108.鍵
磨かれた石灰岩の大きなタイルが敷き詰められた床に、横たわるアイリス。
ワイバーンが吐いた火炎に焼かれて負った火傷や、魔物たちにつけられた傷が身体のいたるところに見られ、ピクリとも動かない。
最後の衝撃で吹き飛ばされたときに全身を硬い床に打ち付けたため、右脚は骨折し、内臓を痛めたのか、口からは血を吐いていた。
そのとき、真っ暗な地下礼拝堂の壁の一部が、光を発し始めた。
そこに、『Ω』の形の紋章が浮かび上がる。
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暖かで爽やかな初夏の風・・・。
草の匂いがする・・・違う、麦の匂いだ。
とっても気持ちがいい。
今年も、神殿領の畑で、みんなで麦刈りだ!
・・・それにしても、なんて心地が良いのだろう・・。
「・・ア・・ス・・、アイ・ス・・、・・アイリス。」
誰かが呼んでいる。
「アイリス、面を上げてご覧なさい。」
え?
麦秋の、どこまでも続く黄金色の麦畑の真上を見れば、青紫色の光りの塊が輝いていた。
「だ、れ・・ですか?」
ボクは、その光の塊に向かって問いかけた。
「アイリス、あなたにはまだ、やらなければならないことがあります。そう、キシャルお母様にも言われたでしょう?」
青紫色の光りが、脈動しながらそう言った。
--キシャルお母様?
・・あっ!
「ニンフルサグ神さま!」
「うふふ。いつもお祈りを捧げてくれて有難う・・ずっと見守っていたわよ。」
「じゃあ、どうしてこんなことに!」
ボクは、さっきまでのことを思い出して、思わず声を上げた。
「・・そうね、ごめんなさい。でも、遅かれ早かれこうなることは、避けられなかったの。(思ったよりかは、早かったけど)」
幾分、光の塊の大きさが小さくなった。
「そんな!・・ひどすぎます。だれも・・なんの罪もないのに。」
「今は・・納得いかないかもしれない・・・ううん、どこまで行っても認めることは出来ないでしょう。・・・でも、あなたたちには・・この世界の者たちには、使命があるの。その使命を全うした時、その先には新たな未来が拓けるでしょう。・・・だから、その未来を拓く鍵となる光りと共に、あなたには歩んで欲しいの。」
「勝手すぎます!その、いつ来るかわからない未来のために、ただ傷つき死んでいくことが、使命だと言うんですか?!」
ボクは、光の塊~ニンフルサグ神さま~に向かって、声を張り上げた。
認められない、お父様やお母様、お兄様やお姉様・・司祭様・・・みんなが犠牲になって、死んでいくことが使命だなんて。
「勝手・・そうね、勝手かもしれない。じゃあ、その勝手を認めないとして、アイリス、あなたならどうする?」
「どうするって・・。」
涙を流し激昂するボクに、ニンフルサグ神さまは、逆にお尋ねになった。
「ボクは、ただのドワーフ族の女の子で、なんの力も無く、ただ神様にお祈りすることしか・・・。」
ボクは、意外な問いかけに思わず戸惑う。
「そ~お?あなたはキシャルお母様に聖女の称号を授けられ、わたしのところへ来た・・・。」
「確かにそうだけど、魔法も武術も人並みにしか出来ないし、特別なスキルもない。そんなボクができることなんて・・。」
どんなに泣いてわめいたところで、どうすることも出来やしない。
「アイリス、あなたには特別に、選ぶ権利を与えましょう。」
「選ぶ権利?」
「そう、このまま地下神殿で、静かに死んで、先に逝った愛しい人たちに会いにいくか、それとも、未来を拓く鍵となる光りと共に歩む代わりに、抗うすべなく死んでいくかもしれない人々を救う力を授かるかを。」
そんなの、選ぶ権利でもなんでもないじゃない。
死んでいくことが使命だった人たちの人生を受け入れるか、自分に課せられた使命を受け入れるか・・・どちらにしても、与えられた使命を認めることと一緒じゃない!
「そんなの選べません!」
「では、このように考えてはどうかしら?『使命』は『運命』ではないし、どちらも変えることができる。」
「???神々に与えられた使命なら、それは運命と一緒じゃないのですか?それに運命を変えるなんて・・・。」
「いいえ、神々に与えられた使命を全うし、予定された未来に帰結した時、それは『運命』となるのです。でも、世界の流れが変わり、予定された未来とは異なる未来に帰結しようとするならば、自ずと人々の『使命』は変わり、『運命』も変わるのです。」
詭弁・・・?
でも・・・・。
「その『未来を拓く鍵』が、文字通り『変化をもたらす鍵』なんですね?」
「そう、その鍵と共に歩むことは、あなたに与えられた『使命』だけれど、その先にある未来は、あなたに・・あなたたちに与えられる権利よ。」
「・・・フフ。初めから選択の余地なんて無いじゃないですか。・・分かりました、ボクはボクの『使命』を受け入れて、そしてボクの・・みんなの未来を変えてみます!」
「ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると思っていたわ。・・では、あなたの本当の力を解放し、そして新たな力を授けましょう。」
その瞬間、光の塊が大きく膨らんで、ボクの全身を包み込んだ。
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暖かい光・・・。
「・・ん・・・ん。」
「セイヤさん!きみは、いま何をやった?」
なんか聞こえる。
「べつに、ただの『ヒール』をかけただけですけど?」
男の人の声?
「シッ!気がついたようだわ。」
女の人?
肩に誰かの手が触れるのが分かった。
「大丈夫?助けに来たわよ。・・あ、待って。」
ボクが、半身を起こそうとすると、その手が身体を支えてくれる。
「・・こ、ここは?・・・あれ?ボク生きてる!?」
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「神殿のすぐそばで起きた爆風に吹き飛ばされて、気を失ってしまったのですが、その時、ニンフルサグ神さまが現れて、御神託を下されたのです。」
アイリスは、うなずきながら言った。
「どんな内容だったの?」
エルが尋ねる。
「ある人と一緒に行けば、未来を変えることができる。そうおっしゃってました。」
「あるひと?」
俺が首を傾げていると、なぜかみんながこっちを見て笑みを浮かべていた。
「「「そういうことね。」」」
え、おれ?