命を燃やす、再会の約束を
「約、定だと? 今更だ。あんな目にあったんだ。もう二度とそんなもん結ぶわけがないだろう」
言葉を話す。ダメだ。一言、一言話すたびに力が抜ける。眠たくなっていく。
「€いいや、ダメだ。これは勝利の報酬だ。勝利にはそれが必要だ。勝者が死ぬ物語などあってはならない€」
「勝者……? は、こんなズタボロで死にかけの俺が? どう見てもピンピンしているお前の方がよっぽど勝っているように見えるがな」
ヤツから視線だけは逸らさない。コイツは化け物だ。君が変わってなにをするかわからない。
「€そう見えるか? 理から外れた我ら化け物が、これほどまでに死力をかけても君を殺せなかった。私は君の四肢を捥ごうとしていたが、逆に君に四肢を捥がれた。"腕"は用済みの君を始末しようとしたが、逆に殺された€」
「腕から力を奪ったからな、それぐらい誰でも出来るだろうよ」
「€何故分からない? 腕から力を得た、奪った。それを含めて、君の君だけの勝利なのだ。君以外には誰もなし得なかった、偉業とも言える€」
耳は、その手を広げ大げさに動く。
その力強くしなやかな動きを見てれば分かる。
コイツはもう、木の根に当たらない。考えたくないが、アシュフィールドが槍を投げても、全部掴んで投げ返して来そうだ。
耳は俺の視線に気付かずに、続ける。
「€これは権利ではない、義務なのだ、勝利者よ、探索者よ€」
「€君は生き延びなければならない。君はこれからも生きて、戦い続けなければならない€」
ひゅー、ひゅー、ひゅー。なんの音だ? ああ、俺の呼吸音だ。ガキの頃よく駄菓子屋で買ったフエラムネ。口に咥えて遊んでいた、あの音そっくりだ。
ああ、懐かしいな。もう、帰りたいな。田舎に帰りたい。河鹿の鳴き声。ひぐらしの鳴き声。紅く染まる空の向こうに、ちかり、ちかりと光りながら飛行機が一つ。
ああ、懐かしい。
「€おや、もうどうやら時間がないようだ。それが死だ。優しく、心地よいだろう? だがダメだ、君には、似合わない€」
「€君に、似合うのは苛烈な生。日常を進め。恐怖を滅ぼせ。終わりのない苦しみと対峙し続けろ€」
「€それだけが、より君の叫びを芳醇なものに仕上げる、生きろ、只の人間。私に殺されるその日まで€」
耳が、無造作に手を伸ばす。手刀をそのまま、自らの頭、耳穴に突っ込む。
ぶりゅ。生々しい肉を貫く音がした。
ぶちり、とヤツが思い切り自らの耳穴からなにかを引きずり出した。
どろりと流れる血、鼻血、違う、耳血?
その手の中には赤黒い塊が掴まれている。どくん、どくんと脈打つそれは、心臓のように見えてーー
「€私の耳糞だ$」
は?
いや、待て、お前、今なんてっーー
耳が俺に寄って、しゃがみこむ。
その手に握り込んだ拳大の、耳、糞を。
「もっが!??!」
俺の口に突っ込んだ。
ばき、ぶち。
口を開いていなかったために、その手に前歯を砕かれた。痛みがない。
「€さあ、約定だ€」
「がっ、がぼっ」
「€飲み込め€」
溺死する。口に突っ込まれた耳の手が更に奥深くへ押し込まれる。
気道から鼻に血鉄錆によく似た血の匂いがした。
吐き気を感じる。しかし、もう俺の身体に異物を吐き戻す体力はなかった。
息が出来ない。餅を喉に詰まらせた時と同じ、喉を肺を圧迫されなにをしても息が……
「€約定をここに。秘された物語を全て殺しつくすためにかの者は立つ。其の耳が力、命を分け与えん€」
「€飲め€」
ごくん。
喉を裂きながら、それが嚥下された。
「€さあ、頑張れ€」
瞬間、それは始まった。ヤツが俺の口から手を引き抜く。前歯が、ない。
いや、それよりも、なんか
熱……?
!!
「あ、ああああ、ぐ、あああ、熱、ああああああおああえええええああああああ」
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!
身体が、焼けおちる。あれだけ動かなかった身体がのたうちまわる。熱い!
なんだ、なんだ、なんだこれは?! 焼き殺されているのか! 火を吹きかけられているのか?!
熱い!
熱い!
死ぬ。死ぬしぬ。
のたうちまわりながら辺りを確認する。煙臭くもないし、火などどこにもない。
なのに、こんなに熱い。喉が、目が、鼻が、唇か焼け落ちそうだ。唾液が沸騰する。口の中が火傷している。
「な。なにをを、なにをじ、だああ」
「€君に私を与えた。"腕"と馴染んだ君ならば"耳"たる私とも馴染むはずだ。元は同じなのだからな€」
こ、答えになっていない、ダメだ、ダメだ。
頭が、脳みそが溶ける。鼻から溶けて鼻水となって抜け落ちる。鼻水すら熱い。
ダメだ、俺の輪郭が溶ける。俺の中で熱とともに何かが膨らんでいく。
溶ける、溶ける、俺とそれが溶ける。溶け合って俺が、消える。
必死に左手で地面を掘る、草花をちぎり柔らかな地面を掘り返す。土を身体にかけるが熱は一向に収まらない。
溶けて、消える。俺が消える。
意識が闇に溶けそうだ。地べたにうつ伏せになったまま、目を閉じーー
「€いいのか? 君が死んだら、私はアレを殺すぞ€」
アレとはなんだ?
なんのことを言っている?
アシュフィールド?
炎が渦巻く音がする。
ぼごり、と身体から水音が鳴る。
お前たちはいつもそうだ。まるで奪う事を当たり前のように。
ふざけるな。お前たちにそんな権利はない。化け物如きが人間の生殺与奪を握っていると思うな。
恐い、だから殺す。
熱をそのまま、身体を跳ね起こす。横腹から血が溢れる。地面に落ちたその血が、ジュウと鉄板に落とした水のように蒸発した。
すぐそばで立つ耳の右手首を掴む。そのまま力を込めた。
グジャ。
手の中に、腐ったみかんを握りつぶしたような感覚。
掴んだ右手首は、熟しすぎた果実のように潰れて落ちた。
「手を出すな! 殺す、殺すぞ!」
「€素晴らしい、もう馴染んでいるではないか? それでいい€」
どん! 腹に強い衝撃を感じた。蹴られた。そう思った瞬間、視界に緑がーー
「がっ、お、あっ」
そのまま、世界に転がる。ゴロゴロと転がりそのまま止まる。
ぐ、くそ。
「€ほら、馴染んでいるだろう。もう、治りかけているじゃあないか€」
なに? あっーー
「熱」
腹に直接、カイロの中身をぶちまけたような熱。尻餅をつきながら上半身だけを起こし、熱の元を確認する。
「お、おい、まじか、まじか、これ」
防刃ベストの腹の部分が消し飛んでいた。それだけではない。何かに食い破られたかのように、腹の皮膚が裂け、真っ赤に染まる。
ハイエナに食い破られた食い残しのような傷。
致命傷、一目で、わかる。
なのに。
「痛くねえ」
違う、それどころじゃない。治り始めている。
ぶくぶくとその腹から、あぶくが吹き出す。ぼごりぼごりと身体の中から水音が鳴り続ける。
血が溢れない。数秒もしないうちに、腹に空いた風穴は閉じた。腹を撫でるとそこにはきちんと肉が詰まっている。
"腕"との戦いにより、負傷した横腹の傷もない。消し飛んだ防刃ベストだけが、それが夢ではないことの証左だ。
「€ふむ、予想以上に馴染んでいる。もう私と遜色ないな。だが、これはいけない€」
ふっ、と眼前の耳の身体がブレた。ダブったような、いや、振動?
と思えば、顔に風が吹き付ける。
「€少し、制限をかけさせて貰うよ。強すぎる力は、容易に毒にもなる€」
瞬時に耳が、俺の至近へ現れる。手を伸ばせば届く距離。
瞬間移動? ワープ? なんだ、一体。
「€いや、少し走っただけだ。そんなに驚かないでくれ€」
耳が、俺の頭に手をやる。母親が風邪気味の我が子を思いやるような動き。
動けない。俺は動けなかった。
「€約定を新たに。その力に制約を。必要な時にのみ、耳との物語は始まる€」
「何を」
「€なに、少し力が馴染み過ぎていたのでね。私の方で制約をかけた。君は人間のままいなくてはならない。人間のまま、私に殺されなければならないのだ€」
ヤツが、そのままゆっくりと身体を下げる。
身体は今も熱い、身体の末端が焼け落ちそうだ。左足、右足、左手、そして
「あっ、つ!」
右手、肘から先、斬り落とした右手が、熱い。
その断面はまるで焼き潰したかの如く、血はない。
そして、それは始まった。
それは熱と、痒みから始まった。
右手が、なくなったはずの右腕、肘から先の断面が泡立つ。血のあぶくが吹き出す。煮えたぎる鍋から漏れる吹き零れのように細やかな血のあぶくが溢れる。
「あ、あ、ああ」
こんな事あってはならない。なのに、俺は期待していた。
そして、耳が俺に与えた力はその期待にそうものだった。
骨ごと断ったその断面、まず生えたのは骨だった。鼻を差す強い血の香り、腕を為す骨が伸びる。その白い骨にまとわりつくが如く血のあぶくが吹き出てくる。
俺は思わず、その再生途中の腕を掲げていた。
腕が、生えていく。
産まれてから二十九年間という歳月をかけて、出来上がった俺の右腕。奪われたそれが、元にもどる。
神がいれば、こんな事は許されない。あってはならない。
この腕が、この"耳"の力こそが、神の不在証明に他ならない。
「€素晴らしい€」
右腕が、生えた。血のあぶくにまみれながら、骨が、肉が、皮膚が出来ていく。この世に無から生まれるものはない。
ならば、この腕は、新しく生えた俺の右腕の素は一体どこから来たのだろうか。
分からない。何も分からない。
この世界はまだ、分からない事が多すぎる。
おれにはそれが、恐ろしかった。
だが、今は。今だけは。
「まあ、いいか」
親指、人差し指、中指、薬指、小指。全て動く。握って、開く。
オーケーだ。これならまた斧を握れる。
「€素晴らしい。約定は終えた。君は生きるべきだ。勝利者よ€」
俺は声の方を見やる。
俺が握り潰した右手を掲げて、耳がたたずんでいた。
「€楽しみだ。今から本当に楽しみだ。生の中にいる君を私が狩る。その時君はどんな叫びをあげるのか€」
呟くそれは、とてつもなく人間臭い。
「お前は一体、なんなんだ」
ヤツに語りかける。
「"耳"だ。私は耳。聴く為にあったのに、もはや聴くべき声を無くした、役割を失った身体の一部である」
「€私は生命の叫びが聞きたい。かつて聞いた声には及ばずとも、そこにはえもいわれぬ美しさがある。私は私の愉しみの為に他者を殺す€」
「€それが私だ€」
「€そして、いずれやってくる君の死でもある€」
グズりと、ヤツの右足が溶けた。腐った肉のように唐突に。
「お前っ……!」
右足を失ったヤツが倒れる。その耳の張り付いた頭だけが俺を見つめる。
「€今回はこれが限界だ。君の仲間、あの特異個体は恐ろしいな。まさか、ここまで身体を壊されるとは思わなんだ。だが、アレはもはや人ではない。私と同じモノだ€」
「€だからこそ、私はアレはどうでもいい。人間だからこそ、その生に意味がある。力なき存在が苦しみに立ち向かうからこそ、その生に意味が生まれる。アレの生に意味はない。ただ、ただ、その宿命に囚われたシステムのようなものだ€」
「……お前、よく喋るんだな」
尻餅をついたまま、耳を見つめる。ぼろりとヤツの身体が崩れ始めていた。
「€ふ、ふふふ。其がおしゃべりな奴だったからな。似ているのさ、だが、そのおしゃべりもそろそろ終わりだ€」
「€私は君を殺す為に助けた。君の叫びを然るべき時に聴く為に君に、私を分けた。今から愉しみだ€」
「俺が逃げるといったら? お前に殺されるのが嫌だからと言って逃げたらどうする? 探索者を辞めて、二度とこの世界に関わらないと言ったらどうする?」
耳に表情はない。
それでもヤツは嗤った。絶対に嗤った。
「€君はそれをしない。君は私という恐怖を知ってしまった。もう、君は私を滅ばさない限り、安息を得る事は出来ないだろう?€」
「は、知った風な口聞くじゃないか、化け物」
「€君によく似た奴を知っているからな。だが、そうだな。うん、決めた。三年だ。三年待ってもし、君が私を殺しに来ないのなら、私が君を殺しにいく。たとえ世界中のどこにいようとも、例えこの箱庭から離れていようとも€」
「€必ず君を殺しにいく€」
嗤う耳。やべ、要らん事言った。
まあ、いいか。
「俺も、お前を野放しにするつもりはない。必ず殺しに行ってやる」
俺も嗤う。その目に焼き付ける。俺を殺そうとした化け物を。俺を救った化け物を。
俺が殺すべき恐怖の姿を。
「€それでいい。ならば私は君を待とう。この箱庭の、哀れな光が創り出した過去への扉のその底で€」
「€ここより、深い。懐かしき墓所で君を待とう€」
「€箱庭を、降れ探索者€」
耳の身体が、溶けてかたちをなくしていく。ヤツが帰っていく、ここではない。ここより深き化け物の世界へ。
「€私は耳、君を殺す者だ€」
「俺は探索者、お前を殺す者だ」
「€それでいい、只の人……間よ€」
「またな、恐ろしい化け物」
始めから、そこにいなかったの如く、ヤツは消えた。
その身体、肉の一片すらなく、ヤツは消えた。
だが、死んでいない。ヤツはまだ生きている。
恐怖はまだ終わっていない。
俺の探索は、戦いはまだ終わらない。
「まあ、いい……か」
仰向けに倒れる。いつのまにかあれほどまでに身体の中で暴れて回っていた、熱は去り。
故の分からぬ風が俺の身体を冷やしていく。
仰向けになったまま、辺りを見回すと横向きに寝ている女が一人。
顔がここから見える。お子様かよ。スヤスヤ寝てからに。
良かった、守れて、しかも生きている。
上、出来…だ。
まぶたがおもい。
暗。
闇の中、ねむる。
どれくらい時間が経ったのだろう?
「先生!! 居ました!! 二人です! 二人ともいます!」
「見れば分かる!! ワタシはアレタを診る! 助手はその男を! すぐに確認しろ!」
騒がしい声が聞こえた。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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