探索者と人間
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俺たちがいる場所には未だ、光があまり届かない。薄暗い月明かりに満たされた森の中みたいだ。歪にねじ曲がり、成長していく森の動きは止まっていた。
もう木が鳴る音は聞こえない。風が森の中を通り過ぎていく。
田村は眼を瞑り、呼吸をゆっくりと繰り返している。恐らく相当脚が痛むのだろう。眼を瞑ったまま田村が口を開いた。
「まあ味山さん、あんたももう少し歳をとれば分かる。一人の人間に出来る事なんて本当に少ないんだ。それに気づかずに自分の力を超えた者を求めるから、この世には不幸ってやつが多いのさ……」
田村が大きく息を吐いた。それはため息のようにも見えた。
「……田村さんも、昔はそうだったんですか?」
俺は田村と向かい合う位置に腰を下ろす。胡座をかいて田村に話す。
「ああ、そうだ。まだ俺たちが自衛軍ではなく、自衛隊と呼ばれていた時だがな。それなりに優秀だった田村隊員は自分の器を見誤っていたのさ。勘違いしていたと言ってもいいな。」
田村が上を向く。その視線の先には生い茂り、その数を爆発的に増やした巨木の葉しかないはずだ。だけど、田村はもっと遠くを見ているかのような気がした。
田村はそのまま、続ける。
「田村隊員は、海外派遣で起きた出来事で身に染みてある一つの事実に気付くことが出来た。たった一つの残酷な事実。自分は英雄でもなんでもないただの人間だって事に気付いたんだ。そして、残念ながらただの人間に出来る事は驚くほど少ない事も分かってしまった。そこで一度折れたのさ」
田村が一息に続ける。それは俺に話しているというよりも自分に聞かせているような独り言のようにも思える。
「折れて、それからどうなったんですか?」
「そのままさ。自分の理想が折れたとしても人生は続く。折れたまま俺は今もこうして銃を握り、この迷彩服を着ている。」
田村は汗まみれの顔でにかっと笑った。
「それが、俺の出来る事だったからな」
「一人一人の人間が自分に出来る事をする。それだけでいいんだと俺は思うよ。枠から外れた事をする必要はない。」
「だから、味山さん。あんたはそれでいいんだ。」
田村は俺に笑いかける。
なぜか鼻の奥がツンと痛んだ。
「田村さん、カウンセラーとか向いてるんじゃないんですか?」
俺も釣られて笑う。
「そうか? じゃあそれも俺の出来る事なのかもしれないな。」
田村も笑う。
現代ダンジョンの中に、優しい風が吹き続ける。俺にはそれがとても心地いい。田村の顔が紅潮していた。
「いかんな、何故か今は口が滑る。ダンジョン酔いのせいだな」
「田村さん、侵入してからどれくらい経っているんですか?」
田村が、緊急通信端末の画面をちらりと覗く。
「そうだな、ざっと四時間といったところか。そろそろ酔いが回り始める時間帯ではあるな」
「なるほど、早めに上に帰還しないといけませんね。柱の上昇時間までに間に合いそうですか?」
「大丈夫だろうよ、あと十数分で救援チームがここにたどり着くだろう。この辺は大森林の表層だから怪物種もいないしな。駐屯地につけば、一度中和処理も出来るから最悪今日の上昇時間に間に合わなくても、そのうち帰れるさ」
それよりと田村が続ける。
「味山さん、あんたこそ大丈夫なのか? 俺がここに来るまでにあんたの記録を確認させてもらったが、もう侵入してから二日以上経っちまってるみたいじゃないか。」
「今のところはまだ、行けそうです。ただ私もなるべく早くは戻りたいですね」
「知識では知ってたものだが…… 探索者ってのはやはりすごいものだな。この酔いを日にちベースで耐えることが出来るとは、俺には無理だ。」
田村が一つ咳払いを挟む。
「本当に平気なのか? 俺もここの配属になる時に耐性試験を受けたことがあるが……八時間でダメだったぞ」
田村が眼を開いて、こちらへ感嘆したような口振で話す。
「いやこれが案外平気ってわけでもないですよ。割と気合いで保たせてる部分もあるんで。今も、若干酔ってるでしょうし……」
「いやいや、こうして味山さんと話しているととても酔っているようには見えん。」
田村が、少し声をひそめる。ここには俺と田村以外いないと言うのに。
「なあ、味山さん。あまり気分を悪くせずに単純な好奇心と、後学の為に一つ聞きたいんだが……」
俺は、小さく頷く。田村は小さく謝辞を述べて
「本当にこの衝動が平気なのか? 俺はまだここに侵入して四時間しか経っていないが、既に酔ってしまいそうだ。脚が折れていなけりゃ暴れ始めちまいそうだ」
田村が早口になり、言葉を話す。
開かれた瞳は、白目の部分が少しづつ赤くなっているようにも見える。
どうやら痛みと疲労、それに心労もあるだろう。それらのストレスから田村には酔いが回り始めているようだ。
「さっきから、らしくもなく口が滑ると思えば…… 恐らく俺の予想よりも早く酔いが回ってんだろうな。肌が泡立っているようだよ……」
田村にもどうやら自覚があるらしい。田村は迷彩服の腰ベルトに手をやり、そこに携行しているナイフを取り出す。
俺はすぐにその場から飛び退いた。田村から一メートル以上の距離を取る。
「いや、違う違う! すまない、驚かせたな。味山さん、あんたがこれを持っていてくれ。酔いが回った後に、これを正しく使えるか自信が無いんだ」
田村は俺に向けて、大きめのサバイバルナイフを差し出した。
「すみません…… つい、過剰に反応してしまいました。」
俺は田村に頭を下げながら近付き田村からナイフを受け取る。
「いや、悪いのはこっちだ。ダンジョン酔いにかかってそうな人間が目の前でナイフを取り出したとしたら、俺ならその瞬間ぶん殴ってるからな!」
田村が楽しそうに笑う。いや、笑いが止まらない。ツボに入ったかのように笑い続ける。
田村の喜怒哀楽が少しづつ大きくなっている。あまりよくない兆候だ。
いつのまにか風が止んでいた。救援チームはいつ来るのだろうか?
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