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赤い叫び



そう、貴方は諦めない。たとえ死がすぐ背後で笑っていたとしても。



貴方が諦めるのを私は許さない。



????

 


 熱い。


 右脇腹に焼きごてを当てられたようだ。肉の焼ける匂いがしないのが不思議なくらいだ。


 加えて感じるのは、異物感。呼吸をするたびに脇腹の中に突き刺さるヤツの腕の存在を血肉が感じている。



「ぶっ」


 咳き込みそうになるのを必死に抑える。今激しく咳き込めば空気と一緒に内臓まで吐き出してしまいそうだ。




「Captured」


 音声が近づく、ヤツが歩みを進める度に俺の脇腹に刺さっている細い腕が振動する。



 一、二、三、四、五。


 五本、計五本の腕がヤツの体中から伸びている。肩から伸びている短い腕、右脇腹から垂れている長く歪な腕と、細く長い腕。


 そして、今俺の脇腹に刺さっているヤツの……臍。臍から伸びている腕。


 くそが…… 今更そんな隠し球出してきやがって。


 ()()()()()()()


 そんなもん分かるわけないだろ、くそ、くそくそ。


 どこまで刺さってるんだ? これ。俺は慎重に、震える左手で腕が刺さる脇腹の付近を触る。



 じわり、と赤い染みが大きくなった気がする。血の気が引くという意味を始めて実感した。


 背筋が寒く、頭が軽い。



 俺の体には何リットルの血が流れている? そしてどれだけの血を失ったらまずいんだ? ああ、ちくしょう、分からん。勉強しておけばよかった。



 どうでもいいことが頭をよぎる。それはまるで現実逃避のようにも思えた。


 目の前に迫る死。背後、いやもう足元に潜む死。それらが重いストレスとなって俺を苛む。



 ヤツの臍と俺の脇腹を繋ぐ忌々しい腕。それが少しづつ縮んでいく。


 ヤツと俺の距離が縮まる。それは俺の死が近くなるのを意味していた。



 痛みが、ない。


 それは酔いによりせめてもの手向けか。それとも俺の体が、俺にくれる最期の情けなのか。


 おそらく、もうヤツはいつでも俺を殺せるのだろう。この脇腹に刺さる腕を少し、押し込めばおそらく内臓に届く。俺は死ぬ。呆気なく、簡単に。



 にもかかわらずこの脇腹に刺さる腕は動かない。かと言って抜ける様子もないが、俺の肉を抉ったまま沈黙している。



 遊んでいる。遊んでやがるんだ。



 一歩、一歩。歩みを進める度に大げさに体を揺らしながら近づいて来る耳の化け物。コイツは俺の反応を見ながら楽しんでやがる。



 ネズミをいたぶる飼い猫のように、アザラシを遊び殺すシャチのように。


 生態系の下に位置する生き物を甚振り、嬲り、遊ぶ。


 生き物に当たり前のように備わっている残酷な部分を、コイツも持っているのだ。



 俺は改めて、この化け物がとてつもなく怖いモノなのだと実感した。自らよりも強く、恐ろしい生き物に、狩られる。獲物の恐怖をここに来て、さらに強く感じた。



 俺に向けられたヤツの興味、俺を殺そうと、苦しめて殺そうとするその残酷性。


 怖い、恐い、こわい。



「……だ」


 脳裏に、腕と足を捥がれて殺された彼らの叫びが反響する。


 なんで、なんでおれが、なんでおれなんだ。



「……やだ」


「やだ、やだ」



 死、血。


 闇。


「いやだ、いやだ、いやだいやだやだ」


 口から勝手に、漏れる言葉。ダムに溜まった水が少しづつ溢れる。



「死にたくない、死にたくない、ヤダ、ヤダヤダやだやいやだ」


 言葉に出してしまう。出てしまう。



 先程のヤツをおびき寄せる為の、演技ではない。本当のおれの叫び、嗚咽、呻き。


 溢れる。止まらない。



 脇腹の熱が脳にまで伝わる。体が、びくん、びくん、大きく揺れているようだ。船の上にいるように地面がなびいてるような錯覚まで感じてしまう。



 賭けの事など、関係ない。今すぐここから逃げだしたい。しかし、脇腹に刺さった腕がそれを許さない。


 かえしのついた釣り針のように、おれの肉に食い込むそれは、後ずさりしようものなら色々なものを引きずり出してしまう事だろう。



 後退は出来ない。ヤツは近づく。



「い、いやだ、頼む、たのむ、だれか」



 だれかたすけてくれよ。


 言葉にならない叫びが俺の胸中にのみ響いた。


 どうせ、叫んだところで届かない。ここは現代ダンジョン、バベルの大穴。人が脆く、命が軽い、理外の秘境。



 恐怖の叫びが、喉から響く。喚く、喚く、喚く。哀れに、みっともなく、恥も外聞もかき捨てて。



 揺れる視界、大耳が歪んだ気がする。それはにちゃりと、粘着質の音がするような、気味の悪い笑みに見えた。




 じゃり。



 ヤツの足の裏から砂が混じる音がした。俺の喚きの中で確かに聞こえた。


 再び、耳の化け物。至近。



 しかし、今度はヤツが俺を見下ろしている。脇腹には未だ、腕が突き刺さるままだ。


「La douleur」



 なん。


「ぎゃあぁ」


 痛い。熱が痛みに。脇腹から痛みが流れる。俺は思わず体をくの字に曲げる。腹を折りたたむように、芋虫のようにのたうつ。



「がっ、あ、あああ」


 ぐち、


 肉が、血が混ざる嫌な音が耳に響いた。あまりの痛みに耳鳴りがする。意識が朦朧となる。



 ぐち。



「ごお、やめ、やば」


 朦朧とした意識を痛みで無理やりに覚醒させられる。



 遊んでる、遊ばれている。わかった。わかったんだ。ヤツにとって俺は敵でも獲物でも、なんでもなかったんだ。



 さしずめ、おもちゃだ。犬のおもちゃみたいに噛めば、あの間抜けな音がするおもちゃ。いや、ヤツにとっては人間は全ておもちゃなのだ。



 ぐち。


 肉が、僅かに混ぜられる。


 その度に、喉からゲロのように叫びが漏れる。


 うまいものだ。手慣れている。ヤツは命を奪わずに痛めるやり方に慣れているんだ。



 体が痙攣する。ヤツの腕が蠢く度に俺は、砂利の上でのたうつ。その度にヤツの体がぶるると震えていた。



 きもちわりぃ。なんだそれは。


 出血が多くなる。やばい、やばい、やばい。



 いつまで続くんだ。これは。肉が混ぜる音がする度に金玉をぶち蹴られた痛みをより酷くしたものが全身を走る。


 命にかかわる深刻なものだ。



 だが、何事にも終わりがある。始まったものはいずれ終わる。



 不意に肉が混ぜる音が止んだ。疼くような痛みが俺の瞼を閉じさせようとする。今、瞼をつむれば二度とあげられない気がした。



 耳の化け物の振動が止まる。



 ピクリとも動かない。




「あ、殺される」



 なんて、間抜けな、最期の言葉なのだろうか。俺はヤツが終わらせようとしている事に気付いた。



 ドクン、どくん、どくん。


 心臓が鳴る。まるで今から動きを止めるのをしっているようだ。最後の仕事とばかりに、ポンプの役割を果たそうとしている。




 死ぬ。




 ヤツの脇腹から垂れていた長く歪な腕がぐっと持ち上がる。


 大蛇が鎌首をのっそりとあげたようだ。俺の頭上に伸び、止まる。



 耳の化け物は、動かない。俺も動かない。


 風が、頰に砕ける。砂利が僅かに風に飛ばされた。



 痛みで麻痺した脳みそ、脳内を色んなものが駆け巡る。だが、朧な夢のように自分が何を考えているのかは分からない。



 ああ、これが最期だ。最期の言葉だ。ありえないが耳の化け物がそれを待っているような気がした。



 確か決めてた筈だ。



 三年前、サラリーマンを辞めて、探索者になった時に、まず決めていた筈だ。


 ダンジョンの中で死ぬ時の最後の言葉を。せめて終わりの時ぐらいかっこつけてやろうと決めてた筈だ。



 ああ、なんだったけ。早く言わないと。



「あ、」


 なんだけ、忘れた。もういいや。思い出せない。


「あ、あ……」


 ため息のような声しか漏れない。疲れた、とても、とても眠たい。



 適当でいいか。誰も聞いちゃあいないし。



 俺は力を抜くように唇を動かした。唇が動いた。



「せっ、しょ……く」


 声が出た。


「せっしょく…… きょか、とうばつ……きょかせい、()()()()()()



 尻餅をついたまま、呆けたようにぼやく。


 口からまろび出るままに、言葉を紡ぐ。



「せいそく、ち。にかいそう、西区、大、そうげん」



「食性、にくしょく。性格、きょうぼう。体長、巨大」



 なんだ、これ。何を俺は言っている? 誰だ? この声は。


 俺の声か。



「とくちょう、地中に潜み、テリトリーに入り込んだ獲物をひきずりこむ」



 耳の化け物は動かない。俺はヤツを見上げる。



「かいぶつ、種 87号 ソウゲンオオジグモ」





 ずぐん。


 地面が揺れた。




最後まで読んで頂きありがとうございます!

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