119.他人(ひと)の趣味はそれぞれ・・・お好きですか?
黒いローブの男が、イナンナの町の大通りを歩いている。
通り過ぎる街並みは、少し煤けた感じがするものの、辺境の町にしてはそれなりに立派で、壊れたり崩れたりしている建物もなく、道端にゴミ屑が落ちていないほどには清掃が行き届いていた。
だがそんな街並みもよく見てみれば、家々や商店の扉や窓は閉ざされており、どこか少し生活感が欠けているように感じられるのだった。
それでも、時おり街人とすれ違うこともあるため、無人というわけではなかった。
ただし、数少ないその街人たちにも違和感があった。
一様に虚ろな目をしており、青白い・・と言うより、青黒いと表現した方がよい肌いろで、夢遊病者のようにフワフワと彷徨っているのだ。
そう、まさにさまよっているという表現が合っていた。
彼らの瞳には生気がなく、あてど無く街路を通り過ぎて行くのだった。
『ギイぃ』
黒いローブの男は、小さな一軒家ほどの大きさの大理石造りの建物の前まで来ると、一つしか無い重厚な入り口の扉を開けた。
入り口から差し込む光は中まで届かず、暗い廊下が続いている。
男が無言で右手を振ると、廊下の両側の壁に点々と灯りがともった。
廊下の先には、祭壇があるのが見える。
男は後ろ手に扉を閉めて、祭壇へと歩を進める。
祭壇の手前、4キュピ(2m)ほどで立ち止まった男は、右手を目の前の床に向かってかざし、詠唱を始めた。
すると、床面に赤黒く光る魔法陣が表出し、そのまま光の柱が立ち上がる。
一瞬ののち光が消失すると、目の前の床には四角い口が開いていた。
開いた口の中を覗くと、下へと向かう階段が見えた。
男は、戸惑うこと無くその階段を降りていく。
男の全身が入りきると、再び魔法陣が浮かび上がり、入り口が跡形もなく消え去った。
残された祭壇の後ろには、イナンナと思われる神像が静かにそこを見下ろして、佇んでいた。
「あら、ダーリンおかえりなさい。ヒタトの方はもう片付いたの?」
黒いローブの男が階段を降りきって、細かな意匠が凝らされた両開きの大きな扉を押し開くと、目の前には黒と赤を基調とした毒々しい装飾の部屋が現れた。
その装飾は、所謂地球世界でいうところのゴシック様式に酷似していた。
そして奥のソファーに寝そべって、いましがた男に声をかけたのは、黒を基調としたレースやフリルがふんだんに使われた装飾過剰気味な服を着た美少女だった。
履いているスカートはパニエで脹らませ、靴は編み上げのブーツや厚底のワンストラップシューズ。
艶やかな黄金色の長い髪は縦ロールになっており、リボンで飾られている。
コテコテの、ゴスロリファッションに身を包んだ透けるように白い肌の美少女が、ルビーの様な紅い瞳を向けている。
「はい、女神様。ナムタルとベーレット・セリと共に、滞りなく簒奪が完了致しました。魔物たちを国内全土へと解き放ち、要所については冥界より昇らせた兵たちを、かの7名の者たちに率いらせて固めております。」
男は、女神と呼んだ美少女の前に跪く。
「そう!アサル、アサルアリム、アサルアリムヌンナ、アサルルドゥ、ナムル、ナムティラク、トゥトゥの7人ね。あの子達なら任せておいても大丈夫そうね。」
そう言って、深紅の葡萄酒の入ったグラスを傾けた。
「して、例の準備は?」
男が、伏せたままの顔を上げずにたずねた。
「ダーリンたちがヒタトで頑張ってくれたおかげで、1体は簡単になんとかなりそうだけど・・・イナンナの町ここと、ニンフルサグ村だけでは、せいぜい両脚分くらいにしかならないわ。」
「そうですか・・・では早急にハルバトの方に手を打ちますか?」
「いいえ、先に仮押さえのシアを片付けてしまいましょう。そうすれば、あと2体分にはなるはずだから。」
「御意のままに・・・・・。」
男が一礼する。
「どうしたの?」
話し終えても、その場を去ろうとしない男に声をかける。
「・・・例の者と会いました。」
「そう!あの娘が呼んだ者ね。どうだった?」
「なかなかですが、まだまだです。」
漸く顔を上げた男の目が、黒いローブのフードの奥で輝っていた。
「見込は?」
「五分五分でしょう・・。」
「そう・・・楽しみだわ。」
「シア国に対処している内に、彼奴がイナンナの町へ向かってきましたら、いかが致しましょう?」
「まだまだなんでしょう?大した問題ではないわ。」
「左様ですな。」
2人は同時に、笑みを顔に張り付かせた。