エピローグ 貴崎 鈴の疾走
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〜刀〜
西暦 2028年
7月31日 午前
〜米国指定探索者の救援チームによる日本人探索者救援任務、全員帰還より二週間後〜
日本
EEZ内
バベル島
表層
バベルの大穴、日本入口は、突如現れた日本近海の火山島(正確には火山ではないのだが)に存在する。
約五百キロ平方メートルの円形の形をした島。規模で言えば日本における市、程度の面積である。
火山島の中心、地底湖への入り口。つまり、バベルの大穴の入り口。それをぐるりと囲うように人々の生活拠点は建設されていた。
ドーナツのようにぽっかり空いた、地底湖への入り口。大穴への侵入経路へ最も近い地域。
バベルの大穴の入口は世界に他、六つ存在しているが、ここ日本の入口は確実に、第一階層へ侵入が出来る事から多くの探索者に滞在地として選ばれていた。
世界中から探索者が集まる街。その名を、探索者街。
そこは国ごとに各区域に分けられ作られている大都市だった。
探索者の始まりの国、日本。日本人街をひとりの女性が駆けていく。
その街並みは一言で言えば時代劇のワンセット。街角からちょんまげ姿の侍が出てきてもおかしくないような。
彼女が跳ねる。石畳で舗装された道を人の波とは逆方向に進み続ける。
様々な姿をした人々、スーツ姿、ジャージ、スポーツウェア、ジャケット、半袖半ズボン。統一感のない人混みを彼女は縫って走る。
人を避ける度に彼女の濡れた鴉羽のような黒い髪が揺れる。動きやすいようにと後ろをひとまとめにしたポニーテールが上に下に跳ねた。
すれ違う人間の内、約半数が彼女に目を向ける。
彼女は人目を惹く容姿をしていた。顔立ちは言うまでもなく整っていたが、何より目を惹くのはその衣服。制服だ。
日本の学校へ通う学生が着る女性用の制服。セーラー服とも呼ばれていた。
濃紺のリボンが白い生地に映える。短めのプリーツスカートからその白い生地よりもさらに白い陶磁器のような細い足が見え隠れしていた。
黒いハイソックスの足元だけは無骨な黒いスポーツシューズ。
足元を除けば、遅刻寸前の女学生そのものに見える。
その姿はこの探索者街にはそぐわない不思議な光景だった。
そして、すれ違う人間の内、数人は彼女がだれかわかっていた。この街で、学生服を着ている人間は数少ない。
ああ、例の連中か。と半ば蔑むような目つきを向ける者。はたまた、あれが噂の新鋭か、と好奇の目を向ける者。様々だった。
彼女は学生ではない。いや正確に言えば学生でもあるのだが彼女の本分はそれではない。
彼女は探索者だった。現代ダンジョン バベルの大穴へ侵入し、怪物を殺し、宝を探し奪う者。
彼女の名前は、貴崎 鈴
その高い酔いの耐性、並びにその経歴から日本における最年少の探索者として、組合から期待されているホープの一人。
若干十八歳、今年、成人したばかりのごく普通ではない女子高生。
つい一ヶ月前まで、彼の仲間だった人間。
貴崎 凛は彼、味山 只人と同じ、探索者だった。
(なんでこんな時に限ってこんなに人が多いんですかっ!)
内心愚痴りながらも彼女の動きは止まらない。行き交う人々の間を縫ってスピードを落とさずに走り続ける。
その手には、袋のようなものが携えられていた。中身は、ハニーバーと呼ばれる簡易的な携行食が数十個。
はちみつが練りこまれたパサパサのお菓子。
味山 只人が好んで食べていたものだった。
初夏の燦々とした陽光を彼女の黒い髪が受け止める。弾む呼吸は、走っているせいだけではない。
(只人さん!)
味山 只人が、単独での探索途中に死にかけた。
間一髪のところで米国主導の救援チームにより救出。そのまま、米国区の医療センターへと搬送された。
彼女がその知らせを聞いたのは一週間前の事だった。懇意にしているサポートセンターの菊池という職員から、内密にと聞いたのだ。
彼女の現在の仲間と、味山はソリが合わない。
いや、そもそも半ば味山を追い出すような形、いや最悪の形で班を解散してしまった自分達を味山は良く思っていないだろうと彼女はすぐに動けなかった。
本当ならすぐにでも味山の安否を確認するために見舞いに行きたかったのだが、菊池に聞いたところ探索者組合本部より、味山 只人の面会謝絶の命令が出ていると聞く。
彼女は、すぐに動けなかった。最年少の探索者として期待されているもののそれだけだ。
組合が決めた事に異議を唱える事ができるほどの発言力もなかったし、何より彼女は怖かった。
味山に、拒絶されるのが怖かった。
あの夜、全てが変わってしまった夜より彼女は味山に会っていない。
本当は謝りたかった。謝ってもう一度、戻って来て欲しかった。
でも、そんな虫のいい事はあり得ないと彼女は心得ていた。
味山を追い出したのは、彼女の仲間、昔からの幼馴染の坂田 時宗。
彼女の家、古くは江戸の世から連綿と続く道場の師範代の一人息子でもある坂田 時宗は、味山を昔から嫌っていた。
理由は、多分ーー
そこまで考えて貴崎は、その思考を止めた。ダメだ、その予想は本当に傲慢で醜く、女臭い。
ーー結局、わたしは時宗を止める事が出来なかった。
彼女は走りながら自省する。
いつか何かが起こるんじゃないかと危惧していながらも、なんとかなるんじゃないかと目を逸らし続けて来た。
その結果が、あの夜の暴力事件につながるのだ。味山 只人を傷付けた夜へと。
つまるところ彼女は怖かったのだ。
はっきりと味山に拒絶される事が。自分の予想が現実になるのが怖かった。
そんな恐怖が、彼女を一週間留めていた。
しかし、そんな彼女の背中を押したのはまたしても、探索者組合日本支部、サポートセンター菊池清吾からの連絡だった。
ーー味山 只人が意識を取り戻したらしい。既に日本支部の管理する日本人街の医療施設にて療養中との情報あり。
その連絡を聞いたのがつい五分前、話を全て聞き終わらない内に彼女は自分の住居を飛び出していた。
(謝らないと、いけない。ごめんなさいって言わないと)
でも、謝ってどうするんだろう。許してくれるだろうか?
彼女は走る。しかし彼女は気付かない。
何故こんなにも味山 只人には嫌われたくないのだろうか。その理由にまだ彼女自身気付いていなかった。
医療施設まであと少し。周りの時代劇セットのような街並みにそぐわぬ近代的な建物が目に入った。
ここに、味山 只人がいる。
彼女の無骨な黒いスポーツシューズの靴底が更に強く、石畳を蹴った。
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