探索者達の戦い
戦いの火蓋がついに落とされた。
怒りの勢いそのままに、俺の足元から木の根が伸びる。その数、十本。
十本の木の根が、倒れ伏したままのヤツに襲いかかる。獰猛な群れをなす肉食獣が如く迫る木の根。
上、下、左、右、真ん中。全ての方向から木の根が翻り、しなる。
俺たちと耳の化け物の距離、八メートルの距離を容易く縮める。耳の体に全ての根が突き刺ささった。柔らかな肉、粘性の液体に手を突っ込んだような……。
うへえ、なんだこれ。根の感覚が俺に返ってくる。指先が濡れたような錯覚。木の根からのフィードバック。その感覚を頼り指を繰るように肉を穿つ根をかき混ぜる。
ここまで繊細に操れるとは思わなかった。耳の巨体に食い込んだ根は俺の意思通りにそのつ身をくねらせ傷口を広げていく。
どんな化け物だろうと、コイツだって生き物なんだ。どこかに急所があるはず。
土に根を張るように、耳の肉に根が浸透していく。
心臓、内臓、背骨、脳、肺。なんでもいい、その生命を支える急所さえ壊してしまえば!
指先が、左手の指先が思わず踊る。どこだ、どこだ、どこだ!
ピタリと、指が動かなくなった。それは衝撃。ヤツの巨体、大耳を除く全ての肉に張り巡らせた根から帰ってきたフィードバックが、俺の指先を止めた。
くそ、ほんっとにデタラメなヤローだな。
ない。どこにも、ない。
ヤツの体には何もない。呼吸する為の肺も、血を循環させる為の心臓も、その体を支える背骨も、食物をエネルギーに変える為の内臓も。
ヤツには、生きる為の器官が存在していない。
「っ化け物が!」
思わず出た悪態。
更に、悪い知らせが木の根から俺の脳みそに伝わる。
これに根拠はない。理由だって分からない。だが、たしかに一つの確信が木の根から伝わる。
腕の力では、耳の化け物を殺しきる事は出来ない。何故か、それが解った。
例えるなら炎で炎を燃やそうとするような、水で水を洗い流そうとするような。そんな酷く徒労に終わるような、そんな予感めいた確信が、俺にはあった。
この特別ですら、耳の化け物を殺し切る事は出来ない。何が足りない? ヤツを殺す最後のワンピースは何だ?
化け物を殺すにはどうすればいい。不死身の化け物を殺す為の銀の弾丸は一体どこにある?
「始めるわ、そのまま捕まえててね」
その答えを俺は知っていた。
隣で立っていた彼女が、指定探索者が叫ぶ、と同時にその身を地面に這わすように低くし、伸びるように走る。
A
速い。
青い稲穂の上を駆ける夏の風のように彼女は、草原を駆け抜けた。
そう、彼女こそが、化け物の命を穿つ銀の銃弾。
俺の魔物狩り最大にして最高の奇跡であり、武器。
指定探索者、52番目の星、その名はアレターー
……ん?
「いや、待て!! アンタ、武器は!?」
俺の声に反応したのか。走りざまこちらを振り向く事なく、右手を上に掲げる。
黒い包……。
拳銃か?!
でもそんなので、
倒れ伏す耳の化け物にかけていく彼女、その手に握るはあの投槍ではなく、小さな小さな拳銃一丁のみ。それでも彼女は当然の如く化け物に襲いかかった。
彼女が跳ぶ。新体操のオリンピック選手を重力から解放出来れば彼女と似たような身のこなしになるのだろう。
しなやかな身体にはまるで翼がついているかのように自在に跳ぶ。
耳の化け物が彼女に反応し、その身を引き起こそうと身じろぎを。
させるかよ!
「寝てろ!! クソ耳!」
耳の肉に食い込んだ木の根が、起き上がろうとする耳の身体を錨のように押しとどめる。
オオオオオオオ!
鐘を鳴らしたかのような叫び声をあげながら、耳がもがく。やかましい。何がなんでもお前を止めてやる。
俺の耳の中で、ぶちん、ぶちんと何かが千切れる音がした。木の根が二本、ヤツの体内で千切れた音だ。
熱、痛。
左手の人差し指から血が流れた。なるほど、馴染みすぎるのも、問題らしい。感覚のフィードバックと共に、ダメージのフィードバックも発生している。
あの胡散臭い声、あの悪魔め。俺の身体に何しやがったんだ。
ぶちん。また、木の根が千切れ、人差し指の皮膚が裂けた。痛い、痛いが今更こんなもの関係ない。
リスクは元より承知の上だ。それよりも、もっと、もっと強く、もっと寄越せ!
立ち上がろうとした耳の化け物が再び、地面に這う。その身体を貫く木の根が化け物を引きずり落とした。
「やれ! やっちまえ!」
聴こえているかどうかはどうでもいい、ただ俺は叫ぶ。原初の興奮、狩りの酔いに喉を任せながら。
彼女が、地面に伏した耳の化け物の背中に飛び乗った。ゴウン、ゴパン。と発砲音が空気を弾く。
彼女に反応し、耳の化け物の背中から腕が一本、生える。にゅうと伸びた触腕が彼女の背後に迫る。
おっと、悪いがお触りは禁止だ。すかさず指先に力を込める。
彼女と化け物の近くの地面から耳の腕と同じように、腕の木の根が生えた。木の根は誘導されるかのように耳の触腕に絡みつき、その動きを止める。
あ
「ナイス!」
彼女の短い叫びが聞こえた。俺は絡めとった腕を木の根でねじ切る事でその声に応える。
彼女を遮るものは何もない。するすると簡単に耳の巨体をかけ、あの大耳にあっという間にたどり着く。
大耳には根が回ってない。大耳がもたげられくるりと彼女の方を向いた。
彼女と大耳が向き合う。
アレはさっきと、同じ! まずい!
間に合え! 根が地面を破り、伸びる。大耳を貫かんとするために。
大耳が、細かく振動し、またあの奇妙な音を彼女に向ける!
「みぃつけた」
彼女の声、決して張り上げたわけではないその声が聞こえ、なぜか俺の背筋が粟立つ。同時に鳴った二発の重い銃声。
アアイタアアイアアイタアアイ!!
大耳が大きく仰け反る。引っ繰り返らんばかりに。瞬時に近くの肉の表面から腕が生え、それをめちゃくちゃに振り回しはじめる。だが、そんなヤケクソな動きでは星を捉えることは出来ない。
難なく彼女は初撃をしゃがみ、蹴り上げ、二撃目を真上に跳んで躱す。
そのまま、無重力下で動いているのではないかと錯覚するような連続バク転。その場から離れ、戻ってきた。彼女が俺の側へ戻ってきた。
容易く、死線を越え、死線から戻ってくる。彼女の表情は汗で垂れた前髪に隠れて見えない。
「アンタ、今、何をした?」
俺は木の根を周りに生やし、化け物を警戒しながら問いかけた。
彼女が、頭を振り、髪を振り払う。そのまま流れるような手つきで、拳銃を地面に投げ捨てた。弾切れか?
「スリル満点ね。簡単よ。さっきアレにやられた時にね、穴の中にまた小さな穴が開いたのが見えてたの。その穴に弾丸をお見舞いしてみただけ。かなり痛かったみたいね」
彼女は手をブラブラとほぐすように振りながら話す。あの一瞬で、そんな思い付きのようなことをするために簡単に死線を超える。
やはり、彼女は本物だ。
「でも、やっぱり自決用の拳銃なんか使うものじゃないわね、久しぶりに使ったものだから手が痺れちゃった」
流し目でこちらを見ながら、彼女がたしかに俺に笑いかけた。その目は熱に浮かされているような、血に濡れているような。
酔いに歪んだ目。彼女もこの狩りに酔っているのだ。
「ねえ、日本人、それでここからどうする? アタシが考えていた段取りはこれで終わりなのだけど」
「予定では、誰かさんが安全な所へ逃げるまでこうやって時間稼いで、それから殺される前に頭でも撃ち抜こうと思ってたのだけど」
「ほら、誰かさんが予定から大きく外れて逃げてないからさ。思わず銃弾使いきっちゃったし、きちんと責任取ってくれるわよね」
「ねえ、誰かさん」
ねとり、とした視線で俺より少し高い位置から彼女が俺を見つめる。酔っ払いに絡まれているような気がしないでもないが、不思議とあまり嫌ではなかった。
というか。
「やっぱ、死ぬつもりだったんじゃねえか」
「あら、そんな事はないわよ。まだ殺されると決まってたわけじゃないし。そもそも槍さえ後百本ぐらいあれば、アタシだけでも殺せるわ」
彼女が、朗らかにケラケラ笑いながら軽口を叩く。
今。
「待て、アンタなんて言った?」
「聞いてなかったの? だから槍があればアタシだけでも、殺せるって言ったの」
槍。彼女の投槍。彼女の武器。あの時爆発して、今も耳の化け物に深いダメージを残している兵器。
あれさえあれば、彼女は耳の化け物を殺せる?
「本当か?」
俺の漏らした声に、彼女が黙る。
そして頷いた。
「ええ、今更ないものねだりだけどね」
恐らく、彼女は嘘をついていない。
咄嗟に俺の脳裏に、あの約定の言葉が浮かぶ。
腕が紡いだあの物語の一節が。
*薙いだ木々を其は己が手を操り削り尖らせ己の武器とした*
もしも、俺の予想が正しいのなら。全てが噛み合うのだとしたら。
「いや、それ、ないものねだりじゃあねえかもしれない」
方法は、ある。
彼女の眉尻が下がった顔が、俺を覗き込んでいた。
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