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八分後の決着




 


 ヤバイ。


 うなじに感じていたちりちりとした感覚が全身に燃え広がる。


 ダメだ。分かった。分かってしまった。アレを出したらダメだ。



「樹心限界!! 巻きつけ!」


 叫ぶ。左腕、その指先に意識を向ける。世界に干渉する異形の力。凡人たる俺が化け物に立ち向かう為の唯一の武器。


 木の根を呼び起こす。既にある程度の木の根はヤツの身体に巻きついている。その上から更に厳重に木の根がヤツの身体に巻きついて行く。



「€面白い。まるで"腕"そのものじゃないか。懐かしい光景だ€」


 そのゆったりとした口調、気に入らない。


「そのまま、寝てろ!」



「€そんな、健気な声を出さないでくれ。堪らなくなるだろう?€」


 グググと、木の根が巻きついたその肉、ヤツの身体の背中が膨らみ始めている。肉が木の根を押し上げつつある。


「出るな、出るな、出るな、出るな!」


「€いいや、出ていく。今度こそ君の叫びを聴かせて貰う。"腕"の協力者にしてしぶとい人間よ。次は右腕だけじゃない。左腕、右脚、左脚。全てを聴かせてくれ€」


「勝手な事抜かしてんじゃねえぞ! 化け物が!」


 ダメだ、このままだと突き抜けられる。仕方ない。


「これならどうだ!!」


 木の豪腕を操作。左腕を動かす。同じように木の豪腕が動く。


 地面に突き立てたその拳を持ち上げる。ねとりと血が糸を引く。陥没した地面に溜まる血溜まりの中で大耳が文字通りぺしゃんこに潰れていた。


 くそ、これが本体じゃないのかよ!


 どん、どん。と内側からノックするように木の根が内側から叩かれる。クソが。


 その上から拳を解いた木の豪腕が手のひらで押さえつける。潰れてしまっても構わないとにかく押さえつけなければ。



「€よく造ったものだ。まるで"腕"そのものじゃないか。とてもよく似ている€」



「€だが、残念ながら似ているだけだ。本物の"腕"ですら私を止める事は出来ないのに、どうしてよく似ただけの創作物にこの"耳"が止められると言うのだろうか?€」



「な、に?」


 ヤツの言葉に、一瞬意識を持っていかれ、そして。


「がっ!?」


 左腕に痛み、ハンマーでぶん殴られたような衝撃。


「あ!」


 目の前の光景に間抜けな声が漏れる。嘘だろ。


 まず、一番上から抑えていた木の豪腕が、弾け飛んだ。あの耳の巨体を抑え、大耳を容易に殴り潰した豪腕が、いつのまにか弾け飛んでいた。


 腕を象るその豪腕は半ばからちぎれ、少し空を浮いて、そのまま落ちる。上向きに向いた手のひらが力なく地面に横たわる。


 く、そ。


 次は木の根だ。ぷちん。ぷちん。とまるで古くなった輪ゴムをぶつ切りにするようにどんどん次から次へとちぎれていく。


 何が起きている? なんだこれは?


「€よくやった。君はよくやった。だからもういいだろう€」


「あ、あ、ああ」


 漏れ出る声は、悲鳴か、驚嘆か。


 呆気なさすぎる。あれほどまでに頼りにしていた力が一蹴される。


「€借り物の力、偽物の力で君はよくやった。ただ似ているだけの君が、なんの運命も宿命もなく、ただ生きて、死に行くだけの君はよくやったのだ、あまり怯えないでいいんだよ€」



「ふ、ふ、ふっ」


 息が苦しい。吐きたいのに、吐けない。ただだた吐き気だけが胃と喉を往復する。声色だけ優しいその声が恐ろしくて仕方なかった。



 とん、とん。痛みの残る左腕。左手のひらに優しげな感覚を感じた。


 とん、とん。とん、とん。




「€さあ、今から行くよ。もう逃げないでおくれ€」



 ああ、ここだ。


 ()()()()()()()()()()


 目を瞑る。思い起こすのは今日の出来事だけだった。


 ここが、凡人の終わり。


 ヤツの背中を覆っていた木の根、その最後の一本が千切れた。焼き餅のようにぷっくり膨らんだその肉が、ゆっくりと縦に割れて行く。



 さなぎ。孵化、成長、変態。それらの単語が頭に浮かび、すぐに消えた。



 肉が割れ、血しぶきが舞う。血の雨、血の霧。あまりにも濃いそれは肉を突き破ったそれの姿を隠している。


 耳の化け物。あの小便小僧のような身体からカマキリのような巨体とくれば、一体次はなんだ?


「フリーザ様かよ」


 あと何回変身を残してんだ、くそ。いやになるぜ。



 とんとん、とんとん、とんとん。


 まあ、あれだ。残りの変身が何回あろうとそれを見ることはもうないのだろう。


 ()()()()()ここまでだ。



 とん、とんとん。


 ドン!! ドン!



 血しぶきが薄くなり、その中にいるもののシルエットが濃くなっていき



「€やあ、はじめまして、私はーー€」



「ああ、はじめまして。だが自己紹介はもういい」



 左手のひらに、振動を感じた時から不思議と恐怖は薄らいでいた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「さよならだからな」


 ヤツの声を遮り、左手の力を抜く。


 どこかで、何かが解けた。それは近く、解放の時を待っていたのだ。


 具体的に言えば、俺の背後の木の繭がバラバラと解け始めた。


 その中に、英雄を、化け物を殺す者を孕んだ木の繭が優しく解け始めたのだ。



「最後の逆バンジーだ」


 力なく横たわる木の豪腕も同じく解ける。溶けるようにばらばらと崩れる木の豪腕。それらは意思もつ多数の木の根に戻る。


 うねうねと動く木の根達は自らその根を土に下ろす、途端に一斉に立ち尽くす俺の腰に巻き付いた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 ふわりと木の根が俺の身体を持ち上げる。浮遊感に慣れない。そんなことお構いなく木の根は俺を宙に浮かせ、一気に引き込んだ。


 木の繭と、耳を遮るものはもういない。


 俺は、最後まで逃げる事なく木の繭の前に立ちはだかる事が出来た。


 胸にかすかな満足感を感じつつ、息を吸う。


「アシュフィールドオォオオ!!」



 眼下で、俺は見た。


 俺が守り切った木の繭が、完全に解けた。フエルト細工がほぐれるように木の繭がほぐれていく。


 中に見えるは、肩あたりで揃えられた金色の髪。美しい肉食獣を思わせるしなやかな四肢。その手には、無骨な木の槍が握られていた。


 俺は、その声を聴く。


「消し飛びなさい」



 解き放たれた英雄が、槍を構える。果たして準備とは一体なんだったのか。それは、生きて帰った後に聞いてみよう。


 時間が止まったような錯覚。


 ああ、見ろ。彼女のその雄姿を。


 彼女が槍を放った。


 キン、と澄んだ音が大草原に一瞬で渡る。それはまるで流れ星。


 星が飛ぶ。


 もはや、彼女と耳を遮るものはなく。



 一瞬で槍は、耳の肉に触れた。


 俺は見ていた。はっきりと。スローモーションのように流れる視界の中、英雄の一撃が化け物を消しとばす光景を、きちんと見ていた。


 槍が、真正面から横たわる耳の肉に突き立つ。


 突き立つ部分が捻れる。螺子の螺旋のようにぐるぐると槍が触れた部分が捻れこんでいく。


 肉が折りたたまれるように螺旋に飲み込まれていく。槍は肉に突き立つ事なくそのまま、耳の巨体を縦に突き抜けていった。


「€あ€」


 当然、その背中を突き破り、中から這い出てこようとしていた何かも一瞬にその螺旋ごと貫く。


 掻き消されたような声が一瞬、多分気のせいだろう。


 耳の巨体を貫いた槍は、その勢いをまったく変えずに宙を進み続け、一瞬で見えなくなった。


 五秒ほどして、遠くから雷が落ちたような爆音が響いた。音の方を見ているとじわじわと霧のようなものが遠くに見えていた。


 槍はそのままバベルの大穴、第二階層、大草原のどこかに落ちたのだろう。流れ星が隕石となるように世界を傷つけ、木の槍は役割を果たして消えたのだ。



 木の根が俺を地面に下ろす。一瞬の事だったのにもう足の裏が地面を懐しんでいた。


 立ち尽くす彼女を一瞥して、それから槍が通っだ後を見る。


 槍の軌道上、その地面だけ草原の草花が全てこそげ取られ、甲子園の土のようになっていた。


「疲れた……」


 呟く彼女の方に向かって歩く。彼女がすぐに俺の方へ顔を向け、一瞬片目を瞑り、一度右手を俺のほうに伸ばし、すぐに縮める。その後、右手のひらをこちらにゆっくりと、しかし力強く掲げていた。


 彼女は待っている。


 その意図が分かった俺は彼女に駆け寄りつつ、耳の肉、身体、否その残骸に目を向ける。


 ソーセージを抜かれたホッドドックのようにぱっくりと空洞の空いたその身体。面積の六割以上は消し飛んでいた。


 揮発した血が赤い霧のようにその肉の周りに漂っている。


 声はもう聞こえない。


 俺の限界はあそこで終わりだった。だがまたしても俺は生き残った。


 事実を噛み締めながら俺は彼女の元に駆け寄る。


 ゆっくりと彼女と向き合う。お互い言葉はなく。表情も動かない。


 彼女の碧眼を見つめる。特に何も感じなかった。


 彼女の掲げられた右手のひらを手のひらで打ち付ける。


 パチンと乾いた音が鳴り、すぐに消えた。


 ああ、生きている。俺は、まだ生きている。



 彼女に何を言おう。俺が口を噤んでいるとーー


「久しぶり」


 彼女の表情が綻ぶ。花が目の前で咲いた、人の目を惹きつける大輪の花が。


「ああ、久しぶり。元気だったか?」


 意識して口髭を吊り上げる。うまく笑えなかったようだ。彼女の表情を見ればよくわかる。


「ふふ、タダヒト。笑うの下手すぎない?」


「そうか? まあ別にいいや。生きてるから」


「ふふふ、それもそうね。生きてるからどうでもいいわね」


 大草原を風が渡る。由来の分からぬ自然現象に依らないその風には、緑の匂いと血の鉄臭い匂いが混じる。



 ここは死にとてつもなく、近く。それでいて生にとてつもなく真摯だ。


 バベルの大穴に風が吹く。風は平等に全てのものを撫でていく。生き残った俺達。死んだ化け物。


 まるで両者に違いはないと言わんばかりに、ただ、ただ風は吹き続ける。



 たとえ生と死に大きな違いはなくても。今、この一瞬だけは確実な事がたしかに在る。


 俺は、生き残ってよかった。


 本当に


「死ななくて良かったぁあ」


 漏れ出た声は風に流される。俺が死のうと生きようと世界は変わらない。


 例え誰も俺の生を望まないのであろうとも、俺は死にたくなかった。



 目の前で、彼女が笑う。この笑顔だって生きていなければ見る事は出来なかった。


 生きるのに、大きな理由なんていらない。少なくとも俺にはいらない。ただ死にたくない。それだけでいい。



 流されるように殺されるのはゴメンだ。流されるように生きていこう。


 それが俺の幸せなのだろう。






 俺の探索は、終わった。


 今日も一日、生き延びる事が出来た。

























 *同調率 二割で限界。自我境界の融合に失敗。一部の肉体連結に成功*






最後まで読んで頂きありがとうございました!

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