人間と魔物
見ろ、これが現実だ。人間と魔物の関係ははっきりしている。
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人間の腕とはそんなに簡単に抜け落ちるものなのか。
複雑な関節としなやかな腱、厚い筋肉によって構成されているはずの人間の腕が換毛期の犬から浮いている毛の塊を抜くような気軽さでもぎ取られていた。
「おああああああか!!!」
およそ人とは思えない深刻な叫びを腕を抜かれた木原が喉の奥から絞り出す。
みるみるうちに本来腕が生えているはずの肩口から血が噴き出す。
茂みの間から覗き見る惨劇。俺がああなったいてもおかしくなかった。
アレに追い詰められた時、もしあの不思議な事が起きなかったら。俺もあんなふうにー
俺の体は硬直を増していく。動けるわけなかった。
その間にも木原の惨劇は続く。両膝を着いて体勢をお越し、叫びながらも必死で血を止めようと残った左腕を血まみれの肩口に押し当てる。血は止まらない。
耳の化け物は引き抜いた腕をプラプラ振りながら体を細かく振動させていた。
そしてその腕をゴミを捨てるような気軽さで脇に投げ棄てる。そして次は耳の化け物が木原の左腕を掴んだ。
「ひ! やめろやめろやめろ!来るな! いだだだだた。痛い!痛い!痛い!」
右肩に回していた左腕を掴まれる。耳の化け物がその左腕を掴み、目に映らぬ速度で腕を引き抜いた。
勢いで木原の体が駒のように一回転して、どちゃと地面にうつ伏せに倒れた。もう木原を支える腕は二本ともなくなっていた。
(もう、あれは…)
助からない。一目でわかるその惨状。腕を力づくで抜き取られるのはどれだけの苦痛を伴うのだろう。
「ああああああ」
獣のような叫びを木原があげる。関節や肩を外されるのではなく、腕そのものを千切るようにもぎ取られた木原は両の肩口から溢れる血に沈んでいく。
迷彩服がドンドン、ドス黒く染まっていく。出血が多い。
耳の化け物がその叫びに誘われるように地面に伏して苦悶の声をあげながらもがく木原に近づく。
跳び上がる。
「ギュプ」
木原の背中にそのままアレがのしかかり、気持ちの悪いことにしなだれるように木原の背中に寝そべる。やがてその大きな耳が木原の顔を包んだ。俺には蛇が卵を丸呑みにしようとしているようにも見えた。そしてー
「ンンンンンンンンンンンン!??!」
人間のどこからこんな声が出るのだろう。木原の音が包まれた耳から漏れ出る。
化け物は木原にのしかかったまま、空いている腕を木原の背中に差し込んでいた。豆腐か何かに指を突っ込んでいるかのような動きの軽さだ。
「あっ、ギュっ、オェ」
短い悲鳴。
グチャ、ぐち。ぐちょ。肉が貫かれ、血と一緒にかき混ぜられる。何度もなんども、刺しては抜き、抜いては差す。
それは、木原の音が消えるまで続いた。
物言わぬ血染めの木原から耳の化け物が離れる。
その小さな掌からは赤い血が滴り続けている。そしてまた車両の方へ歩みを進めた。目の前で起きた血と叫びの饗宴。
主役は耳の化け物で、主菜は人間
新しい主菜が車両から引きずり出される。次は後部座席だ。同じようにひっくり返された車両のドアが剥ぎ取られ
かちゃ。
何かが噛み合う小さな音が聞こえた。
パパパ、パパパ、パパパ。
空気を弾いた小気味のいい破裂音。車内からその音が響く。音がした瞬間、耳の魔物がたたらを踏み後退した。
銃声だ。車内からの思わぬ反撃に耳の化け物は思わず後退して尻餅をついた。
パパパ、パパパ。
無機質な乾いた音が響く。その度に耳の化け物の体に銃弾が食い込み、その体を揺らした。
(いけっ…! )
俺の想像以上に銃の威力とはすごいものらしい。完全に尻餅をついたまま耳の化け物は動かない、動けない。銃声が森の木々に木霊する度に耳の化け物の体に弾が食い込んでいく。
何度目かの銃声が鳴った時だった。突如として耳の化け物は立ち上がり、そのまま車両に駆け寄る。
パパパパパパパパパパパパ。銃声が今までにないほど連続して鳴り響いた。
だが、駄目だった。先程までは効いていたように見える銃撃の一切を無視し、耳の化け物が車内にその体を突っ込ませる。すぐに中から人間が引きずり出される。
糸目の男、北嶋だ。
「離せ! この化け物が!」
パパパ、パパパ。
足を掴み、引き摺られながらも北嶋は耳の化け物に向けて発砲を続けた。
耳の化け物が撃たれながらも北嶋完全に車内から引きずりだし、そして足を掴んでいる腕を一閃。振り上げる。
ぶりゅん。
北嶋の右足がもがれた。膝から下が、ない。当然のように血が噴き、叫びが生まれる。後は先程と同じだ。
北嶋の抵抗虚しく耳の化け物は作業のように残った左足を掴み、千切る。今度は腿ごと抜き取られた。
北嶋の最期の叫びを顔を耳で包み込んで耳の化け物が受け止める。その凄惨な光景が目を通して、頭に流れ込んでくる。
やがて、体をびくりと大きくふるわし、北嶋から音は消えた。耳の化け物が北嶋の顔を解放して離れる。
その光景に何か小さな小骨が引っかかるかのような違和感を感じつつも、俺にはそれが何かはわからなかった。
やばい、やばい、やばい、やばい。探索者になって三年。
ある程度こういう凄惨な場面や、血や死にも触れてきたがここまでのものはなかった。
俺もあんなふうに殺されるのか?
目の前で繰り広げられたリアルな自分の未来が絶望となり、俺の胸の中に蔓延する。浅く呼吸を繰り返す度に苦しくなってくる。
俺は完全に逃げ時をなくしていた。
北嶋の死体から離れる。そしてまた車両へ近付こうとして、
急に止まった。
(なんだ…?)
どうして、止まるんだ?
反射的に体を更に低くする。これ以上低く出来ない程に体を沈ませる。
目のないその耳が、こちらの方を振り返っていた。
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