凡人ソロ探索者は現代ダンジョンに酔いながら恐ろしい怪物に立ち向かうようです。
あなたは貴方の道を辿る、貴方の体を取り戻すために
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景色が流れる、耳が逆さまに移り、離れて、それから全身に衝撃を感じた。
体をミキサーにかけられ、めちゃくちゃにかき混ぜられたようだ。芝生をえぐりながら俺の体は地面に叩きつけられる。
「ぐっ。げぇ」
胸が、背が、腹が、肩が、脚が地面に跳ねる。空気が体から漏れ、カエルが潰れたような声が喉から漏れた。
世界がめちゃくちゃだ。緑、白、緑。視界がぐるぐる回っている。
おもちゃのように投げ飛ばされた。それが理解出来たのは、回る世界が止まってからしばらくだった。
目の前に、芝生が近い。草や、赤色の小さなタンポポに似た花が、風に小さく揺られている。
足、腕、両方に少し力を入れると、手応えが帰ってくる。
良かった、もげてはいない。健康補助食品に稼ぎを投資した甲斐があった。鍛えておいて良かった本当に。
体中が痛い、肋骨の痛みはその全身の痛みにより上書きされていた。
「ゔえ」
口の中を切ったようだ。舌の奥から血が漏れ、唾液が傷口に染みる。何回転したのだろうか。耳鳴りがして、吐き気がして頭が痛い。
人を殺す為に設計されたジェットコースターに乗った後みたいだ。自分が倒れている事しか分からない。
「stand up stand up stand up」
遠くに聞こえるような、耳元で囁かれているような、ヤツの垂れ流しの音声が鼓膜に響く。
うるせえ、くそが。ヤツを睨みつけようと
首を起こす、根本が軋む。痛い、寝違えた時の痛みとよく似ている。
長い距離を投げ飛ばされたかと思ったが意外、ヤツとの距離はあまり離れていなかった。十メートルもないだろう。
霞んでぼやける視界がヤツを捉える。ゆらゆらとヤツの頭上で長い歪な腕と、細長い、俺を投げ飛ばした腕が揺らめく。
触手? 一体ヤツの体のどこにあんなもんが収まるんだ?
ダメだ、考えることが出来ない。ブレている視界の中、ヤツが勝ち誇ったように体を震わせているのが見えた。
悔しい。せっかくここまで生き延びれたのに、こんな、こんな訳のわからない化け物に結局、結局、
「ころされ、る」
絶え絶えに言葉が漏れた。そうだ、間違いなくこのままでは殺される。
あの沈殿現象の中、流れ溶けゆく地面の中で一度は受け入れた死。最後の最後で、あの美しい碧眼と金髪に、強引に奪われた死の実感が再び蘇る。
あの不思議な奇跡の気配は感じない。奇跡の依り代である翡翠も俺の手から消えた。
今残されたものは、俺の手にあるのは何もない。何か、何かないのか? ここを切り抜けられる何か、なんでもいい。
俺を、助けてーー
かちゃ。
不意に右手の感触が戻る。手のひらに、革手袋越しにはっきりと感じる質量。力が不意に入り、金属の音が聞こえた。
銀色。
八センチほどの銀が、光を受けて煌めく。俺の手の中にはまだこいつが残っていた。
「ふ、フフ、はハハ。なんだよ、馬鹿か俺は」
肺が痛む、胸が痛む、それでも口の中から言葉が出た。
あれだけめちゃくちゃに投げ飛ばされようと、死の恐怖に怯えていても。
まだ、俺の右手は斧を握り締めている。風にそよぐ草花の中、無骨な銀がたしかに在る。
そうだ、あの真っ暗な夢の中でもこいつは常に俺と共に在ったのだ。そして、今も変わらず俺の手の中にある。
俺はやはり、まだ死にたくないのだ。まだ生きる事を諦めていないのだ。
腕がある。ならまだ、斧を振れる。
脚がある。ならまだ、立ち向かえる。
心臓が、肺が、脳みそがある。ならまだ生きていられる。
ああ、単純だ。とても単純な事なんだ。
俺はまだ生きている。死んでなんかいない。死んでやるもんか。少なくとも貴様のような訳のわからないものに殺されたくはない。
全身から感じる疼くような痛みが、うつ伏せの体にかかる重力が少し軽くなってきた。
ああ、待っていた、やっと来たか。
俺はその感覚を歓迎する。体全体にほんのり感じる暖かさ。体の芯を冷たくする寒さ。脳みそはまるで温泉に直接つけているかのような、俺の頭の中を満たす脳汁の存在を頭蓋骨の裏に感じた。
全身の毛穴が開き、破けそうだ。とても気持ちが良い。
俺は酔いの萌芽を確信する。一度気絶してしまったことにより覚めたそれが、やっと戻ってきた。二階層だけあって、酔いが回るのが早い。今、この瞬間はそれがとてつもなく有り難い。
瞳を開く。
斧を持つ、右手を持ち上げる。斧を逆手に持ち替え、地面に突き刺す。それは支柱、俺が再び立ち上がり、立ち向かう為の柱となる。
突き立てた斧を頼りに、左手のひらを地面に押し付ける。胸に痛みが走り、酔いによりそれが甘い痺れと変わる、
腹筋に力を込め、足を引き込むように折り曲げる。膝を土に打ち付け、そのまま一気に体を起こす。たたらを踏みつつ、左手を引き、斧を持った右手を突き出す。
ヤツが、俺が立ち向かうべき恐ろしい怪物が目の前にいる。
ならば伏せている場合ではない。寝ている場合ではない。
俺は酔いに身をまかせる。これでいい。この現代ダンジョンに満ちるこの衝動は俺の味方だ。
今までの人生、何をしても他人よりどこか一歩か二歩劣っていた俺。
そんな凡人の俺を酔いが変えていく。
探索者。恐れを知らない命知らず。世界で一番の愚か者にして現代に現れた英雄。
そうだ。そうだった。
「俺は、探索者だ」
そのつぶやきは化け物に向けたものか、それとも自分に向けたものなのか。
酒に酔った人間のように、俺の舌は止まらない。胸の中に溜まる熱を吐き出すように叫ぶ。
「化け物。奪うのはお前じゃあない。俺だ。俺の役割なんだ、それは」
「お前の命も! ダンジョンの宝も! 全て奪うのは俺だ!! お前は俺の獲物なんだよ!!」
酷い顔をしているのだろう。理性でなく、品性をなくした人でなし。お似合いだ。目の前の醜く恐ろしい化け物と殺しあうには、お似合いの存在なのだろう。
探索者という生き物は。
酔いにより、目覚めた俺の脳味噌が高速回転を始める。先程のような無謀な突撃、自己満足の戦いではない。
目の前の恐ろしい怪物を本気で殺す為の方法を考える。
ギョロリと左右に揺れる俺の目が、不意に右側。まるで草花がそこで咲くのを避けているような、荒地にも似た不毛地帯。草原に唐突に出来た、奇妙な円形のスペースを見つけた。
「いいね」
作戦を思いつく。いや、賭けだ。作戦なんかではない。
成功しても失敗しても、俺は死ぬ。
だが、現状唯一ヤツを殺せるだろう賭け。正気ではとても思い付かない、かと言って狂気に染まったからと言って考え付く訳もない賭け。
やるしかない。もう助けはこないのだから。思い付いたのだ。思い付いてしまった。
ならばあとは実行するだけだ。
最後に、目にもの見せてやる、薄汚い呪われた化け物め。
斧を構えた俺は、ふと新たに体が感じた感覚に、ニヤリと口角を上げる。
「そんな気はしてた、遅いんだよ」
左手の手のひらに冷たさに似た熱を感じていた。ツキが回ってきた。
「諦めるな……か」
俺が最後に沈む瞬間、目にしたあの人物の言葉をやっと思い出した。探索者ならば誰もが知っているあの人物、もし本物なら凄い事だ。
言う通りにしてみよう。少なくとも死ぬとしても諦めて死ぬのではなく
殺してから死のう。
風が頰に砕ける。なびく草原の中、化け物と俺は向かい合う。
「ラウンドスリー、だったな?」
耳の化け物が、ブルルと震えた。
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