さいかい、星の光に照らされて、さあ、深くへ。
沈殿現象。
バベルの大穴内でたまに起こるダンジョン現象の一つ。
唐突に地面がまるで砂漠の流砂のように沈み始め、陥没していく現象。
原因は不明だが、一階層の水晶地帯の大水晶が二階層や三階層で見つかったことから沈んだものは沈殿現象が起きた階層より下へ移動する可能性が高い。
ダンジョン内の階層は単純に下に存在しているわけではないことから、侵入と同じように一種の超空間を移動しているという説もある。
人が巻き込まれたことは現時点ではない。
バベルの大穴ガイドより抜粋ー
「田村さん!!!」
跳び起きながら、叫ぶ。自分の声で目が覚めた。
首を左右に振ると、切り株のようになっている巨木が一本だけ残っていた。
あそこだ!
左手をそれに向けると、土を突き破って、木の繭が現れた。内側から開き始めるそれに俺は駆け寄る。
「大丈夫ですか!? 田村さん」
開いた繭を除くと、片目を瞑った田村が、右手でサムズアップしていた。
「思い出してくれて、助かったよ。木の繭で包まれる一生になるのかと少し、心配し始めていたところだ。」
田村が、陽気にくちびるをゆがめた。良かったまだ余裕がある。
「いや、ぶっちゃけ忘れかけてたりして」
釣られて俺も、軽口を叩く。
ふたりでニヤリと笑い合い、どちらからともなく右手を差し出した。
俺がその手を握ると、田村を囲っていた木の繭はボロボロと崩れ落ちる。
「流石だよ、探索者。ありがとう、あいつらの仇をうってくれて」
田村が頭を下げる。
「出来る事をしただけですよ。」
田村がまたニヤリと笑った。
「外の様子は余り、わからなかったが……。味山さんがものすごい事をしたのだけはわかるよ。」
田村はその場に腰掛けたまま話す。足は相変わらずV字のままだ。おれていると一目瞭然だ。
「これは凄いな。予想以上だ。」
田村が首だけで辺りを見回す。この禿山と化した周囲を見て目を丸くしている。
「探索者ってのはみんなこうなのか?」
「まさか。たまたま今回は俺に運が回ってきてただけですよ」
田村がこちらをじぃと見つめる。その目は先程までの人当たりのいい柔和なものではなく、緊急時に見せた兵士の眼。
命を奪ったことのある人間の眼だった。俺はその眼から目を逸らさない。
自衛軍の役割は探索者の支援だ。そして、その支援の中には酔いにより暴走した探索者の鎮圧も含まれている。もっとも鎮圧専用の部隊があるそうなので、巡回班と名乗った田村は違うのだろう。
それでも、ここで目をそらすわけには行かなかった。人間同士で争う暇はない。敵は飽きるほどいるのだから。
「……済まない、職業病だ。これは。命の恩人にするような事ではなかったな」
田村が肩をすくめて雰囲気を和らげた。わかってくれたみたいだ。
だが、それでもこの有様。これはなんと説明したものだろうか。灰ゴブリンから取得した宝石を持っていると頭の中にへんな声が鳴り響き、それの言う通りにしたら大森林の巨木達がこうなりました。
「文章にすると酷いな。」
良くて精神病院。悪くて尋問だな、これは。
一体なんと説明すればいいか、頭を悩ませ始めた時だった。
遠くからエンジンの音が聞こえる。
「田村さん!」
「ああ、やっとだな。まったく遅すぎる」
ため息をつきながらも田村の顔にははっきりと安堵が浮かんでいるのが分かる。
巨木が消えて、視界が遠い所まで見渡せる。ここだけ荒地になっているため相手からも分かりやすいだろう。
目を細めると小さな黒い点が徐々にこちらへ近づいているのがわかった。車だ。エンジンの音。タイヤが土を巻き上げる音。間違いなく軍の車両だ。
「数が多いな」
田村が額に手を当てて日差しを作りながら呟いた。本当だ。一、二、三、四。
「四台も呼んだので?」
「いや、たしかにあの怪物の詳細をHQに伝えたが……。いや待て、まさかあれは……!
エイブラムス!?」
田村が叫ぶ。よく見ると四台目の後ろに一際大きな車両が追従して走っていた。
戦車? え、戦車もってきたの?
「なんてこった。ありゃ、米軍との混合部隊だ。なんで連中が?」
「混合部隊?」
聞き慣れない言葉に田村へ問いかける。
「ああ、そうか。たしかに一般的には知られてないよな。バベルの大穴内のみの限定的な部隊さ。練度の高い各国の代表が配属されるいわばエリート部隊だな。ちなみに指定探索者も書類上はあの部隊の配属になるんだ。」
田村の顔が少し火照っているようにも見える。それだけあの部隊は珍しいのか?
やがてはっきりとその全貌が視界に移り始めた。
まあエリートだろうとなかろうとどうでもいい。
今回も生き残る事が出来た。俺は化け物を封じ込めた球を見つめる。あとはお堅い連中にこれやあれをどう説明したものか。
「没収だよなー、どう考えても。」
探索者の取得物のうち、あまりにもその効果が大きなもの特別な呼称がつけられる。
遺物。
有名な遺物だとあの世界一有名な指定探索者であるアレタ・アシュフィールド。彼女が持ち帰った人類の至宝、ストームルーラーなどが挙げられる。
かの遺物はその力で北半球から台風、ハリケーンと名付けられるそれを完全に打ち消した。大西洋上にある気象管理システムの中核として管理されている。
もちろんこのような力を持つ品を個人の所有物として認めるほど世間は甘くそして、馬鹿ではなかった。
一定の基準、簡単に言えば現実的なものであるか。否かという非常にファジーな判断で取得物は振り分けられていた。
「これはどう考えてもアウトだよなー」
思わず頭を掻く。この翡翠の力はどう見ても遺物クラスの品だ。奇跡の力を秘めたこの品をただの探索者が所持し続けることは、組合が許さないだろう。
だが、これを果たして手放していいのだろうか。今は聞こえないあの謎の声。それとの繋がりである翡翠。俺にはどうしてもあの声がこの翡翠を俺が手放すのを簡単に認めてくれるとは思えなかった。
混合部隊の車両がすぐそこまで来ていた。まあ細かな事は後で考えよう。今はとにかく帰りたい。
*馬鹿が。まだ終わっていないぞ。人間。
唐突に鳴り響いた声を認識したと同時に、俺は体勢を崩した。地面が揺れたと思うと、目の前にいる田村と俺の位置が上下にずれた。田村が上に、俺は田村を見上げるように下へ。
「なっ!?」
「これは?!」
既に地面が傾きつつある。まるで地震の断層のように俺と球のいる場所だけが徐々下がり始めていた。
「味山さん!?」
田村の行動は早かった。うまく全身を使い、こちらへ向けて手を差し伸べる。今ならまだ届く。俺はすぐに立ち上がり、田村の手をつかもうと、手を伸ばした。
「いや、無理だ」
すぐに手を引っ込める。既に田村と俺の上下差は二メートル近く、ずれている。普段なら探索者と自衛軍の身体能力なら協力し合って、登れる高さだろう。
だが、こちらへ手を差し伸べる田村の表情を見て俺は判断した。相当無理をしたのだろう。折れた脚から登る激痛によりその顔は歪んでいた。下手をすれば田村は踏ん張れずに俺が引き摺り込む形になってしまう。
それはダメだ。
「馬鹿! 何している!? 早く掴め!」
自分の状況が分からない田村ではないだろう。それでも彼は恐らく自分が落ちるかもしれない事を覚悟した上で、必死の形相で手を伸ばしていた。
それで充分だ。
俺の足元の地面は断層が下にずれ、徐々に下に沈み込んで行く。そして、地面に訪れた異変。土が溶けているのだ。
「おいおいおい。まじかよ。これが沈殿現象か……」
よく見ればもう脛の辺りまでが沈んでいる。砂漠の流砂に飲み込まれていっているようだ。俺と球はその溶け始めた地面に飲まれつつある。球の方が重さがある分沈むのが早い。既に半分以上が埋まりつつあった。
「おい! ふざけるな! 味山、おまえなんで!?」
田村の声がもう随分と上から聞こえる。あらら三メートル程か? もうどちらにせよ無理だろう。
あ、まてよ、いちかばちかだ。俺は無意識に左手に握り込んでいた宝石を掲げた。木の根を伸ばしてなんとかできねえか?
……ダメか。なんも起きない。左手からはなんの感覚も返ってこない。あの声も聞こえない。
「ぉゔえ」
胃の中から吐瀉物が喉を通り、逆流した。翡翠を使って体力を消耗した所で、この事態だ。身体が怯えているのだろう。
俺は口元を拭い息を整えながら、自分が戻した吐瀉物が徐々に地面に吸い込まれて行く様子をじっとながめた。
もう無理だな。これ。切り替えよう。
俺は田村に向けて声を上げた。
「田村さん! すみません! これが俺の今の出来ることです!」
声は震えていなかっただろうか。どうせ最期だ。最後までしっかりカッコつけよう。
手を伸ばし、右眉の前辺りで構える。敬礼ってなんか正しいやり方あったよな。これあっているんだろうか?
涙が出るのを堪えながら、敬礼しながら精一杯笑顔を作る。
田村の顔が今度こそ崩れた。ああ、男の泣き顔はみっともない。ああは、なりたくねえ。きちんと我慢しないとな。唇を固く結ぶ。じゃないと嗚咽が漏れてしまいそうだった。
田村が顔を伏せた。俺もそろそろ目を閉じよう。気づけばもう胸のあたりまで沈み込んでしまっていた。
親父とお袋と向こうで会えるのだろうか? いや会えない方がいい。早く死にすぎだと怒られそうだ。
坂田の野郎は、俺が死んだと分かれば喜ぶだろう。あいつが俺に抱いている感情は恐らく嫌悪でなく、憎しみに近いものだろう。えらく嫌われたものだ。
貴崎はどうだろうか。なかなかあいつの本音が分からないが多分嫌われてはいないはずだ。少しだけ悲しませてしまうかも知れない。
あとは、菊池さんだ。悪いことをした。恐らく責任感が強い人物だろう、彼との約束は守れそうになかった。
「ほんとに悪いことしたなあ……」
目を瞑る。沈殿現象に巻き込まれた人間の話など聞いた事はない。まあ生き残る事はないだろう。
俺はゆっくりと目を瞑る。あー、これって溺死になるのか? 苦しそうで本当に嫌だ。せめてダンジョン酔いが窒息の苦しみを紛らわせくれるよう祈るだけだ。
首元に砂の感触が登ってきた。目を瞑ったまま、あっと思い出した。せっかく沈みながら死ぬんだ。あのポーズでなければ。
俺は敬礼をとき、精一杯右腕を伸ばして親指を立てる。
「アイルビーバック」
呟きは溶けていく地面に取り込まれていく。恐らく田村には聞こえなかっただろう。それでいい。きっと嘘になってしまうだろうから。
上を見上げる。目を開く。ダダンダンダダン。ダダンダンダダン。チャラーラーラーラー。
「やめよ。」
ああ、くそ、死にたくねえな。くそ。
涙がとうとう溢れた。視界が歪む。くそ。カッコ悪ぃ。結局かよ。
「な!?、アンタは?!」
田村が叫んだ。俺にも聞こえた大きな声。
田村の横に人影が現れたかと思うと、なんとその人影がもう崖のようになっているその淵からこちらへめがけて飛び込んできた。
俺はそれに見惚れた。飛び込みには詳しくないが、そのフォームは一目で美しいと感じた。
瞬間、降り注ぐ光石の光を浴び、人影が煌く。人影の飜る金髪が光を浴びて太陽のように輝いた。
「手を!!!」
その声が耳に届いたそばから涙がどこかへ蒸発した、ような気がした。
右手を必死に伸ばす。沈み込むスピードが上がる。口元まで砂が来た。
その手が迫る。俺はそれを掴もう手を伸ばす。
あと少し、十センチ、六センチ、二センチ!
「お、おおおおおお!!!」
叫ぶ。生の可能性をここ全てに賭けて。
二センチ、二センチ、四センチ、六センチ……。
その手を掴む事は出来なかった。鼻の辺りまで沈んでしまう。
ああ、くそ。やっぱりか。まあそうだろ。そんなもんだろ。
俺はゆっくりと目を瞑ーー。
「諦めるな!!!」
鈴を鳴らしたような女の声に俺は目が覚めたように瞼を開く。すぐそこで宙づりになっている女の碧眼が俺の網膜に焼け付いた。蒼空を閉じこめたようなその大きな瞳が力強く開かれている。
「探索者!! 絶対に諦めるな! すぐに行くから! 待ってなさい!」
待ってろて、どこに? もう体の全てが沈んでしまった。俺はどこにいくんだ。死ぬのか?
待てだって? どこで? 誰を?
「アタシは、アレタ・アシュフィールド!! よく覚えてなさい! 貴方を助ける星の名を!!」
聞こえた、その名に俺は闇の中で目を開き、驚愕した。
アレタ・アシュフィールド?!
それって!?
考えれたのはそこまでだった。途轍もない眠気が俺を包む。それは苦しみなどまったくない。
死と眠りは似ているのだろう。だが不思議と恐怖はなかった。
星の名と、あの美しい蒼空を思い出しながら俺は闇に意識を手渡した。
次に目覚めた時は、諦めないでおこうと強く願いながら。
そして俺はもっと深くへーー
最後まで読んで頂きありがとうございます!