エマージェンシー、サーチ、スタート
ーーー★
「あ……?! ちょ、ちょちょちょっ!! 先生! アレタさん! 周り、周り、周り見てっす、やばい、これはマジでやばいすよ!!」
グレンのその叫びにより、彼女は瞑想をやめた。様々な雑念を消し、思考を消す。彼女の任務前のルーティンは途中で強引に中断させられた。
「どうした、助手、救援対象が見つかっ……ーー」
その声に反応したソフィが途中で言葉を止めた。陸に上がった魚のように唇をパク、パクと動かしている。
彼女は二人の反応を訝しみながら、眉を傾けフロントガラスを覗けるように体を傾けーー
「は?」
目の前の光景を信じられない。
緑がない。森がない。大森林が急に消えた。
この一帯からまるで禿山のように辺り一切に巨木達が居なくなっている。
なに…これ。
「助手! いつからこうなっていた!?」
「たった今っす!! 走ってたら急に視界が開けて、気付いたらこれっすよ!? ボク道間違えて大森林抜けちゃいましたか!?」
グレンの言葉に彼女はすぐにそんなわけがないと結論付ける。
まだ大森林に入って数分しか経っていない。このスピードで走ったにしてもバニヤンロードを抜けて大森林を外れるまで三十分はかかるはずだ。
「グレン!! 端末反応を確認して!! 位置
はどうなってるの!?」
彼女はグレンに指示を飛ばす。グレンが、慌てた様子でコンソールのナビを覗き込むのが見えた。
「前方!! 端末反応は前方一キロメートル先から! 位置情報確認! 大森林! ここはまだ、大森林の地域内っす!」
彼女の予想通りだ。今彼女達の車両は大森林の中を走っている。だが、一体これはなんだ。
まるで山狩りでもしたかのように、そこにあるべき樹が、森がなくなっている。彼女が前席へ体を乗り出し、フロントガラス越しの光景を少しでも見とおそうとする。
山狩りと違うのは切り株すらない。代わりにまるで根っこを掘り上げたような大きな穴が道路の脇に何個も空いてある。これではまるで
「はっ、誰かが巨木を掘り起こしたのかね? だとすると、どっちみちそんな事が出来る存在は、化け物だねえ」
彼女はソフィの白い肌膚の表面に一粒汗が浮いていることに気付いた。
いや、それどころではない。こんな事、化け物であろうと、なかろうと、生き物が出来ていいことではないと彼女は思った。
彼女達が今走っている、このバニヤンロードは、世界中から集められた人、資材、重機をフル稼働させ、一年で出来たものだ。一年。世界中の力を集めても一年かかった大森林の開拓。
それを、こんな形で、世界中の人々の行動を嘲笑うかのようなこの事態。
まるで、これではーー
「あっ!! 前方! 六百メートル先!端末反応、至近距離! 見えたっす! あれ人っすよね!
グレンが歓声にも似た声を上げた。彼女とソフィも釣られてフロントガラスを覗く。
彼女が目を細めると流れていく景色、禿山のようなこの一帯の向こうに確かに人影が見えた。
一、二。二つの人影だ。車が走るに連れてその姿がはっきりと見えてくる。
「なに、あれ」
彼女は、その人影を視認し、呟いた。人影にはなんら以上はない。だが、二つの人影のすぐ奥にあるものについて理解が追いついていかない。
丸い、球体?
ここからでもはっきりとわかる巨大な球体がこの距離でもわかる異様な存在感を放っている。人影とともにあるそれは現実感のないアートのようにも見えた。
「ソフィ、あれ……」
「ざっと10メートル以上はあるね、そしてあの人影の様子……」
ソフィが右の義眼、飛び出た望遠レンズを右手の人差し指と親指でつまみながら彼女のつぶやきに答えた。
そして、
「おっと、アレタ。面白い事に気づいたよ。|交戦中の未知の怪物はどこだい?」
ソフィが望遠レンズをかち、かちと調整しながら彼女に語りかけた。
彼女なはっとして、前方へ目を凝らす。人影達は球体を背後にしてこちらを向いている。一人は、座っているのだろうか。確かにあの巨大な球体と二つの人影以外何もない。
一体ここで、何がーー
そう、彼女が思考を張り巡らそうとしたその時だった。
[emergency call emergency call]
[emergency call emergency call]
車内に女性の電子音声が鳴り響く。無機質に機械的に一定のペースで。
彼女はその音が、自分とソフィの持つ端末。黒塗りの探索者端末から発せられていることにすぐに気付いた。
指定探索者にのみ貸与されるその端末にはある特別な機能が備わっている。
[Precipitation now Precipitation now]
[Precipitation now Precipitation now]
その二つの端末が交互に同じ警告音声を奏でる。
[Please immediately away from this place]
[Please immediately away from this place]
この警告音声の意味を彼女は瞬時に理解した。
「っ!? 沈殿現象!? どこで!?」
彼女は叫ぶ。外の光景を確認する。唐突に起こるダンジョン災害、その様子は確認出来ない。
「助手!! ブレーキだ!!」
ソフィが唾を飛ばしながら叫ぶ様子を彼女は目の端で捉える。
ブレーキ音。悲鳴のような音が足元から響いた。
ギュイギイィ! 回転を止めたランフラットタイヤのゴムが土により削られる。
慣性により彼女は体が前に投げ出されそうになるのを足を踏ん張り、咄嗟に前席のヘッドレストの部分を掴むことで耐える。
彼女は激しく揺らいだ視界の向こうで見つけてしまう。
百メートルもない、その向こう、目の前の人影が一つ、傾き、消えた。
百メートルもない、その向こう、目の前の球体が一つ、傾き、さらに地面に沈んでいく。
あそこだ。
体は彼女の命令を待たずに動き出していた。瞬時にシートベルトを外し、止まりつつある車の重いドアを押し開ける。
彼女の名を呼ぶ、ソフィの短い呼びかけを置いていく。
彼女の迷彩服のポケットから聞こえる端末の警告音声はまるでどこか遠く、やまびこのように聞こえる。
車外に彼女が飛び出す。頑丈なコンバットブーツ越しに、これまで均された地面の確かな感触を感じた。
彼女は目の前の光景を目に焼けつけるように、その碧眼を開く。間違いない、一人しかいない。
彼女は自分の体全体に、酔いが回り始めているのを自覚する。脚の筋肉がくすぐったい。どこからか湧いているのか分からない力が漲るのを感じ、口角を上げた。
酔いにより強化された五感、視覚が目の前の光景をより鮮明に移す。うつ伏せになり、此方に背を向けている男の服装、迷彩服だ。
自衛軍のものだと、軍人としての肩書きを持つ彼女はすぐに判断出来た。
となると、先程、消えた人影。恐らく沈んでいるのであろう残りの一人はおそらく
「沈殿現象……、つくづく、運がない人なのね。アジヤマ タダヒト」
彼女はまだ見ぬ、不運な探索者を想い、嗤う。美しいその顔が獣のような凶暴な笑みを浮かべる。
彼女は、身を低くする。両手の親指、人差し指、中指のみを地面につける。腰を高く上げ、クラウチングスタートの構えを取る。
スターターピストルはどこだ? いつでもいける。
彼女の背後で複数の車が留まる音が聞こえた。全員集合ね、と彼女は瞳を大きく開く。
背後から聞こえる、友人の声、
「待て!! アレタ! 落ち着きたまえ!! 沈殿現象だ、危険すぎる!」
ソフィに似合わない、上擦り焦った声。あの不遜で抑揚のついた雰囲気はまったく感じない。
「ソフィ」
静かに、しかしはっきり、大きな声で彼女は友人の名を、呼ぶ。
「信じてるわ、合わせて」
「っ! このバーー」
最後まで聞かない。
瞬間、彼女の足元が爆発した。土が弾け、煙となる。スターターピストルは彼女自身が鳴らしてしまった。
駆ける、彼女は今、人と風の中間の存在となる。背後からソフィの叫ぶ声が彼女のなびく後髪に触れるも、掴むことは出来なかった。
ーーー◎
「このメサイアコンプレックスの大バカ女め! 酔っ払いめ!」
ソフィ・M・クラークは、思わずアレタに対して思いつく限りの罵りを吐き出しながらも行動を開始する。
アレタと同じ、軍服の腰。そこに巻いてあるホルスターに手を駆ける。虹色の紐状のものがホルスターの右部分にぐるぐる巻きになって備わっていた。
ソフィは右手を一閃。その紐状のものをホルスターから外し、右手に備え、握ったままに振りかぶる。
それは世界でただ一人、ソフィ・M・クラークしか持ち得ない、遺物一歩手前の探索者道具。
虹の紐。
ソフィ・M・クラークの英雄譚、三階層の翼持つ大蛇狩りの末の取得物。翼持つ大蛇の大腸の一部を利用した伸縮自在の鞭。
虹色に光るそれがソフィの手の中に収まる。振りかぶったそれをソフィが握ったまま、手首を一回転。
それだけでまるで、虹の紐はカウボーイの投げ縄のような形に変化し、ソフィの頭の後ろ辺りで、風切り音を奏でながらくるくると回り続ける。
ソフィは、右手で、虹の紐をくるくると回しながら走り続ける友人の背中を睨みつける。
世界が赤く染まり、ソフィの視界に映る全てがスローモーションに変わる。手脚を大きく振りながら、どんどん小さくなる友人の動きも全て把握出来ていた。
「どうなっても知らないからな!! バカアレタ!!」
叫びながらソフィが、その伸縮自在の鞭をまるで野球のアンダースローのように下手を振るった。
虹の紐が伸びる。
虹の紐が風のように走るアレタの背中に追いつき、まるで意思を持っているかのようにその腰に巻きついた。
しかし、巻きついた紐は、アレタの走行をなんら邪魔する事はない。
薄い半透明虹色の紐が、アレタ・アシュフィールドと、ソフィ・M・クラークを繋いでいる。アレタとソフィの距離が広がる。虹の紐も伸びていく。
ソフィは、大きなため息をつきながら虹の紐の持ち手をぎゅっと握りしめた。
あの、星との付き合いも長い。
アレタが何をしようとしているのかも理解出来たし、自分に何を期待しているのかも、すぐにわかった。
「どっちが狂っているんだろうね……」
そう漏らすソフィの表情には、先程の車内にいた時のような危うさはなかった。
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