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人の限界、怪物の底



貴方はやはりとても幸運だ。部位同士の争いに巻き込まれた点を除けばの話だが。


????

 

 木の根の表面に張り付く化け物が身を屈める。徐々にその足がついている部分がひび割れていくのがわかる。巨木の表面に化け物を中心にした蜘蛛の巣のようなひび割れが生まれる。


 俺はしゃがみこみ、片膝をつき握り締めた左拳を地面にそっと置く。


 使い方は分かる。後はタイミングだ。


 一体どれほどの力をあの脚にこめているのだろうか。木の砕けるような音が聞こえる。巨大な生き物が木を踏みしめているようだ。


 ミシリと、一際大きな音が鳴った。


 来る……!


 ソレが俺に向かい、弾け飛んでくる。足場に使われた巨木はソレが弾けた瞬間にひび割れ、砕けた。


 視認している時間はない。


 ここだ。


「来い!」


  俺の短い叫びに呼応するようにすぐ目の前の地面の土が盛り上がる。隆起した地面は大きくひび割れ、俺の目の前の視界一杯に暗い茶色が広がった。


 新たなる木が生まれる。


 木の根よりももっと太い。それは灰色の荒地で最後に生み出したのと木の幹だ。暗い茶色は辺りに生えている巨木と似ている。


 先端が杭のように尖っている。地面から生え出た勢いそのまま、こちらへ襲い来る耳の化け物めがけてロケットのように幹を伸ばした。


「いけ!」


 迫る耳、向かい打つ巨木の杭。


 耳の化け物は避ける事せずにこちらへ一直線に向かってくる。 左手を握りしめ、思いを込める。


 もっと鋭く、もっと固く。もっと強く。


 巨木の杭が生まれた穴から、また数本の木の根達が生まれる。それらはものすごい勢いで伸びる巨木の杭に絡み、それの面積を太くする。


「Scoooooop!!!!」


 耳の化け物が空中で体を独楽のように回し始める。それは人型よりも小さい竜巻のようだ。


 杭と竜巻が激突する。


 木の砕ける音が深い森に木霊した。

 耳の化け物が杭に吹き飛ばされることはない。

 竜巻が巨木の杭を食い荒らす、瞬く間に尖った先端が削られ竜巻が杭に食い込む。削られた部分に木の根が絡み、すぐさま補修する。


 破壊と再生の競争。巨木の杭が竜巻にその身を食い破られながらも、逆にその竜巻を取り込もうといびつに、ゆがみ、きしみ、再生を続ける。


 木の匂いが俺の鼻に届く。濃い生命の匂い、互いが己を食い合い、争う。


 ここが正念場だ。


 俺は左手に更に力を込める。掌に宝石が食い込んで痛むがそれを無視して、握り潰すように深く強く握る。


 もっとだ。もっと。もっと。これじゃあ足りない。


 もっと強い力を。化け物に届き、アレを殺す手段を。


 酔いに飲まれた脳みそが、叫ぶ。


 途端に周囲から木の砕ける音が一瞬消えた。耳の化け物がまた周囲から音を奪ったのだと体が硬直する。


 くそ、またアレの仕業か?


 顔を顰め、伸びる巨木の杭と拮抗する耳の化け物をにらみつける。その時だ。





 *偽りの担い手にしてはよく、粘ったものだ。人間。


 俺の耳に声が届いた。不快な声。女の声を低速再生したような聞きなれないその声が、俺の耳を混ぜる。


「っ誰だ!?」


 とうとう酔いが幻聴まで引き起こしたのか? 少なくとも周りに女性はいない。田村の声ではないし、残りの二人はもう二度と声を上げることはない。


 *黙れ。聞け。一族を滅ぼした人間よ。本来なら我が眷属を殺した貴様なぞ、この場所で呪い殺してやってもいいのだが、アレと戦っているのなら話は別だ。


 傲慢で理不尽な物言い。その声からは人間に似た怒気を感じる。幻聴にしては様子がおかしい。


 一族? ケンゾク? なんのことを言っている?


 ダメだ。酔いで頭が回らない。今はこんな幻聴の事はどうでもーー


 *呪いのもたらす幻聴ではない。この愚物が。


 いかん、本気でやばい。頭上には耳の化け物が迫り来て、頭の中では口の悪い悪霊の声が響いてる。


「俺が何をしたんだ……」


 *人間、今は貴様の感傷はどうでもいい。死ぬぞ。


 ……気になる事はたくさんあるが、今はそれどころではない。巨木の杭と耳の化け物の鍔迫り合いは続いている。この力比べで負ければもうあの化け物には勝てない。


 それだけはわかっていた。


 *私の翡翠の使い方はもう馴染んでいるようだな。そうだ。それでいい。殺意でも敵意でも悪意でも。相手を害す意思を持て。そう、そのままだ。


 わかったような口ぶりで耳の中に声が届く。耳元に吐息をかけられながら、話しかけられているようだ。


 私の翡翠。間違いなくこの左手に握り締めた宝石のことを言っているのだろう。ならばこの奇跡のような力と、この声は無関係ではなさそうだ。


 そして、今大事なのは。


「わかった。おまえがだれなのかはどうでもいい。敵か味方か?」


 *黙れ、私の許可なく話すな、いやしい盗人が…… まあ、いい。今は味方だとも。少なくとも私にとっては貴様よりも、あの醜悪な耳の方が敵だ。それだけで充分だろう、貴様には。


 少し口ぶりが柔らかくなったような印象を受ける。ただしそれは友好だからではなく、こちらを嘲るような雰囲気を感じた。


 *アレに勝たせてやる。私の言う通りにしろ。


「信用出来ないと言ったら?」


 ばきり!


 空まで届くような音が頭上で響く。巨木の杭に大きなひびが入っていた。


 くそ。やばい。


 *死ぬだけだ。貴様がな。あの耳はすぐにでも木を裂き、飛びかかり、のしかかり、喜んで貴様の四肢をもぎ、目を抉り、性器をつぶし、叫びを味あうだろうさ


「だいたい、俺の予想と同じだな。」


 呟いて、目を瞑る。


 得体の知れない事態。常識が通じない空間。既にこの状況は凡人(おれ)の選択一つで変えられるようなものではない。


 馬鹿の考え休むに似たり。いや、違う、もう考えるのが面倒臭い。


 ばき。また巨木の杭から音が鳴る。砕けた木の粉が俺のあたりにまで届いていた。


 目を開き、俺に語りかけるナニカに向けて呟く。


「教えてくれ、何をすればいい? 俺に何ができる?」


 何故だろう。どこかにいる何かが蛞蝓が這うような速度でにやりと笑ったような光景が目に浮かんだ。


 まあいい。遠くにいる悪魔よりもまずは頭上の化け物を殺す方が先だ。


 耳にまたあの声が届く。不思議とあまり嫌な気分はしなくなっていた。





最後まで読んで頂きありがとうございます!

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