死んだはずだろ
Tu sais quoi?
暗い胃袋の中で
待て。
どぱんと。砂が舞い上がった方を俺は見つめる。砂柱とでも言うべきか? 吹き出たように砂が、草原から突き抜けている。
どぱん。
さらにもう一回。草原が、地面が咳き込んだかのように砂が舞い上がる。
パラパラパラパラ、小雨が降り始めたように砂粒が地面に落ちる音が辺りに響いた。
待て。待て。待ってくれ。
どぱん。また地面が砂をふく。
いやだ、もう、いい。満腹だ。これ以上はマジで蛇足だ。
どぱん、どぱん。
ドバン!!
地面が苦しんでいるようだ。僅かに尻に振動を感じる。その腹の芯に響くその感触を体はまだ覚えていた。
やめろ。待て、待て、待て。
振動が止む。
気付けば風が止まっていた。静けさは時に恐怖となる。
呼吸音を無意識に俺は抑えていた。もう笑いなど出ようはずもない。
砂が噴き出る、と同時に巨大な何かが跳ねるように地面から舞い上がった。
ドゥオオオオオ!!
唸り声と共に、地中から飛び出してきたそれは見間違いようもない。
怪物種87号 ソウゲンオオジグモ。
砂にまぶれた茶色の体色。大小の泥団子を二つくっつけたような丸々とした胴体と頭部。蠢く計八本の節のような脚。
それらが地の底から飛び上がる。でかい。通常は巣の底に隠れているその全容が露わになる。
水面から跳ねた魚のように体をのたうちながらソウゲンオオジグモが巣穴から飛び跳ねる。
知らない。俺はそんなの知らないぞ。アレが巣穴から姿を出す事があるなんて話聞いたことがない。
雄叫びをあげながら、跳ねるソウゲンオオジグモ。俺はその姿から目を離せない。
すごい。
現代に突如現れた最後の謎。神秘が残る秘境の地。常識の通じない理外の、世界。
現代ダンジョンバベルの大穴が孕む、巨大な怪物。俺はその生命の大きさに圧倒されていた。
轟音と振動とともに、ソウゲンオオジグモが地に、砂場に堕ちる。
は、はは、すげえ、なんだこれ。
巨大な蜘蛛。巨大な蜘蛛だ。それ以外に表現出来ない。泥や砂に塗れた大きなキウイが二つくっついているような体躯、この二十メートル以上離れているのに、その大きさに口が開いた。
俺はその生命からある種の感動を覚えていた。ジュラシックパークのグラント博士の気持ちがよくわかる。サングラスも外すだろうよ。
怪物種、その名の意味がよくわかった。たしかにこれは怪物だ。現代ではなく、お伽話や神話に登場するべき生命。それが怪物種の本質なのだろう。
オオオオオオオオ。
唸り声。蜘蛛が唸り声を上げるものかよ。そうこれは怪物だ。節足動物の蜘蛛ではない。怪物種87号ソウゲンオオジグモなのだ。ならばこのような、やまびこを何倍にも野太くした唸り声もあげるだろう。
おれはただ、ただ、ぼんやりとその光景を目に焼け付けていた。
ん?
ソウゲンオオジグモが体の向きを変えた。その複眼を飾る頭部がこちらを向いていた。
目が合った、そんな気がした。
え? いや、うそ。
こっちを向いてないか?
嫌な予感や予想は何故いつも当たるのだろうか。ソウゲンオオジグモが、こちらへ近付いて来ている。
のそり、と長い八本の節足、節のような足を動かしこちらへ来る。
待て、待て待て待て。何してるんだお前。
ゆっくり、確実にこちらへ歩み寄って来ている。
うそだろ、おまえ。
「いや、まじか、まっじか」
もしも、運命というものがあるのならば、それはよほど今日、おれを殺したいらしい。耳の次はクモだと?
本来ならば地中に潜み、動かないはずのソウゲンオオジグモは、地表をその節足、節のような足で踏みしめながら近付いて来ている。
わさわさ動く、巨大な足を見ていると背筋がぞっとしてくる。
「いや、もういいから! 頼むから、もう勘弁しろよ!」
手を前に突き出し、声を上げる。ダメだ、ソウゲンオオジグモにはおれの文句は届かない。
こちらへ来る。おれにはどうしてもアレが友好的な意味で、こちらへ近づいているとは到底思えなかった。
ぎしゅああああああ。
ほら、もうなんか昆虫と化け物が混じったような鳴き声出しているもの。どう考えてもあの声は威嚇だろ。友達になろうとかではない、貴様の肉を引き裂いてくれるわみたいたな意味だろう。
「あー、もう、まじで、マジで死ね。ほんっと頼むから死んでくれ」
俺はもう、やけっぱちになったように呟く。早く逃げなければならないのに、体がだるい。重い、痛い。
動けない。木にもたれかかったまま、俺は動けなかった。
恐怖はない。ただ、苛立ちと驚愕と、ほんの少しの悔しさだけがある。
せっかく、あの耳の化け物から生き延びれたのに結局これか。
恐らくあと数秒もしないうちに、ソウゲンオオジグモは俺の元へたどり着く。そのまま巨体でに轢き潰されるか、はたまた食い殺されるか。
結局か。これが凡人の限界か。いつもこうだ。少しマシになったかと思えばいつだって俺の人生はこうだ。
楽をさせてくれない。常に、常に何かトラブルが起きる。地上での人間のご機嫌伺いが終わったと思いきや、次は地の底での化け物のご機嫌伺いだ。
俺はそれに失敗したんだ。
結局、俺がいくら頑張ってもこれで終わりだ。この理性のない大きく、古い生命に俺は殺される。
「つまんね」
不意に出た言葉だ。つまらない。何故こんな言葉が出たのだろう。
脳裏に何故か、あの忌々しく恐ろしい耳の怪物の姿が過ぎった。
ヤツも死んだ、そして俺も、死ぬ。同じように大草原の主に殺されるのだ。無粋に領域を荒らした化け物、人間、両者を平等に主人は殺す。
迫る、そのソウゲンオオジグモの威容。それはまさに怪物。バベルの大穴が生んだ怪物種。
「勝った気がしねえんだよ、クソ耳が」
誰にも届く事のないつぶやき、夏の終わり、秋が近くなった冷たい夜を始めて迎えたような気持ち、寂しさにひどく似たものを感じた。
そして
おぎゅあおおおああああアアアい!??!
こちらへ迫るソウゲンオオジグモが突然ひっくり返った。勢いはまだ生きている。仰向け、腹を見せてひっくり返ったまま、芝生を削りながら雪崩れ込んだ。
オオオアアアアア!?!
唸り声? いや、違う。これは、腹を見せながら頭部を左右に大きく振りながら叫ぶこの声は
「悲鳴?」
ぺき。
ソウゲンオオジグモの腹が割れる。大きな、大きな腕が腹から突き出ていた。
俺は、その腕を知っている。
死んだはずのその腕の持ち主を、知っている。
体中の毛穴が開いた。痒みが稲妻のように体に駆け巡る。
何故かは分からない、俺の口角はほんの少し歪むようにつり上がっていた。
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