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代償、地の底に届け祝詞


幻覚(げんかく、英語: hallucination)とは、医学(とくに精神医学)用語の一つで、対象なき知覚、すなわち「実際には外界からの入力がない感覚を体験してしまう症状」をさす。聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの幻覚も含むが、幻視の意味で使用されることもある。実際に入力のあった感覚情報を誤って体験する症状は錯覚と呼ばれる。


2018年 wikiより 抜粋

 


 *判断の早さだけは評価しよう。人間


 耳の中に声が届く。ミシリ、ミシリ。木の鳴りが響く度に、地面から振動を感じる。まじにやばい。このままでは。


「いいから、早くアレに勝てる方法を教えてくれ!」


 *喚くな、虫ケラ。いいか、勝たせてやる。勝たせてやるとも。ただし私の言う通りに行動しろ。その部分を誓うのならーー


「やかましい! 早く要点を言え!」


 耳に響く声を遮るように怒鳴る。焦りと苛立ちでついやってしまった、怒らせたか?


 *……いいだろう。そうだな、貴様らはそうだったな。忘れていたよ、人間。


 予想に反して、その声が穏やかに耳に届いた。なんなんだこいつは?


 *では今から私が伝える言葉を紡げ。それだけでいい。さすれば翡翠の力を引き出してやろう。


「紡ぐ? 話せばいいんだな? なんと言えばいい?」


 てっきり何かを代償に差し出せとかいわれるのでないかという俺の予想に反して、声が提案してきた条件は簡単なものだった。


 *ではーー


 俺の耳に声が届く。声質が変わっていないのに妙に心地よい。小川のせせらぎ、雨粒の音。それらに似ている。


 だがそのせせらぎの内容に俺は耳を疑う。


「え、嘘。それを言わないといけないのか?」


 *何の不満があるというのだ? 私を崇める祝詞ぞ。紡げるのを光栄に思え。


「あー、いや、俺ももう三十路近いからそれ系はちょっと…… もう卒業した的な……」


 こんな事を言っている状況ではないと分かっているのだが、それほどまでに声が指示した祝詞の内容は強烈なものだった。


 ぶっちゃけ、すごく恥ずかしい。


 *貴様…… ここで死ぬか?


 背筋が冷える。その声から霜のような怒りが伝わった。


 俺は声に対し、弁明を伝えようと口を開こうとした。


 *……ん? 貴様、ああ、なるほどな、()()()()


 頭の中の声が、何か腑に落ちたような事をつぶやく。


「待て、なんだ今の気になる呟きは? 一人で納得しないでくれ」


 巨木の杭にまた新たなる木の根が絡み、ひびを修復していく。だがそれでもこちらが押されている。


 恥ずかしいとかなんとか言っている場合じゃない。言うしかない。


「やーー」


 *もういい。貴様の口を借りるぞ。


 は? 今なんて言った?


「あ、あ、あ、あ、」


 途端に唇が痺れた。歯医者の麻酔直後のように、そこにあるのに一切の感触が消え去る。指で唇を撫でても、触れている事すらわからなかった。


 な、なにをされたんだ。


 喋る事も出来ない。陸に上げられた金魚のようにパクパクと痙攣する。


 そして、唇と舌が勝手に動き始め、言葉を紡ぐ。


「約定をここにーー」


「深き地におわすは其より、別たれし偉大なる腕ーー」


「我はその意を解し、その威を駆るもの。我は腕の肉、我は腕の腱、我は腕の指なりーー」


「敵を縊り殺す、武器を握る、道具を扱う、愛を撫でる、火を熾す、以上を以って其が人間たらんことを示さんーー」


「腕の魔物よ、我が業をご覧あれーー、いずれ其に還るその時までーー」


「約定をここに」


 言葉を言い終えた瞬間、俺の中の何かが上書きされていくような奇妙な感覚がする。それはとても怖い事のはずなのに、俺は自然にそれを受け入れる。


 また、どこかの誰かが笑ったような気がした。先程よりも鮮明にその光景が想像できた。きっとそいつは蛇が笑ったような笑顔をしていた事だろう。


 途端に唇の痺れがなくなる。


 *まあ、今回の祝詞はここまででいいだろう。貴様が生き延びる事が出来たのなら続きを教えてやる。


「……いまのはお前が?」


 *そうだとも。お前が予想外に馴染んだのでな。面倒だから私が代わりにお前の口を使ってやったのだ。


「お前… 一体なんなんだ?」


 俺は自由になった口で言葉を紡ぐ。他人に勝手に口を使い言葉を出させられるというのはとても気持ち悪かった。


 俺の質問に声が一瞬、何かを言い淀んだように止まるのがわかった。


 *アレと同じ、魔物さ。貴様が私の所まで降りてくる事が出来たのなら教えてやるとも…


 *さあ、もう行け。我が肉よ、腱よ、指よ。あの忌々しい、役目を忘れた獣を殺してこい。


 俺の頭の中から声が消え去った。風に流された灰のようにどこかへ霧散していくように。言いたい事とやりたい事だけを行い勝手にやってきて、好きに消える。


「化け物が……」


 声の返事はない。


 得体の知れない存在との接触。それは俺にとってあまりいいことではなかったのだろう。深淵に関わったものは、いずれ深淵に飲み込まれる。歴史が繰り返してきた人の末路。俺もその一端に触れてしまった。そんな自覚がある。


 ミシリ。巨木の杭が軋んだ。


 だが、深淵の中には力が眠っている。人はそれを望み、触れてはいけないものを求める。求めた人間の末路は二つ。


 飲まれるか、手に入れるか。


 左手を巨木の杭に向けて掲げる。一瞬でその周りの地面からまるで蠢く虫の大群のように木の根が大量に生えた。


 それらが巨木の杭に絡まり、また物凄勢いで成長し耳の化け物を押し返す。


「うで! うでええええええ」


 叫びのような音が響く。それを絞り出しながら巨木の杭に押し戻され、



 ゴウン!!


 新たに生まれた二本目の巨木の杭。化け物の背後から生まれたそれと挟み撃ちにするように化け物を押しつぶした。


 飲まれるか、手に入れるか。俺は深淵との邂逅において力を手に入れたようだ。


 少なくとも今のところは。





最後まで読んで頂きありがとうございます!

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