顔の右側
「はあ。死ぬかと思ったよ。アレタ、年下の華奢で貧弱な、ワタシに対して酷すぎやしないかい」
揺れる車内の中首元をさすりながら、ソフィが彼女に向けて抗議の声を上げる。
「ふん。知らないわ。努力ではどうしようもない身体の事を言うソフィなんて」
小さな頰を右片方だけ膨らませて彼女がそっぽを向きながら呟く。彼女の右手は胸元を抑えていた。
「まあ、今のでわかった。アレタ、本調子ではないね?、いつものゴリラパワーを感じなかったよ」
「……もう少し強めに締めた方が良かったかしら?」
挑発するようにソフィが彼女に流し目を向ける、彼女はその視線をギロリと睨み返した。
「ああ、手加減してくれていたのかい? 気づかなかった。キミもようやく弱いものに対する接し方を覚えたんだね」
まだ痛むのだろうか。ソフィが首を撫でながら彼女へ憎まれ口を叩く。ほんの少しだけ彼女はもう一度、この生意気な年下の小娘を懲らしめてやろうかと考えた。だがすぐにこちらを見つめるその紅瞳がうっすらと潤んでいる事に気付く。
「すんませんっす。アレタさん。先生、久しぶりにアレタさんに会えたんでちょっとテンション上がってるんすよ、いつもより少し絡みがウザいっすけど、許してあげて下さい」
ハンドルを握るグレンが声を上げる。内容的にはかなり厳しい事を言っている。
「助手、新しい実験を思いついた。後で付き合いたまえ。お願いではなく、命令だ」
ソフィがグレンに平坦な声で告げる。ルームミラーに移るグレンの顔が、あっ、しまった といいたげに目と口を開けた表情に変わっていた。
「いいのよ、グレン。ソフィが素直じゃないのは昔からだもの。アタシは気にしないわ」
彼女はそう言い放ち、背もたれのシートに深く背中を預ける。固めのシートが彼女の背中、肩、腰を捉える。
ガタン。サスペンションから伝わる地面の凹凸が少し激しくなっているようだ。運転席のフロントガラスから見える光景も灰色のものに変わっていた。
「二人とも、今から灰色の荒地に差し掛かるす。揺れがきつくなるんで気をつけてくださいねー」
前席からハンドルを両手で握るグレンの間延びした声が聞こえた。彼女は頷き、ソフィは手を振って了解の意を示す。
がたん、がおん。
灰色の砂や、小さな岩を車両達が巻き上げつつ、爆進していく。後ろからはそれら全てを踏み潰しながら少し遅れて、戦車が進む。
「助手、目的地まであとどれくらいでつくかな?」
「そおーすっねえ。灰トカゲや、ハイイロ蛇の生息域を避けますんで、このままのスピードを維持して30分程で大森林の表層にはつくと思うっす」
ソフィからの質問にグレンが答えた。どたんと、車が跳ねる。
そうかね、とソフィが小さく答えたきり、車内の中は無言になる。
サスペンションの軋む音と、砂利がタイヤに巻き上げられタイヤハウスの中でポップコーンのように巻き上げられる音だけが、彼女の耳を混ぜた。
そして数分が経った。
「……グレン?」
となりに座るソフィが、ぼそりと呟くように自らの助手の名を呼ぶ。彼女は、車内の空気が急に張り詰めたように感じた。
「ご安心を、先生。盗聴器五個、マイクロカメラ八個、あとはよくわからない変なメーターみたいなの三個。確認したものは全部ぶっ壊してるす、ちなみに今回は中国からのが一番多くて、次がアメリカものだったす」
事もなげにグレンが答える。
「レッドの連中がワタシに探りを入れるのは分かるが、こう自国の連中にまで疑われるのはなかなかに心外だね」
ソフィが大きなあくびをしながら背もたれに深く寄りかかる。
「まあいい。無知で優秀な助手を持ててワタシは幸せだよ」
「ウィッス。ボクも中国のみならず、ステイツにまで目を付けられているヤバめでぶっ飛んだ先生に師事出来て、退屈しないっす」
皮肉なのか嫌味なのかよくわからない言葉を応酬する二人を見て、彼女は小さく微笑んだ。そして胸の中、心臓の裏側にチリっとした感覚を覚えたが一瞬の事だったのですぐに忘れた。
「さて、これで出歯亀がいない事も判明した事だ。アレタ、キミに話しておきたい事がある」
「誰かに聞かれたらまずい話なの?」
彼女を見つめたまま、ゆっくりとソフィがうなづいた。彼女もソフィの深紅の瞳をじっと見つめる。先程までずっとこちらには視線を寄越して流し目のまま話していたソフィがようやく顔全体を彼女の方へ傾けた。
ソフィの右半分の顔が露わになる。人形のように整った小さな鼻や唇は全て新雪が積もったかのように白く、儚い。
そして、右の深紅の瞳……はなかった。そこにはあるべき紅玉はなく異物が押し込められている。見ようによっては小さな小さな望遠鏡に見えるものが瞳の代わりにソフィの眼窩に嵌め込まれていた。
左眼の深紅と、右眼の冷たい望遠レンズが彼女を見つめる。
「壁画の一部が解読出来た、内容をキミにも知っておいてもらいたいのだよ」
車両は灰色の荒地を進んでいく。大森林まで後わすがだ。
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