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弱くて、強い

 


 あ



 ああああえあ

 あああああえああおあ


 おおおおおおおおおお。


 ーーーーーーーーお。





 五月蝿え。


 誰かが、叫んでいる。


 うるせえ。()()()


 こりゃ、一体誰の声だ?


 ()はあまりの声量に、耳を塞ごうと両手を動かす。


 なんか妙に身体が重たい。頭もボーとするし、至る所がズキズキ痛む。口の中で唾液が沁みる。傷があるらしい。


 まだ、声が聞こえる。この世の終わりを叫びで表現しているような、気の毒な叫び声だ。


 耳を塞いだはずなのに、右側の耳に叫びが響いた。


「あ?」


 何かが変だ。右手が妙に軽い。いや、これ、軽すぎないか?


 視界がおかしい。まるで今始めて眼が覚めたような、世界がぼやけている。


 身体の感覚が戻ってくる。今まで空中に溶けていた自分という存在が徐々に形を取り戻していくような…


 なんだ、これ。寝起きみたいに考えがまとまらない。


 俺は一体何をしていたんだ?


 頭の中に浮かんだ疑問符を整理しようと目を瞑って、また開く。


 唐突に視界が元に戻った。


 暗い、暗い孔。世界の底をそのまま移したような、夜の闇を歪めて、間違ったものにしたかのようは暗い穴が二つ。


 耳の穴が、目の前で逆さまに写っている。


「あ、やべ、思い出した」


 負けた。


 俺は負けたのだ。自分ではない自分が力を振るい、俺の声で話していたあの時間。


 俺はぼんやりと眺めている事しかしていなかった。俺が戦っていたつもりなのにいつのまにか別のヤツが俺になっていた。


 そして、俺とよく似たソイツは、俺の体で戦っていたソイツは耳にまんまと一杯食わされた。


 それの結果がこれだ。



 いや、意味わかんねえ。


 痛みで頭がおかしくなっているのだろうか。俺は右腕から登ってくる感覚に意識を傾ける。


 もうどうしようもないほどに強烈なその感覚。


 痛み。


 右腕が、焼ける。いや、もう右腕はない。ヤツに千切られた右腕、軽くなった右肩から、痛みが登って来た。


「ぐっ、がああああああああああ」


 喉から、叫びが。魂ごと抜け出てしまいそうだ。


 自分の叫びが、脳みその中で暴れまわる。俺の叫びを耳が、聴いていた。



 なんでだ? なんで、こうなった?


 今、一体何分経ったんだ? 数分か、それとも数十秒か。記憶が曖昧だ。


 うまくこれまでの過程を思い出せない。




 マジで意味がわかんねえ。


 片足をゴミムシのように摘まれて。気づいたら右腕を、引き千切られていた。笑い話にもならねえぞ。マジで。


「Oh, I went back.」


 耳の穴から音声が流れる。


 やべ、右腕の感覚、痛覚が消えてきた。果たしてこれは、酔いが痛みを誤魔化してくれているのか。それとも、痛みすらもはや出せないほど身体が死に近くなっているのか?


 ずくずくと痛む。右腕、いや、右肩。


 重力に従って、そこから血がこぼれ落ち続けている。


 あ、やべ。これマジでやばい。


 傷口を見やる。


 力任せに引き千切られた為その傷は凄惨なものだった。筋肉の筋がいくつも無様に垂れてぷらぷら揺れている。


 赤い血と肉の間の隙間に白いものが見え隠れしている。それが自分の骨だとわかるのにそんなに時間はかからなかった。


 血の気が引くとはまさにこの事だ。頭が寒い。寒すぎる。


 寒さとは死に似ている。


 この一日で何度も死にかけた。何度も、何度も。


 でも今回は、死にかけるじゃあ済まないかも知れない。


 ええと、一体何リットルの血を流したら人間は死ぬんだ? てか、右腕を引き千切られて生き残る事なんか出来るのか?


 くそ、こんな事ならもっと勉強しておけばよかった。


 脳裏に、彼らの最期が過ぎる。


 耳に、腕を、足を、身体の部位を奪われて殺された若い自衛軍の兵士達の末期の叫びが再生される。


 彼らは死んだ。もう二度と生きることは出来ない。



 じゃあ、俺は?



 死ぬ。


 俺が、死ぬ。


 それは、それはまずくないか?


 なんで、まずいんだっけ。俺の死。それは何かとてつもない失敗を招いてしまうような……。



 ーー五分後に、またね。



「あ」


 思い出した。駄目だ。死ぬわけにはいかない。


 俺が死んだら、彼女が死ぬ。五分後に会えなくなってしまう。


「それは、ダメだな」


 彼女の声が、アシュフィールドの声が脳裏に蘇る。一瞬、ほんの一瞬ではあるが右腕の痛みを忘れる事が出来た。


 ダメだ、彼女を死なせるわけにはいかない。彼女は俺に、五分間を託した。ならば俺は少なくともこの五分間では死んではならない。


 じわりと、脳みそに何かが沁みる。


 右腕から登ってきた痛みが、その染み出した何かと混ざり合う。痛みとは別、暖かさをその傷口から感じた。



 目の前で、大耳が傾く。先程から耳からの追撃はない。俺の生殺与奪を握っておきながらこいつはただ、俺を摘んだままじぃと動かない。


 なんとなく、コイツの事が分かってきた。いい趣味してるな。ほんと。



 ただ、大草原を渡る風だけが大きな力でゆっくり廻り続ける。捥がれた腕から垂れる筋繊維が、惨めに揺れる。


 風が吹いた。鉄火場から離れた詩人でも生きようと思うのだ。なら命と最も近い修羅場にいる探索者である俺が諦めるわけには行かない。



 目の前に、巨大な化け物が一匹。


 左足を透明な腕に掴まれ、クレーンゲームの安物の景品のように逆さまに吊り上げられ。


 右腕を食肉を捌くかのように無造作に千切られ。


 救援は望めない。出血多量。


 されど、意気軒昂。酔いは全身に回りつつある。意識もはっきりし始めた。


 悪くない。


 稼ぐ時間は後、数分といったところか。


 さて、どこから始めよう。



「おい、聴こえているか?」


 頭で考える前に、言葉が出た。目の前の耳でも、ましてや自分に聴かせる為のものではない。


「てめえ、好き勝手してちょっと痛い目にあったらすぐに逃げやがって」


 心に燻るのは強い感情。脳を茹で、肌をざわめかせる原初の感情。


「あれだけ、大物面してたのに、なんだよあの情けない泣き声。あ? 聞いてんのか」


 それは怒り。人が生きていくために必要な心の動き。


「耳がクソなら、テメェはクズだ。この臆病者の口だけヤローが」


 怒りの矛先は、俺の腕をおやつ感覚で引き千切った耳は言わずもがな、いつのまにか影を潜めたあの存在。


 腕と名乗る正体不明の臆病野郎。俺をいつのまにか乗っ取りかけていた悪魔のような奴。


 どこにいったんだ。お前は。


 俺は、聞こえているかどうかも分からない腕への言葉を繰り返す。それは死を間近にしたことによるうわ言だったのかもしれない。


「お前が言ったんだ」


 戻る事は許さない。戦えと。"腕"は俺にそう言った。


「お前が、俺をここまで連れて来たんだ」



 お前が、俺を特別にしたんだ。だからお前には責任がある。



「ここまで言われてまだだんまりか」



 ヤツが言ったんだ。進められた駒が戻る事は許さないと。


 であるのならば。


「駒を進めたのはお前だ。()はまだ戦う」


 約定は済ませた。拝領を終わらせ、合一を果たした。


 ここまで、来たんだ。


 ()()()()()()()()戦いをやめる訳にはいかない。


 だが、肝心の相手がその契約内容を忘れちまったらしい。


 なら仕方ない。忘れたのならもう一度思い出させてやる。



「約定をここに」


 無意識に。まだ力の入る左手が、血の滴る右肩に向かう。


 目の前が暗くなりつつある。時間がない。


 紡ぐ言葉は即興。何も俺に語りかける言葉はなく。


 だからこそ、これは俺自身の言葉。


「物語は終わった」


「されどもここに、其れを知らない化け物が一匹」


「腕の代理人が一人。木の根を駆り、その切っ先を尖らす」



 目の前に在る大敵。耳の化け物。


 これはダメだ。現実にいていい存在じゃない。



「俺が為すのは、物語の再現にあらず」


「終わりを受け入れない醜い物語の残滓、そのことごとく」



 風が吹き付ける。


「殺し尽くしてやる」


 この言葉に力はなく。物語の節でもなく。


 それは只の人の言葉。



 どこにも記されてない。残るべきではない戯言。


 だからこそ。その言葉には何の力もない為に、本来の部位と人の間には存在しない新たなる約定となる。


 言葉を終える。全身からゆっくり力が抜けていく。


 右肩に宛てがった左手もだらりと宙ぶらりんに下がる。


 死に体。血と共に魂が抜け落ちそうだ。


 俺はゆっくりと、傷口を見やる。


 意外にもすぐ、変化は訪れていた。


 見るも凄惨なその傷口からそれは始まった。


 ぷらぷら揺れているほつれた肉、肉の筋。先程まで赤くみずみずしい肉の色をしていたそれは、いつのまにかカピカピに乾いていた。


 乾いたそれはまるでビーフジャーキーの切れ端のようだ。


 何故だろうか。俺にはその乾いた肉の筋が、蠢く細く小さな木の根のようにも見えていた。



最後まで読んで頂きありがとうございます!

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