鉄の棺桶の中で。
Здесь я легко догнал его
耳の化け物の耳孔からー
心臓が五月蝿い。スピーカーで拡散されているのではないかと錯覚するほどに俺の体の中で鳴り響く。
しかし、それとは対照的に外の世界からの音は何一つ聞こえない。ブーツの靴底が砂を撫ぜる音も、車両のエンジン音も、そして必死の形相で声を出そうとしている自衛軍の声も。
何一つ、この世界で空気を振動させる事を許されていなかった。
「」
「」
「」
自衛軍の隊員が互いに向き合い、身振り手振りを交えながら音なき声を絞り出そうとしていた。無駄だ。聞こえることはない。
アレだ。アレが近くにいるのだ。
くそ、せっかくここまで逃げれたのに。追いつかれたのか。
俺は足の力が抜けそうになるのを必死に堪える。ここで膝をつけば立ち上がることは出来ない。それがわかったからだ。
目を瞑る、闇と静寂。その中で脳みその中、心の中にあるものを見つめる。
生きていて良かったと言ってくれる人がいる。憎たらしい奴がいる。俺が死ぬときっと悲しむだろう人がいる。そして、目の前には俺を助けに来てくれた人達がいる。
なら、今俺がやることはひとつだろ。
平凡なソロ探索者の俺に出来ること。それをやるしかない。
ポケットから熱を感じない。未だ正体のはっきりしない奇跡に頼ることは出来ない。
素早く車両に乗り込みドアを思いっきりしめる。
音はしない。
俺はポケットから端末を取り出し、メモ画面を開く。
声が聞こえないのならやり方を変えるだけだ。ネットサーフィンで鍛えられたフリック入力の速さを見せてやる。
俺は文字を打ち込んだ端末を助手席に座り運転手に対し身振り手振りで必死に語りかけている田村と名乗った男に渡す。
[新種怪物接近、異常現象はヤツの仕業。即時離脱提案。]
田村は突然差し出された端末を覗き込み、こちらをじっと見つめる。俺も田村を見つめる。
自衛軍の行動は早かった。
すぐに田村がその端末を運転手に見せる。運転手は一瞬、大きく目と口を開き異議を唱えるような顔をしたが田村に肩を叩かれるとすぐに車を走らせ始めた。
田村がその端末を俺に渡し、ジェスチャーで俺の隣に座っている男を指差す。俺はその意に従い隣の彼にも端末を渡す。
彼は端末と俺の顔を三度ほど見比べて、目を瞑り息を吐く。
そして目をかっと開くと、手早く手にもっていた自動小銃にカートリッジを装填して、こちらへ視線をやり親指を立て、ニッと笑った。
タフな連中だ。この異常事態の中でもはっきり己のすべき事を成そうと迅速に行動が出来ている。
唸りを上げずにディーゼルエンジンが圧縮を続ける。その膨大なトルクが俺の体を固いシートに食い込ませた。
窓のない車で外の景色は見えないが、物凄いスピードで進んでいるのだろう。俺の走りとは比にならないほどに。
フロントガラスに目をやると、風景は灰色のそれでなく大きな木々に囲まれた緑に変わっていた。
大森林の車両道を進んでいる。
このままここを突っ切れば自衛軍の詰所につくのだろう。木々を掻き分けるように車両が爆走する。
この車両には軽機関銃などはついていないよだ。後部座席と前席には広いスペースが空いてある。
その広いスペースの前、前席の田村が俺に何かを差し出した。
サスペンションが地面の凹凸をある程度吸収しつつ、車体を縦に揺らす。大森林の巨木の根により隆起した地面を四輪のタイヤが跳ねる。その揺れに身体を持っていかれないように、腕を伸ばしてそれを受け取る。
彼の端末だ。おれがしたようにメモアプリが開かれそこには
[状況説明、簡潔に。この音の聞こえない事態は怪物の仕業か否か。またその怪物の危険度や特徴を簡潔に。]
揺れる車両の中すぐに画面におれは触れる。
[はい、怪物の特異性によるものの可能性大。近くにいる、距離は不明。先程の遭遇時も同じ状況発生。危険度については計り知れない。特徴は外見。怪物種15号程の体格に、頭部の代わりに大きな一対の人間の耳が備わる異質な外見。また注意すべきは膂力。15号の住居や灰色岩を持ち上げ、投げつけてくることを確認済み]
一瞬で長文を打ち終え、田村に返す。もうか?と言わんばかりに目を見開き、その文書を確認し更に大きく口を開く。
こちらへまた振り向き、片眉を下げながら画面を指差す。
本当か? と言わんばかりのその表情に俺はニコリともせずに一度強くうなづく。
田村は口元を抑え、端末に何かを打ち込み、こちらへ渡した。
[現在こちらには怪物鎮圧用の自動小銃が三丁。手榴弾が五発。84ミリ無反動砲が一丁ある。以上の火力を持って鎮圧は可能か?]
難しい。おれは素直にそう思う。いずれ銃所持免許を取ろうとある程度銃器について勉強はしていたが、自動小銃や無反動砲にはあまり詳しくない。
通常の怪物一体に対してはオーバーキルと言ってもいい火力だろう。フルオートの鉄の塊をばらまく小銃は怪物を蜂の巣にし、戦車すら炎上させるその砲弾は怪物を粉々の血のカスに変えることが出来るだろう。
だが俺には想像出来なかった。それら全てを撃ち込んだとしてあの耳の化け物が死ぬ所を想像出来ない。
舞い上がった土煙の中、悠々とその短い手足と大きな耳を揺らしながらこちらへ向かってくるアレの姿のみが脳裏をよぎった。
[不可能。絶対逃走提案。]
短く、返す。
それを見て田村は小さく何度かうなづき、運転手の肩を叩いた。
伝わったか?
俺の背中が更にシートに深く食い込んだ。車両が更に加速していく。
信じてくれた。この自衛軍の男は自分達が信頼を置く兵器ではなく、命からがらその化け物から逃げおおせた平凡なソロ探索者の言葉を信用してくれたようだ。
逃げられる。そう思う。今のところ全て上手く行っている。
隣の男と目が合う。瞳だけでお互い笑い会う。
よし、このまま。緊張感と安堵感の秤が安堵の方へ少し傾いた時だ。
あ、シートベルトしてねえや。耐衝撃の為の4点式シートベルトをキチンと締めてある隣の自衛軍の男をみて俺はふと気付いた。
アレどうやって締めるんだ。そして前にかおを戻した瞬間、
浮遊感。少し前にもこんなことがー
前席の背もたれが視界一杯に広がっていた。
反射的に腕を顔の前へ動かし、手をつくことに成功する。手首が軋むように痛む。
車が急停止した?
一体なんで、俺は投げ出された身体に力を入れ前席の間からフロントガラスを覗き込む。
ジープタイプのこの車両のフロントガラスは二つに割けられている。分けられたフロントガラス。助手席側から眺める光景。
茶色土の幅色の道。大人の胴体四人分くらいの大きな木の幹がその道の街灯のように等間隔に並ぶ。天井部分の光石から差す陽光に似た光が木々の葉の隙間から漏れ出すように木や地面を照らしていた。
異物。
大きな耳がその道の真ん中に立っていた。
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