物語の再現
もう何を言えばいいかはわかっている。唇が語るべき言葉を知っている。
「約定をここにーー 物語を再現する」
あの奇妙な声、腕の魔物の声は今やなく言葉を紡ぐは俺一人。
瞼の裏に流れたあの映像を反芻しつつ、紡ぐ。
「木を砕き、木を折り、木を尖らせる、それは其の挑戦の始まり」
脳が初めからこの言葉を知っている。いつのまにか言葉を話せるようになっていた時と同じように、だれに強制されるのでもなく俺自身が言葉を紡ぐ。
「生けとし生けるもの、そのことごとく其の生きる糧。この世にあまねく全ての命は其の獲物」
「最も弱くそれでいて、最も残虐、だからこそ其は光と共に在った」
「再現するは物語。其の腕の奇跡の物語」
「木はその姿を変える。命を奪う原初の武器に」
「今、其の腕が鳴る」
俺は何を言っているんだろうか? 酔いのせいか、はたまた無意識のうちにあの腕の魔物に操られているのか。
次の言葉を紡ごうとまた唇が開く。いつのまにか切れていた唇の端に空気が沁みた。
「長いわ。もう行くから。合わせて ミスターニンジャ」
出来るでしょう、という小さな女性の呟きが空気に溶けた。
え。
言葉が空気を震わすそのコンマ数瞬前に、彼女が唐突に呟いた。と思ったらもういない。彼女の踏み込みによって抉れ飛んだ芝生を纏った土が浮いているのだけが見えた。
ウッソだろ、お前。今、めちゃくちゃいい所だったんだけど。
彼女が駆ける。英雄と馬鹿は紙一重だ。その手にはやはり何もなく、一体彼女はどうやって戦うつもりなのだろうか?
再び、物語の節が頭に浮かぶ。俺の唇はまたその、長い物語を語ろうと
「あああ!! もう! どいつもこいつも! 人の話を聞きゃしない!」
思わず叫ぶ。それはだれの物語でもない。俺の気持ち。
張り付くよう、頭に浮かぶものは長い、長い物語。何処かの誰かの物語。それはきっとこの腕の奇跡と深く結びついていて。
ダメだ。もうそんな時間はない。
彼女は言った。槍があれば殺せると。
彼女は言った。合わせて、出来るでしょうと。
俺が何をしなければならないかなんてとっくの昔に決まっていた。
彼女が走る。俺はその背中を見つめて、目を瞑った。
出来る。酔いに任せて、勘に任せて。やっちまおう。
しかし頭の中にはまだ語るべき力と奇跡の物語の節が残っていてーー
「以下略!!」
その全てを語る事を捨て去る。たった五文字の日本語で。
目を開き彼女を見つめる。走る彼女に向けて耳の触腕が伸ばされていた。彼女が迫る触腕を躱そうと身を翻しーー
「合わせる!! そのまま突っ込め!」
彼女の動きの軌道が一瞬で変わる。ありがとう。アンタの期待は裏切らない。
「撃ち落とせ!」
その触腕が走る速度の何倍も早く、地面より現れた俺の木の根が迸る。まっすぐ走る彼女の両脇から伸びた木の根が、空中で触腕とかち合い、撃ち落とす。
左手の親指、人差し指の爪が割れた。
彼女が耳の化け物の懐に入ろうと、加速していく。その姿は最高速に到達せんとするチーターのようだ。一個の目的の為に練り上げられた人体の動きとはこんなにも美しいものなか。
だが、まだ足りない。依然、彼女は丸腰のままだ。勝てるわけがない。殺されるに決まっている。
このままでは。彼女は負ける。
それじゃあダメだ。ダメなんだよ。
物語の節は未だ俺の頭に残っている。俺さえわかっていればそれでいい。
言葉に出す必要はもうない。
「わかった。やるべきことが」
物語はもう語らない。俺が知っている。何を再現すればいいかは俺だけが知っている。
「槍だ」
出来る。
「研がれ、磨がれ、尖れ!」
この力ならそれが出来る。
「出来るだろうが…… 出来たんだろうが! 」
俺は見たんだ。お前が木を掴み、へし折り、尖らす所を。
「樹心限界」
この奇跡に俺はそう名付けた。
息を小さく吸う、当たり前に息を吐く。
「槍を、作れ」
命令だ。従え。今、お前の持ち主はこの俺なのだから。
異変はすぐに起きた。
駆ける彼女、その数歩先の地面が、割れた。現れるは意思持つ木の根。腕の奇跡の眷属にして俺の力。
だが、今回現れたそれはあの見慣れた奇跡の産物とは様子が違っていた。蛇のようにくねりながら現れるのではなく、空を目指す幹のようにまっすぐと生えている。
墓標のようにまず、一本、ポツリと生えてきたそれは木の根だ。
棒状のそれはググッと形を変え始めた。粘土細工がねじれるように木の根が形を変えていく。
彼女がぽつんと生えた木の根を追い越した。
瞬間、それが形を変えながら突如伸び始める。向かう先は耳の化け物ではない。走り去る彼女だ。
木の根は彼女に向けて伸びながら形を変えていく。彼女の腕のストライドが後ろに下がる。まるでリレーのバトンを渡すかのように、彼女の手に木の根が吸い込まれるように、伸びていく。
彼女が伸びた木の根を掴んだ。ぶちり、木の根の一部が離れるように千切れた。
彼女の手の中に収まった木の根はいつしか、複雑に歪みながらその変化を終えていた。
その棒状の形の両端は対照的だ。片方は丸く潰れるように広がっている。もう片方は端に行けば行くほど細く、鋭くなっていて。
その先端は薄く、尖っていた。肉を穿つ形状をしていた。
彼女はそれを再び手に携えた。英雄の手に収まった武器の名前は、槍。
人類の歴史において最も広く扱われた殺しの道具。
「行け!」
俺の作った槍が彼女の手に渡った。左手が捻られたように痛む、捻挫しているかのような痛み。だが見てみると赤くなったり腫れたりはしていない。
まあ、些細な問題だ。
この体がどうなろうとも、私は今度こそ、貴様を殺す。
役割を忘れた愚かな同胞よ。
最後まで読んで頂きありがとうございます!