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ターンアウトスイッチ


分岐器(ぶんききぶんぎき英: railroad switch, turnout)とは、鉄道線路において線路を分岐させ、車両の進路を選択する機構。


wikiより抜粋ー

 


 注射針が、俺の首に突き立てられいる。身じろぎでもすればたちどころに針をさらに深く突き刺されそうだ。





「動かないで」


 囁く声。吐息が耳にかかりくすぐったい。


「酔いで、痛みはないはずよ。しばらく体が灼けるように熱くなるけどじきに引くから。熱が引いたら早くここから離れてね」


 俺の背後にしゃがみこんだ彼女が、耳元で囁きつづける。血と花の豊かな香り。女の匂いが俺の鼻を満たす。


 彼女の言った通り、針の痛みはすでになく。あるのは針を通して体中に広がる熱だけだ。


「なにを……?」



「強心剤と強壮剤が混じったクスリ。所持許可は基本的にアタシ達(指定探索者)にしか出ない特注品なの」



 首から感じる熱がどんどん体に広がって行く。その熱はまるで生命そのもの。熱が広がった部分からたちどころに痛みや、疲れが消えてゆく。温泉に全身を浸けたような感覚。なんだ、これは。


「所持許可製の薬? そんなもの聞いた事が……」



「あなたが知らないだけで今、世界の技術は物凄い勢いで進んでるの。一般に広くて知られていないだけでね。その物凄く進んだ技術の中には、死んでさえいなければどんな傷も治す薬…… なんてものもあるかもね」


 彼女が淡々と話す。その指はまだしっかりと注射を握っていた。


「ああ、この薬には()()そこまでの効用はないわよ? それでもドイツ車が一台軽く買えるぐらいの値段はするけどね」



「まじかよ」


「まじよ」


 チュピリ。針が俺の皮膚から突然抜かれる。同時に俺は思わず自分の胸を両手で抑える。



「かっ、あ」


 熱い。なんだこれ。熱い、ただ、ただ熱い。熱すぎる。胸の奥、心臓だ。心臓が熱い。俺はその熱さをどうにかしようと胸を掻き毟る。


 薬じゃなくて、毒なんじゃねえのか?!



 俺はそのまま地面に膝をついたまま突っ伏した。熱い。地面がいやに冷たく感じる。なんだこれは。血管に無理やりマグマでも流し込まれたんじゃないのか? 体がまだ燃え尽きていないのが不思議なくらいだ。


 熱により朦朧とする意識の中、頭上から声がふりかけられた。


「……あなたは生き残るべきよ。ホントにあなたはよくやったわ。ただの人であるあなたはアタシが来るまであの化け物から生き残り続けた。それどころかあの窮地であなたは自らを犠牲にして、アタシを助けてくれた……」


 独白のような声。その声は静かな雪のように俺に降り積もる。



「ありがとう。アタシに助けられてくれて。アタシを助けてくれて。アタシはあなたのおかげで英雄でいれる」




 視界に彼女のコンバットブーツが映る。



「これ、アタシの端末。ちゃんと持っててね。救援はそれを目印に来るから」


 突っ伏している俺の頭の近くに彼女がそっと黒い端末を置いていった。これは本物の……!





 俺は彼女を、見上げる。


「待て! 待ってくれ! ダメだ! 無茶だ、武器もなしにアレと闘うなんて無理だ!」


 声を上げるたびに、体内の熱が吹き上がる。風に煽られる火のように叫べば叫ぶだけ火の勢いは増していく。


 唐突に俺はある事に気づく。熱い、身体はたしかに熱い。しかし


 痛くねえ。


 そう、あれほど声を張り裂けそうなぐらい上げたのに。思い切り息を吸い込んだのに肋骨も、脇腹もまったく痛まない。


 酔いで無理やりに忘れたような歪な感覚ではない。


 俺は身体を起こして、えぐられた脇腹に手を当てる。やっぱりだ。先程まで滲み出ていた血が止まっている。それどころか触ってもまったく痛みすらない。


 これなら……! 動ける! 走れる。身体からの感覚で俺は確信する。



「待て! じゃあ逃げよう!」


「俺を置いていくのがアンタのルールに反するのなら一緒に逃げよう! 大丈夫だ!足手まといにはならねえ! アンタの注射のおかげでもう動ける!」



 それを証明しようと俺は膝に手を置き、一気に立ち上がる。同時に、身体から傾き簡単に尻餅をついた。


 あ? なんで。



「無理しないで。今、あなたの身体は物凄い勢いで治癒の時間を進めてるの。キズは治っていってるはずだけど、失った体力は回復するどころか、更に消耗していってるはずよ」



 アタシが使った時もそうだったもの、と彼女は言葉を結ぶ。


「それに、逃げる……ね。たしかに普通に考えれば。アレが普通の化け物ならアタシもそれを考えたけど、アレは()()()()()()()()()()()()



 彼女は振り返りもしない。一体どんな表情をしているのだろうか。


「アレはアタシ達を逃がさない。どこまでもどこまでも追いかけてくる。アレは食べる為、生きるために殺している化け物ではない。殺す為に生きている、そんな化け物よ。少し戦ったアタシでもわかるもの。あなたが一番わかっているはずだけども?」



 彼女の言葉に、心臓が少し跳ねた。そうだ、その通りだと俺の理性が囁く。彼女が正しい。アレはきっとまた逃げ出した俺たちをどこまでも追いかけてくるだろう。


 そういう化け物だ。アレは。俺が何も言えずにいる間も彼女は言葉を続ける。


「アタシかアレか。どちらかの息の根が止まるまではこの探索(狩り)は終わらない。それにもし逃げれたとしても、アタシがそれをするわけにはいかない」



「それに仮に逃げれたとしても。きっと、アレは放っておけばこれから沢山の探索者を殺すわ。アタシはそれを許せない。あんな化け物に探索者達が蹂躙されるのを見過ごしてはおけない」


 強く、彼女が言い放つ。そして彼女はゆっくりと振り返り



「アタシはアレタ・アシュフィールド。指定探索者にして、ステイツの52番目の星に数えられた英雄」



「残念だけど、凡人(あなた)に出来ることは逃げる事以外ないわ。大丈夫、あなたならきっと生き残れる」




「じゃあね、日本人。生きてたらまたいつか会えるかもね」


 最後に見た彼女の表情、それは慈しみだ。弱者を慈しみ、守る聖母のような表情。それはどこまでも暖かく、どこまでも遠い。まるで造られたかのような顔。


 この女、本気だ。あの酔っ払ってるとしか思えない口上も全て本気で言ってやがる。



 (凡人)とは違う生き物(英雄)。俺はあまりにも自らと隔絶したその女の表情を見て固まってしまった。


 そして、またゆっくりと血染めの金色が翻る。彼女は俺に背を向け歩み始める。不快な水音をたてながらゆっくりと、しかし確実に化け物のキズの修復が終わりつつあった。



 悠然と彼女が化け物に向かって歩いていく。その手には何もない。丸腰で彼女は化け物へ近く。俺はその背中を眺める事しかできない。


 彼女はおそらく、死ぬ。俺には彼女があの化け物に勝てる姿が想像出来なかった。そして俺は生き残るのだろう。化け物が彼女を引き裂いている間にこの場を離脱。近くのベーススポットに転がり込み、救援チームの再申請。いや、もう既にここまで来ているかも知れない。




 彼女が死んで、俺は生き残る。きっとそうなる。不思議な確信が俺にはあった。


 これじゃあ同じだ。また、何も出来ない。


 ああ、彼女が歩んでいく。しっかりとしたあしどりで、己の責務を果たそうと。自分に酔った大馬鹿が。



 俺は何も出来ないのか? また繰り返すのか?


 脳裏に浮かぶ、死体。腕を抜かれ、脚を抜かれて殺された二人の若い自衛軍の兵士達の叫び。結局、俺のせい、俺の為に死んだ二人の人間の最期が、ほら、まだこんなにも頭にこびりついていてーー



 俺が俺が俺が俺に俺が俺俺オレオレオレオレオレオレに






 何か出来る事はないのか?



 頭の中で問いかける。すぐにどこから返事が聞こえる。


 ああ、何もない。俺にはもう何もできない。自分の右手を見てみろ。




「あ……」


 頭の中で響いた自分自身の声に、示された通り俺は右手を見やる。そこにはしっかりと彼女が置いていった端末が握られていてーー



 なんだよ、俺もう逃げる気満々かよ。無意識に握られていたその端末は俺の本質がよく現れていた。


 哀れに醜く生きるためには他者を見捨てる。頭が特別いいわけでもないのに効率良く損得計算だけは出来る凡人、それが俺だ。



 今度こそ、俺は諦めた。そう俺は結局どこまでいっても凡人。ただの人だった。もういいじゃないか。俺が生き残れそうなんだ、もうそれで



 いいじゃないか。



 そして、彼女がゆっくりと歩みを進め、ゆっくりゆっくりと。



 あれ、いくらなんでも遅すぎないか? また走馬灯?


 なんだ、これ、世界が遅い。まるでスローモーションのように引き伸ばされているような。
















 *待て、ふざけるな。約定を果たせ。人間。


 キィンと。耳鳴りと同時に俺の頭の中に声が響いた。俺の声ではない、その声は、地の底から響くようなその声は。



 *ここまでようやく辿り着いたのだ。進められた駒が自ら戻る事は許さん。戦え。我が骨、我が肉、我が指よ






 かちり。


 どこか遠い、遠い世界のどこかで、何かが噛み合うような、それでいて決定的に違えたような音がした。



最後まで読んで頂きありがとうございます!

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