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 彼女は手の中にある投槍をまるでペン回しするかのように手のひらで弄ぶ。


 大耳を振り乱しながら、迫る耳の化け物。それを見て彼女は幼少の頃、実家の牧場で飼っていた馬の事を思い出していた。


 あの暴れ馬もこの化け物と同じように、千切れてしまうかのように首を左右に振り乱しながら暴走していた。



 人に制御出来ない獣はすべからく殺される。その暴れ馬も結局、幼い彼女の目の前で父親に撃ち殺された。


 彼女は今、父親と同じように制御出来ない獣と相対している。


 彼女がやるべき事は、その時の父親と同じ。

 殺す為に握るのが、銃ではなく槍なだけだ。


 彼女は、深く口を歪める。興奮と喜び、狂気が入り混じった笑顔。


 迫り来る恐怖の象徴を彼女は狂気を伴う歓喜で迎える。その反応はもはや常人と大きく離れてしまっている。



 化け物が迫る。


 彼女が、槍を振りかぶる。


 肩を大きく後ろに回し、足を前後に広げる。コンバットブーツの中、靴下に覆われた彼女の合計10本の足指が地面を掴むように折りたたまれる。


 足親指の拇趾球に体重を集中。地面を掴んだ脚を軸に体をひねる。下半身に生まれた驚異的な運動エネルギーは彼女の、美しい肉食獣のようなしなやかな筋肉に伝わる。


 肉が、骨が、腱が。全てが絡み合うように連動し、エネルギーを上肢に運んで行く。


 それら複雑な運動命令を、彼女の脳みそが一片の狂いもなくその優秀な運動神経をフル稼働させ実行してゆく。


 投擲。それは人類をただの猿の一種から万物の霊長類へと存在の格を押し上げた殺しの技術。


 投擲。それこそが彼女の、指定探索者アレタ・アシュフィールドの最強の武器。



 アレタ・アシュフィールドの英雄譚、バベルの大穴が孕んだあの嵐を纏う生命すら奪ったその必殺の業が、おぞましい化け物に向けられる。



「ラァスト!」


 惜しげも無く彼女は、最後の槍を放った。足腰から生まれた運動エネルギーの全ては一切の狂いもなく彼女の指先から槍に伝わる。


 彼女は、その感覚からこれは会心の一撃になると自覚した。目を大きく見開き、槍の行く末を見守る。


 槍が向かうは、あの耳の化け物の鼻面、いや鼻はない。大耳の真正面!


 死ね! 死んでしまえ! 彼女の酔いに包まれた脳みそを満たすのは単純で、野蛮な叫び。彼女はその野蛮さを歓迎する。


 一体どうして品性を保ったまま、この常識の通じない化け物がひしめく理外の世界で生き残れると言うのだろうか?


 ここで必要なのは優しさや思いやりではなく、殺意と冷酷さだ。


 そして彼女はその両方を併せ持っていた。


 彼女の放った黒い投槍が、吸い込まれるかのように大耳に命中した。空気を裂き割りながら飛んだそれ。彼女はこの一撃ならば戦車の硬い装甲すら貫くと自負した。


 ぁいあたうあああ!!っヴオオオ!



 幼子と老人の声が同時再生されたかのような不気味な叫び。もんどりうちながら耳の化け物が苦悶の声を上げる。


 大質量の突進は彼女の投げ放った、たった一本の槍で止められた。


 彼女は目の前で必死に大耳に刺さった槍を抜こうともがく耳の化け物を見つめる。その瞳に宿るのは昏い光。獲物を見定める捕食者の昏い喜びが宿っている。



「アラ、いいところに当たったみたい。でも残念。それが最後の一本なのよね」


 震えそうになる声を抑えながら彼女は呟く。自分の声はここまで低かっただろうか? 彼女はぼんやりとそんなことを考えた。



 興奮を抑えるように、小さく彼女は息を吐いた。肺がゆっくりとしぼんでゆく微細な感覚を酔いに茹る彼女は楽しんでいた。


 口角を、半月型に歪め彼女が態勢を低くして、呟く。



「だ、か、ら!」


 細胞の一つ一つが、沸騰しそうだ。背後には自らが守るべき半死半生の運の悪い哀れな探索者。眼前には自らが滅ぼすべきおぞましい怪物。



 アタシ(英雄)に相応しい場。彼女の認識が細胞を酔わせる。


 彼女は弾け飛びそうな四肢に力を入れる。瞬間、彼女は自分の体が駆けている事に気付いた。


 熱い、熱い。身体が熱い。空気が邪魔だ。地面が邪魔だ。彼女は草原の草花を撒き散らしながら走る。


 巨大な化け物の側面に回り込む。一息に飛んだ彼女は軽やかに化け物の背中に飛び乗った。


 彼女が上で、化け物が下。未だに大耳に突き刺さった槍を引き抜こうと、数多の腕が蠢いている。


 世にも恐ろしいその光景。常人ならばたちどころに正気を失ってもおかしくないその光景を見て、彼女は嗤う。


 彼女の飛び乗った背中には、投げ放った槍がまるで墓標のようにいくつも突き刺さっていた。


「痛いみたいだから、抜いてあげる。返してよね。」


 近くに突き刺さっていた槍の柄を彼女は握る。そのまま大釜をおたまでかき混ぜるかのようにぐりゅりと回しながら抜きとった。


 もう一本の手で同じように、肉をえぐりながら槍を抜き取る。


 肉の繊維がぶちぶちと音を立てながら破れる。血にまみれた投槍を彼女は二振りその手に携える。



 耳の化け物がその体中に生やした腕をわらわらと彼女へ向ける。その正気を失ってしまいそうな光景にも彼女は表情をかえず、くるりとバク転。


 芝生の感覚をしかと足に感じながら着地し、再び耳の化け物に襲いかかった。


 至近距離での戦闘。彼女が直接化け物の体に槍を突き立てる。突いては抜き、抜いては刺す。足、胴。その場で飛び上がり脇腹。長いカマキリのような耳の化け物の胴体にみるみるうちに新たなる傷が、血が増えていく。


(いける……わね。このままいけば)


 彼女は死角から伸びて来た長い触腕を振り向きせずに、腕を跳ね上げ槍を一閃。容易に触腕を切り飛ばす。


 彼女は既に、この耳の化け物との殺し合いに慣れてきつつあった。ヤツの攻撃パターンを気配レベルで感知し、対処する。


 酔いによって高められた超人的と表現すべき身体能力と、鋭く研ぎ澄まされた野生動物並みの五感はついに、この理外の化け物の命を脅かすものとなっている。


 ふた振りの槍を同時に怪物の右脇腹に投げつける。怪物がまた苦悶の声を上げた。


 エンジンは温まった。後は、殺すだけだ。金色の髪が舞い、彼女の汗でしっとりした肌に張り付く。碧色の瞳が凶暴な形に歪む。



 再び、怪物の体から槍を抜こうと彼女が駆ける。


 彼女に油断はなかった。


 だが、油断がないにも関わらず彼女はそれを避けることが出来なかった。


 唐突に彼女は、視界が暗くなった事に気づく。ふっと、晴れの日に曇がさしたような。だが、ここはそもそも陽の届かぬ現代ダンジョンバベルの大穴。陽も曇もないはずだ。


 彼女は目線だけ上に向ける。


「あっ」


 そこには大耳。にゅうと伸ばされた大耳が彼女の頭上にあった。彼女の碧眼がその大きな耳穴を映す。


 くらい、とても昏い。夜の海底を思わせるその耳穴。それでも彼女は


(避けれる! この位置なら跳べる)


 その眼前に迫る大耳にもいっさい臆する事なく、行動する。その場から飛びのこうと脚に力を込めーー


 きぃいツィーイイイイン



「は?」



 彼女は目をぱちくりと一回、瞬きする。視界に広がるのは緑。草花。倒れていると気付いたのは鼻の奥に草原の青臭ささを感じた後だった。


 体に力が入らない。膝、肘、脚、腕。金縛りにあったかのように言う事を聞かない四肢に彼女は、激怒する。


 ふざけるな。今動かないのなら切り落とすぞ、と脅しをかけてみるも、彼女の練り上げられた身体はびくとしもしない。


 何をされたのかまったく分からない。意識も視覚も聴覚もはっきりしている。


 ただ、体が動かない。この体がつい先程までは自由に動いていたのことがまるで夢の出来事だったようにも思える。


 どこだ? どこでミスをした? 彼女は必死に思考を巡らせる。あの昏い耳穴を覗き込んだ瞬間、響いたあの形容しがたい異音。


(あれか……、なるほど引き出しが多い)


 動かない身体に対して、意識は驚くほどに鮮明だ。彼女はその鮮明な意識の中、怪物の危険性を再認識していた。


(まずい、ホントに動かない。声は……?)



「あ、ああ、……け」


「動け……!!」


「動け動け動け動け!!」


 ゆっくりと全身に筋肉を震わせながら彼女がもがく。喉に膜が貼られたような違和感を感じつつ、力づくで声を絞り出した。


「あ……」


 視界に広がるのは耳の化け物。動けない彼女を見下ろしている。ゆっくりと数多の触腕が彼女に伸びて行く。


 動けない彼女を、引き裂こうと腕が、腕が、腕が。


「や、ば」



 死ぬ。数多の狩りを達成した彼女だからこそ分かる死のライン。死の形。これは、死ぬパターンのやつだ。


 仕方ない。まだ()()()()()()()()()()()アレを使うしかない。彼女は息を大きく吸って、動かない手をポケットに伸ばそうとーー





「よっしゃあああ!」


 唐突に響いた男の声。


 一拍の間を置いてから


「ぃ、いっだああああ」


 響いたのは痛みに驚く悲鳴。


 怪物はピタリと動きを止めた後、ゆっくり彼女から離れてその声の方へ歩み始めた。




 は? 何を、何をしているの?





 彼女の他に人間は一人しかいない。だとしたら今の声は彼だけだ。


 彼があげた悲鳴を聞きつけ、化け物が彼の方へ向かう。


 彼女は必死に首を動かし、化け物の向かう先を視界に収める。


 そこにはやはり、彼がいた。


 彼はゆっくり、いや、たどたどしく、まるで生まれたての子鹿のような覚束なさで立ち上がり、化け物から逃れようと動いている。



 だが、遅すぎる。憐れなほどに。遅い。


 何を、何をしているの? なんのつもりで、なんで?


 彼女から化け物が、死が遠ざかってゆく。代わりに彼女が救うべき哀れな探索者に化け物が、死が近づいていく。




 彼女の身体は動かない。


 まるで、これじゃあ。庇われたみたいなーー

 違う、だめ。だめ。だめ、それはだめ。そんな事あなたがする事じゃない。弱くて脆いただの人間(あなた)がする事じゃない。


 このままでは、彼が死ぬ。自分が、英雄たる彼女が救うべき存在が、事もあろうに自分を守る為に身代わりになって死んでしまう。





「ふざけないで」



 彼女は許さない。凡人の自己犠牲など彼女が許すはずがない。




 彼女の動かないはずの手が震えながら、浮いた。そのままその右手は迷彩服のズボンポケットを探る。


 化け物が彼へ近づく。近い。


 彼女の手がポケットに納められていた端末を探り当てた。感覚のない麻痺した手のひらが端末を握りしめた。


 化け物が彼へ近づく。至近。



 彼女は取り出した端末をうつ伏せの顔に近づける。


 化け物が彼へ近づく。彼が力なく、がくりと膝を折った。死線。



 彼が、死ぬ。彼女の脳裏に、あの沈殿現象へ沈み行く彼の黒い瞳がよぎった。


 だが。



「間に合った」


 彼女な小さく、つぶやき大きく息を吸った。



声紋認証、開始(リンク、スタート)



[シークエンスを開始します、パスワードをどうぞ]



 彼女はうつ伏せのまま怪物を睨みつける。金色の髪の毛には、散らばった草花が混じっていた。



「投擲槍、全武装起爆開始」




「コード、hunting now」



 つらつらと歌を唄うように彼女の喉から言葉が奏でられる。一瞬の間も無く



 キィン。と空気が張り詰め


 大草原に、空気を震わす爆破音が響いた。


 耳の化け物の体が大きく、傾き横倒しになる。



 それは本来なら指定探索者 アレタ・アシュフィールドの狩りの終わりを告げる号砲だった。



最後まで読んで頂きありがとうございます!

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[良い点] 耳が思ってた十倍ほど邪悪だった……これは一周目の話なのか、他作品との繋がりを想像しつつ楽しんでおります。 [気になる点] すべからくは多分誤用されてるかと…
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