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その手に槍を、その手に奇跡を

 

 俺の目の前でようやく、彼女が槍を手にした。その手に携えたのはたった一本の槍。しかも木を尖らせただけのなんの変哲もない、投槍だ。


 彼女が化け物の背に飛びかかる。大型の肉食恐竜に小型の肉食恐竜が襲いかかるように。


 どう考えても人間業ではないその光景を見ていると不思議と胸が高鳴る。



 彼女を撃ち落とすために耳の化け物の体からその皮膚を突き破り触腕が伸びる。三本の矢の如く、空気を裂いて彼女を刺し貫かんと伸びる。


 させねえ。


「弾け!」


 ヤツの足元から三本の木の根を生成、伸びる触腕の横っ面を木の根で弾く。ブレた触腕をかいくぐり彼女が耳の化け物の巨体に着地、すかさず手に持つ木の槍を振るう。


 肉を穿つ、彼女がその皮膚に槍を突き立てた。


 アアアアアア。


 耳穴から音を鳴らしながら耳の化け物がその身を攀じる。四本あるうちの後ろの二本の足で体を持ち上げ、象使いに操られたゾウのように体を起こす。


 彼女が突き立てた槍から手を離し傾斜がついたその身体から飛びのく。彼女の影を追いかけるように耳の触腕が虚しく伸びて、空を切った。



「次!! 早く!」



 彼女がこちらを振り向きもせずに叫ぶ、その手は背中、後ろの方へ回されていた。まるで何かを催促するかのように手の指がくいくいと前後に動く。


「アイアイサー!」



「マムって言って!」



 俺は左手に力を込める。イメージするのは記憶、そして事実。其の腕の奇跡が一端。



「出てこい、槍よ」



 彼女の足元の地面が割れる。その足元から生まれたのは歪に歪んだ木の根。ねじれながらも真上に伸びたそれは瞬く間に彼女の手の中へ収まるように伸びていく。


 彼女が手を振る。同時に木の根はスポンと地面から引き抜かれた。ねじれた穂先、空気に触れることで黒く変色していく樹皮。彼女の手に収まるのは槍、人類の生み出した殺しの道具。



 彼女が手中に槍を収めた途端、くるりとその場で回転する。片足立ちになったその姿は、水面に立つ水鳥、ステージで舞うバレエ選手を思い起こさせる。彼女の体に巻かれるように金色の髪が舞う。


 その手にはすでに槍はない。遠心力を纏い、放たれたそれは、音もなく耳の化け物の身体、身体を起こしたことにより露出した腹の部分に深々と突き刺さっていた。



「へそ、いただきね」


 彼女の表情は見えない。だが、きっと嗤っているだろうな。



 俺も、同じ気持ちだ。


「生まれろ、腕の業よ」


 胸の中から湧き出る言葉とともに、俺は左手を地面につける。


 再び、木の根が生まれる。それは腕の奇跡にして其の偉業の拡大解釈。生命を武器にし、生命を奪うその宿業。


 捻れる、彼女の足元で木の根が軋みながら形を成す。槍が彼女の手に渡る。



「あと一本!」



 彼女が空いた左手を後ろに向ける。リレーのバトンを待つかのようなその左手は上下にフラフラと貧乏ゆすりするように揺れていた。



 集中。彼女がご所望だ。俺は当たり前の期待に応えなければならない。


 尖れ、根よ。その身を尖らせ、槍となれ。ヤツの肉を穿て。


 二本目の槍が彼女の手に収まる。双槍を構えた彼女が化け物に襲いかかる。いけ、やっちまえ。


 這うような低姿勢で彼女が走る。槍を前方に構えて突進するその姿はツノを持つなにか別の生き物にも見えた。


 迫る彼女、化け物は二本足立ちだ。身体を震わせながら、耳の化け物がのしかかるように身体を地面に叩きつけようとしていた。



「いいや、ダメだね」



 突如化け物の足元から極太の木の根、いや、木の杭が二本、地面を割り、土と草花を撒き散らした。人間の胴体二個分ぐらいの太さのそれは鑿岩機のドリルのようにも似ていて。



 化け物の体を支えるように下から突き上げる。貫きはできなかったものの、杭は化け物の身体に食い込んでいた。


 化け物が杭に阻まれその動きを止める。彼女が突進の勢いそのまま飛び上がる。彼女と大宮を隔てる距離がゼロになり、そのふた振りの槍を握る彼女の腕が振るわれた。


 耳の化け物、真正面。木の槍が二本、もたげられたその大耳の耳穴にねじ込まれた。



「オオオオオオオオオオオオオオ」


 化け物が悶える。身体の至るところから触腕を生やし、縦横無尽に振り回す。恐るべき膂力で振るわれたそれがもし人体に当たればただでは済まないだろう。死の暴風が耳の化け物の周囲で生まれていた。


「Ha easy boy」



 どことなく嘲笑うかのような彼女の、楽しげな声が暴風に混じる。風切り音を奏でながらしなる触腕を彼女が躱す。


 金色の髪が触れるほどギリギリ、紙一重てあの触腕を躱していく。どんな運動神経してたらあんな事が出来るんだ?


 だが。


 地面を薙ぐように振るわれた触腕を大縄飛びを行う小学生のように彼女が気軽に飛んだ。おっと、らしくない。不用心だぜ。


 すかさず真上から振り下ろされる触腕。空中に浮かび身動きの取れない彼女を蝿を撃ち落とすかのごとく狙う。


 彼女はそれを避けれない。必中、即ち必死のタイミング。


 俺がいなければな。



「防げ!」


 バキィン。


 地面から生える木の根が真上から振り下ろされる触腕とかち合う。縦に振り下ろされた鞭のような触腕、線で伸びるそれを同じく線で捉えた。


 寸分の狂いもなく、耳の触腕と木の根が重なるか如く打ちあった。



 わかる、わかるぞ。彼女のようにその軌道が見えているわけではない。だが解る。その腕がどのように振るわれるか、どの速度で、どの角度でどのような意図で振るわれるのかが


「解る」


 何だろう。この感覚は。樹心限界、この腕の奇跡の力が俺に馴染んでいけば行くほどに反吐が出そうになる感覚。


 昔からこの耳の事を知っていたかのような……



「次! 早く!」



 目の前で彼女が耳の化け物の側面に回り込みながら叫んだ。ハッとしてすぐに力を巡らせる。槍の生成速度が徐々に速くなってきている。今度は二本同時に木の根が槍にその姿を変えていく。


 成型途中の槍を彼女が掴み、そのまま駆ける。迫り来る触腕を一閃、木の槍が触腕を弾いた。地面に這う程に態勢を低くした彼女が、駆ける。触腕は彼女の影すら捉えることはできない。


 殺意を持った風のように彼女が化け物の身体に吹き付けた。


 携えた槍を思い切り杭を打ち込むかのうに化け物の身体に一発。反撃の触腕がすぐさま攻撃中の彼女に向かう。


 彼女は避けない。そのままもう一本の槍を分厚い肉に突き立てた。彼女の背中に三本の触腕が伸びる。


 彼女はその接近に気づいているだろうに、まったくその場から動こうともしなかった。



 そうだよな。それは俺の仕事だ。


 木の根を彼女の近くで生成。しなる触腕を木の根で、防ぐ。絡め、縛り、ねじ切る。


 突き刺さった二本の槍のうち一本だけを彼女が抜き取る。栓を抜いたシャンパンようにその傷口から血が噴き出した。


「カバー!!」



 アイアイマム。彼女の叫びに反応する。巨体から伸びつづける。幾多の触腕を、同じ数の木の根を生成、操作。その全てを叩き落とす。


 戦えている。

 間違いなく今俺はあの耳の化け物と戦えている。殺せる、このまま行けば必ず殺せる。彼女が攻撃、俺が防御、このバランスさえ崩れなければ……


 彼女が、その場から連続で飛びのく。後ろ飛び、そのままの勢いを利用しバク転、地面に足をついたと思うと五メートル以上の大ジャンプ。一体どんな肉体の構造をしているんだ? 人間とは思えなかった。


 彼女が俺のすぐ前の位置まで後退した。その手には一本だけ木の槍が握られている。肩が小さく上下している。あの化け物との近接戦闘はどれだけの負担がかかるのだろうか。


 化け物の追撃はない。態勢を低くし、威嚇するかのように体中に生えている触腕を蠢かせる。孔雀がその羽を広げているかのようだ。


 その身体の所々から血が流れている。傷がない部分がない程だ。いける、これならいけーー



「ダメね、このままでは負けるわ」


 彼女が振り向かずに言葉を放つ。その言葉はきっと俺に向けられたものだろう。


「なんだって?」


 考えるより先に口が動いた。

 だってそうだろ。あれだけアイツは傷ついているんだ。なんでだ?


 彼女が槍を構え、化け物の方を見つめつつ答える。


「このままでは負けると言ったの。このままじゃあ、アレは殺せない」


 抜き身の言葉。恐らくこの世で最もあの化け物と近い位置で戦った彼女の言葉だ。正しさは時に絶望と共に現れるのだろう。


 だが、今更だ。絶望程度で諦めるわけには行かない。アレを殺さなければならない。


「どうすればいい? どうすれば勝てる?」


 分からない事は他人にすぐに聞くべきだ。特に命がかかっている場面では。



「槍が足りないわ」


 彼女が、槍を右手で掲げる。その後ろ姿は美しい。長身痩躯のしなやかさと強靭さを併せ持つ身体が槍を掲げるその姿は、どこかの美術館に保管されている絵画のようにも見えた。


「あなたの槍、とてもいいわ。あなたは自分の仕事を百パーセントの出来で実行してくれた。でも、()()()()()()()


 彼女の言葉を聞いていると心臓が鼓動とは別の震え方をする、この気持ちはなんだ。


「百パーセントでは、常識の枠内の行動ではあの理不尽なモンスターの命には届かない、百パーセントでは足りないの」


「あなたはアタシの期待に応えた。アタシはそれがとても嬉しい。そして、今からは期待を超えてもらう」


 彼女が肩越しにこちらを振り向く。酔いと興奮に濡れた瞳の中にほんの少しの理性が見えた。熱い泥のような感情が混在したその瞳を見ていると丹田の辺りに重たい熱が生まれてくる。


 彼女の瞳には俺はどう見えているのだろうか?


 彼女の言葉を俺は待つ。



「日本人、槍が足りない。アレを殺すにはもっとたくさんの槍がいる。間髪入れずにヤツの肉を穿つ為の多くの槍が必要なの」


「なんとかして」


「は?」


 割と無茶苦茶言ってないか、この女。


 なんとかしてってあんた、一体どうすれば……


「この木の槍、木の根については詳しくは聞かない。アタシにはこんな力はない、だから」



「アタシには出来ない。だからこれは命令ではなくお願いなの。あなたに任すわ」



 ……その言葉は反則だろう。酔いとは別に強い感情が俺の脳を震わせる。後頭部から何かが滲み出るような感覚に全身の鳥肌が立った。



 時間を稼ぐから後は任せたわね。と小さくつぶやき彼女が地面を蹴った。怪物に真正面から突っ込んで行く。早死にするタイプだ。間違いなく。


 だが、ここでは死なせない。少なくとも英雄を俺の前では絶対に死なせたくない。


 いいだろう。やってやる。そもそもここまで来たなら今更何を迷う事がある。出来る、出来ないではない、やるか、やらないかだ。


 そして、やらないのなら死ぬだけだ。


 探索者の道は楽な方に未来はない。いつもの事だった。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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