アポカリプスサウンド
ああ、貴方の耳があなたを試すーー
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叫びが轟く。体中の細胞が否応なしに思い出す。生態系における本来の人間の立ち位置を。
今でこそ文明の力により、生態ピラミッドの頂点に位置しているはずの俺たち人間も一皮むけばただの生き物の一つでしかない事を念押しされているようにも思える。
つまり食われるべき存在、殺されるべき弱者であるという事だ。
目の前で轟くその音。管楽器に殺意を持たせたような、はたまた世界を持ち上げる事が出来る神話の巨人が大声で鳴いているような。
常軌を逸した音が辺りを包んだ。どこかでこの音を聞いた事がある、そんな気がした。
やがて、音が止んだ。
その場にいるもの全てが叫びが終わった瞬間身動き一つ取らない。
俺は動けなかった。今も頭蓋骨の中で先程の音がぐわん、ぐわんと反響し続けている。
きっと、世界が終わる時は今の音みたいなのが世界中に響くのだろう。そんな事を思った。
その叫びから一転、今度は静寂が満ちる。風が大草原を駆け抜ける。頭の上で木の葉がざわめく音が聞こえ、草花がユラユラ揺れる。
唾を飲み込む。
はじめに動いたのは、彼女だった。踊るようにその場で体を一回転。右足を軸のようにして、駒のように回る彼女から、槍が放たれる。
なびく金色の髪。俺にはそれが豊かな稲穂、秋空の下田園に広がる豊かな稲穂と被って見える。
投げられた槍が、走る。黒い切っ先が空気を裂く。ひゅんと音をたて耳の化け物に迫る。
それはもたげられた大耳に吸い込まれるように突き立った。
カン。気持ちの良い音が鳴る。
耳の化け物の叫びは聞こえなかった。
「ふぅん、我慢強いのかしら? それとも慣れた?」
彼女は左手に残る、槍を放とうとして、やめた。
「チっ」
身のこなしの軽い猛獣の如き速さ。すぐにその場から飛び退いた。彼女がいた地面が砕ける。
草花が飛び散り、湿った土が露わになった。耳の化け物から伸びた腕がその場に叩きつけられていた。
「う……あ……」
つっかえながら喉から、声が漏れた。小さな小さなその声は俺の悲鳴。
あまりにも恐ろしいその光景が呻きとなる。
耳が、やべえ。
腕が増えている。背中の一部から複数生えていた触手のような腕が、いつのまにか体全体から生えていた。
背中だけではない。脇腹からも、足からも、腹からも、耳からでさえも。
長い、腕。短い腕が伸びている。肌色をした人間の五指を備える腕が。
つい先程彼女に向けて伸ばされた腕は、ヤツの耳穴から伸びていた。
なんでもありか、この化け物は。
うね、うね。くね、くね。海中に漂う昆布。川底に揺れる寄生虫。地面を這ういも虫。それらのようにくねり、うねる腕がゆっくり、ゆっくり耳の化け物の体の直上に持ち上げられていく。
おぞましさもここまで来ると一種の神聖さを得るらしい。俺はその無数の腕を体の上に伸ばし、掲げるヤツの姿に千手観音像を重ねていた。
まったく、罰当たりな話だ。笑えねえ。
人類が、俺たちの先祖が、ヘビとかライオンとか恐ろしい生き物を崇めていた気持ちがよく分かる。
そうでも思わないとやってられなかったんだろう。
神か、天の御使いか。そんな自分たちの力ではどうしようもないものなのだと定義しなければいけないほどに恐ろしかったんだろ? 怖かったんだろ?
気持ちはよく分かる。
だが、ご先祖たちよ。これは、コイツだけはあんた達でも駄目だろう。
この化け物だけは、神とか御使いとか言ってる場合じゃない。
見ろ、あの姿を。
生まれる際に一体どんな、願いで、呪いで迎えられたらこんな生き物ができるんだ。
そもそもコイツは生命なのか?
こんな、こんな化け物でも俺と同じ生命なのだろうか。
頭の中にどうでもいい事が浮かび続ける。それは恐怖を和らげる為か、はたまた何も出来ない自分を少しでも誤魔化す為なのか。
その両方か。
ゆら。
挙げられた腕、それらが一斉に動きを止めた。張りつめた弓。
その標的は
「Danser et mourir」
「今度はフランス語? アタシ、フランス語嫌いなの」
不敵に笑う、金色の彼女だ。
彼女はその神聖さすら併せ持つ醜い腕の無数の指先を向けられても一切たじろぐことはない。
彼女が右手でベルトを払う。魔法のように彼女の、彼女だけの武器が手に備わる。
「だから、殺す。その腕、その足、その耳。全て殺し尽くしてやる」
彼女が槍を構えたまま、しゃがむ。クラウチングスタートのような姿勢。その長い脚と、迷彩服越しでもわかる、キュっとしまった尻が嫌でも目に入った。
風が、止まる。
一つの金色が動く。無数の肌色が動く。
動いていないのは俺だけだ。
何も出来ない俺の目の前で、神話の戦い、英雄と怪物、あるいは怪物と怪物の殺し合いが再び始まった。
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