凡人ソロ探索者は現代ダンジョンに酔いながら恐ろしい怪物に立ち向かうようです。その3
只のヒト、それでも貴方は私の側にいてくれた
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「く、来るなぁ!!」
なるべく、惨めに。
「嫌だぁ、来ないでくれえ!」
とてつもなく、哀れに
俺は悲鳴をあげる。かなり情けない姿だろう。
どす、と草原に尻餅をつく。恐怖と無力感で腰が抜けたように演出する。
目のないヤツにも伝わるように声を大きく、惨めに喧しく哀れに、そして分かりやすく。
ヤツを少しでもこちらへ誘う為に。
ひた、ひた、ひた。ヤツがその声に誘われるようにゆっくりとこちらへ歩いてくる。
来い、来い。獲物はここにいるぞ。
「ひぃ……!」
嗚咽のような引き攣った声。半分は演技だが、半分は本気だ。怖いことには変わりはない。酔いがなければ俺はきっと、こんな風に悲鳴をあげる事しか出来なかったのだろう。
恐怖そのものと言うべき恐ろしい化け物が近付いてくる。
じわり、じわりとその距離が縮まる。俺は尻餅をついたままゆっくりと後退を始める。
心臓が一際鼓動を強くしていく。確実に体に悪い心拍数だ。
ギリギリまで、引き寄せなければこの賭けは意味がない。
俺は背後を確認する、すぐ後ろには草原を、芝生のカーペットをそのまま円形に剥がしたような、砂場が広がっている。
大草原で、絶対に近づいてはいけない危険地帯。
それがもうすぐ後ろにある。
眼前には、耳の化け物、背後にはあの砂場。
少し意味は違うが前門の虎、後門の狼という言葉を思い出した。
もしも、虎と狼に挟まれたらどうすればいいのだろうか?
……簡単だ。虎と狼が鉢会うように誘導してやればいいのだ。勇気と知恵を使い、ヤツらを突き合わす。
俺が今、やろうとしている事。逃げるのが遅くても早くても死ぬ。大事なのはタイミングだ。
ヤツが近い、俺はその大耳を見上げる。こうして見れば見る程に怖気が走る姿だ。
人間の耳とはこうまで奇怪なものだったのかと感じる。一対のそれから目が離せない。
残り五メートル程か?
俺は今すぐにその場から走って逃げ出したい衝動に駆られる。もう無理、もう無理だろ。
全身の肌が泡立つ、武器もなく、奇跡もない、何も持たない凡人の俺に出来る事はもうほとんどなかった。
「timor」
耳の穴から垂れ落ちるように音声が鳴る。地獄の底に溜まったものがヤツの耳を通じて流れるように聞こえる。
その奥の見えない昏い耳穴が俺の目に焼け付く。
ジャリ。
ん?
「あ……」
足元から聞こえた音に思わず、間抜けな声が出た。
無意識に俺の体は、後ずさりを続けていたようだ。
砂が混じり擦れ合う音が聞こえた。俺の体は砂場に入っていた。入ってしまっていた。
やばい。
まだ耳の化け物の足元は芝生を踏みつけている。もっとヤツを引き付けてから砂場に入らなければならなかったのに、俺は目の前の恐怖に無意識に負けてしまっていたらしい。
考えろ、考えろ。いっそ走って逃げるか? ヤツなら必ず追いかけてくるはずだ。だがもし追いかけてこなかったらどうなる?
いや、分かってる。賭けは失敗する。そして賭けの失敗は俺の犬死を意味していた。
どうする? どうすーー
「ぼっ、えっ!?」
ずん。と右脇腹に衝撃を感じた。同時に腹から空気が飛び出て、変な声が出た。
は?
口の中、体の底から急に鉄臭い匂いを嗅いだ。
棒で突かれたような衝撃を感じたその部分、右脇腹が熱い。熱い熱い。
ゆっくり、恐る恐るその部分を見る、そこには
防刃ベストの上から着ている白の探索者パーカー、その脇腹の部分がおかしい。
凹んでいる? なんだ、これ。
白い生地にじわり、じわりと朱が広がっていく。嫌だ、うそだろ、なんで。
朱に染まっていく白いパーカー。右脇腹の部分に何か、何かが……
「は?」
熱い脇腹の部分、その光景がぶれる。テレビのノイズが走ったように、電子画面に砂嵐が混ざるようにその部分がぶれた。
「ツカマ」
耳の穴から流れる音声。そして、脇腹の違和感、熱さ。
脇腹に、何かが刺さっている。とんでもない異物感。
「エタ」
カメレオンが変色するように、タコやイカが体色を変えるように
俺の脇腹に刺さっていたものが、空中から突然現れたように。
透明人間が急に現れたみたいに。
頼りない程に細い腕が、ヤツの脇腹から垂れている掃除機のコードのような腕。
それが俺の脇腹に刺さっている。
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