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腑分けされたものたちよ


通信記録によると、指定探索者アレタ・アシュフィールドは自ら沈殿現象に巻き込まれたとの事。


現在、途中まで同行していた混合部隊と指定探索者ソフィ・M・クラークが二階層への降下地点にまで急行中。



米国探索者支部の通信内容より抜粋ー

 


 ぐじゃる。


 死んだ虫を見た事あるだろうか? カナブンでも、ハエでも、ゴキブリでも、なんでもいい。


 蜘蛛でも大丈夫だ。


 想像してみてくれ。住んでいる家、部屋、その家具の隙間でひっそりと埃やゴミと一緒にからからになって死んでいる奴らの姿を。


 一度は見たことあるだろう? ひっくり返って足を折りたたんだその死骸を。


 まさにそれだ。


 今、俺の目の前では、体長十メートルを越す、巨大な地蜘蛛。現代ダンジョンバベルの大穴、第二階層西地区の主であるソウゲンオオジグモが今、まさに虫の死骸になり果てようようとしている。



 草原を踏みしめていたその太い節足、一本が木の幹ほどありそうなそれを縮こめ痙攣させている。


 ひっくり返った腹から延びるはいびつで巨大な腕、その大きな腕がソウゲンオオジグモの腹を裂き、一直線に聳え立つ。


 青い血を滴らせながら、伸びた腕はやがてゆっくり倒れる。草原の芝生を掴むように腕がびたんと萎えるように地に着いた。


 まるで、ソウゲンオオジグモの内臓が垂れているようにも見える。だがしかし、それは腕だ。内臓ではない。



「はっ、はっ、は」


 笑いなのか、喘ぎなのかよく分からない。息切れがする。上手く呼吸が出来ない。青い血のあぶくを吹きながら、ゆっくりとソウゲンオオジグモが死ぬのだけがわかった。



 ぐじゃ


 粘着質な音が、草原に響いた。ソウゲンオオジグモの腹がぼこりと膨らんでは萎む。それを何度か繰り返していく。


 そして何度か目のそのサイクルが終わり、風船のように膨らんだ腹が



 パンっ。


 と弾けた。辺りに青い血を撒き散らせながら風船のように弾けた。



「まじかよ」



 俺の目の前にあるもの、ソウゲンオオジグモの腹を裂き、中から現れた、それは




 耳だ。大きな、大きな耳がソウゲンオオジグモの腹から生えている。垂れている大腕のすぐ側から、花のように大耳がソウゲンオオジグモの腹から生えていた。



 青い血に塗れたそれは、歪に一対に向き合い繋がり、ぬるりと光った。



 見慣れたそれ。ヤツの象徴。やはりだ。やっぱ死んでなかった。


 大耳はまるで、巣穴から辺りを見回すプレーリードッグのように、ぐる、ぐると左右を見回すように回転する。その度にソウゲンオオジグモの肉を抉る水音が俺の耳に染み込んだ。



 ヤツは生きている。ソウゲンオオジグモにぱくりと食われたヤツが、あの恐ろしい怪物が、生きている。


 その異形の腕で腹を裂き、大耳で腹を突き破り、主を殺したのだ。



 怪物が怪物を殺した。食って殺したのでも、戦って殺したのでもなく、ただ腹を突き破って殺したのだ。



「すげえな、お前」


 俺の声に反応するように、山のようにそびえるソウゲンオオジグモの腹から生えでた耳がぶるり、震えた。



「お前こそ、本当の」



 そして、耳の全容が現れる。ソウゲンオオジグモの腹を裂き、再び耳の化け物がその姿を現した。



「化けーー?」


 あ、え?


 え?


 言葉が出ない。喉に声が詰まる。なん、で?



 どろりと出てきた耳。その大耳の胴体は、あの見慣れた太り過ぎの小便小僧のような幼児体形ではない。



 なんだ、あれは。あんなの、あんなのいていいわけがないだろ。


 這い出てきたその大耳は、まさに異形。大耳がでろりと長い胴体と共に這い出る。蛇のようにしなりながら這うその姿に怖気が走る。


 ぐず、


 そして、その長い胴体から突如、何かが生え始めた。


 足だ。四本の足。それがヤツの胴体を支え、四足歩行の動物のように四つん這いを再現している。


 カマキリのよう長い胴体、あの恐ろしい大耳、そしてその体を支える足。


 足は指が五本ついている。まるで人間の足そっくりだ。ご丁寧に爪まで……


 なんだ、こいつは。まるで、カマキリの頭をそのまま耳にすげ替えたような姿。先程の幼児体形の面影などない。


 二階建ての建物のようなそのサイズ。あの耳も確実に大きくなっている。足は人間の足を昆虫の節足の形にしたような歪な姿。膝の辺りが骨折したように曲がり、足の裏を無理やり地面につけているようなーー



 宗教を本格的に信仰していなくて本当に良かったと思う。こんなのを見れば嫌でもわかる。


 この世に神はいない。もし超常の力を持ち、世を見下ろす神がいるのだとしたらこんな生き物が生まれるのを許すわけがない。



 それほどまでに歪で恐ろしさその異様な姿。




 耳の化け物は変形していた。


 ソウゲンオオジグモの腹から這い出るその姿は蛹が成虫へと変わるような、卵から雛が産まれるような、ある種の誕生にも見えた。



 ソウゲンオオジグモの体を踏みしめ、俺を見下ろす耳が震えた。


 どこまで生命を馬鹿にすればこんなものが生まれるのだろうか。まさか先程までの耳の化け物が可愛く思えてくるとは思ってもみなかった。




 四つん這いのソレがトカゲが這うように、ソウゲンオオジグモの体から音もなく地に降りる。


 大草原の芝生を、ヤツのうすだいだい色の足が踏みしめる。人間の、とりわけ日本人の体色によく似た肌色が緑に映える。薄気味悪い。



 カマキリのように足で体を持ち上げ、その大耳をかかげる。


 マジででかい。コイツにソウゲンオオジグモの腹の中で一体なにがあったというのか? どうすればこんなことになるのか俺には一切わからない。



「第二形態ってか?」



 そうか。無意識に口から出た独り言に俺は妙に納得した。脳裏に思い起こすのはヤツのあの体型に見合わぬ重量や、体の至るところから伸びていたいびつな腕。


 なるほど、ヤツの真の姿が今のこれだというのなら納得はできる。あの幼児体形は仮の姿。本当の耳の化け物の姿こそが、眼前に現れたものだとするのなら全て納得がいく。


 あの人を引き裂く膂力もこのサイズの生き物ならば持っていてもおかしくはない。先程までの姿はいわば凝縮したものなのだろう。



「なるほど」


 まあ、納得したところで俺の運命が変わることはない。ソウゲンオオジグモに殺されるはずだったのが復活を果たした耳の化け物に殺される事に変わっただけだ。



 そして、のそり。ヤツが此方へ向かってくる。


「でしょうね」


 投げやりに呟く。でしょうね。そりゃそうだよね。変身! で終わるわけないよなそれは。



 此方に向かいながらも、ヤツの姿にまた変化が現れた。大耳を支える胴体、その細い長いトカゲやカマキリのような胴体が揺らめいたかと思うと、また細長い何かが生えた。


 腕だ。ぶわっと花が咲くように十数本の細長い腕が、ヤツの胴体から生えてきた。背中から生えた腕は、イソギンチャクのようにゆらゆらとゆらめいている。



 川底の死者の腕がおいで、おいでと揺らめくようにも思える。どちらにせよ良くないものだ。



 あれに裂かれるのだろうか? 俺はどうやって殺される?


 途端にまた恐怖を思い出した。酔いが冷めたわけでもないのに体が寒くてたまらない。頭が痛い、吐き気がする。


 人間を殺す、化け物が俺に近付く。



 殺されるという簡単な事実。それがとても恐ろしい。あれだけ怪物を殺したのに、自分が殺されるのは嫌だ。冗談じゃない。



 俺は


「死にたくない」


 はっと、口を手で押さえる。ダメだ。これ以上口に喋らせるとタガが外れる。くそ惨めに泣き叫んでしまう。



 つんと痛む鼻をすする。目をこすり前を向いた。



 浅い息を少しでも深く、ゆっくりとするように努める。いやだ、来ないでーー


 口に出そうな怯えを堪える。




 ここで、俺は誰にも気付かれる事なく、見守られることなく殺される。後に遺るのは記録だけだ。未知の怪物の被害者に探索者一名。その記述が残るだけ。



 何も為す事なく死ぬ。ここで終わる。あらんばかりの悲鳴と嗚咽と共に人生が終わるんだ。


 手に斧はなく、奇跡もない。賭けのコールは終わりを告げた。


 手のひらにある翡翠はまるで死んだかのように暗い色を灯すのみ。


 出来る事は全てやった。凡人の俺がここまで粘ったんだ。上等だろ。


 ある種の満足感が少しだけ胸を暖かくする。よくやった。もういい。休め。誰かが俺にそう言った気がする。


 もう、いいか。


 木に全体重を預ける。今の俺にはふかふかのベッドのように木の樹皮が気持ちいい。ねれる。


 迫る耳の化け物。長い胴体を四本の足を交互に動かしながら俺に近づいてくる。


 もう、見たくない。



 目を瞑ろう。もういやだ、瞑ったまま、死ねば、楽になれる。



 目を、瞑ろう。



 視界が閉じていく。僅かに残った視界の隙間、耳の化け物が一対の大耳を垂らし此方へ変わらず向かっていた。


 俺は、少しの充実感と満足感、そして()()の気持ちを抱きながらーー




 ……何かがひっかかる。何かを忘れている気がした。それは俺の脳裏に棘のように突き刺さっていた。


 煌めきと共に、押し付けられたそれ。



 呪いのような命令。願い。


 祈りのような想い。叫び。



 なんだ、これは。俺はたしか、誰かに押し付けられるように何かを言われていた気がする。


 そう、沈む瞬間に俺を救おうとしたあの光。眩い煌めきと、あの遠い真昼の空を閉じ込めたような瞳。



 探索者の頂点、現代の英雄。指定探索者。探索者ならば、いやダンジョンの事を知るものならば誰しもが知っているあの人間。



 交わりは一瞬の事だったが、たしかにあの瞬間言葉を交わしたはずだ。



 指定探索者アレタ・アシュフィールドが俺に投げ付けた言葉、それは



「あきらめるな……」



 そうだ、確かに彼女は俺にそう告げた。地に沈み、生きるか死ぬか分からない俺に向かい、命令するかのように飛ばされた激励。



「あきらめるな」


 勝手な事言いやがって。現実を見てみろよ。諦めずに戦った結果がこれだ。自分の力では駄目だった。自衛軍の力でも駄目だった。奇跡の力でも駄目だった。そして、ダンジョンの生命の力でも駄目だったんだ。



「あきらめるな……」



 脳内に巡るマイナス思考と裏腹に俺の唇は自動再生を読み上げるように動き続ける。


 いや、本当は自分でも分かっている。今まで、あの耳の化け物との戦いの中俺は、諦めなかった。


 灰トカゲと殺し合わされた時も諦めなかった。大森林で戦った時も、大草原で戦った時も諦めなかった。


 だからまだ、生きている。わかってるさそんな簡単な事。


 諦めない。それが俺が出来るたった一つの事だったんだ。


 だが、もう疲れたんだ。一人で戦うのに疲れた。死にたいわけじゃあないんだけどなあ……



「あ……」


 耳の化け物が迫る。歪んだ足を機械的に動かし、長い胴体を草原になすりつけるように俺へ迫る。



 諦めるな。あの後彼女はなんって言ってたけ? 諦めるな以外にもあの星から何か言われていた気がする。



 思い出せない。けどとても大事な事だった気がする。


「……どうせ最後だ」


 そう、これが最後だ。もう一度最後に立ち向かおう。どうせ死ぬ。ならば最後に出来る限りかっこつけて死のう。


 足に力を入れる。もたれかかったまま死ねない。目を瞑ったままは死ねない。


 二本の足で立って、目を開いて死のう。そして最期の一瞬まで、あの星の言葉を思い出す努力をしよう。



 脇腹が痛む。傷口から力が血とともに抜ける気がする。それを無視して右手で抑えながら木にもたれつつ、俺は立ち上がる。


 でかい。立ち上がってもなお見上げるような大きさ。二階建て、三階建ての住宅のような大きさだ。


 ずるいぜ。お前ばっかり変身なんかしやがってよ。


 俺はその場に立つ。しっかりと重力を体に感じながら太ももに力を入れる。脇腹を右手で押さえ込んで少しでも出血を抑える。


 最期まで、生きてやる。



 耳がついに、俺を見下ろす位置にまで来た。


 距離はない。もたげるような耳を降ろし、俺へ近づける。


 俺の顔と耳の距離はもう三メートルもない。近い。でかい。耳自体がそれだけで俺の体の大きさほどある。全身を包まれてしまいそうなほどに大きい。


「要说」


 耳の穴から語り掛けるように音声が流れる。


 俺はその耳穴に向かって言い放つ。


「日本語喋れ、耳、それと」


「次は負けねえ。絶対、化け物に生まれ変わってでも」



「お前を、殺す」



 耳がぶるり、震えた。そして広がり、俺を抱くように包もうと広がーー





「よく吠えたわ、探索者」




 風切り音。目の前に丸太でもぶち込まれてたのではないかと錯覚する圧。



 俺を包み込もうとした大耳が、横からぶん殴られたかのように傾いた。



 巨大な耳がぶれる。スローモーションのようにゆっくりと傾くその耳。耳の側頭を貫くように、何かが刺さっていた。


 俺でも、耳でもない声が草原に渡る風に乗って響いた。


 その(言葉)、思い出した。


 諦めるな、必ず救ける。



「約束、守ってくれてアリガト。今度は間に合ったみたいね」



 心臓が、跳ねた。まるで生きのびれる事を喜ぶように。俺の体は、高揚していた。



最後まで読んで頂きありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
おもしろいけど耳との戦いが長い。長すぎで読むのがダルくなる。結果、話数をかなり飛ばした。
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