ゴミのように
今、どれくらいの時間が経ったのだろうか? 酔いのせいか。時間な薄く伸ばされているような奇妙な感覚。
数時間たったようにも思えるし、数秒しかたっていないようにも思える。
願わくば、この時間よ。もっと続け。
「お前は奪い過ぎた」
俺の耳の中で木原の断末魔が蘇る。健康な人間が一気に死に転げ落ちる時はあんな声が出る事なんて知りたくなかった。
よくも、木原を。よくも俺にあんな惨めな思いをさせてくれたな。
「借りは返してもらう」
一歩ずつ後ずさりを続ける耳。脇腹からは産業廃棄物が排水溝から流れるように血と、それに溶けた肉がドロドロと垂れ落ちている。
溶けた血が大草原の草花を紅く汚していく。
害獣が。
「C'est qui C'est qui C'est qui???」
「だから、何言ってるかわかんねえんだよ」
「日本語喋れないなら、お前、死ねよ」
左腕を振るう。
歪な腕との合一を果たしたそれが生き物のようにその身をうねらせた。
それは、もう木の腕ではない。ところどころの樹皮が剥げ、そこに見えるは赤い肉。血を湛えた赤い肉をうちに秘めて至る。
赤い筋肉むき出しの腕が、その身に木の根を這わせている。
豪腕。そう表現するのがいいだろう。
なんかこんな感じのUMAとかいそうだなと、そんな呑気な事が頭を過り、すぐに茹だった脳の思考に溶けていった。
さあ、行け。
「Stupid stupid stupid!!」
大耳が歪みながら大きな音声を垂れ流す。喚き声のようにも聞こえる。
耳が、迫る腕に対して触腕を伸ばす。槍の形、手のひらの形。多数の量の触腕が一気にこちらへ向かってくる。
「かき消せ」
びきり。腕が、鳴る。
歪な腕をその身に取り込んだ木の腕が、指を折り曲げ手のひらを広げる。
行け。
腕が、伸びる。手のひらを広げたままその触腕の濁流へ向かう。
酔いで茹る俺の脳みそに過るものがあった。
それは思いつきに似ている、それでいて思い出し事のようにも思える。
この光景を見た事がある。
無数の蠢く触腕、それはかつて在った腕と耳の戦争の結果。
"耳"が"腕"から奪いとったモノ。
猛々しい木でできた腕の似姿。それはかつて在った腕の肉を模したもの。
"俺"が"耳"から奪い返したもの。
起源を同じくした、理から外れたものがぶつかる。
無数の腕を再現した触腕。振るうは耳。恐ろしい化け物。
一本の腕を模した豪腕。振るうは人。凡そなる孤独な人。
凡人が酔いながら恐ろしい化け物へ向かう。
「阿保だな。俺もお前も」
豪腕と触腕が、触れ
「決まってんだろ」
豪腕が、暴れる。触腕を一瞬で搔き消した。無数の触腕を、豪腕が一握りに、握りつぶす。
雑草をむしり取るような雑さで、握りつぶした触腕を耳の肉から抜き潰した。
「耳が腕を使ってんじゃねえよ」
握りつぶした触腕を豪腕が、放り捨てた。空中に放られたそれは血の玉を撒き散らしながら、最後には大きな音を立てて地面に堕ちる。
「腕を使うのは人の特権だ」
お前にその権利は、腕を振るう権利などない。
寄越せ。ぜんぶ、寄越せ。
「逃げるなよ」
豪腕をのばす。もはや腕と耳を遮るものはなく。
大きく広がった力強い手のひらが、大耳を真正面から掴んだ。人間の顔を正面からアイアンクローしたように掴む。
俺の左手のひらに、じっとりした弾力のあるものを掴んだような感覚が帰ってくる。
うわ、気持ち悪。
「ハナセ! ハナセ! ハナセエエエエエ!!」
人間の女の声のトーンを不気味なまでにあげた機械音声のような音が耳から叫びでる。
「お、なんだお前。日本語を話せるんじゃないか」
今のはわかったぞ。離せと言ったな?
豪腕がその指に力を込める。手に掴む大耳を握り潰すように万力のようにじわり、じわりとその圧を増やす。
「発音が汚いからダメだ、死ね」
ごり。
「UUU UUUOOO!??!」
漏れ出るのは耳の悲鳴。
大耳を構成する耳骨。それを豪腕が握り壊した。骨を潰した奇妙な感覚。先程まで強い圧力を感じていたがそれはもうない。折れた段ボールを握り込んでいるような緩い反発。
悪くない。
大耳を握りこんだまま、左腕に、豪腕に力を込める。
全長十メートル超。体高七メートル弱。特大のサイズ。太古の昔地球の支配者に君臨していた生物。恐竜とかくやとばかりのその巨体。
その巨体を、豪腕がわずかに持ち上げた。びきり。びきり。 とその身を軋ませながら豪腕が徐々にその長さを増しながら、もがく耳をものともせずに持ち上げる。
「これはあの時のぶんだ」
耳の化け物と初遭遇。逃走の最中投げつけられた灰色の荒地に点在する岩。無造作に掴まれる髪の毛。
視界に広がる灰色の地面と、赤い衝撃。
「よく味わえ」
豪腕が、大耳を地面にたたきつける。地面が鳴る。たたきつけた反動をそのままにまた持ち上げ、また地面に叩きつける。何度も、何度も。
ははっ、餅つきみてえ。
また豪腕が、大耳を叩きつける。巨体ごと何度も何度も。
おもちゃのように軽々と豪腕が動く。
「WAIT ! WA Iっ!?」.
「うるせえよ」
お前は待ってくれなかったろうが。
叩きつけたその大耳をグリグリと地面に押し付ける。潰れちまえ。クソが。
耳に蘇る、自衛軍の二人の叫び。隠れた茂みの嫌に濃い緑と深い森の土の匂い。あの惨めさ。
それも、返してもらう。
豪腕がゆっくりと大耳を離す。離した途端に木の根が地面に付す大耳の周りから生まれる。途端に大耳の上から覆いかぶさるように縛り付ける。
何重にも何重にも巻かれたその木の根が大耳を覆い尽くした。
「木原のぶんを、寄越せ」
運転手。自衛軍の巡回部隊の男。お前に腕を引っこ抜かれて殺されなければあいつは、今日も明日もその次の日もハンドルを握ってだれかを助けていただろう。
「お前が奪ったもんを、返せ」
豪腕が、地に伏す耳の身体の部分へ伸びる。長く太いその肉体部分。四本ついた醜い脚。
人間の脚を無理やりに昆虫の節足の形に整えたようなもの。
まずは、前脚。その足首を豪腕が握った。
「二本目」
ぶちぃ。
ひょいと豪腕が、翻る。
それだけで右前脚は宙を舞った。
折りたたまれた脚は一瞬で展開されるように伸びて、すぐに耐えきれずに肉体から離れた。
すぐに血が吹き出す。醜く、人に良く似た赤い血が吹き出す。
次だ。
豪腕を残った左前脚にのばす。
同じように。ぶちり。
勢いをつけて引き抜く。
「三本目」
手に返ってくる肉の感触。他者の肉体を、生命を傷つけていく感覚。力で他者から奪う歓び。
それに何と言ってもーー
酔いと混ざり、俺から全てのブレーキを消していくその感覚。
ああ、でももういい。化け物に遠慮なんてする必要はない。
ここでは、他者を思いやる人間性は必要ない。
「次は北嶋だ」
銃手。糸目の男。抵抗も虚しく化け物に両脚を引き抜かれ、耳の餌としてその叫びを奪われた男。あいつだってお前に殺されなければその二本の脚で、これからを歩き続けていたはずだ。
「寄越せ、お前が踏みにじったものを」
暴虐と残酷を以って他者と接したお前は、同じく暴虐と残酷を以って苦しむべきだ。
「でないと、つじつまが合わねえだろ」
殺されていい奴らではなかった。少なくともあんなゴミのように殺されていい生命では決してなかった。
「だから、お前はゴミのように死ぬべきだ」
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