極私的仏教考察 Extreme private Buddhist consideration その4 (原始経典から密教タントラ経典まで)
㊟あくまでも私の個人的な、私的な考察であり、この考察が、科学的・学術的に、必ずしも正しいという保証はできかねます。念のため申し添えておきます。
納得するか?納得しないか?
信じるか?信じないか?
それはあなた次第です。
仏教の経典なるものは
一体どれほどの数存在してるのだろうか?
それを知るには「国訳新修大蔵経』を見ればわかりますね。
相当な数です。
有名なものだけでも
法華経、華厳経、維摩経。般若経。浄土経。理趣経。大日経。阿含経。法句経。
涅槃経、弥勒経、
などなどいくらでもあります。
で?
じゃあどれが本当に「おしゃかさま」の真実の教えを説いているのか?
というと、どれもこのお経こそが真実不個々の無上の正しい教えだと
標榜しています。
まあ確かにお釈迦様の教えがこんなにあるはずもなく、
一つのお経があればそれでいいはずですよね。
でも実際はこんなにある。
その種明かしをすればですね。
実はお釈迦様は自分で書いた、語録のようなものは残してはいません。
直近の弟子が書いたような伝記のようなものもないです。
じゃあ何があるか?
それは釈迦、没後、200年くらいして、
当時の釈迦の教えを奉じる、信徒集団が
釈迦の教えが、消えたり、ゆがめられて伝わったりするのを
恐れて、一つ、みんなが知ってる、お釈迦様の教えを
ここらで、集大成しておこうじゃないか、
ということで、まとめられたのが
お経の、始まりなのです。
それまでは各信徒集団で、口伝で伝わってただけなんです。
まあ200年も口伝だけで伝わったということだけでも、
どう考えても相当、おしゃかさん本人の,言ったこととは相当、すでに、ゆがんでるでしょう、
だからこうして200年後に集大成された「原始仏典」なるものにして
既に、どれほどお釈迦様本人の教えとは乖離してるという事実なのです。
これらの原始仏典の中で「スッタニパータ」という仏典(お経)があります。
これはそれでも比較的お釈迦様本人の肉声に?近いいのでなないか?と言われている経典です。
確かにこれを読むと、
「ああ、お釈迦様の教えって、こんな感じだったんだろうなあ、」
という
納得させる教えですよね。
清新な
素朴な
清らかな
教えです。
これで充分ですよね。
これらの原始仏典だけを守っていけばそれで付け加えることなんかないはずですよ、
ところが、、、
さらに時代が進むと、仏教徒集団といっても、これだけでは飽き足らないような
異端派、、というか
「イヤ、おしゃか様はもっと、違う教えを言ったはずだ」
、と主張するような異端グループが出てくるわけですね。
それらの信徒グループはそれぞれ勝手に?自分たちの教義を盛り込んだ
お経を作ってしまうのですよ。
そうして「これこそ真実の仏教だ」と
主張するわけです。
まあこれは明らかに「偽書」であり
聖書風に言うなら「偽典」ですよ。
ところが、仏教では、「ニケ公会議」?みたいな、異端糾問会議は行われませんでした。
それどころかこうした異端派の方が勢力を持ってしまい、
それまでの、原始仏典派を、
「お前らは器が小さい、小乗だ」などと
けなして駆逐してしまうのですね。
こうして次第にこうした、異端派である、大乗仏教が
仏教の主流派になるという
まあ、キリスト教とは真逆の展開になるわけです。
そしてこうした原始仏典派は東南アジア方面に逃れて
そこで命脈を保つわけです。いわゆる上座部仏教と言われるグループですね。
客観的に見るなら、こちらこそ釈迦の衣鉢を受け継ぐ本当の仏教といえるでしょう。
大乗仏教なるものはそもそも、異端であり、原始仏教とは全く違う
とんでもない、まあ、いわば全く別の宗教だといっていいでしょう。
たとえばその典型的な例が、法華経グループです。
このグループは釈迦という現実の肉身の、人物を
それはあくまでも、久遠仏という法身仏の
無窮の過去世において出現した何千という化生の中の一人物に過ぎないというのです。
そして法身仏こそ真実のホトケであり、その教えが
この法華経に説いてあるというのですね。
こんな無茶苦茶な話ってないでしょ?
でも、そういう内容が法華経なのです。
そうしてこのグループは
幾つもの、そうした化生の菩薩なるものを創造して
その功徳を説くのです。
たとえば観世音菩薩という菩薩を創造するのです。
この菩薩を信じれば、海に落ちても溺れない、
刀で切られても死なない、
などと、ありえないような話を繰り出すのです。
今どきの、どっかの新興宗教が、難病すべて治せます、、、見たいな
お話ですよね。
ここまで来ると、果たして、怪力乱神を決して語らなかった
ゴータマ仏陀のあの、原始仏教とは全く別物の
これはもうハッキリ言って「仏教」ではないでしょ?
でも庶民てこういうの、好きですよね?
こうして法華経は隆盛を極めるのです。
中國を経て日本に伝わりあの聖徳太子も魅了するのです。
法華経の魔力?でしょうか?
確かにここには原始仏教にはない、人々の心をとりこにするような
エソテリック・パワーがありますものね。
「清く、正しく生きなさい。」
八正道、、中庸、、だけの原始仏教では、なんか
物足りませんものね?
こうして法華経だけにかぎらず、
そのほかのグループでもそのグループ独特の
お経が陸続と作られていった、、というのが
実情なんですね。
で、
あんなにたくさんのお経が存在するってわけです。
ですからあれらのお経のすべてがはっきり言ってすべて「偽書」です。
誰もお釈迦様ご自身に近侍して親しく教えを聞き、それを忠実に書きとめた?
なんて人(弟子)実在しないんですから。
すべてのお経なるものが
「確かお釈迦様はこういったよね?」
「イヤこうだったんじゃないか?
という、遠い遠い、昔の、伝承でしかないんですからね。
そこに脚色や、付け足し、が行われているのは、まぎれもない事実でしょう。
それどころか
たとえば法華経などの、大乗仏典系になると、
もっと大胆に、
お釈迦様は3000人過去世にはいた、等と主張する始末。
生まれ変わってその3000人目があの「おしゃかさま」なんだよ、
というわけですね。
つまり久遠実成であり、
現実の、現身の「ゴータマシダルータ」に
拘泥するべきないというわけです。
久遠仏こそ実成であるというわけです。
こうなると法華経とは、、仏教なのか?
という大疑問も出てきますよね?
まあ法華経だけに限りませんが
禅宗だって、あれ、中国の神仙道や老荘思想の合体した
独自の宗教でしょ?
禅宗が仏陀の本当のおしえとは、どう考えても思えませんよ。
禅宗ってのはあくまでも、中国の新興宗教?ですよ。
まあでももっとすごいうのが「密教」ですね。
法華経や禅宗は、まだ許せますが?
密教にまで、変性し果てると、
これは、、インドの性力シャクティ宗教でしかないでしょ?
という結論ですよね?
仏教なんかじゃない、って言いたいのは私だけでしょうか?
原始仏典に語られるあの清新な、朴訥な、清らかな仏陀のみおしえから
密教は、、どんだけ、乖離してんだよ、
って言いたいですよね?
印度には古来から性パワーを信仰するって宗教があって
それは一般に「タントラ教」と呼ばれています。
それと合体したのが密教ですね。
でも仏教と、性力宗教って、無理?でしょ?
性と最も遠いはずの宗教が仏教だと、私は思うのですが、
それがここまで来ると、
まあよっぽど、悟りきったグルでないとですね、
ただの、邪教、淫祠、ですよ。
まあ100歩譲って
性は、人間の根本パワーであり、
誰も性なければ、誕生しないのですから。
性は本来悪でも、邪でもないですね。
ただどうでしょうか。
性を宗教として称揚したり、儀式化したりしたら、
こんな危ない、宗教は無いでしょ?
その危ない橋を渡った密教は、取り扱い次第では
キケンな、邪宗に堕しかねないということだと私は思いますね。
相当の修練と、大悟と、無上心が無いと、
密教は危険な宗教です。
まあでも今現在の密教は性要素は完全に削除してますから
その点は安心?ですよね?
それでも密教は
陀羅尼、印形、真言、加持。祈祷。曼荼羅、符呪、等の
魔術的な要素に満ち溢れた宗教ですから
安易に近づくべきではない宗教であることは間違いないでしょうね。
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