華奢な背中、そしてここでーー
忌々しい耳め。今すぐ貴様を葬り去りたい。だが、まだだ。
まだ、足りない。
地の底からの声よりーー
同時に降り注ぐ五本の槍。その鋭い肌色の切っ先は全て彼女の脳天に集中していた。
音もなく、ずらりと並べられたそれが彼女に迫る。
あれは、やばい!
彼女はその場から動かない。いや動けないんじゃあないか? さっきから跳んで躱す事をしなくなったのも、跳ばないんではなく、跳べないんだ……!
彼女に槍が迫る!
「ぁあああア!!」
金色の髪を振り乱し、彼女が叫ぶ。
獣の唸り声、それから鳴り響く金属音。
彼女が右手に持った槍で同時に降り注いた五本の耳の触手槍を、一度に振り弾いた!
半月の弧を描くように振り払われた黒い槍が、五本の触手槍をまるで持ち上げるように弾く。
そして生まれたのは、一瞬の間。命のやり取りを左右する息継ぎの瞬間。
やった。これで彼女も体勢を整える事が出来る、早くその場から離れるんだ。
俺は、半ば安堵するように小さく息を吐き、次の瞬間に噴き出していた。その彼女の信じられない行動を目にしたが故に。
彼女は退かなかった。横でも、後ろでも、上でもない。
前方へ跳んだ。つまり、耳の化け物、至近へ。
彼女は、自ら死線へ飛び込んだのだ。
正気か、あの女っ!?
まるで耳の触手も虚をつかれたかのように、びたっと止まっていた。しかしすぐに思い出したかのように、彼女を追う。
だが、もう遅い。既に彼女は耳の化け物の懐まで飛び込んでいた。なるほど。あの速く鋭くしなる触手槍はその威力や勢いが乗った時の速度こそ驚異的だが、弱点があるようだ。
槍と鞭、両方の性質を持つが故に懐に潜られた時が苦手らしい。
取り回しの悪い触手槍は彼女に追いつけなかった。
彼女が一息に跳ぶ。同時に二本の腕がぶれる。
槍が、再び耳の化け物に突き立つ。今度は投げ放たれたのではない。
ヌーに飛びかかるハイエナのように大耳へ向かい、真正面から襲いかかった彼女は、直接その大耳の耳穴に二本の槍をねじ込んだ。
杭を打ち込むが如く、一本、二本、叩きつけられた槍が深々と耳穴に突き刺さる。
「あら、センスの良いピアス。誰から貰ったの?」
耳穴のつきでた淵に足をかけ、突き立てた槍を右手だけで握りロッククライミングの要領で耳穴を覗き込む彼女が唇を大きく歪ませて耳に話しかける。
一瞬の静寂。
「Убить」
「それは、無理よ。殺すのは」
彼女の左手がベルトに触れる、同時に備わる新しい黒い投槍。
彼女が体を振る。遠心力を持って半身になった彼女が右の耳穴に新しく槍が突き立てた。
赤い血の飛沫が、少し散った。
「アタシなのだから」
同時に、彼女がその場から更に上に跳んだ。次の瞬間、触手槍が彼女のいた場所、つまり大耳に、軽い音を立て突き立った。
パスパスパス。鋭く、しなやかな筋肉で構成されていそうな触手槍が大耳に穴をいくつか開ける。
まさか、ヤツは触手槍を扱う事に慣れていないのか? 自分で自分を攻撃しやがった。
大耳に突き立った、複数の触手槍が肉から抜ける。血を払うかのようにぶらりと震えたそれらは、自分達の直上に舞う彼女に向けて真っ直ぐ伸びる。
彼女の手には既に二本の槍が握られている。自らを串刺しにせんと真下から伸びる五本の触手槍。
「レッツ、ダンス」
金属音を奏でながら、彼女が堕ちる。伸びた触手槍をまず、右手に持った槍で無造作に払う。そのままの勢いで、彼女がまた独楽のように槍を携えたまま回転した。
金属を回転ノコギリで切断したかのような、連続した音が辺りを鳴らす。伸びる触手槍に己の黒い投槍を擦らせ、無理やり隙間を作る。
火花と血を撒き散らしながら、彼女の槍が大耳に降りかかった。
大耳と、ヤツの胴体を繋ぐ、キュッとしまった首のような部位に彼女と槍が突き刺さる。
ちょうど人間でいうのならうなじのような部分だ
赤い血が迸る。その迷彩服に混じる赤い色は彼女と化け物両方のものだ。
途端に彼女が降りたった耳の化け物のうなじ辺りからにゅっ、と触手槍が四本ほど生えてくる。
彼女は突き立った槍を強引に肉から引き抜き、手に携えた。
「ハハハ、アハ」
嗤う。彼女が嗤っている。
触手槍が彼女を射殺そうと、迸る。黒い槍とぶつかり赤い火花を散らす。
咲いては、消え、消えては咲く、火花と共演するのは彼女の嗤い声だ。
彼女が、耳の化け物の体表を駆け回る。火花と嗤い声。赤い飛沫と、迷彩服の切れ端が飛び散る。
かけながら無造作に振るわれる黒い槍が、その肌色の皮膚から生えた触手を根本が斬りとばす。切り飛ばされた断面から血がプツプツと噴き出す頃には既に、彼女はそこにいない。
襲いかかる触手槍を払い、薙ぎ、ギリギリのところで身を躱す。
「アハ! アハハハハハ!! イイ! グッドよ、化け物。貴方! かなり楽しいわ!」
彼女の動きが目に見えて速くなっている。酔いだ。ダンジョン酔いが本格的に彼女にまわっているのだ。
果たしてそれは何に酔っているのだろう。血か? 恐怖か? それともーー
耳の化け物が体を震わせる。まるで体に取り付いた虫を払い落とそうとするかのように。ヤツが震えるその度に体表から触手槍が生えてくる。
まるでヤツの背中に触手の森が出来ていくかのようだ。
そして、その森で血の舞いを続けるのは彼女。跳んで、 跳ねて、避けて、宙返り、横飛び。
彼女が動くたびに、黒い槍が翻る。そのたびに一本、また一本も触手槍が根本から払われるように斬られていく。
だが、彼女も無傷ではない。その触手槍も速い。打ち払え切ることの出来なかったその鋭い切っ先が彼女に傷を負わせていく。
それでも彼女は止まらない。きっと、ヤツが死ぬか、彼女が死ぬまでその踊りは止まらないのだ。
俺には、その踊りを止める資格も、参加する覚悟もない。
英雄と化け物、あるいは、怪物と怪物の終わりの見えない血の舞踏をただ、眺めるだけ。
どうしようもない無力感はやがて、自らへの嫌悪感へと変わっていく。静かに俺の体に満ちる酔いの感覚もそれを後押ししているのだろう。
彼女への、特別な力への醜い嫉妬が燻るような弱火のように胸に再び灯った。
視線をあげて、その殺し合いを見つめ続ける。すると、合った。
目が合った。いや、正確には耳穴と目が合ってしまう。
背中に乗り、肉を裂きつづける、穿ち続ける彼女へ伸ばしていた長い触腕が一本、あらぬ方向へと伸びた。
それはヒュンと、まるで忘れ物を思い出したかのような手軽さで伸びてきた。
俺の方角だ。
あ、やば。
死ーー
反射的に目を俺は目を瞑った。
それは意識的なものではなく、俺に備わった人間的な本能。
体を貫く痛みを、熱を待つ。
「え?」
しかし、いつまで経っても来ない。痛みも熱も衝撃も感じなかった。
ゆっくり。瞼を開いた。
くるくるくるくる。
視界のすぐ上で、血を吹き出しながら、切り飛ばされた触手が宙を舞っていた。
風車のように舞うその俺を貫くハズだった触手が赤い血を、吐き出し、当たり前に地に堕ちる。
緑の草花がどろどろの血に沈む。
目の前に映るのは、迷彩服に包まれた華奢な背中。金色の髪は、赤い血にまみれていた。
右手には振り上げられたままの黒い投槍が一本。黒い切っ先から血が、垂れた。
あの一瞬で、ここまで。
助けられたのだとすぐに理解した。戦いと血に彩られたあの嗤い声は聞こえず、ただ静かに俺の目の前に彼女が立つ。
俺を庇うように立つ彼女の向こう。耳の化け物が体中から血を流しつつもこちらに振り向き、ゆっくり近づいて来ている。
脇腹が痛い。血が、足りない。
目まぐるしく動きつづける状況の中、俺は何もできないどころか、庇われてすらいる。
自らの命の沙汰すら他人に任せる事しか出来ない自分が情けなくてしょうがない。
血は止まらない。手のひらの隙間からじわりと溢れつづける。
流れ続けるその血はまるで、俺の無力さに対しての罰にも思えてくる。いや、それは関係ないな。
頭の中で、下らない考えが浮いては沈む。
本当に、俺に出来る事などもうないのだろうか?
ダメだ。思い当たらない。何をしてと目の前で悠然と立つ英雄の邪魔になる気しかしない。
自分が本当に嫌になる。
俺に、何か出来る事はないのか?
その答えを出してくれるのは俺以外にはいないだろう。
一体、俺は何が出来る人間なんだ?
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