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朝のざわつきが広がる教室。
早々に机の上に筆記用具を準備し、時計の針を確認する。
授業開始まで時間はまだある。
急いでバックから携帯を取り出し、イヤホンを差し込む。
アプリを起動すると、ウィリアムが顔を出した。画面下に表示された<ウィリアムの言葉>をタップすると、ウィリアムが耳元で囁く。
『ふふっ。イケナイ子ですね、姫様は。今は勉強の時間ですよ……と言いたいところですが、今日は天気が良いですからね。……特別ですよ?』
くうっ!吐息が近いっ!
ウィリアム、いいえ、諏訪さまの美声、ほんっとにサイコー。
さすがだわ。オトメートル……大手乙女ゲーム会社ということにあぐらをかくこともなく、ゲームアプリだというのに、ダミヘと言われる立体的に音声収録ができる、超高価で収録が大変と言われている、ダミーヘッドマイクを使用しているなんて……さすがです、さすが過ぎです。最高です。心が震えております。
「・・・のぞみは、本当に好きよねぇ。諏訪さまのこと」
心の中で、エンドレスに神とも言うべきオトメートルに感謝を捧げながらも、高まるテンションを抑えきれずに体が震えてしまう。そんな私に呆れたように声をかけてくれるのは幼馴染みの福島 愛美。
そして、諏訪さまって言うのが、このモーニングコールならぬ、モーニングボイスをしてくれるウィルアムの声を担当している声優さんのお名前、諏訪 潤さま。
諏訪 潤さまは、圧倒的な人気を誇る男性声優NO.1と言っても過言ではないほどの素敵ボイスなのである。
こんな風にやたらとアニメやゲームではなく、声優事情に詳しい私はいわゆる”声オタ”と言われる”声優オタク”だ。ひと昔前のオタクは隠さないとバカにされてしまう……なんて時代を生きていた親からすると「ありえない」なんて言われるぐらい、ここ最近のオタクは市民権を得ている。おかげで、こんな風にゲームにテンションを高くしたり、声を漏らしたりしても、親が言うような状況になったことはない。
ありがとう!平成! ありがとう!令和!
そんな今をときめく乙女の私は、絶賛、諏訪さまに夢中!
友人……と言うか、愛美には「口を開かずに大人しくしていれば彼氏ができそうなのに」なんて言われるけど、私はリアルな人間、そう3次元に興味はないのだからいいの!
まぁ、そりゃー夏祭りとか? クリスマスとか? イベント毎になると……ちょっとは「3次元がいた方がいいのかなぁ?」なんて思うことがないとは言わないけれど、でも、でも、やっぱり、素敵ボイスの誘惑にはまだまだ勝てそうにはないし、今が幸せなので気にしていません!
この愛が尽きるまで、注ぎましょう!
「えっと、のぞみ? 妄想に入っているところ、申し訳ないけど、授業もう始まるから、電源切らないと、諏訪さまの声、聞けなくなるわよ」
熱い決意によって握りしめた携帯はミシミシと嫌な音を上げていると、愛美は苦笑まじりに私を静止させてくれた。
「はっ! ありがとう! 愛美っ!」
「どーいたしまして? 携帯を取り上げられたのぞみは、燃え尽きたどころか、魂が飛びかけてたし、それをフォローするのもねぇ。大変って言うか?」
クスクスと声を漏らす愛美を横目に思い出されるのは、あの地獄に墜ちたと言わんばかりのある日のことーー
以前、うっかり、魅惑の素敵ボイスに夢中になりすぎて、携帯を没収されたことがあった。
いやー……あの時は本当に体と魂が分離しちゃう手前まで行きそうだったけど、無事、こうして生還しています。
ここは心を鬼にする決断の時。
「諏訪さま……ううん、ウィリアム。少しの間、お別れだけど、お互い頑張ろうね」
お別れという名の、携帯の電源OFF。
画面が真っ暗になり、自分の顔が反射すると、静かに机にかけてあるバックにしまう。
心を落ち着かせて行うこれは、日々の儀式に近いものがある。
「はー。ほんと、いつ見ても慣れないわ」
一連の流れを見ていた愛美は腕を組みながら呟いた。
「そう?」
「なんかでも突き抜けたオタクだから、もはや尊敬に値するっていうか」
感心したように細かく頷きを繰り返す愛美。もしかして……
「え!? 魅惑のボイスワールドにようこ…」
「そういう尊敬とかじゃないから。うん、私はリアルな恋を求めてるから」
手のひらを突き出して、言葉を遮られる。
最後まで言わせて欲しかった!
てか、そう意味じゃないんかい!
「ちっ」
心の中で一人で、ノリツッコミをしていた勢いで、思わず声が漏れてしまった。
「ほーんと、のぞみのそのギャップ、すごいわ」
「うん? ありがとう?」
愛美の言っていることはよくわからないけど「すごい」と言われたのでお礼をね。
ちなみに、私と声オタトークができるメンバーは常に募集しています。
もっともっと、熱く、深く語れるメンバーが欲しい!