今度こそ
……………
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腹に巻き付く木の根の感触。それが俺の体をどんどん吊り上げていく。
十数メートル程の高さまで吹き飛ばされていたらしい。
UFOキャッチャーの景品になったような気分だ。眼下には飛び散った砂場が見える。ぽっかりと開いた穴の中で、ソウゲンオオジグモが身じろぎしたのが見えた。
木の根の収縮が止まる。かと思うと股ぐらがヒュンとのたうつ。
「ゔっ」
腹を締め上げられ、口から空気が漏れた。
確かなGを感じながら俺は手繰り寄せられるように下に引っ張られる。
脇腹が痛む。漏れる、もれるってこれ。内臓がもれる。
手で脇腹を抑えようとするも、傷口のあたりを覆うかのように木の根が何重にも重なり巻き付いている。ざらついた硬質の感触を撫でるだけだ。
「うわ、うお!」
風が流れ、緑に覆われたの地面が迫る。ぶつかると思った瞬間、また木の根がぐんっ、と俺の体を一瞬引き上げる。
「ゔえ」
またカエルが潰れたような声が漏れ出る。舌の根からこぼれ落ちたような声だ。我ながら情けない声だった。
ぼと。一瞬、引き上がる事で勢いをうまく殺した木の根が突如、バラバラと解ける。
「うお!」
一メートル程の高さから、うつ伏せのような体勢で捨てられるように落とされた。
なんとか足を咄嗟に伸ばし、着地、衝撃の瞬間倒れこむように転がり体へのダメージを減らす。
そのまま仰向けに転がる。ひゅー、ひゅーと喘息のような音が肺をかすめながらなっている。
風にそよぐ背の高い草が頰を撫ぜる。細やかな芝の柔らかな感触が背中いっぱいに広がった。
左手を上に掲げるよう持ち上げる。熱を持つ掌を開いて仰ぎ見る。
「うわ、グロいな」
顔を顰めながら呟いた。
手のひらの中心から半円の翡翠が皮膚を突き破り浮き出ている。
無理やりに植え付けられたかのように、まるで俺の手のひらの皮膚に根をはっているかのようにも見える。
その輝く明るい緑、薄い黄緑にも所々染みのように赤いものが混じっている。俺の血を吸い上げているのか?
ぱたりと俺は左手を降ろした。もう考えるのが面倒だ。
脇腹が、痛い。どく、どく、どく、とそこに心臓が移動したかのように脈打っている。
首を起こして患部を確認しようと思ったが、辞めた。だるい。
右手を口元にまで持っていく。唇をゆっくり開き、前歯を突き出し挟むように右手の革手袋を咥える。
そのまま、手を引き、手袋を外す。ぺっ、とすぐ脇に咥えた手袋を吐き捨てる。
右手を何度か、グー、パー、開いては閉じ、閉じては開いた。きちんと動く。
ゆっくりと、右手で熱い脇腹をさぐる。
「ああ、くそ」
べとりとした感触を手のひらいっぱいに感じた事に思わず悪態が出た。
片目を瞑りながら右のてのひらを仰ぐ。真っ赤だ。出血が多い。痛い。
「好き勝手やりやがって、あのばけもの」
俺は仰向けのまま、首を左右に振る。すぐ右側の地面に影が差している事に気付いた。
木陰だ。影の向こう側、低めの木に生えている木の葉が風に静かに揺れていた。
出血を抑えなければならない。仰向けのままだと力が抜けるような気がする。実際脇腹の痛みは徐々に強くなっていた。
あの木陰までどうにか……。俺は脇腹を抑えつつ体を起こそうとする。足を芝生に押し付け掻くように動かす。
力が入らない。くそ。血と一緒に力まで抜けていくみたいだ。
俺がどうやって体を動かそうかと、考えていた時、右手首に何かが絡みついた。
「は?」
すぐに手首を確認する。また木の根だ。細い木の根が獲物を巻き取る蛇のように俺の手首に巻きついていた。
どこから伸びてきたんだ?
根を確認すると、それは木陰の方向から伸びてある。ポツンと立つ、木のうろの部分から伸びた細い根が俺の手首に絡みついていた。
まさか……
そう思った瞬間、ゆっくりと俺の体が仰向けのまま動き始めていた。
芝生を引きずりながら、右手を木の根に引っ張られていた。ず、ず、ずず。と木陰の方向へ引きずられていく。
「……もう好きにしてくれ」
俺はそのまま体から力を抜いて、目を瞑る。絶妙な力加減で俺の手首を木の根が引っ張り続けていた。
ずり、ずり、と右手を引っ張られる。右手だけ引っ張られている為に、寝転びながら挙手しているような間抜けなポーズだ。
左手の奇妙な熱を感じつつも俺はその木の根に身を委ねていた。
少なくとも今は、この力は俺の味方なのだ。ゆっくりと確実に俺の体は引きずられていく。
コツンと頭に何かがぶつかった事で俺は目を開いた。同時に右手首に巻きついた木の根がばらけた。
首を後ろに逸らすと、木の幹がすぐそこにある。ぶつかったのはこれか。
視界一杯に木の幹から伸びる木の葉のカーテンが揺らめいている。小さな隙間から光が漏れ出て、俺の顔に、全身に糸のような光が注ぐ。
ああ、綺麗だ。光石の陽光にも似た暖かさを皮膚で味わっていると自然に頰が緩んだ。心なしか脇腹の痛みも少し収まったように思える。
傷は深く、起き上がる事すら困難だ。
でも
「生きてる……」
つぶやきは、風に攫われていく。光石で火照る顔を風が冷ましていく。ただそれだけのことがとても心地よい。
「生きてる…… まだ、生きてる。」
噛みしめるように自然と愚痴をつく言葉。うわごとのように繰り返していく。
生きてる、生きてる、生きてる。
今度こそ、本当に死ぬと思った。
脇腹を抉られたあの時。
地面から突き上げられ、空中に舞いながら眼下に広がるソウゲンオオジグモの口内を見たとき。
死ぬと思った。次同じ事を繰り返せば間違いなく死ぬ。そんな確信があった。
だが、それでも
「生きている。おれは死んでいない。」
脇腹が痛む。瞼が重い。だるい。息苦しい。頭が痛む。そういえば肋骨も疼いているし、左手のひらに至ってはなんかやばい事になっている。
でも
「俺は生き残ったんだ。」
そう、それら全ての不快な感覚こそが生の証。俺は死の安楽でなく、生の煩わしさを体中で感じていた。
きっとそれは間違いではない。酔いに身を任せ、恐怖を相手取り、それを下した。
呪いのような奇跡に身を委ね、それら扱い、恐怖から逃れた。
それはきっと、俺が人間だから出来た事だ。恐ろしい怪物はより強大な怪物に食われ、死んだのだ。
俺は、勝った。勝ったんだ。今度こそ、人間の、俺の勝利だ。
俺は生きて、ヤツは死んだ!! はっきり見た。あの巨大な化け蜘蛛に食われる大耳を! 千切られて地に堕ちた忌々しい触腕を!
「は、はは」
喉から鳴るのは笑い。乾いた笑いが痛みを無視してなり始める。
「ははははひひひ」
底意地の悪い笑い声が響く。誰だ笑ってるのは? 俺だ、俺しかいない。
酔いだ。勝利の匂いを感じた酔いが再び心地よく体に広がる。甘く痺れるような脳みそは嗤いつづける。
「ははは! ざまあみろ! ざまあ見たことか! 化け物! 俺の、俺の勝ちだ! 好き勝手やりやがって、思い知ったか! クソヤロー」
目を剥き出しにしながら俺は声を上げる。仰向けになったままだと声が出しにくい事に気付き、体をゆっくりと起こす。
座ったまま木の幹に背を預けるようにもたれかかる。脇腹に重力がかかる。痛みは薄れて行っていた。酔いが回っている。
目の前に広がる大草原に向かい、叫ぶ、叫びつづける。誰かに自慢するのではない。俺が俺自身にきざみつけるように叫ぶ。
勝ったのは俺だ。生き残ったのは俺だ。
俺は生きてていいんだ。
「はは、はははははは! やったぜ! 地獄に落ちろ! くそ耳! はははは」
叫ぶ。詰る。
ははははははは!
耳に耳障りな俺の声が反響しつづける。
あのしぶとかったヤツともこれでお別れだ。今度こそ終わった。これで、やっと帰れる。
熱に浮かされたように叫びつつも、俺の頭には安堵が広がっていた。
俺は木の幹に背を預けたまま、ヤツが食われた方向を見る。丁度ここから真っ直ぐの位置だ。
「はははははは……はあ」
嗤いが止まる。そして
どぱん。
クジラの潮吹き、それか間欠泉が噴き出したように前方、とおくの地面から砂が吹き上がった。
はは、なんで?
最後まで読んで頂きありがとうございます!