたい。そんな志望動機での就職だった。
そんな夢と希望溢れる新卒に待っていたのは、無情な現実だ。無能な上司にあれこれといびられ、先輩に仕事を押しつけられ、同僚の中にも派閥争いが起き、市民には理不尽な文句を言われる。自分の仕事ではない残業を毎日こなし、それでも前世のわたしはがむしゃらに頑張っていた。
恋人も作らず、旅行にも行かず、ただ仕事に打ち込む日々。
辛くても、部署異動が頻繁にあるから、少しの間我慢をしていたら大丈夫。仕事に慣れれば大丈夫。わたしが頑張っている姿を誰かがきっと見てくれている。
そんな僅かな希望は不幸な事故によって、いとも簡単に砕け散る。
急に先輩に仕事を押しつけられ、訪問調査でとある市民のお宅を訪れたとき、わたしは酷く驚いていた。
そこはテレビで見るような、ゴミ屋敷だったのだ。
行く手を遮るゴミの山、頭が痛くなるほどの異臭。それらに顔を顰めることもせず、にっこりと営業スマイルを浮かべて家主へと声をかける。
「うるせぇ、公僕!」
ドンッと肩を押され、わたしは身体はよろめいた。
蓄積された疲労で反応が遅れ、ゴミに埋まった足は動かない。そのまま後ろに倒れ――――
ゴンッ
「あ痛っ!」
タンスの角に頭をぶつけて死んだ。
「……ダサい死因」
わたしの死後、家主は逮捕されたのだろうか。もしかすると、わたしの名前はニュースで全国放送されているかもしれない。タンスの角に頭をぶつけて死んだ哀れな地方公務員として。
「……家主だって、死ぬと思ってやったことじゃないだろうし。元を辿れば役所――いいや、職場の人間関係が積もり積もったものだし。恨みを晴らす相手もいないし。そもそも前世の出来事であって、フェリスが経験したことじゃないし」
すごく鮮明な映画を見ているような気分だ。
前世のわたしは今のわたしの性格に似ていて、年もそれほど離れていない。だから、思わず感情移入してしまった。子どもが冒険小説を読んで騎士を目指すように、この前世の記憶は、わたしに多大なる影響を及ぼす。
「真面目に生きても損をするだけ。自分を守れるのは自分だけ。そして、出る杭は打たれる」
社会なんて……人生なんてそんなものだ。というやさぐれた自我が芽生えた。
「……将来は学者か、文官か、女性騎士か」
周りの大人たちが口々に言っていた、わたしの将来。だが、そんなものどうでも良くなった。
本音を言えば、別にどれにも興味ない。
養女であることに負い目を感じ、常に肩肘張って揚げ足をとられないように生きてきたのだ。卑しい血筋と言われないように、家族の一員になれるように、多くの人々に自分を認めて肯定してもらいたい。
フェリス・ガードナーは頑張ることで不安から逃避し、大人に褒められるたびに承認欲求を満たしていたのだ。
「自分の思春期って、振り返ると恥ずかしいのと同時にしょうもないわねー」
眩しい朝日から逃れるように、モゾモゾとブランケットに潜る。
「折角の人生だもの。長いものに巻かれ、適度に自分の好きなことをして生きましょう。まずは、早朝の訓練をサボることから」
ふわぁっと大きく口を開けて欠伸をすると、本能のまま睡眠欲を満たしていく。
この時はまだ、自分が国家を動かしていく立場になるなんて、思いもしなかった――――