原初の狩り。
英雄が駆ける。その手にふた振りの木の槍を携えて。
大地に墓標のように突き立つ無数の槍。その隙間を縫うように英雄が、地を駆ける。
英雄が向かうは、死線。耳の化け物のたもと。その槍を化け物の肉に突き立てるべく英雄が駆ける。
化け物は知っているのだろう。彼女が自らにとって危険な存在であると。近づかせてはらならない者であると。
木の杭に未だ、動きを縫いとめられているヤツは当たり前の行動を開始した。
化け物がその身体の隅々、至る所から触腕を生やす。ぐぐぐと、縮んだかと思うと弾けるように一斉に伸びた。もちろんその必殺の威力を持つ触腕の狙いは彼女だ。
怒濤。土石流の勢いで無数の触腕が彼女に迫る。質量、速度、硬度を兼ね備えた化け物の一撃は直撃すれば必死。それもこの数、人間としての形が残る事すら保証出来ない。
斜め上の方向から触腕が伸びる。手のひらの形、槍のように尖った形、殺意が様々な形となり彼女を引裂き、貫こうと迫る。
彼女は避けない。いや、避けるどころかむしろその触腕に真っ直ぐ向かっていく。
彼女は振り返らない。槍をその手に携えたまま死線へ向かう。
彼女は言った。
信じている、と。
彼女は言った。
合わせて、と。
ならば、俺のやる事は既に決まっていた。
「樹心限界」
小さく、その力の名前を、呼ぶ。
仕組み、原理、一切が不明の奇妙な力。俺の力が静かに、しかし確実に世界に干渉した。
「彼女を守るぞ」
左手を掲げる。
木の根がしなりながら地面から現出する。一本、二本、三本、四本、五本、六本…… 沢山。
指先が痒い。そのかゆみが手応えとして左手に還ってくる。指先の向こう側にまだ自分の指があるかのような不思議な感覚。
それが妙に心地よい。
さあ、行こう。
「弾けろ……!!」
一気呵成。足元から生える木の根達が一斉に伸びる。触手のように蠢くそれが目指すのは腕の触腕。赤外線感知をしたミサイルのように俺の木の根が化け物の触腕に向かい、迸る。
「やれ!」
弾く。彼女に向かって伸びる触腕を木の根が弾く。手のひらを貫き、尖った先端を絡め、砕く。
貫かれた触腕から赤い血が飛び散る。砕かれた木の根の破片が舞う。
奔流がぶつかり合う。木の根が触腕を絡め取る。触腕が木の根に縛り付けられねじ切られる。雑巾を、絞るかのように血が搾り取られる。
木の根が触腕に掴まれる。ビニール袋を裂くように木の根が引き裂かれる。左手を通してその痛み、恐怖が還ってきた。
イタイ。コワイ。
ああ、そうか。お前達も生きているんだよな。
木の根。この不思議な力により仮初めの命と、仮初めの意思を与えられた存在。
悪いな。お前達の命はここで俺に使われる為にあるんだ。
左手からの痛みと恐怖のフィードバックを俺は無視する。戻ることは許されない、逃げる事は許さない。飛び散れ。ほとばしれ。彼女を守れ。
それが俺たちの仕事だ。
木の根と触腕の奔流のぶつかり合いが終わる。相殺。木の根は全て砕かれ、引きちぎられた。耳の触腕を全て、貫き、ねじ切った。
命のやりとり。狩り。いや、殺し合いか。この殺し合いのペースに空白の時間が生まれる。刹那よりも少しだけ長いその空白の時間。
化け物の身体から触腕が生まれ始め、俺の足元から木の根が伸び始める。
互いに殺す為の武器を用意する僅かな時間。
それで充分だったのだろう。彼女、英雄、指定探索者、アレタ・アシュフィールドにとっては。
彼女が、化け物のたもとまでたどり着いた。最短かつ、最も危険なルートを辿り、化け物の正面を駆けた。
その身には新しい傷は一つもない。
俺の位置からは彼女の背中しか見えない。だからこれは俺の予想でしかない。
きっと、彼女は嗤っている。これから始まる原初の衝動を期待して。
酔いは万人に作用する。それはあの英雄も例外ではないのだろう。
彼女が、舞う。本当に羽がついているのではないかと思うほど軽く、高く。容易にあの耳の巨体よりも高く、高く、跳ぶ。
今、アレタ・アシュフィールドの狩りが始まる。
大耳が上を向く、飛び上がる彼女を追うかのように。ヤツの身体から触腕が伸びる。対空ミサイルのように複数の触腕が翻る。
遅い。彼女には届かない。
彼女の手がブレる。投擲。上の方向に伸びる触腕と入れ違いに、槍が真下に投げつけられた。狙うはもちろん、耳の肉体。
ズグり
ここまで音が聞こえてくる。触腕が蠢く水音を裂いて、槍がヤツの肉を突き破る音が響いた。その音はとても肉感的な音でいて、俺はその音を聞いた瞬間、背筋が泡立つような感覚を覚えた。
ああ、とても良い音だ。
「ああああ!!」
耳から音が鳴る。それは短い悲鳴。やはり彼女の攻撃は確実に耳を削っているんだ。
彼女の残影を触腕が虚しく追う。槍によるダメージだろうか? 動きの鈍った触腕は彼女に触れる事は出来ない。
彼女が、すとりと化け物を飛び越して着地した。
「タダヒト! 聞こえる!?」
耳の化け物の身体の向こうから彼女の声が聞こえる。
「聞こえる!」
短く答える。何処と無く緊張感がないやりとりのような。
「オーケー、今まで通り援護よろしく! 死なないでね! 始めるわ」
「アイサー!!」
「マムよ!」
耳の化け物を挟んでの会話。これが最後の会話にならないように祈ろう。
「多被お乙阿大オオオオオオオ」
耳の化け物が吠える。あの大耳の穴が大きく開き、そこからダロリと赤い血が流れ出始めた。その巨体を下から穿つ、大きな木の杭からミシリ、ミシリと音が鳴り始めた。
その巨大な四本足をめちゃくちゃに動き回す。膨大な質量が徐々に遠心力を生み始めた。
木の杭に目に見えるひびが浮いてきて。
「遅い」
俺は左手に力を込める。悪いがまだ俺たちのターンだ。しばらく寝ていてもらう。
木の根を何本も化け物の近くで生成。そのまま素早くヤツの身体に這わせる。何本から触腕に迎撃されてしまったが、関係ない。
「オラ!」
気合い一閃。動きの鈍った触腕を、新たに生み出した木の根で弾き落とし、そのままヤツの身体に幾重にも絡みつかせる。上から押さえつけるように縛る。木の杭によりヤツの身体が食い込んだ。
しばらくそのままでいてもらうぜ。出来る事ならそのまま、死んでくれ。
「やっちまえ!! アシュフィールド!!」
頼んだぜ。英雄。
俺は大口を開けて叫ぶ。左手の指先が痛い。引っこ抜かれてしまいそうな痛みだ。持っていくのなら持っていっちまえ。ヤツを殺せるのなら安いもんだ。
彼女からの返事はない。代わりにまた
「アア!!」
短い耳の化け物の悲鳴が。既に始めてるらしい。
俺は左手に力を込める。動けない獲物を一方的に嬲り殺す。
これこそが人間の狩り。最も弱く、最も残忍な種族をこの星の頂点にまで押し上げた業。
身体の芯、深いところが、痺れる。それは果たして酔いによるものだったのだろうか? それとももっと別の原始的な衝動によるものだったのか。
まあ、どちらでもいいか。
今度こそ。本当に今度こそ。
ぶっ殺してやる。耳の化け物。
*同調率、上昇*
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