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第一節 策士眈々 義兄弟

 この章で主人公の一人、義時が二人の義兄弟について回想します。前半は義兄の頼朝との関係、後半は義弟の畠山重忠との関係です。

 姉が高貴なる流人と恋に落ちた、ただそれだけの理由で義時は理不尽な運命を押し付けられました。

 しかし、後年、彼自身が他者に理不尽な運命を押し付ける側に立つのです。

 源氏の貴種と結ばれた長姉と、その婚姻に巻き込まれた北条の一人にあって、義時は、性は(まつりごと)の根源だということを人生の早い段階で発見した。

 父譲りの整った顔立ちのせいで、彼は故郷の伊豆時代から女に不自由したことはなかった。森の木漏れ日のなか下草を(しとね)にしながら、月夜に親の目を盗みながら愛を語らった。けれど、(のち)の鎌倉でのことを考えれば、女たちも義時自身も全くの子どもだった。その行為も思い出せば気恥しくなるほどの児戯だ。 


 治承の旗揚げ()、頼朝とともに辿りついた鎌倉の地に幕府が開かれ、関東の長者に相応しい住まいが完成すると、奥向きの用に集められた女たちの美しさにまず驚いた。


 義時が当時与えられた職務は主君の寝所番だった。弓箭(きゅうせん)の上手、気心の知れた者を条件にしたというが、選らばれた十余名は小山・千葉・三浦・梶原など、錚々たる名門、重臣の子弟ばかりだった。特に三浦義村とは少し前まで主従関係にあったので、義時は誇らしさとともに少々の気後れで胸がいっぱいになった。


 主君の寝所番は四人組の当番制で、義時はそこで初めて他人の夜の営みというものを知ることになる。

 正妻の姉の対屋(たいのや義兄(あに)が訪れるのとは別に、義時が当番の日、御所女房のなかでも特に身目麗しい女性(にょしょう)が義兄のもとへ伺候することはままある。

 これを寝所番の誰かが御台所へ言いつける、ということはないが、どういう経路を辿るのか、(おそらく、お相手の女房が密かに、しかし得意げに同僚に漏らすのだろう)もれなく姉の耳に入るのだ。

 夫の浮気について、姉は気丈に、

「心の浮気は許しませんが、体の浮気なら少々であれば許しますよ。殿御ですもの」

 と、寛容な妻として振る舞った。ただ、実の弟が、夫と他の女が愛し合うかたわらに侍る事実をどういう気持ちで受け止めていただろうか。

 当時、十九歳の義時にもあまり受け止めきれるものではなく、

「上つ方の暮らしとはこういうものなのだ」と自分に言い聞かせていた。


 ただし、彼は若いだけあって慣れるのも早かった。

 頼朝の寝所は前庭に衛士が控え、寝所番は主君の臥所の左右、隣室を守り、主君が言いつける所用を果たす。寝ずの番とはいえ、隣室の当番なら多少の居眠りは許されるらしいが、臥所の左右に侍る者はそうもいかない。当番は、主君が寝ているほど退屈なことはない。だからどうしたって、主君の夜の営みに巡り合うことを期待するようになる。


 臥所の几帳越しに内側のようすが透けて見えぬよう、灯台の位置は巧妙だった。もとより寝所番は几帳に背を向けているが、灯台はその外側に置かれ、布帛(ふはく)の反射により覗き見ることはできない。義時は己れの影がつくった闇を見るばかりだ。

 けれど、音だけは遮ることはできない。

 闇は音を高める。

 腰や背中、手のひら、つま先――褥をこする音や潤声で、帳のなかの男女が今、どのような姿にあるのか聞き分けられるようになった。

 ――あぁ、なるほど、そういうところも。

 彼がこれまで見逃していた女体のすみずみを、闇の中に浮かびあがらせ、女の不思議を教えてくれる。

 義時はさっそく試してみようと、昼の御所に女房を物色し、夜には昨夜の義兄を真似た。彼は大倉でも女に困ることはなかった。

 同じ伊豆から出てきた武将のなかには、

「こちらは田舎と違って女の気位が高くていかん。言い寄ってもなかなか(なび)いてくれん」

 などと言う者がいたが、意味がわからん。


 しかし、そんな腰の落ち着かない日々は一年も続かなかった。

 気が付けば、肌を合わせた女の中で、最も美しく最も気の強い女に惚れ込んでいた。

 義時は気の強い女が好きだった。男に従順な女もいいが、少々自分の手に余るようなくらいが愛し甲斐があるように思う。早く実家から独立したかったので、父親に結婚の相談を持ちかけたが、時政は相手の親が小身の御家人だったことに、

「もっと高望みするくらいがいいのではないか」

 と渋ったが、こちらだって自慢するような家柄ではない。

 自身、がむしゃらに出世を求める方ではないので、幕府内の政略など考えず、さっさと頼朝の許しを()、生涯の伴侶とした。


 結婚後も義時の寝所番は続き、相変わらず昼も夜も兄から学ぶことは多かった。

「――ねぇ、あなた、何でそんなこと知ってるの。どこで覚えてきたの? もうっ」

 妻からあらぬ疑いをかけられ、いたく(つね)られてしまったが、

――それは、御所にこそ聞いてほしい。

 義兄は好学の徒にして、義時が追い越しようにも追い越せぬ存在だった。


 彼が結婚した年(一一八二)の八月、姉夫婦に長男が誕生した。御家人たちにとっても待望の将軍家御嫡男である。鎌倉中が喜びに沸いた。


 三月後、産後の肥立ちのわるかった姉が、産所とした比企氏の邸からようやく大倉へと戻ったころ、継母の牧の方が姉のもとに訪れた。単なる見舞いと思いきや、何と、継母は婿頼朝の浮気を告げ口に来たのである。まったく、この女は悪意のかたまりだった。

 妊娠・出産の大変な時期に夫に裏切られていたなど、妻としてこれほどの屈辱はない。(もっとも、男としては妻が妊娠中だからこそ、であるが)

 以前、「体の浮気なら……」などと余裕を見せていた姉も、

「女の名は亀の前といってね、御所は腹心の部下の邸に囲っているのですよ。これを浮気というには度が過ぎてませんか。しかも、亀の前は大して美人じゃないといいますよ」

 と、牧の方が煽りにあおるから、御台所の立場を忘れ、かつ、御台所の権力を行使し、亀の前への報復を命じてしまった。


 牧の方は御台所から言質をとると、さっそく兄の牧宗親に、亀の前のもとへ報復に行かせた。この宗親もずいぶんな人で、合戦かと見まごうような支度で街中を騒がせたあげく、大勢の郎党を引き連れ、彼女が隠れ住んでいた伏見広綱という御家人の邸を()っ壊してしまったのだ。

 邸主の広綱は亀の前を連れて命からがら逃げた。

 広綱もとんだとばっちりであるが、これを知った頼朝は当然、激怒した。

「おのれ、宗親、よけいなことをっ」

 ただ、そこは彼らしく怒りをこらえ、数日後、何気ないふりで宗親を呼び寄せると、

「そなた、御台所のためによくぞ働いてくれたな」と嫌みの一つを言い、

「だが、その前に、俺に一言あっても良かったではないか」

 短刀を引き抜き、宗親の(もとどり)をちょん切ったのである。

 髻を切られるなど、男にとってこれ以上の恥辱はない。

 人目を気にした宗親は夜になってから、こっそり時政の邸を訪れ、年上の義弟に泣きついた。

 一部始終を聞かされた時政は、今度は彼が怒り狂う番であった。

「私の義兄に何たることをして下さいました。牧殿は御所にとって義理の伯父になるのですぞ。もうこれ以上、私は御所のために働くことはできませぬ」

 そう言って手勢をまとめると、夜中にもかかわらず鎌倉を出ていってしまった。

 時政の激怒。

 だが、彼がここまでの挙に出たのはもう一つ理由がある。

 せっかく我が()が将軍家督を産んだというのに、婿の乳母の一族比企氏がそのまま嫡男の乳母(養育係)と乳母夫(めのと)(後ろ盾)となって囲い込み、時政の入る隙を与えなかった。

 ゆえに、婿への牽制を図ったのである。

「もっと舅の俺を大切にしてくだされ」と。

 頼朝は困り果てた。

 彼にとって北条の手勢は己れの手勢、出て行かれては己れは無勢。

 頼朝は焦り、

「四郎、四郎は残っているか」

 真夜中のことであったので、寝所番を遣って義弟の様子を見に行かせた。

 その晩、義時は非番で自分の邸で寝ていた。

 戻ってきた使者から、報告を受けた頼朝は安堵し、

「あいつは見どころがあるな」と、夜明けを待たず義弟を呼んだ。

 眠い目をこすりながら御所へ参じた義時は、

――いい大人たちが何をやっているんだろう。

 と呆れた。

 さらに呆れることに、義兄は褒美までくれたのだ。

――俺は、寝ていただけなのに……

 父の時政は鎌倉を出立する際、

「俺は出て行くが、お前は好きにしろ」と言い残していった。

 面倒くさいから鎌倉に残った義時であるが、

「そなたが父に従わなかったことに感心したぞ。舅殿と違い、四郎はものの道理を知っている男だな」

 頼朝からそんな褒められ方をして、このときようやく自分は岐路に立たされていたことに気付いた。『お前は好きにしろ』と言い残した時政の胸中。

 妻の一族の不始末で、義時を巻き込ませたくなかった父の配慮は同時に、牧の方への配慮であり、前妻腹の己れと距離を置こうとしているのだと。


 翌年、姉に続くように、妻が男児を出産した。

 義時は二十一歳にして父親となったが、喜びもつかのま、妻は産後の肥立ちがわるく、間もなく身罷った。

「気は強くても、体は弱ったのか」

 愛妻を失った悲しみは、互いが若かった分だけ応えた。

 義時は毎日泣き暮らした。出家まで考えたが、我が子のために立ち直ろうと心を振るい立たせ、大倉に復帰した。御所では女たちが放ってはくれず、適当にあしらいはしたが、妻ほどに心奪われる女はなかった。


 世の中は一時の小康を過ぎ、激動の時代を迎えようとしていた。

 平家追討や奥州征伐、それに伴う朝廷との折衝――立て続けの時事に忙殺され、義時の妻を失った悲しみはしだいに薄れていった。


 やがて世間が安寧を迎え、頼朝公が征夷大将軍に任じられた建久三年(一一九二)は、姉の懐妊や義兄の念願だった永福寺の落成など、慶事が続いた。

 義時の身辺もようやく落ち着きを見せ、そして、彼は再び恋に落ちる。

 相手はやはり御所女房、呼び名も愛らしい姫の前という。最近出仕したばかりだと挨拶されたが、文句なしに自分が出会ったなかで最も美しい女だった。

 小ぶりな口が幼げに見せて、それを裏切るような切れ長の眼が(きつ)くて好い。肌も髪も品よく艶めき、触れればきっと、湿りけを帯びたように吸いつき、まとわりつくだろう。

 父親は比企一族の藤内(とうない)朝宗であるが、相手の家が義時の実家と不仲であったとて頓着(とんちゃく)しなかった。家督相続において、前妻腹より後妻腹が優先される当世である。義時も前の結婚を機に、故郷北条に近い江間(えま)を譲られ、苗字の地として独立していた。


 上からは「江間四郎」、下からは「江間殿」と呼ばれているが、自分でも悪くない名だと思っている。新恩(新しい領地)も多数得て、頼朝の側近として自信がついてきたころだ。実家への気がねより自分の恋を優先したい、義時はためらうことなく姫の前に文を送った。


 しかし、彼に届いたのは拒絶の返事だった。

――この俺を振る女なんているのか。

 義時は驚き、なにかの間違いではないかと何度も文を送った。

 けれど、姫の前からご丁寧に返される文の内容は、いずれも、拒絶、拒絶である。

 彼女は文句なしに、義時が出会ったなかで最も気の強い女だった。

――いったい、俺のどこが気に入らないんだ。

 なおのこと姫の前への執着は深まるのである。


 残暑の厳しい宵だった。当時も寝所番に残っていた義時は、頼朝の臥所の横に伺候しながら、誰も見ていないだろうと襟元をだらしなくゆるめていた。

 真夜中、濡れ縁をたどる人影が近づいたので、義時は慌てて襟をただし、背筋を伸ばした。

 義兄の浮気の虫は、亀の前の事件に懲りてしばらくおさまっていたが、その後も数年おきに出ては引っ込み、引っこんでは顔を出し、今回も姉の懐妊をきっかけに蠢き出したらしい。


 と、義時は手灯りに照らされた女の顔を見て呼吸を忘れた。

 何かの見まちがいだと目を凝らした。

 しかし、開け放しの妻戸から現れた女は、まぎれもない姫の前だった。

 義時は目眩を覚えた。

 考えれば、彼女は御所一の美貌の女房。妻の妊娠中に羽を伸ばそうとする頼朝の手がついたとしても、おかしくはなかった。

――俺は、義兄(あに)の妾に恋文を送っていたのか。

 義時の全身からどっと汗が湧く。

 姫の前が几帳の内へ滑り込む、衣ずれの音を耳が捉えた。

 喉がからからに乾き、鼓動が高鳴る。義時はこれから始まる地獄を覚悟した。


 闇は音を高める。

 姫の前の喘ぎ声に、肉と肉とがぶつかり合う音、時折洩れる男の呻き声が、義時の心と体をぎりぎりと締め上げる。愛する女が犯されるそのすぐそばで、己れは主人の番をしているのだ。

――俺は犬だ。

 拳を強く握りしめ、手のひらに爪が喰い込む。

 どれほどの時が経ったろう。全てを済ませた姫の前が身支度を整え、部屋を出て行った。彼女がこちらへ一瞥したのを、義時は背中で感じた。


 翌朝、彼は当番を終えたあと、相方だった結城朝光へ、

「姫の前は以前から、御所と……」聞かずもがなを聞いてしまった。

「ご存じなかったのですか」答えた結城は、義時の表情から全てを察したらしい。

「お加減がよくないようですが」

 彼は年下だがよく気がつき、頼りにできる男だ。しかし、今は全て煩わしかった。気遣う結城の声を振り払うようにして、詰所にも寄らず自邸へと帰った。

 江間四郎。

 たかが伊豆の片田舎の、さらに小さな所領を苗字の地とし、一人前になった気でいた。

 えましろう。

 吹けば飛ぶような名だった。それをどうして今まで誇りに思えたのだろう。相手は関東の長者。とうてい太刀打ちのできぬ男を前に打ちのめされ、義時は己が身を抱いた。


 しかし、彼が寝所番を辞することはなかった。

 姫の前に恋慕していたことを義兄に知られることを恐れたからだ。義時は己れの想いをひた隠し、寝所番を続けた。そして幾度となく、彼らの痴態のかたわらで心悶えるのだ。

 次第に、彼は苦痛の夜を乗り越えるすべを覚えた。

 うちなる闇に浮かぶ男と女の絡み合う姿、その男に己れを重ね合わせるのだ。義時は、頼朝となって姫の前を組みしき、開き、揺さぶっていた。嬌声を上げる女から、湿った髪と肌を押し付けられるのは己れだった。そう思えば、毎事の業苦は至福にかわった。


 義時が自虐のきわみに至ったころ、御所内では姫の前の振る舞いが問題になり始めた。

 少し前に実家で出産を終えた御台所に代わり、主君の寵愛を独占し、それをかさに同僚の女房や若い御家人たちへ権高い態度をとる。ついには「権威無双の女房」と陰口を言われるまでなった。

 これに、義時は、

――あの気の強い姉がどう出るか。

 産後の姉を案じつつ、姫の前の身辺を憂慮した。が、姉はとうに彼女の存在を知っており、意外なことに嫉妬する素振りを見せなかった。亀の前の事件でとんだ騒動を引き起こしたことに懲り、また、あれから十年が経ち、姉も成長したのか。

 いや、これは義時の推測だが、姫の前が美貌の女房だからこそ、姉の嫉妬や怒りを半減させているのではないか。許すまでにはいかずとも。


 娘時代、その美貌を源氏の貴種に見染められ、後に『将軍御台所』の地位を得た姉は、容姿というものを権力や序列の基準の一つにしていたかもしれない。

 亀の前は大して美人ではなかった。だからこそ、姉は激しく怒った。

 けれど今回は、

「若さの分だけ、あの娘には適わない」

 自ら作りだした基準が怒りを封じ、鷹揚に構えることで正妻としての地位を知らしめようとしているのだ。


 しかし、父はどう思うだろう。時政は比企氏に将軍家督の孫を取られたと思っている。その上、婿までも取られたとなると、どんな報復に出るか。

 不安にかられる義時だったが、ある日、頼朝から折入って話があると呼び出された。

 主君の居室に参じた彼へ、人払いのあとの義兄は直入だった。

「姫の前をそなたにやろう」

 義時は耳を疑ったが、すぐに思い当たった。この義兄も、姫の前を持て余していたのだ。

 妻と妾、それぞれの実家の力関係を押し図り、妻が大倉へ帰ってくる前に、こういったかたちで決着をつけようと――また、生まれた子が男児だったことも大きかったろう。姉が二人目の男児を生んだことは、自身と実家の立場を確固たるものとし、夫の心をも固めさせたのである。


 けれど、なぜ、

「なぜ、私なのですか?」

 義時の素朴な問いに、義兄が薄く笑った。

「だいぶ前から知っていた」

 寝所の灯台の位置は巧妙だった。几帳越しに外から内は覗けぬが、内から外のようすは明瞭に伺い知ることができた。姫の前との夜に限って、義時の背中が硬直して震えるさまに義弟の煩悶を見た。

「そなた、姫の前に惚れているだろう。とぼけなくともよい。さぁ、起請文を書け。決して離縁は致しませぬとな。であれば俺とても譲りやすい」

 愛した女と別れるには、頼朝も相応の覚悟が必要らしい。


 義兄は筆を用意する間に、

「四郎、そなたの女の好みは俺に似たな」と、会心の笑みを送る。

 義時は、姉と姫の前の顔を思い浮かべた。

二人に共通するた(きつ)めの美貌。

 彼は気づいた。何事にも多感な若者のうちから主君の寝所に伺候させ、密事を共有する、それにより主従の紐帯を強める、手足となる忠臣に育て上げる、これは古来よりの上つ方の作法なのだ。ならば、姫の前との帰結も偶然とは思えない。

――全て、手のひらの上で転がされていたような……

 けれど、怒りを覚えるには、あまりにも己れは頼朝の一部であり過ぎた。

――これも当然の帰結か。

 こうして頼朝から姫の前を下賜された彼が、姉が産所としている父の名越の邸へ報告に行くと、

「そんな恥知らずなこと、私は許しません」

 姉は怒りを露わにした。夫の妾が弟の妻になる。女にとってこれほどおぞましいことはないだろう。


 しかし、義時は、

「もう決まったことです」

 父からはすでに承諾を取り付けていた。何と言っても、北条が比企氏と婿を争う事態を回避できるのだ。その事実を前に、時政も娘の心情は二の次となる。さらに比企氏と縁戚になることで、幕府内の敵対者から協力者へと関係を改められるのだ。

 となれば、頼朝の起請文はまた別の意味づけができた。

「両家とも俺と嫡男を巡っていがみ合うでない。互いに合力し、幕府のため励め」

 北条と比企氏を結びつけた頼朝の手腕に、義時は舌を巻く思いである。

――とんだ仲人だ。


 御所一の美女と将軍家の義弟の縁づきは、すぐに鎌倉中の御家人たちに広まり、頼朝と姫の前の関係を知る者は呆れ、さまざまに噂した。

「北条め、そうきたか」

「だが、やり方が破廉恥(はれんち)に過ぎるではないか」

「何と言うか、義兄弟が……」

「別の意味でも義兄弟に……」

 しかし、義時は意に介さない。

――勝手に、ほざいてろ。

 惚れた女が我が物となる、これに勝る喜びはない。

 義時は妻となった姫の前に惜しみなく愛を注いだ。妻のかつての男、義兄の顔がちらつくことがないでもないが。

 何しろ、相手は全て己れより上の男だ。

 地位、名誉、財産、教養、御家人たちの求心力……

 ただ彼に適うのは己れの若さである。妻を(いつ)に思う心である。

――俺は御所に負けぬ。

 己れの愛を思いきり妻に注ぎ込む。

 だのに、妻から、

「あなたって、何だか御所に似てるわね」と言われたのには閉口した。


                 ◇


 夫婦といっても、さまざまなかたちがある。

 まだまだねんね(・・・)の実朝のもとへ、さらにねんねの花嫁が迎えられ、二人はご幼稚同士、すっかり仲良しとなった。御所内の人々も、そんな夫婦を微笑ましく見守った。

 反して、大倉の周辺では幕府重臣間にきな臭い風が吹いていた。


 元久二年(一二○五)も半ばに入ると、牧の方の前妻腹への憎しみは、武蔵国(東京都・埼玉県)の利権とも絡み、複雑な様相を呈した。そもそも武蔵国司は頼朝公のころより清和源氏の平賀氏が任じられていたが、実質の経営者は留守所(るすどころ)検校(けんぎょう)の畠山重忠であった。

 北条の婿同士、仲良く職務を分担すればよいものを、牧の方がそれを許さなかった。

 愛息政範を失ったとなれば、北条の家督は娘婿の平賀朝雅と決めつけ、夫を唆した。

 時政の方も、成長し、独立していった前妻腹に疎遠を感じていたのか、後妻牧の方の言いなりだった。そんな彼のことを、人々は陰で老耄とささやいた。彼らの言葉は的を射て、なまじ長老の時政は北条一族を迷走させるのだ。


 その日、義時は弟の時房とともに、鎌倉の南東、名越に住む父の邸に呼び出されていた。

 父を待つあいだ、庭先に目をやると、白茶けた地面にじりじりと真夏の日差しが照りつけていた。六月も下旬とあって太陽も容赦ない。そのせいか、海近い名越ではいつもより潮の匂いを強く感じた。


 この二か月、鎌倉の街には合戦の噂が流れ、人心を浮き立たせた。

 時政が、婿の一人、稲毛重成の手勢を呼んだせいだ。

 稲毛は妻を早くに亡したため若くして出家していたが、舅の時政の信頼は厚く、また、彼の父は畠山の出身、稲毛は重忠の従弟でもあった。

 これに御家人たちは、

「執権殿は昨今の畠山のことを、稲毛を介して収めようとしているのか」

「いやいや、婿をして婿を討たせるのだ。恐ろしいのう」

 などと噂した。噂は噂を呼び、近国から御家人が集結し、武器を整えているとの流言まで飛び交った。流言を信じ、本当にやってきた近国の御家人もいた。


 物騒な噂は五月になってようやく収まり、近国の御家人らは解散させられた。

 そうして昨日、八幡宮の祭礼も無事終わり、夏も過ぎて行くかと思えば。


 遅れてやってきた時政は、息子たちを前にして言った。

「そなたらに、折入って話がある――」


 名越からの帰り道、一周り年下の時房の顔は、真夏に似合わぬ青さだった。

 だが、それは、轡を並べる己れとて同じだろう。

 先刻、父は自分たち兄弟に「畠山を討て」と命じたのだ。

 義時は自分の耳を疑った。

「六郎はどうなるのです」

 牧の方との齟齬の原因、畠山の嫡男、六郎重保は北条(われら)にとって血を分けた孫であり甥である。しかも前妻に先立たれた重忠に娘を入れ、前妻の子を押しのけてまで嫡男にした経緯があった。


 しかし、時政にとって重保はすでに必要のない人間となり果て、優先されるべきは牧の方の婿平賀であった。畠山一族ごと葬るに躊躇(ちゅうちょ)はない。


 義時の隣では、時房が顔を覆いながら、

「姉上のことを考えてください。姉上から夫と子どもを奪ってもよいのですか」

 武蔵の実力者同士の対立が、その舅、その祖父によって決着づけられるなどあってはならない。

 義時も言葉を選びながら、

「父上、もう一度、お考えなおしを。これでは北条の結束が真っふたつに分かれてしまいます。比企氏との戦いで畠山庄司は先代(頼家)の側近であったのに、我らの(よし)みを優先してくれたでありませんか。思い出してください。畠山は我らの味方です。今度は我らが味方にならねば」

 英傑だった父が、女ごときにここまで踊らされてよいものか。

 確かに、京に強い伝手(つて)を持つ牧の方は、もはや姉の尼御台を超え、鎌倉の女主人ともいえる存在だ。けれど、父が畠山の孫を引き換えにしてまで、得るものは何だ。

 しかし、時政は答えない。

「父上、今しばらく、ようすをみてくださいませんか。軽々(けいけい)に事を起こし、後悔することがあってはなりません。今一度、畠山と話し合いの場を持ちましょう」

 そういって、義時は時房を促すと、名越を後にした。

 帰り道、馬のたてがみに目を落としながら、彼の脳裏に過ぎし日の記憶が蘇る。


 緑豊かな故郷の伊豆で、日なたの匂いをかぎながら走り回った少年時代、一土豪の次男に生まれた己れは、誰に気遣うこともなく伸びやかに暮らしていた。

 それが、義兄の旗挙げによって全てが一変した。

 大人たちが起こした動乱の渦にわけもわからず放り込まれ、合戦で実の兄を奪われた。

 その日から当然のように『北条の嫡男』としての扱いを受け、戸惑いから抜けた出せぬまま、この武士の街に住むことになった。しかし、大倉に出仕するようになってからも、『(すけ)殿(どの)の義弟』という以外、自分の役割、おるべき場所がわからず、御家人たちが詰める侍所から抜けだしては、造作途中の御所内をうろついていた。


 以前は主筋として目をかけてくれた三浦の嫡男義村も、このごろ何だかよそよそしく、少し前までの伊豆の生活が嘘のように感じられた。

 けれど、すぐに思い直した。

――違う。この場所が嘘の世界なんだ。


 御家人の列に入りながら、まだ何の役目も与えられていなかった時分、畠山重忠と知り合ったのはそのころだ。彼との出会いは義時の救いとなったが、それは重忠も同じだったろう。前年、彼は平家方の武将として旗揚げ直後の頼朝と敵対した上、頼朝に味方した祖父三浦義明を攻め殺していた。許されて頼朝の旗下に降った後も、秩父の大武士団を率いる権要として幕府内で重んじられたが、祖父殺しと頼朝に敵対していた過去にあって、十八歳の彼は痛々しいほど周囲へ気を使っていた。

 一つ違いの義時には、それがよくわかった。


 互いの心と体の落ち着かなさが二人を近づけたのか、重忠とは徐々にうち溶け合うようになった。最初は、故郷が恋しい、ここは偉そうな大人ばっかりで嫌だなど、他愛のないことを言い合っていたと思う。それが次第に心許し、互いの存在で侍所にも長くいられるようになった。そんなある日、雑談で話題が実家のことに及んだ。

「伊豆の北条殿の手勢はいかほどでしょう。私は秩父の田舎者で関東でも南の情勢のことはよく知らないのです」

 重忠の問いに、侍所にいた御家人らが一斉にしんとなった。先ほどまでそれぞれに雑談していた彼らが、義時が何と答えるか、興味津々でこちらを見ている。が、そんな御家人らの変化に、重忠も居心地のわるさを感じたらしい。

「申し訳ありません。私は田舎者の上に、不調法者でした。こういったことは人前で訊くものではないのですね」

 重忠は口ごもる友に気を遣い、すまなそうに見た。

 義時は助けを求めるように、さして遠くない円座(わろうざ)にいた三浦義村へ顔を向けた。同い年で縁戚の彼とは、このなかで一番の知己だった。

 だのに――

 義村は顔を横に向け、笑いをこらえていた。左右の手指を両膝に喰い込ませながら。よく見れば、他の御家人らも似たようなしぐさをしていた。

 これに、上座にいた侍所別当の和田義盛が、

「おい、失礼だぞ。御所の弟君にあたる方に恥をかかすな」と大声で注意したものだから、男たちがどっと笑った。

 今であれば嫌みの一つでも言えただろう。

 しかし、十九歳の自分はいたたまれずに侍所を出た。重忠がすぐに追いかけてきて、心から謝ってくれた。けれど、彼が真摯な分だけ余計に憎しみが増した。

――どこか心通じるなんて、この御曹司に自分を重ねた俺が馬鹿だった。

 義時は重忠から距離を置こうと思った。彼だけではない。義村からも、義盛からも、権要、名門とされる人たちからは皆。けれど、幕府内で成り上がっていく父のせいで、それは適わなかった。彼らは無理にでも付き合わねばならない相手となった。

 だが、義時は、

――どうせ、この人たちはいざとなったら、俺を裏切るんだ。付き合いなんて上辺だけだ。大切なのは身内だけなんだ。

 彼らに決して気を許すな――そう自分に言い聞かせた。

 数年後、短い間に妻を亡くした重忠は、後妻に義時の妹を娶った。

「これからは兄上と呼ばせてください」

 重忠に何の屈託もなく、義時は途方に暮れた。


                 ◇


 名越を後にした義時は、自邸に戻ると、その足で妻の住む(たい)に向かった。

 昨年、幕府の重臣、伊賀守藤原朝光から娘を勧められ、後室とした三番目の妻は、邸の者から『伊賀の方』と呼ばれている。舅は、頼朝の代から鎌倉に仕える京出身の文官だった。そのせいか、伊賀の方は彼の歴代の妻に似ず大人しい性格で、何より若く世慣れてなかった。

「あら、どういたしまして?」

 妻らしい言葉づかいもようやく身についた彼女は、(とこ)で横になっていた。急な夫の訪れに体を起そうとした妻を、傍らの侍女が慌てて支える。

「いや、そのままでいい」

 義時は上体だけ起こした妻のそばに座ると、眼を細め、

「大儀ないか」

 妻を労り、彼女の腹に手を当てた。

 伊賀の方は初めての子を宿し、来月出産を迎える。まだ妻自身、子どものようなものだのに。

 義時は息苦しさで続く言葉を失った。

――身重の妻を抱え、この鎌倉で何かあったらどうすればよい……

 押し黙った夫へ、伊賀の方が心配げに顔を覗き込む。

 義時は心配するなというように彼女の手を握り、ほほ笑んだ。


 門の方から馬蹄が響いた。それから複数の足音が急かすように近づいてくる。

「どなたか、お客さまのようですね」

「あぁ」

 しかし、何も聞こえなかったように妻を抱きしめた。家人が牧の方の弟、大岡親時の来訪を告げにやってきても、しばらくはそうしていたかった。

 彼の要件はわかっていた。

 義時はようやく妻から体を離した。自ら妻の体を支え、横たえさせると、

「十分に体をいたわれよ」

 静かに言って立ちあがった。

 そのとき、彼の心は決していた。愛する者と引き裂かれるのは二度とご免だった。だが、自分が味わった苦しみを今度は自分が妹に与えるのだ。その覚悟を。


 夜もまだ明けきらぬころ、畠山六郎重保は人馬の行きかう音で目が覚めた。

「ここは鎌倉、だよな」

 昨夜遅く故郷の武蔵国から到着したばかりで、少し寝ぼけている。

 父の従弟の稲毛重成から畠山一族が呼びだされ、重保は一足先に鎌倉に着いた。

 このところ自分のせいで一族があらぬ疑いをかけられている。それを払しょくするためにも誠意を見せなければならない。

 彼が起き出してまもなく、幕府から使者が来た。

 謀叛人を討伐するに、由比ヶ浜へ参られよと。

「これは一大事だ」

 手にもの取りあえず戦支度を整え、郎党とその従者を引き連れ、浜へ向かった。

――それにしても、遅いではないか。

 浜からの人馬のざわめきが大路を伝わってくるなか、重保は不満に思った。

 義時からの使者である。

 自分は父の名代として軍勢の先陣にあってよいものを、

――何だか、我が家を後回しにされたような。

 これも、幕府内で畠山が浮いていること、自分の口が過ぎたことが原因だろうか。ならば名誉挽回の好機と、重保はいっそう馬に鞭あてた。

 由比ヶ浜が彼の目の前に迫る。世界が白々と明るさを増すなか、想像以上の軍勢が浜にひしめいていた。

――これでは遅参もいいところだ。

 彼は舌打ちしたい気分になった。

 軍勢の中心の一段濃い黒だかりを義時の本陣と見極め、砂浜に馬蹄を踏み入れる。

――相州殿が総大将と聞いたが、であれば、総大将としては二年前の比企氏の討伐に続き、ということになられるな。

 重保自身は、これが初陣だった。

 興奮と緊張で早くも全身が高ぶる、そんな彼の横へ、三浦義村が一族を引き連れ、並び寄せた。

「おぉ、三浦殿も今、着到でございますか」

 見知った父の従兄、雄族の長を目にして、少し安堵する。

 だが、相手は、

「あぁ」と言ったきりだ。

 重保は不審に思いながら、また訊ねる。

「謀叛人の討伐と伺いましたが、相手の名前をご存じですか。私はまだ――」

 そのとき、義村の目が光った。途端、背後から腰を掴まれ、地面に引きづり落とされた。砂まみれになる重保に、顔の砂を払う間もなかった。男たちが殺到し、鎧の隙間を狙い、無数の太刀が彼の肉を突き刺す。仲間だと信じて疑わなかった武将たちの視線のなかで、重保は絶命する。


 甥とその郎党たちがなぶり殺しになるようすを、義時は本陣から眺めていた。

 重保は本陣へ着到の挨拶に来た際に生け捕れ、抵抗した場合に殺害せよ、との計画だったが、

――あの男は、またも抜け駆けしたか。卑怯を卑怯と思わぬやつだ。

 しばらくして、重保の首を陣中に持ち込んだ三浦義村は、

「計略に気づかれそうになりましてね。逃げられる前にと討ち取りました」

――それほど()弟子(とこご)の首が欲しかったか。

 三浦を軽蔑しようと思ったが、やつに重保の首から目をそらすところを見られた。

「相州殿の伯父御としての心中お察しします」

 三浦は少し口を歪ませながら言った。

 義時は、

「そなたもな、従弟の嫡男を討つなど辛い役目だ」

「いえ、祖父の仇を討てる良い機会だと思うようにしました」

 三浦は用意していたように平然と返した。

 畠山重忠が初陣で殺した三浦の長老は義村の祖父だ。しかし、それを重忠は生涯負い目に感じ、頼朝の軍門に降ってからは常に三浦宗家を立てていたはずだ。

 義時は相手を睨みつけようしてやめた。己れとて戦いの総大将として、相手を誤っている自覚はあった。


 重保殺害――これを持って畠山討伐の戦端は開かれた。

 義時のもとへは、縁戚でもある源氏の足利、下野の名門小山、宇都宮、常陸の八田、相模の三浦、以下鎌倉中の武将が参じた。

 比企氏の女系である安達景盛や、河越の家督の姿も見える。彼らは代々武蔵を本拠としている。

 ほんの数年前、頼朝公の乳母、比企(ひきの)(あま)を縁として地位を高めた一族の長、能員は、比企尼の血をひいてなかった。男子に恵まれなかった比企尼は甥を養子に迎えたが、他家に嫁いだ尼の娘たちは、実家の家督を奪われた鬱屈から、子らを反頼家、反比企氏の核たる北条へ転ばせた。そして、その息子たちは今、この戦いが武蔵国を平賀朝雅に独占させるものと見抜き、女系の血に拠り、自らの勢力を伸ばそうとしていた。

――北条はつけ込まれたのだろうか。

 この戦いで北条の女系は分裂したのだから。


 一方、畠山と付き合いのあった名門の武将らは嫌々ながらの参戦である。それでなお催促に応じたのは、時政が幕府の最高権力者として強権を発動したからだ。

「執権殿に睨まれてはならぬ。そうなれば、次は我が一族だ」

 誰もが己れと同じだった。殺したくもない相手を殺すために大軍が集まる。いったい、どういう皮肉だろう。

 もっとも、何の(しがらみ)もない小身の御家人たちは、この戦いに喜々として参じていた。

 彼らは幕府中枢の権力争いとはほど遠い。

「今度の敵は畠山だって?」

「よし、来た!」

 単純に、明快に、合戦で武功をたて所領を増やす機会と捉えている。

 奥州征伐以来、日本中を巻き込むような大戦はない。平和と引き換えに、所領を増やす機会はなくなった。となれば、あとは身内同士の分捕り合いである。頼朝公の死後、頼家の側近だった梶原景時、外戚だった比企能員と、力が大きくなり過ぎた者は周囲から警戒され、一族ごと標的となった。彼らはこの仕組みを習得してしまった。

「では、北条はどうなのだ」

「いつもいつも順番通りと行くまいよ」

「三浦、小山といい勝負だろ」

 彼らは、幕府中枢にないからこそ、ものが見えていた。

 今ある勢力がこの先も続くとは限らない。隙を見せれば、どんな名門・権要でも足元を掬われる。そうして互いが互いを呑みこむうちに、いつかは自分たちも呑みこまれるのだ。

 だからこそ、目先のものに没頭し、今ある生を謳歌しようとする。

 生きているあいだが全てなのだ。

「さぁ、庄司殿の首を頂くのは俺だ」

「いや、俺だ」

 意気揚々と進む。

 先陣は葛西清重という武将だが、彼の妻は畠山の出で重忠の義理の叔父にあたる。また重忠と同じ秩父平氏であるが、一門のなかでは傍流――ゆえに人々は、

「これまで大軍が動くとなると、先陣は畠山だったよな」

 少しだけ不思議がった。

 搦め手(別動隊)の大将には北条時房と和田義盛があてられたが、義盛も重忠の従兄にして数多の敵を滅ぼした猛将である。この陣立てに義時の決意と示威が見てとれる。


 午の刻(午後十二時ごろ)、軍勢は、鎌倉に向かっていた重忠の一行と、武蔵二俣川にて遭遇する。重忠はさぞ驚いただろう。折しも、重忠の弟、三郎重清は信濃(長野県)に、六郎重宗は奥州(東北地方)にあった。もっとも、畠山の勢力を分散させるべく、時政が画策していたのであるが。

 重忠に従う者は彼の長男小次郎重秀、郎従本田、榛沢以下百三十騎余りである。

 異変を察知した重忠たちは、川向こうの鶴峰の麓に布陣した。ちょうど、鎌倉の畠山邸から重保殺害の報が届き、彼らは全てを悟った。


 郎従の本田らは重忠へ注進した。

「相手は数万の軍勢と言います。我々の兵力では勝負になりません。速やかに本拠に退き、兵士を集めて籠城しましょう」

「時間を稼ぐのです。前回のようにどなたかに間に入って頂き、我らの無実を将軍家に裁定頂くのです」

 幕府の草創期、重忠は梶原景時に讒言されたことがあったが、その際は友人たちの口添えで事なきを得た。

 しかし、彼は部下の言葉にほろ苦く笑った。目の前には、雲霞のように大軍が押し寄せている。おそらく鎌倉中の武将が参じているのだ。

「悪いな。受けいれられない。我が子が殺されたと聞いた以上はな」


 そして、徐々に怒りが込み上げる。時政は己れの孫を殺したのだ。北条との融和のため自分は前妻腹の重秀を退けてまで、重保を嫡男にしたというのに。

「軍将は家を忘れ、親を忘れて戦うのが本義だというが逆だな。俺は我が子を殺した北条のやりざまに仕返ししたい。命を懸けてでも」

 重忠は郎従たちを見渡して言った。

正治(しょうじ)二年の梶原の件を忘れたか。一時の命を惜しみ、敵に背を向けたやつは、異郷で名もなき侍どもに殺された。梶原と同じことをしてみろ、やはり陰謀であったかと疑われる。そんな恥かしい真似は俺にはできぬ」

 強大な権力者である時政相手に、か弱い将軍家に何を期待できるというのか。

 頼朝公亡き今、首領の威厳をもって東国武士を抑えるということはできなくなった。

 代わって似たような勢力の御家人同士が互いに足を引っ張り合い、あるいは目先の利害だけで手を組み、政敵を屠る。

 腹が減って、己れの足を喰らう蛸だの烏賊だのと同じだ。喰われるのは嫌だが、己れとて同僚たちを喰ってこなかったとは言えぬ。

「因果応報というのであれば、最後は華々しく行こうか」

 重忠はかたわらの息子と家臣へ微笑んだ。

 時政とて畠山の男児を皆殺しにしようが、さすがに女児は見逃してくれるだろう。そこに希望を求める。

 重忠は、三浦の祖父を攻め殺した(おの)が十七歳の初陣を思い起こした。

 あの日、激闘の末、八十七歳の祖父義明が託した遺言は、

「余命いくばくもない儂が、主家の再興に巡り合えるなど、これ以上の幸せはあるまい。この上は佐殿(頼朝)に老体を投げうち、子孫の勲功の足しにしたく存ずる――」

 あの日の祖父は幸福だった。子孫の輝かしい未来しかなかったのだから。

 今、重忠へ迫りくる敵の軍勢は昨日までの味方。皆、手柄を上げようと先陣を争っている。

 その大勢(たいぜい)のなかに安達景盛の姿があった。郎従七騎を引き連れて先頭に立ち、じゃぶじゃぶと川の中に馬の足を踏み入れる。景盛は戦いの合図に鏑矢をつがえた。

 これを見た重忠は大声で呼ばわった。

「弥九郎、お前とは若いころから日本中を転戦してきた仲だ。その友が万人を抜いて、先駆けてくるとは感動ものだな」

 弥九郎こと安達景盛は比企氏の裏切り者だった。

 そして、重忠の主君頼家の裏切り者でもあった。

「良い敵だ。一手、手合わせ願おうか」

 凄絶な笑みを浮かべて挑発する重忠に、

「おまえ何様だよっ。俺のことは金吾殿って呼べよ! もう、俺たちは昔とは違うんだよ。重忠」

 景盛は昨日までの同僚を呼び捨てにした。治承の旗挙げのころ、彼は流人頼朝の従者の息子に過ぎなかった。だが、今は衛門尉(金吾)の官職にある。

「出世したな。弥九郎」重忠は挑発をやめない。

 景盛は苛立ち、

「呼ぶなと言うに! どうしたんだ、今日はいつものいい子ちゃんをやめたのか」

 唾を飛ばして叫ぶ男へ、重忠は見下すように言った。

「その通りだ。俺はもう今日が最期だ。だからもう他人におもねるのはやめたのさ」

 重忠は解放されていた。彼の生涯の何もかもから。

「今さらだが言っておく。俺はお前が大嫌いだった」

「それがどうしたっ! 俺だってお前のことは大嫌いさ。いつだって人を格下に見やがって」

「違うっ、俺がお前を嫌うのは、平気で人を裏切るからだ!」

 重忠は太刀を引き抜いた。そして、かたわらの息子へ、

「行くぞ、小次郎!」

「はい、父上!」

 二人は同時に馬腹を蹴った。

 父子は轡を並べながら、川面に突っ込み、白い飛沫を散らした。

 安達の従者は、主人を討たせてはならじと体を盾にする。

 畠山の郎党たちも、主人を助けようと敵に向かって刃をかざした。水しぶきを上げながら、主従は一体となって敵に討ちかかった。

 彼らに恐れなどない。

 安達一族は重忠の軍兵のため散々に命を奪われた。


 矢戦、刀戦、それぞれ時を移しても勝敗はつかず、幕府の大軍は小勢を相手にかえって手をこまねき、一部の将兵らに戦いを預けるかたちとなった。また重忠相手に、本気で戦うことをためらう者も少なくなかった。


 しかし、陽が西に傾きかけたころ、総大将の義時が一気に(かた)をつけようと、射手らに一斉に矢を射らせた。そのうちの一矢が重忠を貫いた。彼の首級が幕府勢に奪われ、それを見定めた畠山の一族は長子の重秀以下自害に及び、戦いは終りを迎える。


 義時の陣所へ、切りとられた重忠の首が運び込まれた。

 彼の顔は血の気こそ失われていたが、安らかな死に顔だった。

――どうして、そんな顔で死ねるんだ。お前は仲間だった鎌倉中の武将から裏切られたというのに。

 重忠は四十二歳、自分より一歳年下の義弟という事実に、義時は胸が詰まった。

 憐憫などではない。

 それは生き物としての原初的な恐怖だった。梶原でも比企でも、族滅した家門の長は皆、自分より年上の者だった。年長者から順に権力へ近寄り、近寄り過ぎたがために滅ぼされ、それが当然だと思っていた。だのに、運命は自分を跳び越え、重忠に襲いかかった。理由は簡単だ。義時が頭を抱えて這いつくばり、保身を図ったからだ。

 重忠に幕府への野心などなかった。けれど、運命は彼を許さなかった。

 天理に否応はなく、本人の好むと好まざるにかかわらず、彼から全てを奪った。

 義時は運命そのものだった誰かを思い出した。しかし、それを無理にでも追い払う。

――逃れられない。

 己れが逃れえたのは一瞬だけだ。その一瞬のために、義弟の重忠を(にえ)にしたのだ。でなければ今頃、鎌倉で重忠と同じ目にあっていたのは己れだった。

 義時の両眼から涙が溢れた。

 一瞬の延命に成功した安堵と、永遠に繰り返される殺戮を予感しながら、

――俺は間違ってない。

 嗚咽をこらえ、自分自身に言い聞かせた。


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