代理戦争
「さあ、私を見ろ。醜い耳よ」
私の号令に、木の根共が叩き起こされる。身を捻り、土をその身にまといながら現出する木の根達。
仮初めの命、与えられた意思を持つそれらが私を取り囲む。
「この前のようには行かない。」
そう、貴様には二度と負けない。奪われたものは全て返してもらうぞ。
「Les bras 你为什么」
耳の音声が鳴る。至近距離で音を浴びているかのようなその音量。
「言葉も忘れたか…… 哀れな」
役割を忘れた獣が、言葉すらも、もはや借り物でしかないのか。
「忘れた者に用はない、消えろ」
「Not you will decide it」
触腕が伸びる。馬鹿のひとつ覚えとはよくいっものだ。
木の根が触腕を迎撃する。一瞬の交差。木の根が触腕を全て貫く。
遅い、遅すぎる。やはり、貴様にそれは過ぎたおもちゃにすぎないようだな。
「串刺しにしろ」
触腕を全て斬りはらい、貫いた木の根が耳の巨体に向かう。数十本の木の根はヤツを包むように上、左右に膨らみながら加速していく。
ヤツの醜い足が、深く地面に沈んだ。
跳ぶつもりか? そうはさせない。
巻き取れ。
ヤツの足元の地面から木の根が伸びる。瞬時に現れた木の根が太い耳の足を絡める。固い樹皮がその肉を削り、縛り付け、血が滲んでいた。
ずぐん、ずぐん、ずぶん。
流れるように、感覚が返ってくる。ヤツの身体を木の根が貫く。
「無駄に巨大だな。貴様がその姿になっているとは思わなかった。人間に追い詰められていたものなあ……」
口角が、上がる。ああ、愉快だ。思い出したぞ。
力を振るい、生命を追い詰める。狩りの愉悦を。
そら、いくぞ。
体全体に力を込める。馴染む、馴染むぞ。この身体は本当に……
「ああ、よく似ている」
耳の身体を貫いた木の根が、膨らむ。力を込めた人間の筋肉のように隆起していく。
「苦痛を感じぬ貴様でも、これならどうだ」
引き裂け。
隆起し、肉に食い込んだ木の根が、その身体の内側で暴れ始めた。ゼリーに突き刺さした針をその中でめちゃくちゃに動かせばどうなると思う?
生き物のように、否、木の根という生命が耳の体内でその肉をシェイクしながらのたうち回る。
全身に木の根からの感触が返ってくる。
そのまま、そのままだ。肉を、血を、魂をいためつけろ。
「braccio」
黙れ。"私"を呼ぶな。
木の根を暴れさせながら新たなる指令を込める。
突き破れ。
ぴん。
鞭がほとばしるような、空気を叩く乾いた音が。
血の飛沫、縄のような血の飛沫を浴びながら耳の体内で暴れていた木の根が一斉に、耳の肉を内側から突き破った。
木の根はそれぞれ、足の付け根、大耳を支える首。主要な関節のある部分を突き破った。
耳の巨体がその場に倒れる。崩れ落ちるように倒れたその巨体は、音を立て、草花を剥ぎ、土をえぐりながら崩れ落ちた。
重すぎる体重を維持することができなくなったのだ。
怪物が、地に倒れ伏し、人間がそれを見下ろす。
いい光景だ。
血濡れの木の根がヒュンと風を切りながら、巻き取られた掃除機のコンセントのように私の足元へ戻る。
……コンセント? なんだ、それは。
足元へ戻ってきた木の根に血が滴る。力により隆起したその根は明らかに太い。ドクン、ドクンと胎動していた。
「懐かしいな。獲物を狩るのはやはり楽しい」
力なく倒れ伏すその巨体。足掻くように触腕が数本ほど伸びる。
弱い。
弾くように私は、右腕を横薙ぎに振るう。周囲の木の根が連動し触腕を、横っ面から薙ぎ、貫き、地面に縫い止めた。
耳は動かない。苦し紛れの触腕の一撃を放ったののちに耳は動かなくなった。
弱った。死んだ?
いや、違う。
「その手は食わん」
全身に力を込める。
木の根に命令を下す。
そら、その下手な死んだふりをやめろ。でなければ本当に
「殺せ」
意識を集中。狙うはヤツが倒れ伏す真下の地面。ヤツの身体まるまる貫けるほどの巨大な木の根、いや木の杭を呼び起こす。
出来るか?
いや、出来る。この体なら出来る。
其にひどく似ている、この体ならば。
地面の真下から巨大な力の萌芽を感じる。さあ来い。
力が、膨れ上がり、弾ける。
地面を割りタケノコのような形をした木の杭の先端が現れる。
真上に付したままの耳を貫こうーー
瞬間、私の全身に痛みが走る。
ハッ、そうか、痛み、こんなのもあったな。
ヤツの足を拘束していた木の根が強引に引きちぎられた。そのフィードバックだったと気付いた瞬間、耳の巨体は空を舞っていた。
その尋常ならざる肉体を、高く空に跳びあげる四本の足。それら全てが、風船のように膨らんでいる。
馬鹿力が。
「braccio braccio braccio!!」
巨大な質量を持つ耳は、当然。そのまま落ちて来る。聞くに耐えない雑音を撒き散らしながら、こちらへ落ちて来る。
空から降ってくる十数メートルのその巨体は、それだけで殺傷能力を持つ質量兵器となる。
すぐに避けなければぺしゃんこに潰されてしまうだろう。
だが、私は、俺は避けない。避ける事は出来ない。
私が避ければ、背後に佇む耳を滅ぼす為の切り札が潰える。
俺が避ければ、彼女が死ぬ。
それは出来ない。
つまり、私に残された選択肢はひとつだけだ。
落ちて来るヤツを、迎え撃つしかない。
さあ、命を燃やせ。
木の根共。貴様達の主人が命ずる。
「仮初めの命、造られた意思。それら全て"腕"が所有物。さあ、征け」
見つめるは、落ちて来る耳。大耳がどんどん大きくなる。
貫け。
防げ。
迸れ。
地面が割れる、あまりにも多いその木の根が、数千匹の蛇の群れのように地の底、ここよりももっと深いところから現れる。
征け。
ボオ。
大量の空気を捻じ曲げ、押しつぶし、木の根が落ちてくる耳に向かい伸びる。重なり、連なり、絡み合いながら伸びる木の根はまるで柱のようだ。
空に向かって伸びる木の柱が、空から真っ逆さまに落ちてくる大耳も衝突した。
そして、木の柱がへしゃげる。質量、重量、速度を兼ね備えた耳が、木の柱を砕きながら堕ちてくる。
削られた樹皮が、その肉に食い込む。鋭い木の根が、その肉を貫く。
耳が血塗れになりながら、堕ちてくる。
落下の勢いは少し削る事が出来た。ただそれだけだ。
そう、それだけでいいのだ
繋げる。私と、この体をさらに深く繋げる。なんの宿命も運命も使命も持たない凡俗な生命。
だからこそ、私とここまで深く繋がる事ができる。
さあ、もっと寄越せ。
両手の皮膚が湧く。毛穴が開き切り、チクチクとしたかゆみが一気に広がる。極小の羽虫が肌を這うような不快感。
それらが一気に灼けるような痛みに変わった。
今だ。
落ちてくる大耳に向かい、下から腕を振り上げた。
かちり。歯車が噛み合うような音が私の頭の中で鳴る。
そうら、来い。
振り上げた私の腕。勢いそのままに振るわれたそれが、変化していく。
掻き毟るように上着の右袖を捲る。
肘の辺りの皮膚が破け、その中の肉が露わになる。はじめは白と薄いピンク色だったそれは突然皮膚が破けた事に気付けていないようだった。
ぷつり、ぷつりと、血の玉が浮き出てきてーー
そのもっと内側、骨よりもっともっと内側から、腕の肉を突き破り表れた。
木の根。
地面を砕き現れるのではなく、今度は私の身体から表れた。はじめは小さかったそれは空気に触れた瞬間巨大化をはじめる。
一本だけではない肘の側面、肘の底面からも同じように皮膚と肉を突き破り、身体から木の根が現れる。
腕を振り上げ切った瞬間、それらは瞬時に伸び始めた。
不思議と痛みはなく。
それらは獰猛に、数千本の根で構成された木の柱を砕きながら落ちてくる耳の巨体に迫っていった。
ああ、やはりこの体はいい。
凄く馴染む。
やはり、"私"が使うべきだ。
目の奥が、熱い。唇が半月のように笑顔の形になり、口の端が切れた。
*ーー同調率、更に上昇。自我の融合を開始ーー*