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イヤー*ザ*ワールド



腑分けされた部位。それはこの深き地で人間を求める。


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 暗い。何も見えない。


 光を通さぬ木の根が象る掌の中、耳の魔物たる彼は閉じ込められていた。


 だが目を持たない彼にはもとより光は必要ない。瞳を持たない彼には光が照らす世界そのものがなかった。


 木の根が彼を締め付ける。たちまち彼の体はその圧力により潰れそうに変形する。


 彼は自らを捕らえる掌の中でめちゃくちゃに暴れだす。拳を振るい、耳を打ち付け、脚を蹴り出す。


 木の根が軋む音のみが、彼の大きな耳に入り込んで行く。出せ、ここから出せと。彼は暴れる。


 この木の根からはあの忌々しい腕の声が染み込んでいるのが分かる。木の根からはあの嫌味たらしい腕の声色が聴こえる。


 その事実が余計に彼をイラつかせる。一際大きく拳を振るう。あの何でも知っている態度の腕が彼は大嫌いだった。


 古臭い約定を遂行しようと画策し続ける腕と、自らの欲求を追い求めようとする彼は古くから争い続ける仇敵の関係だった。


 イラつくと言えば、あの虫けら。人間。あれも彼を腹立たせた。


 彼がここより深い地点にて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()上に這い上がった瞬間に遭遇したあの人間。始めはそれこそいつでも殺せるような小さきものだったが、いつのまにか腕の声色をその脆い体に纏わせて挑んできた。


 事実、その人間に彼はいま閉じ込められている。其の腑分けされた偉大なる部位である耳は只の人間に追い詰められていた。


 始めは人間のその瑞々しい恐怖に満ちた声がとても心地よかった。生が失われる恐怖が滲みでたその声。痛みに怯えるその声。


 だが彼が、遊んでいる間にいつのまにかその人間の声から恐怖が薄れていった。それは彼の最も嫌いな声。自信と自惚れと自我に富んだ声。人間の声。


 忌々しい。五月蝿い。彼は腑分けされる前、始まりの其の一部であった頃を思い出していた。もう思い出すことも難しい遥か昔。其の一部であった時も、自分の役割は外界からの忌々しい音を拾い、脳に届ける事が役目であった。彼は外界からの音が嫌いだった。


 しかし、腑分けされ自我を得たその後は、ある特定の声がとても好きになった。生き物の苦悶の声。音色。


 あれはとてもいいものだ。そうだ。この忌々しい腕の声色を纏う腹立たしい人間ではなく、腕と脚を引き抜いて殺した二人の人間。


 あれは、楽しかった。彼は少し動きを止めて、あの二人の最期の叫びを反芻する。


 何が起きたか分からないまま痛みにより、引き起こされた叫び。あれは良かった。


 必死の抵抗の後、死を覚悟したふりをしながらもその恐怖と痛みから漏れ出した叫び。あれは最高だった。思わず耳で包み込んでしまったほどだ。


 ああ、そうだ。彼は己の欲求に向き合う。


 叫びを。叫びを。叫びを。生が死の間際に生み出す甘美な苦悶をもっと。それは生きる者しか持っていない最高の品だ。


 彼は、欲求に身をまかせる。


 瞬間、人間でいうの肩甲骨の部分から、肉を突き破り新たなる三本目、そして四本目の腕が突き出る。


 それは容易に彼を握り締める木の根の掌を突き破った。外からその長い歪な二本の腕が木の根の掌を掻き毟るようにこじ開けていく。


 ほころびが生じる。彼は、そのおそるべき膂力で内側から掌をこじ開けていく。元来備わる二本の短い腕と、奪い取った二本の長い腕が中と外から掌を崩していく。


 外から響く、長腕の木の根をほじくり、引き抜く音を頼りに自らの短い腕を僅かに生まれた隙間に差し込み、おもいっきり引き裂いた。


 中と外の両方壊され続けた木の根の掌は容易にこじ開けられた。命を失ったようにその頑健さはすぐに消えていく。


 耳の化け物はその両足に力を入れて、バネのような勢いで掌に空いた穴を突き破り、外へ躍り出た。


 彼の世界の中に、光は必要ない。音だ。音だけがあればそれで獲物の位置も心も把握出来る。


 叫びを寄越せ。苦悶を漏らせ。恐れよ。絶望しろ。


「La peur 恐怖」


 さあ、人間、貴様の小賢しい牢は突き破ったぞ。次はどうする?


 彼の耳穴から感情に合わせてこれまで録音したありとあらゆる言語が漏れ出る。今際の際の叫びから罵り、語りかけ。彼が気に入った音声をまるで壊れた蓄音機のように垂れ流し続ける。


 来るな! 来るな!


 彼の耳が声を見つけた。ぐるんと声が聞こえた方に体を傾ける。そうだ! その声だ。情けなく()()()()()()()繰り返されるその音声はまさしく彼の求めた、人間の恐怖の声。


 彼はその音に向けて、飛びかかる。あの煩わしい腕の力が纏わりついてくる気配はない。その音に肉薄して、これから浴びる苦悶に体を震わせた。


 彼が苦悶の声の次に好むのは、獲物の肉を自らの手で抉り、千切った時の感触だった。より苛く、より残酷に、より致命的に壊せば壊すほど命は叫びを大きくあげてくれる。その音を味わいながら、手に浴びる血の温かさはなんとも言えぬ豊かさを彼にもたらせた。


 さあ、寄越せ! 貴様の命を!


 叫びを! 血を!


 彼がその音にめがけて肩甲骨から生えた翼のような長い腕を突き入れた。


 肉の突き破る感触! 命が破ける音!











 バキ。


 だが、鳴ったのは叫びではない。命とは程遠い無機質な何かが砕ける音。


 手に返った感触は、肉を突き破り溢れてくる血ではない。硬くて、密度の高い何かを突き破る感触。


 それはまるで腕の力で編まれた木を砕いたような感触ーー


「作戦成功。死ね。」


 突如、彼の背後から現れた声。その声からは恐怖の色は一切感じることは出来ない。彼がその声の方にふり向こうとした瞬間、バスススと、肉を突き破る音が彼の大耳に届いた。


 彼が腕を突き入れた()()()()からまるで細い槍のように枝が数本彼の正中線、耳の穴の境界、胸元 、鳩尾を正確に貫き、縫い止めていた。


「そこが、お前の墓標だ。耳の化け物。」


 身体が固定され、その声の方へ振り返る事すら出来ない。


 耳障りなその声を止めようと体に力を込めた瞬間、また新たな肉を食い破る音が彼の耳に届いた。


 その音が響く度に彼は、自らが動けなくなっている事にようやく気付いた。


 嵌められたと気付いた時には、すでに彼の体は幾重にも重なる木の根に刺し貫かれ、縛られ、巨木の幹に磔られていた。


 耳の世界に、キィンとした音が鳴った。



最後まで読んで頂きありがとうございます!

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