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岸辺まで20メートル

 


「了解した。指定探索者アレタ・アシュフィールドの指令受諾を口頭で確認。なお、この電話は録音されている、指令は相互の理解の上に成り立つものでありーー」


「あー、うん、アリーシャ。オーケーよ、オーケー。それはもうオーケーよ」


 まじめに定例文を話し続けるアリーシャを彼女は止める。


「む、そうか。まあ今は急いでいるし今回は構わないだろう」


 アリーシャが、渋々と言葉を止めた。生来の真面目さからこういう形骸化したルーティンもきちんとこなさないと気持ち悪いのだろう。


「まあ、なんだ。アレタ」


「なあに? アリーシャ」


「無理はするな。お前はまだ本調子ではないのだからな」


 絞り出すような声が電話を通して彼女の耳に入る。彼女にはその声に遠い過去の残り香を感じた。


「ありがとう、アリーシャ。心配かけてごめんね。必ず帰るから大丈夫よ」


 胸の中に暖かいものが満ちていくのを彼女は自覚する。


 家族がいない彼女にとって、アリーシャ・ブルームーンというサポーターは探索者であった頃からの付き合いであり、一番の理解者だった。


 友人であり、姉であり、母でもあるような存在。いつもは厳しい鉄のようなアリーシャが自分の身を案じてくれるのが、彼女にはとても嬉しかった。


「いつも思うよ。私がまだ探索者としてお前の隣にいる事が出来たらどれだけ良かったかとな」


 噛み締めるように零すアリーシャに彼女が首を振りながら答える。


「ううん、いいの。隣には居なくてもアリーシャはアタシと一緒にいてくれてる。あの頃と形は違えど貴方にいつも助けてられているよ、アタシは」


 彼女はその胸に灯る明かりを確かめるように目を閉じた。電話口の向こうで、そうか、と呟くアリーシャが、唇を緩める姿が瞼の裏に映った。


「すまない。湿っぽくなったな。そろそろ時間だ。」


 彼女が、目を開く。遠くから地鳴りのような空気を叩き潰すエンジンの駆動音が響いているのに気付いた。


「位置情報によると、視認できる距離まで部隊が近づいているようだ。準備しておいてくーー」


 アリーシャが急に固まったように言葉を止める。どうしたのだろうかと、彼女は首を僅かに傾げた。


「待て、アレタ。お前今どこにいるんだ?」


「どこって……、大湖畔よ?」


「そうだな、お前は医療センターを抜け出し、大湖畔にいるんだな。で、お前が立っている場所はどこだ?」


 彼女は端末を握りながら、足元に目をやる。大湖畔の周りには、芝生によく似た雑草が広がっている。緑に囲まれ、常に薄い霧がかかるその地帯は美しい場所として知られていた。


 しかし、彼女の足元には芝生はおろか地面の土すら見えない。ゴツゴツとした岩のような鱗が広がっている。


「湖畔ワニの背中の上よ? 今更ながらすごい大きさね。クジラを喰い殺すのも納得」


「小さな個体でも十メートルはあるからな、湖畔ワニは。で? アレタ。お前はどうやってそのワニの背中に乗ったんだ?」


 彼女は少しだけ、アリーシャの声が低くなり始めていることに気付いた。ここから先は言葉を選ばなければならない。


「え、っとお。その最初はアタシが岸辺で釣りしてたら襲われて、そこから後はノリで背中に飛び乗ったんだけど、とどめを刺す時にはもう岸辺から離れた所にいたから……」


「なるほどなるほど。釣りねえ。まさかお前、そのままとりあえず考えるのが面倒くさくなってワニの背中の上で釣りを続けていたりはしていないよな?」


 彼女は声が裏返りそうなのを我慢して、


「い! 今はしていないわ! ホントよ? 呑気に釣りなんかしてないだから!」


「今は? そもそもお前、医療センターから抜け出して何をしに行ったかと思えば、釣りをしに行っていたのか!?」


 まずい。口が滑った。こうなるとアリーシャの説教は長い。彼女がどうしたものかと悩んだ時


 ファー、ファァア!


 汽笛のような音が湖畔に揺蕩う静謐を破る。彼女はその汽笛が鳴った方角を確認する。


 四台の黒塗りの装甲車両。それにあれは……


「エイブラムス? やけに気合い入ってるのね」


 岸辺に集まる装甲車両に混じるあの長い砲塔付きの車両、間違いない戦車だ。


「……! 部隊が到着したようだな。……はあ、もういい。続きはお前が帰ってからだ。」


 アリーシャが諦めたような口ぶりで零した。そして続ける。


「いいな。私の話はまだ終わってない。()()()()()()()()()()、約束だ。」


 アリーシャらしい言葉に彼女は思わず口角を上げた。


「わかった。アリーシャ。ありがとう。じゃあ行くね」


「ああ、行ってこい。そして帰ってくるんだ。探索者は行きて帰りし者なのだからな」


 アリーシャが、続ける。


「いや、待て。行くといってもこの位置は……。岸まで離れすぎだろう。少し待て、部隊に水上装備があるかの確認をする」


 位置情報を確認したらしいアリーシャが彼女へ声をかける。事実、アリーシャの手元にある情報端末では、彼女の位置と、部隊が到着している岸辺までは二十メートル程の距離があった。


「必要ないわ。アリーシャ・ブルームーン」


 彼女はアリーシャの言葉を最後まで聞き、即答する。


「まて、お前何を考えている?」


 怪訝な声のアリーシャの問いに彼女は答えることはない。部隊が集合している岸辺をじっと眺め、それから自分の足場に目をやった。彼女は十五メートル程の大きさの湖畔ワニの背中の半ばあたりに立っている。ちょうど岸に対して、垂直になるように尻尾側は岸辺の方へ向いていた。


「ねえ、アリーシャ、走り幅跳びの世界記録って大体何メートルなの?」


 彼女は黒いコンバットブーツのつま先で足場を突き始める。鱗の独特な固さとその中みっちりと詰まった肉の感触がつま先越しに彼女に伝わる。


「走り幅跳びだと? 確か公認記録だと、八メートル九十五ーー 待て! まさかお前!?」


 アリーシャが急に言葉を止め、口調を荒げた。その声を聞いた彼女はニィと笑い


「センキュウ、アリーシャ。また後で」


 端末の通信を彼女は切った。そのまま端末を軍服のズボンポケットにしまう。


 彼女はまず、腰のベルトを確認する。ホルスターが付いているそれには、ちょうど懐中電灯ほどの長さの筒状のものがぐるっと腰全体を周回するほどの本数が備わっている。


 ベルトを締め直し、ホルスターを固定し直す。オーケーだ。これで外れることはない。


 彼女は後ろを振り向く。頭の方に行くにつれこの巨大なワニの体は少しづつ隆起している。ちょうど傾斜の緩い滑り台のようだ。


「よし、いきますか」


 彼女はそのまま、頭の方へと駆け出した。ヌメヌメした鱗を特注の黒いコンバットブーツの靴底がしっかりと捉える。ゆるく付いた傾斜もお構いなし、あっという間にワニの顔、目の辺りまで彼女はたどり着いた。


 そのまま振り向き片目を瞑り、背中から尻尾、そして岸辺までの距離を確認する。


「RUN.RUN.RUN COME ON」


 一気に彼女が駆け出した。傾斜がついている為前に傾きそうになる体よりも更に前へ脚を踏み出す。


 長い手脚を完璧にコントロールし彼女は湖畔ワニの背中を駆ける。


 踏み出す事に、飛び出しそうなエネルギーを蓄える。まだだ。爆発の時を待つ。


 湖畔ワニの凸凹している鱗を踏みしめ、バランスを崩すことなく彼女は手脚を振るう。鞭のようにしなるその部位が彼女の体に更なる運動エネルギーを蓄えて行く。


 あっという間に背中の中腹までたどり着く。ラストスパートだ。こけてしまうのではないかというほどに彼女は体を前傾させる。


 冷たい空気を彼女は顔に感じる。その視線はまっすぐ岸辺だけを見つめていた。


 尻尾の付け根が盛り上がっている。ここだ。


「yahoo!!」


 駆ける。踏み切り台のように彼女はその付け根の部分を思いっきり蹴りつける。溜め込んだエネルギーを右脚で解放する。


 浮遊感、湖畔の静止した空気を彼女が裂く。眼下には霧に覆われた湖面が映る。そこには静けさが溢れる程に有った。


 空気を掻くように彼女が手足を動かす。景色が流れ、あっという間に芝生に覆われた岸辺が見えた。


「ヤッッッフー!!!」


 ファーファー、となり続けるクラクションと彼女の叫びがぶつかり合う。


 空中の彼女の足元に数台の装甲車両と、戦車が見えた。周りに随伴している隊員達がこちらを口を開けて見上げている様子が彼女にはわかった。


 足元の彼らに向けてウィンクをする。伝わったかはわからない。


 そして彼女の視界に緑が近付き、手足に重たい衝撃が走った。


「いだっ、あだっ!」


 ゴロゴロと地面に着地した途端、その勢いのまま前転、横転を繰り返す。めちゃくちゃに転げまわり、やがて彼女は仰向けのまま止まった。


「はっ、はっ、はっ」


 乱れる息を整えながら口の中に入り込んだ髪の毛を取り除き、彼女は呟く。


「世界記録、更新ね」


 彼女はちょうど部隊が集合していた岸辺の更に少し奥へ着地していた。


 すぐに辺りに混合部隊の兵士達が駆け寄ってくる。彼女はフッと息を吐き、飛び上がるように立ち上がり


「ハァイ、みんな元気? どんな状況?」


 アリーシャ・ブルームーンがこの光景を見れば。眉間に手をやり永い溜め息をついたことだろう。


  おどけるように彼女は右手を上げながら声をあげる。迷彩服を湿った芝生まみれにしながらもニカっと、快活な少女のように彼女は笑っていた。


最後まで読んで頂きありがとうございます!


また明日。

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