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「ペイル・ライダー」あるいは西部劇の黄昏。映画レビュー  クリントイーストウッド監督

作者: 舜風人

ウエスタン、西部劇、カウボーイ、決闘、早打ち、シェリフ、無法の街、拳銃が法律だ、リンチ、ゴールドラッシュ。幌馬車、牧童。


インディアンの襲撃、騎兵隊、縛り首、酒場女、賭博、無法者、拳銃使い、用心棒、、、、、。



アメリカ人にとって、今やそれは、あまり触れられたくない裏の部分?なのかもしれませんね。


でもこれこそアメリカの底深いアイデンティティですよ。


最近いわゆる西部劇なんてほとんど作られませんものね?


あるとしても「おふざけ西部劇」とか「カウボーイとエイリアン」とか


正当派西部劇ではないものばかりですね。


さてそんなすっかり遠ざかった正統派西部劇、


あなたは西部劇はお好きですか?


古くはウイリアムSハートが西部劇の創始者?だと言われていますが。


そんな古いのは、一先ず置いといて、、、


やっぱり西部劇といえば


ジョンフォード、


「駅馬車」と「荒野の決闘」でしょう。



そして陸続と作られた西部劇黄金時代、、


『征服されざる人びと」「赤い河」「白昼の決闘」「死の谷」「黄色いリボン」


『幌馬車」「ウインチェスター銃七三」「折れた矢」「シェーン」「真昼の決闘」


「ヴェラクルズ」「ララミーから来た男」「リオブラボー」「縛り首の木」


ああ。懐かしに、胸が痛くなりますよね?



でもこの黄金時代も一息して去ってしまい、


西部劇も振るわなくなりますね。


そんな時忽然と現れたのが


そうです。


マカロニウエスタンです。



イタリア製西部劇って?いったい?


セルジオレオーネとか


荒野の用心棒とかクリントイーストウッドとか、


大ブームになりましたよね。



でもそれもやがて終わり、、、、


それからは


単発で


西部劇らしきものは作られますが


パッとしませんね。


そんなかで一人。気を吐いたのが


クリントイーストウッドでしたね。


「荒野のストレンジャー」


「ペイルライダー』


彼が監督したこの二本がかれの西部劇へのオマージュと弔鐘?だったのでしょうか?


この二作、内容はともに、亡霊の復讐?なんですね。


何処ともなく現れて


無法者を片っ端から始末して


また風のように去っていく、、、。


こうして彼は西部劇に


挽歌を奏でたのでしょうか?


これ以降いわゆる正統派西部劇を私は見たことがありません。


「ダンスウイズウルブス」とか「ニューワールド』も西部劇といえばそうですが


いわゆる伝統的な?西部劇のパターンではないですよね。


さてこれから正統派西部劇を造る監督なんているのでしょうか?



私見では、まず、いないと思いますね。


さびし限りですがまあこれも時代の流れ?


仕方ないでしょうよ。



ランドルスコット、ジョンウエイン、リンダダーネル、


ヴァージニアメイヨ、オーディーマーフィー


アランラッド、




ああ。さらば、西部劇、


さて西部劇の挽歌


弔鐘的作品の代表作と私が断言するこのクリントイーストウッドの作品。



映画「ペイル・ライダー」(Cイーストウッド監督)は


確かにあの、名作「シェーン」へのオマージュに満ちている。


或いはオマージュそのものとすら言っていいだろう。


少女ミーガンの切なる祈りによって死の国からよみがえった


プリーチャー(説教師)は確かにあのシェーンの少年の前に現れた


アランラッドそのものではなかったのか?


そもそも、


前作の『荒野のストレンジャ-』に置いては、町に現れた彼は、確かに亡霊そのものだった。



西部の小さな町を彼はヘル(地獄)となずけて


真っ赤に塗りたくって臆病な住人達に銃の練習を迫る。


そして「ペイルライダー」においては


プリーチャーは彼そのものの再来なのだが



荒野のストレンジャーの様には再来と決して明示はされない。


プリーチャーはもっと謎めいていてラストでも決して正体は明かされないのだ。


去ってゆくプリーチャーの、、あの背中の六つの銃痕・傷跡はいったいなんだったのだろうか?



そして6人の腕利きガンマンを引き連れた悪徳保安官、


のボスは、プリーチャーを見るや、


『まさか、お前が、、、この死にぞこないめ」と、


言ったあのセリフは何を意味するのだろうか?


しかしその意味最後になっても、決して明かされない。


なぜならその直後にボスはプリーチャーの放った6発の銃弾で


即死するからだ。


そもそも、


少女ミーガンが、殺された愛犬を森に葬りながら


『どうぞ神様お助けください』と祈ったからこそ、



祈りが聞き届けられて


プリーチャーが金鉱堀りの集落に現れたのではなかったのか?


少女ミーガンは初めてプリーチャーを見たときから心ときめかせるのだった。


憧れと初恋に満ちて少女ミーガンはいう。


『私はもう15歳。ママは15歳で結婚したのよ』とプリーチャーに言う。



だがプリーチャーはいう。


「俺はやがてここを去っていく。あんたの前にはきっとふさわしい相手があらわれるだろうよ」と。



その言葉通り。



プリーチャーは


欲深の金鉱主が雇った悪徳保安官たちを


あっさりと、始末した後、町を去っていく。



あの青毛の馬に乗って。


来た時と同じように


飄然と、


いずこへともなく、、、。



気づいた少女ミーガンが


あわてて、追っかけてきたときにすでに、彼はいなかった。



ミーガンはおそらく、去って行ったであろう山の方に向かってこう叫ぶ。



「みんなあなたのことが大好きだったのよ」



そう、


まるであの少年が


去ってゆくアラン・ラッドに向かって


「シェーン、カムバック」と叫んだように。



だが「ペイルライダー』は「シェーン」の単なるコピーではない。



あくまでオマージュであり、


完全に独立した傑作だ。



舞台は金鉱堀りの集落だし、


そのゴールドラッシュの実情がよく垣間見られる映画だ。


ところで、、、



金鉱掘りといえば



私はあの「縛り首の木」(デルマー・デイビス監督)を思い出す。




女一人で砂金取りするマリア・シェルに目をつけて


ねちっこく迫る、カール・マルデンは


放浪の医者、ゲーリー・クーパーによって制裁されることになるのだが、



「ペイルライダー」と「縛り首の木」は


こうした


金鉱掘りの実態を描いた映画としても



双璧であると私は思うのである。



ああそれにしても


今現代では



もういわゆるその昔のような


西部劇らしい西部劇って


人権意識とか

先住民の権利とか


そういう観点からも



もう

作るのは


無理なんでしょうね?





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