命の削れる音
ああ、もう、キミ達の相手などしている暇はないのだが!?
星と凡人が、邂逅した頃。
一階層、水晶地帯にある二階層降下地点付近にて、結晶軍隊アリの群れに囲まれた、指定探索者ソフィ・M・クラークの叫びより抜粋ーー
目の前で繰り広げられるは、異次元の戦い。既に凡人たる俺に出る幕なんかない。
脇腹からじわじわと血を流し続ける俺にできることと言えば、ただ目を開いてこの戦いを見つめている事だけだ。
戦いが続く。
両者が動くたびに、赤い血が地面に垂れ落ちる。草原の緑に赤が混じる。
剣戟の代わりに繰り出されるは、腕と槍。槍が空気を裂き、肉を穿つ。無数の腕がしなり、肉を削る。
彼女が両手で携えた二振りの槍で迫る腕を斬りはらう。頭上から迫る腕を槍で刺し、払う。鞭のように地を横薙ぎに払う腕を膝を折りたたみヒョイとジャンプして躱す。
左右から新たなる腕が二本。まだ地に足がついていない彼女の両脇から迫る、挟み撃ちだ。
ぺちゃんこに潰そうと向かってくる二本の腕。彼女が槍で向かい撃つ。さけるチーズのように耳の化け物の腕が槍の刃により裂かれた。割れた肉から血が迸る。
彼女の脚が芝生を踏みつける。途端に彼女はその場から横飛び。そのすぐ後、真上からミサイルのように三本の伸びた腕が地面に亀裂を作った。
横飛びの状態で、彼女の手が翻る。矢のように唸る槍が、耳の化け物に放たれた。
パシ。
耳の穴に命中するはずだった槍は、一瞬で耳穴から生えてきた腕に受け止められる。
槍を受け止めた腕がまるで鉛筆を転がすがごとく握り締めた槍を手の中で転がす。槍の切っ先が彼女に向く。
紙飛行機を投げるかのような軽い動作で、彼女に向けて槍が投げ返された。
「キモいのだけど」
かキィん。
硬い金属と金属がかち合ったような澄んだ音が広がる。彼女は自らに向けて放たれた槍を、手に携えていた槍で打ち上げるように弾いた。
打ち上げられたピッチャーフライのように、弾かれた槍が回転しながら宙に浮く。
彼女が、空いている手を掲げ、その槍が降りてくるの待っーー
パシリ。
乾いたボールを手のひらで受け止めたような気持ちのいい音がした。
蛇のようにヤツから伸びた腕が、打ち上げられた槍を奪うように再びその手のひらに収める。
まじかよ。なんだそれ。
彼女が頭上で起きたインターセプトを眺めて
「でたらめね、なかなか厄介だわ」
呟くと同時に再び、その場から飛び退く。伸びた腕が槍を地面につきたてた。
「それ、人間用なのよ?」
不快そうな声で彼女が呟いたのが聞こえた。槍を突き立てた耳の腕に向かい彼女が獅子のように飛びかかる。
一閃。赤い血が噴水のように吹き出る。ぶつ切りにされたように手首のあたりを断たれた腕が死んだようにしぼむ。
地面に突き立つ槍を彼女が引き抜いた。力なくそれを握っていた腕から断たれた耳の手のひらを蹴飛ばす。ゴミか何かをどかすかのように。
化け物だ。両者ともに。
形の器が違うだけで、俺には両者とも化け物のように見える。
化け物とまともに渡り合う事の出来る存在、出来てしまう存在も化け物なのだ。
「Я это помню.」
耳穴が蠢く、地獄の底の住人が呻いたような音声だ。あいかわらず俺には何て言ったのかわからない。
だが、彼女は違ったらしい。耳穴の音声を聞いた瞬間、その表情がさらに引き締まった。
「なにを……」
彼女のつぶやき。その疑問符の答えはすぐに判明した。
肉が、絡み合うような水音。何か生地に水を溶かしてかき混ぜたような音が耳の化け物から鳴り響いた。
途端に、ヤツの体中から生えている無数の腕に変化が現れた。
いや、いやいやいや。それは、そんな事は出来ちゃあダメだろ?
無数の腕達が振動した思うと、まるで透明な手に捏ねられたかのように姿を変えて行く。
ぐちゃ、ぐちゃ。粘着質な音を響かせながら腕が変化していった。
先程まで、五本の指を備えた手のひらだった腕の先端は今や、見る影もない。
槍だ。ヤツの腕の先端が全て槍状に尖っている。五本の指、てのひら。人間らしいものなどどこにも見当たらない。
あの無数の腕は、無数の槍に変貌していた。
反則。ルール違反だ。そんなのなしだろ。伝わるはずもない抗議の声。聞いてくれる存在などいない。
殺すか、死ぬか。今、この場にあるルールはただ、その一つだけだ。
「……これは、なかなかタフな怪物ね。驚いたわ」
彼女が両脚のスタンスを広げる。二振りの槍の切っ先を化け物に向けた。
耳の化け物が備える無数の腕、いや、槍。何個あるか数えるのも恐ろしいそれが高々と掲げられる、孔雀の広がった羽根のようにも見えるそれらの切っ先は全て、彼女一人を見下ろすように向けられている。
「умереть」
「ファック、モンスター」
肌色の触腕、肌色の槍が一斉に彼女に降り注ぐ。
無数の槍に対抗するのは、彼女が握る二振りの黒い投槍。
早送りしているかのような高速機動。彼女が雨のように降り注ぐ耳の槍を捌く、捌く、捌く。
黒い槍の鋒を、振り上げる。火花が散り、降り注ぐ耳の槍の軌道が逸れる。躱す。
黒い槍が、耳の槍の腹を横から叩く。彼女の脳天に突き刺さる予定だった耳の槍は彼女の足元すぐの地面に突き刺さる。
躱す。躱す、捌く、捌く。
人外の速度で交わされる剣戟。火花が飛び散り、金属音が鳴り続ける。
二振りの槍が、無数の槍をさばき続ける。
上から、斜めから、横から、下から。あらゆる方向から翻る耳の槍を彼女は、叩き、撃ち、逸らし、躱す。
だが、流石に数が違い過ぎる。少しづつ完璧に躱していたはずの耳の攻撃が、徐々に彼女の薄皮を裂くようになっていた。
彼女が動き、耳が動くたびに、迷彩服が裂けていく。振るわれた腕、隆起する肩、脇腹。耳の槍がついに彼女に触れるようになっていた。
戦いのバランスはいつのまにか変わっていた。
つい先程までの戦いとは、彼女の狩り。指定探索者アレタ・アシュフィールドの狩りだったはずだ。
攻めるのは彼女で獲物が、耳の化け物だった。
それが今やどうだ。立場がまるで逆転してしまっている。
戦場をまるで舞うかの如く駆け、跳んでいた彼女はその場に、耳の槍が降り注ぐキルゾーンに縫いとめられたかのよう足止めされている。
無数の耳の槍を防ぐ。防戦一方。直撃こそしていないものの、耳の槍はその速度を徐々に増している。このままでは、まずい事だけは俺にも分かった。
金髪が翻る。肩まで伸びた金色の髪の毛に耳の槍が掠り始めていた。
何か、俺に出来る事はないのか? そう考えるもアイデアは浮かんでこない。脇腹から感じる熱を伴う痛みが強くなるだけだ。
このままでは、まずい。
裂かれる空気の音、鳴り響き続ける金属音。永遠に続くかのように思われたその命のやり取りの均衡が、崩れる。
俺は、その時声を聞いた。目の前で繰り広げられる剣戟の音からはっかりと浮き出た、聞こえるはずのない声を。
「And ride Ya want to tone. Monster is」
透き通る声。彼女の声だ。
バベル現象の翻訳から外れたその言葉は、彼女の声により繰られていた。本来なら彼女の言葉は日本語として俺に伝わるはずなのに、その意味を俺は理解出来なかった。
耳の槍が、五本。同時に彼女の脳天に向けて降り注いだ。
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