時間稼ぎ
「アレは危険すぎる。必ずここで殺さなければならない存在よ」
彼女が化け物を見つめながら言葉を放つ。それには賛成だ。あんなもんを生かしておくわけにはいかない。
「俺もそう思う。で、作戦ってのは?」
化け物から俺も目を離さない。ヤツは未だ、とぐろを巻いたかのように身体を丸めて微動だにしない。
まさか、休んでるのか? 化け物の方へ目を凝らしていると
「その前に一つ、あなた、アレと今から一人で戦ってくれない?」
「……なんて?」
思わず、聞き返す。どんな作戦だそれは。
「アタシの見立てでは、アレはまだ何か奥の手を隠してるわ。それこそ、アタシでも想像出来ないとんでもない奥の手を」
彼女は俺の言葉を無視して、言葉を続ける。なんだこのアメリカン。
「それを使わせる前に殺したいのよ。追い詰めすぎてはダメ。ああいうのを殺すコツはね、追い詰める前に殺し切るのが一番なの」
「悪い、何言ってるか少しわからん」
やべ、また下手な事言ったかも知れない。おそるおそる彼女の方を見ると、元々大きな碧い瞳をさらに大きく開いてこちらを見つめていた。
ぱちり、ぱちり。と何度か形の良い瞼が閉じて、開いてを繰り返す。そして。
「ふ、ふふふ。そうね、ごめんなさい。説明、少し難しかったわよね」
彼女が口元を抑えながら笑い始める。もうよくわからん最近の若い女は。
ひとしきり、彼女の笑い声だけがこの戦場に響いた。本当に何がそんなに面白いのだろうか。
ふうー。と彼女のため息か、深呼吸の音が聞こえた。
「シンプルに説明するわ。アレを一撃で殺す準備がしたいの。あなたにはその準備の間、時間を稼いでほしいのだけど」
一息に彼女が話す。なるほどシンプルだ。シンプルなのはいい事だ。わかりやすくて、いい。
そう。いいことだ。
「……わかった、やろう」
答えは決まっている。ここでビビるくらいなら化け物に挑もうとするわけはない。
「……聞かないの?」
彼女が小さく、呟いた。そのつぶやきは俺に向けてのものだろう。
「何をだ?」
「何をって…… 例えば準備ってなに? とか本当に殺せるのかとか。そういうの気にならない?」
ため息混じりに彼女が言う。それから薄く笑った。
あー…… 言われてみればそうだ。
でも、
「いや、あんたがやるって言ったんだ。なら出来るんだろ?」
そう、あのアレタ・アシュフィールドが一撃で殺すと言ったのだ。出来るに決まってる。俺はそこになんの疑問も、質問もなかった。まあ、強いて言うなら……
「あ、待て、時間てどれくらい稼がないといけないんだ? これはきちんと聞いておかないとな!」
そうだ、そうだ。あぶねえ。これで一時間とか言われたら無理だ。どう考えてもぶっ殺される事しか想像できない。
努めて明るく振る舞って言ってみた。彼女はこちらをポカンと見つめていて。
あれ、またミスった?
沈黙が、流れる。
「ふ」
彼女が噴き出した。
「ふふふ、アハハハハ! タダヒト! あなた最高にヘンな人ね! フフフ、そうか、出来る、そうね、確かにアタシなら出来るもの。確認なんか、いらないわねえ」
彼女が腹を抱えながら、笑う。目尻をよく見るとそこには涙が滲んでいる。
いや、だから何が面白いんだ? てか
「あー、アシュフィールド。あんたの笑顔が見れたのはラッキーだが、質問の答えは? 分か、時間か?」
「フフ、あら、見たいのならいつでも見せてあげるわ。そう、時間ね、五分稼いで頂戴。五分間はアタシ、何も出来なくなるから」
五分、長いな。ただの戦闘でも五分は長い。しかも今回はあの耳の化け物を相手に五分。タフな仕事になりそうだ。
「了解、じゃあやるわ」
「ふふふ、ええ、期待してるわ、タダヒト」
彼女がそう言って、近くにあった槍を引き抜く。
「五分よ。五分間の間、アレをアタシから遠ざけて。アタシ、ほんとに何も出来ないから」
念を押すように彼女が繰り返す。なるほど、シンプルだ。五分間の間、彼女に何者をも近づけなければいいと言う事だ。
「その槍だけでいいのか?」
「ええ、これ素晴らしい槍だもの。一本で充分よ」
たくさんいるって言ったのはだれだよ。もちろん声には出さなかった。
「わかった。それと最後に一ついいか?」
「ええ、何かしら?」
左手に力を込める。
「準備ってよ。密室の方が集中できんのか?」
彼女のもつシルバーケースを見つめて、それから彼女の瞳をみた。
ぱちりと、長い睫毛が揺らめく。
「そう、ね。ええ、出来るなら密室、狭い空間のほうが集中出来ていいけど。ここにはないでしょ?」
彼女が肩をすくめる。
確かに、今はない。
だが。
「いいや、それなら出来るぞ。そこ動かないでくれ」
彼女の方を見つめながら、左手に力を込める。彼女の言う、準備に必要なものをイメージする。
ず、ズズズず。
彼女の足元の地面が浮き上がり、そこから木の根が渦巻くように生え出してくる。それはとぐろを巻いた蛇のように、螺旋を描きなかがら伸びる。
「閉所恐怖症とかないよな?」
また新たな、木の根が彼女の足元の地面を盛り上げながら生え出てくる。既に現れている根とは逆方向に螺旋模様を描きながら現れた。
「っ、ふふ。ええ、ないわ。あなたやっぱりニンジャでしょ?」
「さあ、どうだろうな」
ゆっくり、ゆっくり彼女の周りを包むように木の根が渦巻き、形を成していく。
彼女の、姿がほとんど木の根で隠れる。外界から彼女を隠す。
「準備が終わったら、内側から槍で小突いてくれ。ほどくからよ」
彼女に必要な事だけを伝える。
「ええ、わかったわ」
木の根が、形をつくる。それは一階層、大森林での戦いの最中、俺が無意識に作り出した木の繭。自衛軍の田村という男を守るために作り出したそれと同じものだ。
木の根が螺旋状に重なり合い、卵型の木の繭を生成した。
仕上げとばかりに、更に何重にも木の根を卵型の繭に這わそうと、左手に力を込める。
「タダヒト、まだ聞こえる? 」
外界と隔絶しつつある、一時の安全地帯から彼女の声が漏れた。すぐに聞こえなくなるだろう。
「まだ、聞こえるぞ」
「そ。良かった。ーー五分後に、またね」
それが最後だった。
もう繭の内側からは何も聞こえなくなった。
木の繭が、彼女を守る。
よし。
俺は完成した木の繭の前に立ちはだかる。目の前、十メートル弱ほどの距離にいる耳の化け物を見つめる。
ヤツは、体を丸めて動かないままだ。願わくばこのまま、何も起きずに、五分間そのままでいてくれないだろうか。
そんな事を考える。
きっとそんな事を考えたからだろう。
耳の化け物がゆっくりと、体勢を変え始めていた。
ああ、くそ。そうだと思ったよ。チクショー。
長い、永い五分間が始まった。
最後まで読んで頂きありがとうございます!