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エピローグ5 二人の探索者

 


「な、なんで、あんたが?」



「あんた?」



「あ、違った。アシュフィールド、悪い」


 濃いグレーのシャツ、首元が割れてユー字形に開いているそこから白い肌と綺麗に浮いた鎖骨が覗く。


 髪と同じ色の金色のペンダントが白い肌に映える。


 膝よりかなり高い位置にある群青色のデニムパンツから長い脚が伸びている。女性を感じさせる柔らかそうな白い肌からはその内にあるしなやかな筋肉の存在は分からない。


 気を抜くとじっと見つめてしまいそうになるその肢体からなんとか目を逸らす。


 肌が多い。



 目の前に、彼女がいる。アレタ・アシュフィールド。


 最も強い指定探索者は?と聞けば、様々な答えが帰ってくるだろう。だが、最も有名な指定探索者は? と聞けば恐らく皆がその名前を答える。


 "52番目の星" 合衆国の星条旗に刻まれた女。それが目の前の彼女だった。



 俺より少し、高い身長の彼女が少しじとっとした目でこちらをみる。


 名前を呼ばないと少し不機嫌になるのは変わっていないようだ。


 と、いうか。


「夢じゃ、なかったのか……」


「なにそれ? とりあえずタダヒト入ってもいいかしら?」



 アシュフィールドが首を傾けて親指で後ろを指す。背中越しに後ろを覗くと、十メートル以上離れた場所に、たくさんの人間が集まりざわざわしながら此方を見ていた。


「サングラス外したからバレちゃったみたい」


 いたずらが失敗した幼子のようにアシュフィールドが赤いベロをちらりと。



 いいや、多分サングラス関係ないぞ。


 喉まで出かけた言葉を押し戻して、


「狭苦しいところで良ければ」


「ふふ、クルシュウない。で、合ってるかしら?」


 部屋の方へ促したアシュフィールドが笑いながら部屋に入った。


 音もなく、ドアが閉まる。聴衆が一際ざわつくも防音扉がその雑音を遮る。



 白を基調とした病室。窓ガラスから通る日光を彼女の金髪が受ける。光の櫛を受けてその金髪が輝く。透けるような白に近い金色。


 あのアレタ・アシュフィールドと部屋で二人きり。



「タダヒト、この椅子座ってもいいかしら?」


 アシュフィールドが、部屋の備え付けの木製チェアを指差す。


「あ、ああ、どうぞどうぞ。椅子も喜ぶだろうよ」


「ふふ、なにそれ、へんなの」


 アシュフィールドが笑いながら椅子へ腰掛ける。長い脚をゆっくり上下に組んだ。


 わあ、俺より頭一つ分脚が長いよ。なにそれ。


 上下に組まれた白い太ももに目線がいかないように、気をつけながらアシュフィールドに話しかける。


「えーと、久しぶり、でいいのか?」



「ふふ、さっきそう言ったじゃない。そうね、それで合ってるわ」


 アシュフィールドが猫のように目を歪めて笑いかけてくる。


 碧い瞳が面白いように形を変える。何かの美術品を眺めているような奇妙な感覚だ。


「タダヒトも座って。病み上がりなのだから楽にして」


「あ、はい」



 あれ、俺の病室だよね。お客さんだよね、あなた。言いたい事を言おうとして、何も言わずにベッドへ腰掛ける。


 ちょうどアシュフィールドと向き合うような形。短めの、いや短すぎるデニムのパンツにどうしても目が行ってしまう。


 ダメだダメだダメだ。バレたらセクハラとかの問題じゃない。


 アシュフィールドの斜め上を見るように努める。


「タダヒト、何処をみているの?」


「太ももなんか見ていないぞ」


「はあ?」



 あ、やべ。しまった。


 思った頃にはアシュフィールドがほんの少し顔を紅くしながら組んでいた脚を解き、腕で脚を隠すように抑えていた。


「違う、違うぞ。アシュフィールド。今のはあれだ。間違えたんだ」


「……バカ」


 身体を横に傾け此方を見て呟くアシュフィールド。一回り小さくなったようにも見える。



 短い、俺にとっては永い沈黙。


 ………………え。きまず。


 エアコンの稼働音だけが部屋に響く。



 何か会話のきっかけがないかと、アシュフィールドを見ると


「アシュフィールド、それ何持っているんだ?」



 アシュフィールドの右手に提げられた紙袋を指差す。オレンジ色の紙袋、なんか見覚えが……


「え、ああ、これね。ほら貴方へのお見舞いよ。好物なんでしょ?」



 アシュフィールドが身体を伸ばし、紙袋を差し出す。まじかよ。あのアレタ・アシュフィールドからのお見舞いって……。


 割と凄い事なんじゃあないか?



「ま、まじか。ありがとう。でも好物?」


 渡された紙袋を受け取るとすぐにそれが何かわかった。


「ハニーバー! しかも12個入りの箱が三つも。いいのか?」


「ええ、もちろん。どうぞ」



 アシュフィールドが手をひらひらと振りながら短く答えた。


 袋から箱を取り出し、パッケージの絵を眺める。ミツバチが親指をサムズアップしたおなじみのキャラクター。ハニーボーイと名付けられたそれが眩しい。


 口の中に、あのシットリした生地の柔らかさと舌に染みる蜂蜜の味が浮かぶ。これに辛めの炭酸があればもうそれは宴だ。



「ホントに好きなのね」


 俺の様子を見ながらアシュフィールドが呟いた。


「ああ、まじで嬉しい。ありがとう、アシュフィールド。それにしてもよく俺がこれ好きって分かったな」



「…………」


 アシュフィールドからの返事はない。箱から目を離して様子を見ると、俺から目を逸らして、ぎこちなく手を合わせたり、離したりしていた。


 なんだ?


「えーと、その、なんていうのかしら。あなたの事は分かーー、ごめんなさい、違う、今のはナシね」



 あのアシュフィールドがどこか様子がおかしい。後ろめたい事を隠す俺のような様子だ。


「あー、ゴメンなさい。タダヒト、ホントはそれ持ってきたのアタシじゃないの」


 親に叱られて申し訳なさそうにしているこどものような表情だ。アシュフィールドの声が一回り小さい。


 じゃあ誰が? 聞こうと思った瞬間。




 '只人さんによろしく'



 あ。



 何かが繋がった。そう思った時には。




「貴崎……?」


 言葉がその名前を呼んでいた。俺の元仲間。先程、閉まったとびらの向こうから聞こえた声の主を。



「……なんで?」


 え、なんで、声怖。


 二トーン、いや三トーンほど低くなった声は目の前のアメリカ人から聞こえた。


 思わず身体がこわばる。


 いや、待て。なんで俺がこんな怖がらないといけないんだ。


「いや、さっき扉の向こうから貴崎の、ああ、俺の前の仲間なんだけど、そいつのこえがしたから、てっきり、なあ?」



「ふうん、声、ね」


 アシュフィールドが扉の方を見つめる。彼女が少し動くだけで空気が肌に突き刺さるような錯覚を感じた。


 なんで急にそんな不機嫌? これだから女心って奴はわからん!



「ああ、誰かとの話し声みたいなのが聞こえてな? なんか俺によろしくみたいな感じの。もしかしてアシュフィールドと話してたのか?」



「…ホントに聴こえてたんだ」


 俺の問いかけには答えず、アシュフィールドが下を向きながらぼそりと呟いた。


 それから


「アタシの声は?」


「え?」


「アタシの声は聞こえなかったの? 貴崎 鈴の声は聞こえていたのに?」


 あれ、お前も貴崎知ってるの? とかなんか機嫌悪くない? とか色々な事が頭をよぎる。


 だが、今はそれを言うべきではない。肌に突き刺さる空気に逆らうべきではない。


 そして、誤魔化すべきでもない。この目をしてる女に嘘が通じない事は俺のあまり豊富ではない人生経験でも知っていた。



「いや、アシュフィールドの声は、その時は聞こえなかった、かな」



「ふうん、そう」


 貴崎の声は聞こえるんだ、と吐き捨てるような呟きが耳に入った。


 それからアシュフィールドは目を合わせてくれなくなる。


 ええ、なにこれ。


「えっと、それで貴崎は?」


 ヤバい、と思った時には言葉が出ていた。しまった、沈黙に耐えられずに、つい。


「聞いてたんでしょ? タダヒトに宜しくって言って、ソレを置いて帰ったわ」


 アシュフィールドがそっぽを向きながら応えた。機嫌、悪。


「あ、おお、そうか。あとで礼を言っておかないとーー」



「タダヒト」


 名前を呼ばれた。はい、只人です。



「あなた、なんとも思わないの?」


 なにが? とは言わなかった。射抜くように俺を見つめる碧い瞳が一瞬、鈴のように鳴った気がした。


「……貴崎となにを話したんだ?」


「まずはアタシの質問に答えなさい。タダヒト、あなた、あんな目にあわされてホントに彼女に対してなにも思わないの?」


「あんな目……。なるほど、知ってるみたいだな、その様子だと」


「質問に、答えて」


 アシュフィールドは怒っているわけではないように見える。椅子から身体を乗り出して此方を見つめる彼女は、どことなく不安げにも思えてーー


「ふぅ、まあ、俺も何も思わないワケじゃねえよ。勝手すぎるだろ、とか。やってくれたなとか。ムカついたさ。むかついてたさ」


「じゃあなんで!」


「どうでもいいんだ。いや、()()()()()()()()()


「なに、それ。意味わかんない」


 アシュフィールドがいじけたように椅子に深く座る。なんでこいつこんなに?



 もしかして……


「アシュフィールド、あんたもしかして、俺の為に怒ってくれてんのか?」



「知らない」


 そっぽを向いたまま、アシュフィールドが呟いた。髪の毛に隠れる小さな耳が、少し紅くなっている。



 こいつ、やっぱいい奴だな。



「アシュフィールドのおかげだ」


 だから、誤魔化さずに、話そう。



「なに?」


「アシュフィールドのおかげなんだよ。あの夜の事がどうでも良くなったのが」


「アタシの?」


「そう。あの探索。死にかけた探索の中であんたが俺を救けてくれた。あのアレタ・アシュフィールドが、俺みたいな凡人ソロ探索者をだぞ?」


「そんな体験してみろ。大抵の事はどうでもよくなる。あの"耳"に比べれば、俺と揉めたヤツなんぞ蠅の幼虫ほどに、どうでもいいような存在なんだよ」


「それでも!」


 アシュフィールドが声を少し荒げた。


「だからよ」


「だからもし、次があればもっとうまくやるさ。パパにチクれないぐらいにボコボコにしてのめしてやる。むしろパパごとしばきに行くさ」


 努めて、笑顔を作る。うまく笑えただろうか?


「……タダヒト」


「なんだ?」


「笑うの、下手ね」


 ……一応これでも、前職は営業職だったんだけどなあ。



「ほっとけ。でもありがとう、アシュフィールド」


「微妙に釈然としないけど、まあ答えとして受け取っておくわ。貴崎がカワイイから許すってわけじゃないのよね」


 ………あ、小鳥。


「こっちを見なさい、日本人」


 ずいっとアシュフィールドの顔が一気に近くなる。薄い花の柔らかな匂いが鼻に触れた。


「近い」


「あなたがアタシの方を見たら離れてあげる」


 どうしろと?


「タダヒト、あなたもっと自覚を持ってちょうだい」


「なんの?」


 逸らした顔をまっすぐ向ける。


 うわ、顔、ちっさ。


 お互いの顔が向き合った。その碧い目を見つめる。


「っ! なんでもよ! タダヒトのバカ!」


 意外にもアシュフィールドはすぐ目を逸らして、離れて行く。ドスンと椅子に深く座り込んだ。実家の柴犬がソファに座り込む光景がなぜか脳裏に浮かんだ。



 そのままアシュフィールドは黙り込んでしまった。


 エアコンの稼働音がまた一つ大きくなる。窓ガラスから差し込んでくる陽の光がより一層強くなる。


 夏の日の午前。探索者、二人。


 沈黙のままのアシュフィールドが深く息を吐いた。


「ごめんなさい、何か少しアタシ、おかしいわ。普段こんな事ないのだけど」


 髪をいじりながらアシュフィールドが誰にともなく呟く。恐らくおれに向けての呟きだろう。


「ああ、いや気にしないでくれ。むしろお見舞いに来てくれてありがとう」


 当たり障りのない言葉を返す。考えてみれば目の前のこの英雄とおれはどんな関係なんだ?


 友人ではない。それになるのはあまりにも付き合いが短い。



 仲間ではない。それになるには距離が遠い。



 ましてや恋人でもない。なれるわけがない。


「どういたしまして、ねえ、タダヒト」


 静かにおれの名前が彼女に、英雄に呼ばれた。


「なんだ?」



「聞きたい事と、話したい事があるの」



 アレタ・アシュフィールドが椅子から立ち上がった。


「少し、付いて来てくれない?」



「了解、アシュフィールド」


 不思議となんの抵抗もなく彼女の提案におれは乗る。


 なぜかそれがしっくり来た。





最後まで読んで頂きありがとうございます!

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