9
ギクリと変な音を鳴らした心臓。
何故ならば、目の前の人物の言葉によるものだ。
「ここんとか、毎日、佐藤くんと放課後過ごしてるらしいじゃない?」
いつもの休み時間。
ざわつく教室の中で、愛美の声はよく聞こえた。
「あぁ! ちょっと、カメラに興味が出てきて体験入部っていうか……見学させてもらっているのよっ」
愛美の疑問に危うく答えそうになったけど、なんとか耐えた。
学校側は知っているのかもしれないけれど、秘密って約束したんだからね。
守秘義務は守らねば!
「ふーーーん。二次元ていうか、声優にしか興味がなかった人間が、カメラねぇー?」
怪しむのは当然だと思う。
吹けない口笛をマネながら、なんでもないように装う。
じっと見る視線を感じたがしばらくして小さな息をこぼした。
「・・・はぁ。まー。なんにせよ。画面越しじゃなくて、人間に興味持ってくれただけでも良いか……佐藤くんなら、真面目だし。まぁ、大丈夫でしょう」
なんと、学校のお姉ちゃんは心配してくれたのですね。
持つべきは友いや、お姉ちゃんだ。
もし、言える時がきたら、一番に報告するからね!
「それに……佐藤くんなら、倒せる自信がある」
ポソリとこぼした愛美の言葉に、情報解禁されたら、ちゃんと誤解を解こうと、力強く誓った。
佐藤くんと私はそんな関係じゃないから。
むしろ、私が佐藤くんを泣かしそうなんです。
*
*
*
「『マネージャーさん、僕のこと、好きーーですか?』・・・どうかな?」
今日も今日とて、理科室に響く声。秘密のレッスンも佳境だ。
慣れないアドバイスも、それを理解しようとする佐藤くん、お互いに四苦八苦したかいあって、練習も順調。
なんとか台本の後半、クライマックスのシーンにきた。
このセリフの”好き”は、LOVEと見せかけてのLIKEであるが、ユーザーである、マネージャーにはLOVEを想像させるのが胸キュンなポイントだと思う。
「悪くないと思うけど、なんか、もうワンパンチ足りないっていうか……」
「ワンパンチ・・・?」
「もう、ひとひねりっていうかー……ふわぁ〜あ」
耐え切れず欠伸が出てしまった。
慌てて口元を覆ったが、説明している途中にその行動は誤魔化せない。
「ご、ごめん。佐藤くん。ボイマス自体、やっぱり楽しくて、つい睡眠削っちゃて……」
そう、ボイマスが楽しいのがいけない。
佐藤くんとの秘密のレッスンも自分にとって発見もあって楽しいけど、ゲームをプレイするとより感慨深く、そしてキャラを理解していくとレッスンに活かせることもあって、2倍で楽しいのだ。
そうは言っても、レッスン中にあくびだなんて、失礼極まりないことは分かるので、あれこれ正当な理由を考えては口出す前に消えてしまう。
「いや、なんか、そんなに楽しんでくれてると……嬉しい」
でも佐藤くんは気を悪くした様子はなく、むしろ、微かに笑みを浮かべていた。
「そっそうかな」
今まで、ゲームをやりすぎるなーとか、注意されてきたことが多かったので、肯定されると、どう反応したら、いいのか分からなくなる。
「もうちょっと、考えてみるよ。まだ帰る時間まで、まだ1時間ぐらいあるし、ちょっと寝る?」
私の戸惑いを感じたのか、それとも本当に一人で考える時間が欲しかったのかはわからないけれど、佐藤くんの提案に甘えることにした。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて・・・」
「うん。おやすみ」
許されてしまうと、今まで踏ん張っていた重い瞼はあっさりと落ちて、あっという間に眠りの世界へと落ちていった。
プールの底に沈んで、空を眺めるような浮遊感。
夢と現実の狭間のふわふわする意識の中、機械音が響いた。
「・・・?」
不思議に思いながらまぶたを上げると、男子の制服。佐藤くんか。
「あ、ちょうど、起こそうと思って。もうすぐ時間になるから……」
「んーー。ありがとう。ちょっと眠れて、休めた気がする」
天井に向かって手を伸ばして、少し固まった体を緩める。
大きく呼吸をすると、だんだん、頭も起動してきて、スッキリする視界。
「そっか、良かった」
そのあと、佐藤くんの練習結果を聴いてみたが、眠る前より確かによくはなかったけど、まだ、足りない。
スッキリした頭でも、いいアドバイスが浮かばなく、明日に持ち越しとなった。
「忘れ物ないか?」
「うん、大丈夫」
バックを肩にかけながら、廊下を歩く。
夕方の廊下は人はほんとんどいない。
キュっと時折、鳴る足音を頭の片隅で聞きながら、今日のレッスンを振り返る。
もうワンパンチ、欲しいのよね。ワンパンチ。
自分の感覚を、人に伝えるって、こんなにも難しいことだとは思わなかった。
ますます、声優への尊敬が強くなり、今後も推して、いや、応援していこう、と思った。
「わっ!」
そんなことを考えていたせいか、気づかないうちに近づいていた踊り場から危うく足を滑らせるところだった。
寝起きの体は反応が悪い。
「だ、大丈夫かっ」
佐藤くんが後ろから引っ張ってくれたので転がり落ちずにすんだ。
「あ、ありがとう……」
落ちるかもしれないという恐怖からバクバクとした心臓がなかなか治らない。
とりあえず、軽くもない私を抱えるように引っ張りあげてくれた佐藤くんにお礼を言わなくてはと、振り向いた。
すると、普段、弱気な感じの佐藤くんの腕が視界に入る。やっぱり男子なんだなぁーと力強さを感じつつ、見上げた先には、あまり見ることがない顔のドアップ。
「・・・・」
佐藤くんって意外と、まつげ長いんだー。
「す、鈴木っ!?」
「え?」
「ち、近い・・・」
そう言われて……まつげが見えるってことは、つまり、そういう距離の近さである。
認識した瞬間、なんだか気恥ずかしくなった慌てて顔を離した。
「ごめん!」
「いや、そのっ、いや、俺こそ、なんか抱き、抱き……」
女の子慣れしてないって分かってはいるけども、赤面しつつも、そんな反応されると、私も、なんか、なんていうか・・・
「い、いや、こちらこそ、失礼しました?」
お互いになんとも言えない空気感。
よく分からないやり取りをしてしまった。
しかも、佐藤くんの赤面が感染ったみたいで、なんだか顔が火照ったのが自分でもわかって、ますますどうすればいいかわからなくなってしまって、そのまま、ちぐはぐな会話をしながら学校を出た。
「あ、そう言えば……。なんで、放送部じゃなくて写真同好会に入ったの?」
学校の最寄駅までは、自転車は必要ないけど、決して近くはない歩道を歩く頃には気持ちが落ち着いてきて、ふと、気づいた疑問を口にしていた。
「最近、声優雑誌というのも多くて、それ以外にも写真を撮られることがあるから、慣れろって、マネージャーから言われて……」
「はー……なるほど」
今の時代、声優はキャラクターに隠れる存在でなく、キャラクターとともに表に出る存在となった。
そうなると、マネージャーさんの杞憂もわかる。
大人しい佐藤くんが普段から写真を撮りあったり、自撮りなんていう機会は少なささそうだ。
写真に慣れるということは、ある意味、パフォーマンスにも繋がる。
でも、マネージャーさんに指示されたと言っても、慣れていないものに触れるのはそう簡単なことではない。
意思がないとできないことだ。
「……も、元々写真も好きだったし、でも撮られるっていうか、写真を撮ること、なんだけど。
目に焼き付けた風景も、空気感を感じさせるような写真撮れた時とか、すごく嬉しくて。そういう写真、好きで。
も、もちろん、それだけじゃなくて、マネージャーの、言葉も自分にとって、後押しになってて。
撮ることの方が多いけど……それをすることによって、イメージがしやすくなるんじゃないかなって……調べたわけじゃないけど、自分ではそう思ってる……」
途中、ちょっと熱が入ってしまって、熱くなった自分を恥じてしまう姿も、声優としての仕事に対しての言葉にも。セリフではない長い言葉に、写真が本当に好き、ということが滲み出ていて、その姿が「可愛い」なんて思ってしまった。
これが、いわゆる母性本能ってやつなのかも。