激突
ダンジョン酔いを防ぐ事は難しい。バベルの大穴内に侵入した人間は皆、少しづつこの酔いに蝕まれる。
只人を探索者にせしめるこの現象の原因は未だ目処すら立っていない。
バベルの大穴ガイドより抜粋ー
じりじりと耳の化け物がまたにじり寄る。千切れそうな程の大きな傷はすでに跡形もない。人を容易に引き裂く膂力、生命の限界を感じさせない再生力。
「化け物め。」
バベルの大穴には常識が通用しない。三年のキャリアで理解していたつもりだが、今日改めてそれを思い知らされた。
奇妙な大きな耳、幼児のような手足の短い身体。その身体は所々赤く染まっていた。決してその化け物が流した血だけではないだろう。
俺に
「近寄るな…!」
ボコオと辺りの地面がひび割れ、三本の木の根が生まれる。産声を上げるかのように捻れながら蠢く。
「いけ!」
左手を化け物に向けて突き出す。木の根達が絡み合いながら化け物に向かう。
化け物はその木の根を振り払うのではなく、身体を捻りその場から飛び跳ねて木の根から逃れる。
近くの巨木に向けて飛んだ化け物を木の根が追う。赤外線を追う追尾式のミサイルのようだ。
化け物が自らを追いかける木の根に気付く。巨木の表面を掴んだと思うと、なんと木の表面を垂直に登り始めた。
「ふざけんなよ…」
手足を使い、よじ登るのではなく二本の足を巨木に食い込ませながら昇っている。ソレが昇るほど木の皮は禿げ、幹が痛んでいく。
追従する木の根が同じように巨木の幹を垂直に昇り、複雑な軌跡を描きながら化け物を追った。
「逃がすか」
ソレが昇り続ける巨木に意識を向ける、すぐさまに巨木自体が音を立てながら歪み始め、その巨木の表面からも数本の触手のような木の根が伸びた。
引き摺り下ろしてやる。
巨木の表面から生まれた木の根が疾る。化け物がその木の根に気付くと、一瞬木の表面から飛び上がり体を一回転させ、迫る木の根を蹴飛ばした。
回し蹴りかよ。
蹴られた木の根が粉々に砕け散るも、耳の化け物がバランスを崩しその動きを止める。疾る木の根達はその瞬間を見逃さない。
一歩の太く、尖った木の根が動きを止めた化け物の胸元を背中から穿つ。
「イアアアア」
耳孔から悲鳴らしき叫びが漏れた。耳が割れそうなほど大きな音量だ。黙らせてやる。
左手を木の根に捕らえられた化け物に向けて、薙ぐように右に出る降った。
怪物を貫いたまま、木の根がぶるんと身を大きく震わせる。その勢いを持って怪物を放り投げる。
傷口から血を吹き出しつつ錐揉みしながら、群生している別の巨木の方へ吹き飛んでいく化け物に対して追い討ちをかけるように、残りの木の根達が化け物に伸びる。
空中で錐揉みしつつ、化け物はその耳を体ごと大きく振るい態勢を整える。
化け物を投げ飛ばした木の根が再び貫かんとその切っ先を伸ばす。
怪物は大きな耳で空気を掴んで空中で急停止し、宙返りをするように初撃を躱す。伸びる木の根の表面を撫でるような紙一重で避けられた。
二本目、三本目。右手で伸びる木の根を掴み、返す刀でその右手で掴んだ木の根で、残りの伸びる木の根を弾いた。
目にも止まらぬ早業。吹き飛びながらも己を追撃してくる木の根達を化け物が、躱し、掴み、弾いて器用に捌いた。
怪物が受け身を取りながら、また別の巨木の表面に着地する。
足を食い込ませる事で巨木の表面に立つその化け物と、地面に立つ俺。
化け物の表情は分からない。目も、口も、鼻もない。顔がないからだ。
化け物が木の根に貫かれた胸元に短い腕を伸ばす。手のひらが触れたかと思うと、たしかに開いていた傷口が消える。
「こ ろ す」
耳の孔から漏れ出たその音は呪詛のようなおぞましい響きを伴う。
怖い。恐い。理の外の化け物はようやく俺を敵だと認識したらしい。先程までとは違う重みを持った殺意が辺りにたちこめていくようだ。
恐い、怖い。死ぬということよりも、アレに殺されるのが恐ろしい。自らの身体に血を流させた獲物をあの化け物がどのように殺すのかは容易に想像出来る。
だが、それと同時にもしアレを殺せたならどうなる?
新種の化け物の討伐。凡人の俺に舞い降りたこの幸運
は、はははは。
恐怖が脳みその中で、興奮に変わっていく。ダンジョン酔いの甘い痺れが俺を泥沼の殺し合いに導いて行く。
俺に舞い降りた化け物と渡り合う為の奇跡のようなこの力は一体どこまで通じるのだろうか。
自分が、冷静でなくなりつつある事に俺は気付きながらも止まることは出来なかった。
化け物が身を屈めた。足を食い込ませている巨木の表面にひびが入り始めていた。
耳を澄ませると、その化け物から漏れ出る雑音が聞こえる。どうせロクなものではないのだろう。
俺は化け物を見上げて、左手の宝石を握り締めた。腹に力を入れ、喉を震わす。
「どっからでもかかってこい!! 化け物!」
俺の叫びは薄暗い、音を立てながら深くなっていく森に響き渡っていった。
最後まで読んで頂きありがとうございました!