只人の答え、あるいはたわごと
「その腕、似合ってないな」
押し戻した歪な腕の根元を注視する。
ああ、あれなら行けるな。
一歩、歩みを進める。
木の腕を操作。態勢を大きく崩しているヤツに向かって一気に伸ばす。
木の腕に反応するように、ヤツの身体から触腕が伸びる。しかし、隆々とした木の腕に対してそれらはあまりにも、細く弱い。
それらの触腕を意にも介さず木の腕が伸びる。反応出来ても止める事が出来ないのなら意味はない。
「歯ぁ、食いしばれ。クソ耳」
食いしばれるもんならな。
左腕に力を込める。親指だけを外に。残りの四本の指を折り込み、親指をかぶせる。
拳。人間の始まりの武器にして、最後に残される武器。それを作る。
人差し指に一層力を込め、意識を拳の骨に集中。面白い事に木の腕もそれと連動するように、ビキリと鳴りながら拳を固めた。
木の腕の握り拳が一際大きくなる。それは瞬く間に大耳と同じぐらいのサイズに変わって行った。
ようやく、お前をぶん殴れる準備が出来た。
狙うは、その深淵を思わせる耳の穴。胡乱な風貌の大耳だ。
「い、けえ!」
左拳を繰り出す。リモコンで操作するラジコンのように俺の腕と木の腕が連動する。
拳骨に重たく、中身の詰まった肉の感触を感じる。
捉えた。
「飛んでけ!」
握り拳の形を成したまま木の腕が大耳を殴りつけた。
ストレートパンチ。
振り抜く。打ち抜く。
肉を打つ、えもいわれぬ感覚。原初の喜び。自分の暴力がクリーヒットした、確かな快感。
こりゃ、いい。
「ブウVOUOOOO!!!」
大耳がへしゃげる。ベキベキと木の腕はその拳骨を砕きながらも、大耳の肉を潰し殴り抜いた。
耳の化け物が、その巨体ごと仰け反る。大耳の耳穴から赤い血が飛び散っている。
ここだ。
仰け反るヤツの巨体、脇腹から出た異物感ただようその歪な腕もヤツの身体に引き摺られ仰け反っている。
「掴め」
つぶやきが終わるよりも早く、生き物のように木の腕が伸びる。大耳を殴り飛ばしたその拳骨を解き、指を伸ばし、手のひらを広げる。
掴んだ。
「やっと、捕まえた」
木の根が地面から生まれる。仰け反るヤツの足元から生まれたそれらは、一斉にヤツの右脇腹。
つまり、その歪な腕の根元に突き刺さった。
剣山のように鋭い木の根、その切っ先がヤツの肉を抉ぐる。
「WAIT!!」
歪んだ副音声のような雑音。
何、言ってるかまったく分からん。
何をされようとしているかは分かってるみたいだな。
ヤツの歪な腕の手首を木の腕ががっちりと掴んだ。もう離さない。
ヤツの歪な腕の付け根には、それを固定するように木の根が幾多も突き刺さる。
準備は整った。
心臓が、鳴る。高揚感に自然と頰がつり上がり、唇が歪む。
酔いか、それとも本性か。まあ、どちらでもいいや。
お楽しみの時間だ。
左腕に力を入れる。開いた手のひらを、そのまま何かを握り潰すような万力の想いを込めて握りしめる。
思い切り引っ張った。
「いっ、ぽん、目ぇ!!」
ぶちぶちぶち。と何かが引きちぎれるような音が鳴り響く。それは聞いただけで分かる、致命的な音。
それからすぐ後、分かりやすい、悲鳴が鳴り響いた。
「A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A A 」
大耳が、泣く。首のような部位を天に伸ばして、大耳を上にもたげて、きっとその穴は引きちぎれそうな程に開いているのだろう。
その歪な腕の根元に突き刺さる木の根がアンカーの役割を果たす。
木の腕が、歪な腕を引き抜いた。引きちぎった。
「うは」
漏れたのは、嗤い声。噴出すように漏れた。
楽しい。楽しすぎる。最高だ。
こうでなくてはならない。
木の腕が、そのまま歪な腕を引き抜き、振り回す。
引き抜かれながらも、その歪な腕は、尖った指を伸ばそうとーー
「大人しくしてろ」
ガン、ガン、がん!!
木の腕が、癇癪を起こした子供のようにその腕に引き摺る歪な腕を地面にたたきつける。
いっそ、憎しみすら込めているかのように、生命が生命を殺しつくすかのように。
木の腕は、執拗に歪な腕を地面にたたきつけ続けた。
たたきつけられたその歪な腕の肉が割れ、血が溢れる。その腕をささえる骨はすでに飛び出し、飛び出したまま地面にたたきつけられて砕ける。
数十秒もしないうちに、哀れ。
あれほどまでに異様な雰囲気を醸し出していたその歪な腕は、死にかけの雛のようにぴくり、ぴくりと血を流しながら痙攣するのみだ。
あの尖った指で、まっすぐなものは一本たりとも存在しない。伸びた爪は砕け尽くし、人差し指に至っては爪ごと禿げている。
ぴくり、ぴくりと振動する哀れな肉の塊を、木の腕が文字通り、鬼の首を取ったかのように高く、高く掲げた。
「お?」
まるで、その光景に怯えるかのように。痛みに悶える耳の巨体が一歩、後退した。
一歩下がった。ヤツが。
「おい、どうしたんだ。お前」
俺は、一歩。歩みを進める。
目の前で、歪な腕をかかげた木の腕に異変が起きつつある。
木の腕の表面から、新たなる木の根が、うじゃりうじゃりと生えてきていた。
それらは腕が掴む、ぐったりとした歪な腕に伸びていき、瞬く間にそれを飲み込み始めた。
蛇の大群が、獲物に群がるようなそんな光景。
まるで、食餌だな。
「好きなだけ食え」
気がつけばそう呟いていた。
そう、それは俺たちの取得物だ。
俺たちがヤツから奪い返したものだ。好きにして、いい。
木の腕が、歪な腕を掴んだまま、捕食していく。
食餌。それは拝領によく似ている。他者から奪い、他者そのものを自らのものとする。
全ての生命は、何かを他者から奪って生きている。
そもそも生命とは、奪う事でしか生きる事のできないものだ。
とんでもなく、悪辣で、とんでもなく純粋。
俺は今日一日奪われ続けて来た。
ヤツに痛めつけられ安全を奪われた。
ヤツに怯えと、恐怖を押し付けられ、尊厳を奪われた。
ヤツに、人間の死を見せ付けられ、誇りを奪われた。
怖い。奪われるのは怖すぎる。
だから、俺が奪ってやる。奪われるだけなのはもう嫌だ。
「今度は、俺の番だ」
そう、これは順番だ。
こういうのには順番があるのだろう。
明けない夜はなく、終わらない朝はない。世界はぐるぐる回っている。
奪うもの、奪われるものにだってその順番は存在する。
奪うものと奪われるものが逆転することだってある。
シンプルでいい。世界はとてつもなく真面目じゃないか。
真面目にどこまでも残酷だ。
つまり、単純に、残酷に。
俺の番が来たってだけの事だ。
これが、俺の幸せだ。
奪われるだけじゃあない。たまには奪う側にも回れる人生。
それだけでいいじゃないか。
「俺は、お前が怖い」
また一歩。俺が進む。
すると、一歩ヤツが下がる。
「お前が恐ろしくて堪らない」
木の腕が、歪な腕を完全に呑み込んだ。
怪物から奪ったものを自らのものとする。
いいね。これこそ探索者の醍醐味だ。
「だから、お前から全てを奪ってやる」
俺は、探索者だ。
お前は、怪物種だ。
お前は俺の。
「獲物なんだよ」
さて、次は木原が奪われたものを取り返そう。
確か、両腕だったはずだ。
また一歩、耳が大きな音を立てその脚を下げた。
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