混迷の車内
自衛軍の採用している軽装甲機動車、通称LAV2は自衛隊時代に採用されていたものと比べて20キロ速い、120キロでの走行が可能となっている。
「自衛軍、その実力」より抜粋
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう。
単純な言葉が頭の中でリピートされる。
なんでだ、ここまで、ここまで逃げれたのに。
なんで。
急停止した車両、そのフロントガラスの向こうには見間違えようのない異形の耳。アレが車両のすぐ前にいた。
運転手が助手席の田村の方へ顔を向ける、震えるように開かれたその目はどうしますかと田村に問いかけているようだった。
すぐに田村が運転席へ体ごと腕を伸ばしパネルの右下にあるスイッチを指差す。運転手はすぐに指さされたスイッチに触れた。その瞬間俺の体は勢いよくシートの背もたれに叩きつけられた。
来た道をそのまま全速力で後退する。四輪のそれぞれが自転するタイヤが地面を抉りながら後ろ向きに回り始めた。みるみる耳の化け物の姿が小さくなっていく。
アレはその場を動かない。じっとこちらへ耳の表面を向けてその場ぼうと立っているだけだ。
不意に世界がエンジンの爆音によって広げられた。耳の奥を殴りつけられたような衝撃に思わず俺は
「うわっ!」
大声を出して驚いた。音が戻った。
「今のは一体なんだったんだ!?」
田村がこちらを振り向き叫ぶように声を張る。
「アレの仕業です!どういうわけかアレが近づくと周囲から一切音が消えるんです。」
事実をそのまま田村に伝える。車はまっすぐな道を後退し続ける。
「聞いたことがない、あんな怪物。味山さん、あんたどうやってあんなのから逃げたんだ?」
田村はもうこちらへ敬語を使うのをやめていた。こちらがおそらく素の姿なのだろう。大きく肩を上下させ息を吐き出しながら語りかけてくる。
宝石の事を話すか? 俺は一瞬ポケットの方へ目をやる。
一時の逡巡は、運転手の自衛軍の大声によりかき消された。
「田村士長! 来てます!、あの化け物がこちらへ近づいています!」
悲鳴のような叫びをあげながら、運転手の男は田村に声を張る。
本当だ。アレがあの腕と足を同時に出しながらこちらへ駆けてくる。
「士長、発泡許可はいつ降りるんです?」
不意に俺の隣に座っている若い自衛軍の男が口元を覆うマスクを外して話し始めた。状況にそぐわないスローペースな話し方だ。
男の手には装填が済んだ自動小銃が握られている。あとは引き金に手をかけるだけの状態になっていた。
田村はこちらを振り向き、
「味山さん、アレと交戦しているのはあんただけだ。もう一度聞く! 本当に俺たちの所持火器ではアレに歯が立たないのか!」
「立ちません!逃げましょう!」
車内が跳ねる。理由を説明する時間がめんどうだ。俺は叫んで逃走を訴える。アレとまた相対するなど死んでもごめんだ。この頑丈な機動車両の中にいても、アレが目の前にいるだけで分厚いドアや頑丈なボディが棺桶に思えてくる。
「士長。彼が怪物を過大評価している可能性はありませんか?」
隣の男が田村に短く質問する。今なんつったこいつ。
「危険度分析の為に一度、試してみては? 交戦許可を頂ければと提案します。」
教師に授業の内容について質問するようにそいつは左手をあげて田村に話す。
「待ってくれ! いや、待って下さい! ダメです。ダメダメダメダメ! あれは本当にやばいんですって!」
俺は隣のそいつの言葉を遮るように声を張り上げる。頼む、それだけはやめてくれ。
「士長、彼は極度の疲労や、ストレス、更にダンジョン酔いの状態にもあります。こちらの装備を鑑みるに十分勝算はあるかと」
そいつがその細い目を更に細くして淡々と話す。なんなんだこの糸目は。そんなにお前だけで行け。こいつを車外に叩き出す事が選択肢に入った。
交戦許可を。逃走を。俺は彼らが軍の人間ということも忘れて言葉遣いなどをほっぽり出して自らの答えを説く。まるでそれにムキになるように隣の男はあくまでアレを向かい撃つ事を提案し続ける。
ぶん殴ってでも、隣の男の発言を止めなければ。焦りが呼び水となりダンジョン酔いが回り始め、俺の選択肢を更に縮める。
「待て、いないぞ?」
田村のつぶやきのような声に俺と隣の男は後部座席から前を覗き込んだ。
いない。
ちらっと後退を続ける車のメーターに目をやると60キロはスピードが出ている。
運転手が
「逃げれたのでしょうか?」
田村の方を見ながら呟いた。俺はメーターがゆっくりと下がっていくのに気付いた。アクセルを緩めたのだろう。
何か嫌な予感がして、運転手にスピードを緩めないでくれと頼もうとして立ち上がろうとするのと、車両が急停止したのはほぼ同時だった。
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