それはまるで物語が動き出したような
地面から伝わる衝撃が強くなってくるのを彼女は硬めのシート越しに感じた。体がときたま大きく上下に揺れる。
「壁画の内容がわかった?」
彼女はソフィの紅い瞳と、義眼のレンズを見つめて問いかけた。
「一部、だがね。あの巨大な壁画のほんの一部だけだ」
ソフィの頰が少し赤くなっている。雪のよう透けた白の皮膚の下に血液が詰まっているのがよくわかる。
彼女はソフィのその表情に見覚えがあった。何度か共にした探索の際、何度か見かけた事がある。
「どうやって解読したの? 既存のどの文明、文字体系どれにも当てはまらない意味のわからないものって、以前あなたが言ってなかったけ?」
彼女は脳裏に、一ヶ月と十七日前に発見したあの巨大な壁画の全容を思い浮かべながらソフィに質問した。
「その時はね、本当にわからなかったんだよ。後から記憶を再生している時に、ほんの一部の意味だけがわかった」
「ソフィの完全記憶ってそんな事も出来るの?」
ソフィが人差し指で頭をつつきながら口角を上げた。鼻につく光景だが、目の前の特異な見た目のソフィのそれは妙にサマになっていると彼女は思った。
「ちょうど録画した映像を眺めているように思い出せるのさ。で、その映像を頭の中で再生している時に、気付いたんだ」
「気付いた?」
彼女のあげた怪訝な声にソフィは
「似ているんだよ。とある国で使われている文字に。アレタ、キミはカタカナって知っているかい?」
「カタカナ? ごめんなさい、知らないわ」
ソフィが小さく頷く。
「まあ、知らないのも無理はない。字体が三種類もある国なんて、世界を探してもこの国だけだからね」
「どこの国なの?」
「キミも、ワタシもよく知っている国さ。先の大戦での合衆国の敵、現代の同盟国、そして今まさにワタシ達が助けに向かっている探索者の母国にして、ダンジョンの始まりの国」
彼女の碧眼が少し大きめに開いた。
「それって……!!」
「そう、日本だ。カタカナは日本の字体の一つなんだよ」
ソフィが頭をつついていた人差し指を目の前でピンと立てた。
「日本って、カンジだけじゃないのね……」
「そうだ。ちなみに漢字はそもそもチャイナが由来のものだし、実は漢字とカタカナの他に平仮名という文字も広く常用されているのだよ」
「うへぇ、それってアルファベットが三種類あるってこと? なんでそんな面倒なことを……」
小さく短い舌をチラっと出して彼女が片目を瞑った。
「まあ、興味があるのなら本でも読んでみたまえ。いい勉強になると思うがね」
ソフィが小さく息を吐いた。がたん! また大きく車内が縦に揺れる、運転席に座るグレンがすいませーん、と間延びした声をあげた。
ルームミラーのグレンに向けて、彼女が問題ないという風に手を振った。そしてソフィの方へ身を乗り出し、話を続ける。
「それは時間がある時にするわ。で、ソフィが解読した……、カタカナ? だっけ。壁画には何て書いてあったの?」
ソフィは目を瞑り、口を開いた。彼女は気付いた。ソフィがその映像を頭の中で再生している事に。
「アナタニマタアイタイ」
抑揚のないソフィの声が、ロードノイズを上書きしながら車内に響いた。
「え?」
彼女はそのソフィの機械再生されたような声を理解出来なかった。
「52番目の星、アレタ・アシュフィールド」
ソフィの紅い瞳がどろりと濃くなっているようかのように彼女には見えた。
「キミがあの嵐を討ち滅ぼしたお陰でようやく、人類が始めて足を踏み入れる事の出来た三階層のあの地域で見つけた壁画には」
ソフィの言葉は止まらない。
「また、貴方に会いたい。そう日本語でそう刻まれていたのだよ」
「ちなみに、アレタ、キミは覚えていると思うがこの壁画には文字とは別に、未だ我々が見た事のない奇妙な怪物種の絵が沢山描かれていたね。一体誰が、あの壁画を作り出し、カタカナを刻んだのだろうか?」
ソフィは続ける。
「そして、何故、壁画に描かれていたあの大耳の怪物に酷似した特徴を持つ怪物が、この三年間一度も目撃されていないのにも関わらず突然現れたのだろうか? そして何故、日本人の探索者が襲われているのだろうか?」
大きく開かれたその瞳孔から今にも血が漏れ出してきそうだ。
「貴方とは誰だ? 誰が、誰に会いたいんだ? そもそもどうやってあの場所に壁画を描いた? あの絵は一体なんなのだ?」
狂気。指定探索者、ソフィ・M・クラークの独白は続く。
「なあ、アレタ。ゾクゾクしてこないかい? 何かこう、面白い事が起こっている気がしてならないよ、まるで、ワタシにはーー」
ソフィが口をとじ、ゴクリと喉を鳴らした。言葉を続ける為ソフィが口を開く。同時に彼女の口も自然と開いた。
「「まるで、物語が動き出したような」」
ソフィの紅い左目がぱちくりと、閉じて開いた。
彼女はくすっと笑い
「ソフィ、貴方きっとあの隊長さんと話が合うわ。今度時間とって話してみなよ」
「……アレタなんて、嫌いだ」
ソフィがぷいと彼女から顔を逸らした。
先程の理知と狂気を併せ持つ姿ではなく、このいじけた子どものような姿こそがソフィ・M・クラークの本来の姿なのではないかと彼女は考えていた。
最後まで読んで頂きありがとうございます!