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第四節 雪月花 北条の女(むすめ)

 和田合戦は和田勢の壊滅により終焉を迎えますが、戦後処理こそが統治者としての真面目(しんめんぼく)です。恩賞の配分や敗残者の救済――

 義時と実朝、それぞれが苦悩しながら、幕府の再建に力を尽くします。

 激戦の末、幕府勢は和田一族との戦いに勝利した。 

 けれど、それは首領たる実朝にいっさいの喜びをもたらさなかった。

 ずたずたに切り刻まれた心を抱えて法華堂を()、御所の焼け跡の匂いにむせながら、母の別邸である東御所に移った。


 けれど、実朝に、和田一族の悲劇を嘆くことも、行方知れずとなった朝盛を案ずることも許されない。翌日には、

「将軍家として当然の責務です」

 義時に引き摺られるようにして、焼け残った小御所の東面へ連れ出される。


 西御門では負傷した将兵を集めて実検がなされていた。御家人の負傷者は百八十人にも上り、うち、主だった者へ、労いの言葉をかけねばならなかった。


 そのなかの一人、義時の次男朝時――この大倉で朝比奈に斬りつけられた彼が、兄の泰時に支えられながら庭をめぐり、自分のもとへやってくる。それを見た実朝は、

――私のために。

 簾の中へ、脚をかばいながら入る従弟に涙が出そうになった。

――一時は大嫌いになって、遠ざけていたけれど。

 しかし、彼は大怪我と引き換えに、以前の身分を取り戻した。謹慎の身であったものを、罪を許されて、北条の権要の中へ。沙汰を受ける側から授ける側へ。

 実朝は、義時の横顔をそっと盗み見た。けれど、無駄だった。彼の顔からは何も伺えない。

 いつか、息子を呼び戻す機会を伺っていただろうに。

 ただし、それは、まかり間違えれば息子の命を奪ったであろう危険な賭け――だが、その父の賭けに朝時も応じた。思えば、彼の兄、泰時も同じだ。大将として幕府勢を率い、敵陣から矢を受け、命を落としかけたという。

 ()に、彼らは命を賭けたのだ。それは和田らと変らない。違うのはその結果だ。

 この戦いで実朝が突きつけられたのは、自分が何者であるかということ。そして、目の前にいる御家人たちが何によって参じたかも。

 将軍の一筆(いっぴつ)で全てが決し、それゆえ自分はその責を負わねばならなかった。

 負傷者への労いが終われば、合戦で勝利をもたらした御家人たちへ勲功の多寡を量り、応分の報償を決定せねはならない。けれど、それは実朝にとって(むご)すぎた。幕府勢の誰が和田の彼を討ったなど、とても耐えられるものではなく、途中で座を立った。


 その後の裁定は義時を中心に進められた。謀叛人の所領所職は幕府が一度取り上げ、戦功に応じて御家人たちへ配分される。

 後日、恩賞の沙汰が言い渡されたが、従兄を裏切った三浦義村は、先駆けの栄誉を別に申し立てた波多野忠綱という武将に奪われた。波多野も三浦と同様、血族のなかで官賊に分裂し、幕府内での生き残りに必死だった。

 将軍御前での裁定の日、二人は事前の聞き取りの際、大勢の御家人が見守る南庭で唾をとばし合う口論をくり広げた。その光景を見た義時は、

――こいつは俺とはろくに口もきけないくせに、格下相手だといくらでもしゃべれるんだな。

 義村を軽蔑することができた。

 内心、殴り合いにでもなればさらにおもしかろうと思ったが、立場上、それを許すわけにはいかない。

「将軍御前で正否を裁断する」として二人を実朝の前に連れ出した。

 憔悴した甥のようすを見とめながら、その目の前で義村と忠綱を対決(口頭弁論)させる。

 濡れ縁に座した二人は互いに一歩も譲らなかった。

 しかし、「一部始終を見ていた」という証言者が現れ、三浦義村の主張は退けられる。もちろん義時の差し金である。密約で多くの見返りを期待させながら、義村に過分な報償を与えるつもりはなかった。

 この合戦を期に、三浦が幕府内の地位を高めるなどあってはならず、将来の禍根を取り除きにかかったのだ。

 義時は、(ひさし)の間から一段低い簀子(すのこ)(えん)の義村を見おろし、

――『三浦の長者』の座を得たんだ。それで満足できるだろう。何より和田の道連れにならなくて良かったじゃないか。

 胸のなかで毒づく。

 義村は、共謀者たる相祖父の仕打ちに驚きの表情を浮かべたが、すぐに()の顔へ戻り、「では、他の戦功につきましては?」と返す。

 義時は、その問いの真意にどきりとしながら、

「今回の首謀者は三浦の長者にして、身内から謀叛人を出したそなたらに、これ以上の報償など与えられようか」と義村を見返した。

 強く出れば相手は退()くと。

 しかし、三浦はこれまでとは違い、目を逸らさなかった。

 視線を返された義時は二度ほど瞼をしばたかせたが、困惑は束の間に過ぎなかった。

 己れだけにわかる挑発に退く気はなく、結果、両者は眈々(たんたん)と無言の応酬を交わした。

――この裏切り者め。自分で何を言っているか、わかっているのか。

――裏切り者はどっちだ。散々世話になっておいて、自分が何をしたか覚えておらんのか。

――何をぅ。

――だいたい、お前、俺の心など読むな。

――心を読むって、それはお前とて、同じであろう。

――いや、お前が心を読もうとするから、俺とて読みたくもない人の心など読もうとするようになったのだ。

――いや、ちがう。それはお前の方が先だ! この俺から裏切られる前に裏切ろうと……

――ちがう!……

 互いに互いの瞳を伺うさまは、合せ鏡の無限反射だ。

 結局、先に目を伏せたのは義村だった。

「承知、致しました」彼は深々と頭を下げ、円座(わろうざ)を立った。

――譲ったのか、譲られたのか……

 去りゆく男の背中から、義時は目を離すことができずにいた。


 一方、対決を制した波多野は、裁定中、義村から、

「先頭を駆ったのは、この俺だ! 俺の目の前には誰一人いなかった。だから、思う存分矢を射ることができたのだ!」と言い募られ、思わず、

「誰もいなかったって? この下郎っ、どこに目ぇつけてたんだよ! その目ん玉ひっこ抜いてケツのあ――」

 と、将軍の御前で、聞くに堪えぬ悪口(あっこう)を吐いた。

 武将同士の醜い争い――


 そのときまだ上座にいた実朝も、ついに耐えきれず、青白い顔でその場を退出していった。

 裁定に残った人々は、波多野に対し、将軍御前で同僚を中傷したことは不敬にあたるとして、当件に関する報償は与えないこととした。

 全ては義時の意のままに。

 和田義盛の侍所別当は当然のように彼が引き継ぎ、これにより文武双方の権力が彼のもとに統合された。叛乱者の美作(岡山県)・淡路の守護職も北条の縁者に与えられるよう、根回しは済んでいる。己れが、合戦前に描いた絵図のとおりとなった。

 ただ一つ過誤といえるものは、古郡が泰時を射た矢を証拠に、記名していた味方の武将を罰し、所領を没収してしまったことだ。周囲が誤解をとくべく働きかけたが退くに退けず、全ては将軍家の意向として、後に義時が取り成すことにした。

――俺もこういう間違いを犯すのだな。

 義時は人知れず、照れくさくなった。

 泰時が矢を受けたと聞いたとき、心配で命が縮む思いがした。大切な我が子を傷つけられたと、怒りのあまり我を忘れての裁断だった。

 泰時といえば、先日の負傷者の実検で、けがをした朝時を支えて歩く光景を思い出す。人前では顔色一つ変えなかった義時だが、兄が弟を助ける姿、弟が兄を頼る姿を思い出すだけで、今でも涙が出そうになる。一度は義絶した次男も、

――これをきっかけに、あいつは立ち直れる。

 怪我を負ったことも含め、合戦が息子の糧になったと信じた。


 合戦から三日後、土屋義清の縁者が誅殺されるなど、戦闘の余波は続いた。

 実朝は雪ノ下に避難していた妻とともに、広元の邸へ入り、当地を仮御所とした。広元邸は合戦中の損傷が少なかったため、すぐさま将軍家の住居、政務の場として機能するよう図られた。


 政所の義時は、此度の合戦で戦死した者、生け捕りにした者を調べ、交名(名簿)を整えると、ただちに仮御所へ参じ、実朝へ披露した。

 実朝がおそるおそる交名を受け取ると、その目に飛び込んだのは、戦死者の筆頭に和田義盛、続いて嫡男の常盛の氏名――

 実朝は胸がつぶれそうになって目を背けた。けれど、戦いの責任者として心を押し殺し、交名の一覧を読み進めた。震える紙の上に、義盛の子息の名が次々と上がり、ついに、

「新兵衛入道」と朝盛の通称を見つけ、すっと血の気が退()いた。

 実朝の視界から色彩が失われ、

「御所、しっかりなさいませ、御所!」

 叔父の声が遠く遠くに聞こえた。

――北条の女は男を殺す。

 昔、誰かが言った言葉が脳裏をよぎった。


 気を失った甥のもとにこれ以上いても無意味と、義時は仮御所を退出した。

――これでますます、俺の出番が多くなってしまうな。

 そう思うと、どっと疲れに襲われる。

 気絶できる人間がうらやましい。自分はこの数日間ほとんど寝ていなかった。

 此度の和田との戦いで、己れはさらなる権力を手にした。将軍家を超える力を御家人らに見せつけ、和田義盛の侍所を我が物とし、所司(次官)には己れの被官を就けた。ゆえに、彼らは口を噤む。目を逸らす。大権の前にあって生き延びようと。

――だが、それが本当に己れの望んだものだったか?

 あのとき実朝へ放った、武家の自由自立という言葉――

 けれど、そんなものが真実この世にあるのだろうか。


 かつて我らは、朝廷支配の矛盾に立ちあがり、武力をもって幕府の存在を認めさせた。それで中央の束縛から解放されたと思い込んでいた。けれど、まことは我が身に矛盾を抱えただけではないか。

 合戦二日目、御教書を送られてようやく法華堂に参じた武将たちの顔が思い浮かぶ。自らは安全な場所に隠れ、北条が倒れることを望みながら、戦いの行方を伺っていた俗輩ども。

 所詮、彼らは幕府の御家人(いぬ)だ。

 自身が生きながらえるため、友を見殺しにする。求められれば自らの手で殺す。それが為せぬなら次は我が身だ。このどこに人として自由がある。

――あぁ、そうか。

 己れを振り返ればわかる。

 我らは、破滅の恐怖に追い詰められた果てに、我が身を解き放つ。(しがら)みを振り払う。そうして、武士本来の自由を手にする。

 それが束の間で終わるか否かは、賭けだ。

 (しく)()れば、一族ごとの滅亡。

 そう考えれば、今回の和田の抵抗も、我らの作法に則したものだ。

――皮肉なものだ。あれほど自由勝手に生きた男が、その極みを守ったとは……

 いや、当然の帰結か。

 武士本来の宿命にあって、

――ならば、我らは未来永劫、同じことをくり返すのであろうな。

 勝者たる義時にとっても、自由とは束の間、永遠に失い続けるものであった。


 実朝は梅の香りで目覚めた。

 傍らには朝盛がいて、頬づえをつきながら自分の寝顔を見ていた。恋人はすでに直垂を着ていたから、早朝、梅の香りを運んできたのは彼だと知れた。

「庭に降りていたの? 起こしてくれれば、一緒に花を眺められたのに」

 少し拗ねるように言ったのは、寝顔を見られた恥かしさからだ。

 けれど、彼は笑って、

「どんな夢を見ていらっしゃるのかなと想像するのも楽しくて、御所を起こすことができませんでした。本当に私は果報者です」

 学問所創設の発表からまもなく、朝盛は自信に満ちていた。

「さぁ、どんな夢でしたか」

「あのね……」

 もちろん、朝盛の夢だよと言おうとして、胸が苦しくなった。なぜだが急に怖くなって恋人にしがみつく。そして目をつむり、朝盛の匂いを思い切り吸い込んだ。

――梅の香りなんていらない。私が欲しいのは、この人の匂い。

 自分ごと彼の匂いに染まりたかった。

 目覚めたとき、実朝は寝所にいた。

 朝盛の姿は見当たらず、彼の匂いだけが鼻腔に残っていた。けれど、それも夢の名残りだと気づく。

 すでに辺りは暗くなり始め、実朝が意識を取り戻したと気づいた女房が、部屋に灯りをともした。かたわらで自分の顔を覗き込んでいた乳母の姿に、実朝は目を見開いた。

「叔母上、その髪はどうしたの」

 彼女の髪はばっさりと肩のあたりで切られていた。阿波の局は、

「ふふ、驚きましたか。まだ帽子(もうす)も僧衣も揃わなくて、恥ずかしゅうこざいますわ」

 阿波は自分の髪に手をやり、

「すごく軽くなって驚いてますのよ。これまでの俗世のしがらみの重さ、なんてものをしみじみ理解しました」

「それはもしかして、私のため? あの人のため?」

 主君に代り、実朝の()である朝盛の死に剃髪したのかと。

 けれど、阿波はそれには答えず、

「相州から言伝てを預かっております。死者の一覧のなかには、死亡の確認されていない者もおります。和田新兵衛や朝比奈三郎の名もありましたが、船で逃げたのを目撃した者がおりますと」

 義時からの伝言を淡々と述べた。

――あの人が生きているって信じていいんだ……

 実朝はわずかな望みにすがることができた。

「……叔父上にもやさしいところがあるんだね」

 実朝は少しだけ安堵し、それから阿波を見上げた。

「どうして髪を切ったの」

「私も、此度の合戦で和田の友人知人を亡くしてしております。それにもっと早くからこのことを考えていましたから……」

 阿波は夫を殺されたころ、一度、出家を考えた。しかし、残された子どもたちのことを考え、思いとどまったが、いずれは夫の菩提を弔う日々を待ち望んでいた。

「これからは阿波の尼と呼ばれるのですね。でも、慣れないせいか、何だか言いづらいですわね」

 彼女が局を返上するということは、

「叔母上は、もう私のところを出ていってしまうの」

「出ていくと言っても、姉のところに厄介になろうと思っています。ですから、お召しがあれば、いつでも尼は御所のおそばに参ります。御所が心配なさることはありません。お着替えのことやお食事のことなど、私がいなくとも、こちらの女房は優秀ですから」と、阿波は微笑み、

「毎日、御所に代わって和田新兵衛入道のご無事をお祈り致します」と言い添えた。

 けれど、阿波の言う『ご無事』とは、本当は『ご冥福』ではないだろうか。

 思わず、実朝の瞳に透明な膜がせり上がってくる。それを阿波が袖で拭いながら、

「三郎殿を本当にお好きだったのですね。御所は」

 阿波の言葉に、実朝は小さくうなずいた。

「それは三郎殿も同じでしょう。やきもち焼きの男どもはいろいろ申しておりましたが、女の私が見た三郎殿の御所への愛しみに、うそ偽りはありませんでした。いつだって御所を宝物のように大切になさっていましたでしょ。はたから見ても羨ましいくらいに―― 和田の男というのは、夢中になるとよそ見もできない人たちですが、三郎殿もまぎれもない和田の男、ということになりますね」

 実朝は驚いて尼を見上げた。朝盛をそんな目で見る者がいたのかと。

「えぇ、女というのは、一途に相手を愛する殿御を好ましく思う生き物です。御所の女房のなかで、三郎殿をわるく言う者はおりませんでしたよ」

 尼のやさしい微笑みに実朝は戸惑った。

 昼にしか顔を合わせぬ御所女房は、彼の一面しか知らない。

 実朝は朝盛の顔を思い浮かべた。

 昼の顔と夜の顔と――その笑顔はどちらが本物だったろう。いや、いつだって彼の笑顔には嘘と真が入り混じっていた。

「……あの人は、私のどこが好きだったのかな」

 実朝はぽつりと言った。

 恐ろしくて本人には決して言えなかった問い。

 主君の呟きに、阿波は微笑みをそのままに少し首をかしげながら、

「人が人を好きになるのに理由はいりません。けれど、私から見れば三郎殿にはどこにも属せないような、そのために必死で自分の居場所を作ろうとしているような……」

「あの人は居場所が欲しかっただけ? 私の力を使って……」

 実朝は、彼がねだった官位や学問所のことを思い出して、胸が苦しくなった。

 阿波は、今にも泣きだしそうな主人へ首を振った。

「何より、心の居場所だったと思います。三郎殿は和田一族のなかでも毛色が違いましたから、御所も……」

 そこで阿波は言葉を途切れさせたが、彼女の言わんとすることは、実朝にもわかった。

 自分も本来属するはずのない場所へ押し込められている身であったから。

 朝盛に大倉で初めて会ったとき、三浦三崎で再会したとき、どこか惹かれ合うものを感じたのは、互いの胸に秘められていたものが二人を引き寄せたから――

 尼の言葉がやさしい嘘だとしても、今はそれを支えにしたかった。

 実朝は、彼が自分へ最後に捧げてくれた歌を思い出した。

「私はあなたなしには生きられません。あなたのためなら命も一族も捨てます」

 あれは朝盛の心よりの言葉、彼の(まこと)ではなかったか。

 恋人、主従――彼にとって、二人の関係のどちらに重きがあったのか、もう確かめるすべはないけれど。

 実朝は徐々に自分の顔色が戻ってくるのを覚え、それを眺める阿波も満足げにうなずいた。

「少しお加減はよくなりましたか」

「うん。ありがとう。叔母上のおかげだよ」と、感謝の言葉を口にすることができた。

 そんな実朝へ、

「では、これから御所がなさるべきをお考えになってくださいませんか」

 ここで、阿波が居ずまいをあらためる。

「さきほど、御所は我が兄をやさしいとおっしゃってくださいました。しかし、恥ずかしながら、相州がやさしいだけの男ではないことを、御所が一番ご存じでしょう」


 翌日、実朝が「二度と倒れないから」と義時を呼ぶと、再び交名を持った彼が仮御所に参じた。

 実朝は、昨日の続き、死者の一覧のなかに朝盛の名を見て、またも目の前が眩んだ。けれど、

――大丈夫、あの人は生きている。大丈夫。

 そう自分に言い聞かせた。

 和田一族の死亡者は十三名、この他、小者・郎党は数知れず。また横山・土屋ら縁者・朋友の死者は百二十九名、これも小者らの数は含まれない。

――たった二日間で、この鎌倉でいったいどれほどの人が亡くなったの。

 生け捕りの者は二十八名、この人たちだけでも生かすことを考えなければ……

 そんな実朝の表情を読んだか、叔父は、

「敵にばかり情けをかけず、源家のために戦った者たちのことを考えてください」

 義時は、あえて源家(げんけ)という言葉を使った。

 父の頼朝から遡り、祖父義朝、曾祖父為義、さらには前九年の役(一○五一―六二)で東国武将たちをまとめ、奥州を平定した頼義や義家の代から連綿と続く源家の家督――すなわち武士の棟梁たる実朝を、累代の家臣たちが此度の戦さで、命がけで守り抜いたのだと。

 実朝は再び交名に目を落とした。

 味方の死者は五十人。官名()のある御家人は少なく、結局、勝者のなかで命を落とした者は、主人を体を張って守った従者ばかりだ。

 けれど、その後に付された「手負い、源氏の侍千余人」の文字を見たとき、先日、足を引きずりながら歩いていた朝時の姿が思い浮かんだ。

――自分こそ、何一つ傷つくことなく。

 敵の命も、味方の命も、行きつくところは、自分にあった。

――私一人のために……

 実朝は息苦しさに胸を押さえ、しかし、すぐに気を奮い立たせる。

 尼となった叔母と約束したのだ。

「せめて生き残った和田の女性たちがこの先も生きていけるよう、わずかばかりでも所領の安堵を試みてほしいのです」

 夫を亡くした阿波だからこその願い。それを叶えてやらねばならない。

 

 今回の戦さで、女性たちのなかには自分の親兄弟が和田方の夫を攻める、あるいはその逆もあり、離縁されても実家に頼れず困窮する者がいた。そのうちの何人かは御所へ女房として出仕し、見知った顔も多い。

 実朝は叔父の義時の顔色を伺いながら、女性たちの生計(たつき)の糧を整えるよう力を尽くした。

 母の尼御台にも力を借りた。兄頼家の娘や稲毛の孫娘など、失脚した身内の女児を養育していた母はこのようなことには慣れていた。

「勝手に戦さを始めた男たちは自業自得でしょうが、罪のない女子どもが苦労するなんて見ていられませんから」と、心強い味方となってくれた。

 義時も幕府も、尼御台の口添えを無碍(むげ)にはできない。母の助けもあり、実朝の努力は徐々にみのり、女性たちの生活に少しずつ目途が立ち始める。

 けれど、彼女たちの心まで癒すことはできない。失われた家族を補うことはできない。

 合戦から時を経ず、奥州に流されていた和田胤長が誅殺され、これを知った彼の妻は間もなく入水した。娘も失い、寄る辺をなくした彼女は生きる意味を見失ったのだ。

――私だって……

 彼女の行いに、心と体が引っ張られそうになる。広元の邸の池を、ぼんやりと見つめている自分に気づくときがある。大好きだった和田一族が滅び、恋人の安否も知れず、いつ心が折れてもおかしくなかった。けれど、抜け殻のままでいたら叔父の思うつぼだ。実朝は心を奮い立たせて、ばらばらになった幕府の立て直しに努める。

 大倉御所の文字通りの再建、人事の刷新。

 この間、鎌倉は天に見放されたかのように、地震による山崩れ、家屋の倒壊、日照りなどの災害に見舞われた。また、生き残った和田の縁者に与党の疑いがあれば裁断を下さねばならず、義時はこの機を捉えて反対勢力を追い落とそうと動いている。合戦後の数日、自分がぐずぐずしている間に、恩賞の配分ではずいぶん好き勝手やられた。実朝は挽回の機会を伺ってはいるものの、叔父にその隙はない。

 義時の独断への反発か、時おり街に合戦の余熱のようなものがあがる。意趣返しを企む者が出ぬよう、実朝は生き残った縁者らをなだめねばならなかった。

 そうして職務に忙殺されるうち、実朝は悲しみから目を逸らすことを覚えた。


 七月七日、五月の大地震の余震か、真夜中に地震があった。人々が寝ている時分だったため、いつもより大きく感じたが、被害は報告されなかった。五月の地震の際、陰陽師が「二十五日以内に大きな合戦がある」と予言したが、何事もなく一月以上が過ぎた。

 考えてみれば、大地震は五月二十一日、むしろこの日より前の二十五日以内に和田合戦が起きた。

「逆じゃないの」

「陰陽師もあてになんねぇな」

 そう人々は笑い飛ばそうとする。

 けれど、口さがない坂東武者が口にできぬこともある。

 和田残党の報復戦が近々あるのではないか、という畏れ。

 しかし、あの合戦から二カ月が経ち、人心は落ち着きを取り戻そうとしている。凄惨な過去から背を向け、彼らは日常の暮らしに帰りたがっていた。

 そんな人々の気色を読んでか、仮御所では和歌の会が催された。

 これは多忙な実朝へ、義時からの心遣いであった。

 朝盛を失った悲しみに、また甥がぐずぐず寝込むかと思えば、意外にも鎌倉の主として背筋を伸ばし、戦後処理にことあたろうとする。

 主君の喪失感につけ込んで、己れの思う通りに裁断しようと企ててはいたものの、それはそれでこの甥を見直さねばと改める。

――愛する者を失い、真に強くなろうと気構えが生まれたか。

 己れとて、何度も身内同士の相克のなかで経験してきたことだ。

 甥のなかには己れへの反発があることはもちろん承知している。だが、この鎌倉で、甥が亡き頼朝公のように御家人から畏れ敬われる存在となることは、義時の望むところである。

 実朝には武士の棟梁としての権威、己れは幕府の実務と分け担うことができれば、どれほど肩の荷が下りるだろうか。余人は義時が侍所別当を兼任し、権力を統合させたことで、己れの野望を叶えたように思っているだろう。しかし、それは逆に、御家人のなかで重職を任せる者がいないこととも表裏一体だった。幕府は、梶原景時のような逸材を未だ見出せてない。

――まぁ、その人材を減らしていったのは北条(われら)だが……

 悩める幕府執権は嘆息する。

 そんな彼の心中を知ってか知らずか、このごろ古なじみの安達景盛がひどく馴れ馴れしい。

 安達も和田合戦でずいぶんと活躍したが、

「相州殿、このたびは過分な報償、ありがたく存じます」

 和田の所領であった武蔵の荘園を得て気をよくしたのか、義時に臆面もなくすり寄ってくる。

 安達は歌もよく詠んだ。しかし、今夜は思うところあって召さなかった。

 彼の父親は流人時代の頼朝の従者で、伊豆にいたころからの知己だったが、義時はこの男をあまり好きになれなかった。

 安達は比企氏の裏切り者にして、先代頼家の裏切り者。畠山や前執権の時政、さらに従弟の平賀を見捨て時流に乗った男――それは、そのまま己れに重なる。

 三浦義村だけではない。幕府内では、どちらを向いても己れの鏡となるやつがいる。

 権謀だの、裏切りだのが得意なやつばかりが生き残るに、我ながらうんざりする。

 けれど、

――こちらも、選り好みできる立場ではないな。

 幕府を弱体化させること、それは再び中央政権をのさばらせることに他ならない。

 義時は幕府の体制強化のため、残された御家人や、何より将軍家との結束を強めねばならなかった。

「このところ御所もお忙しかったでしょう。気散じにでもと今宵(こよい)、七夕にちなんだ歌会を催しました」

 歌会など、めったに顔を出さぬ彼が、嫡子泰時とともに主君を手厚く持てなす。

 会には東重胤も呼んだ。

――さぁ、朝時のことは忘れてしまいなさい。

 そんな意図を含めて。

 しかし、義時とともに主君のそばに侍る泰時は、困ったように実朝の顔を伺った。

 父は典雅な催しに悦に入り、気にも留めていないが。

 七夕の歌会―― 

 今夜は天空の恋人たちが一年に一度の逢瀬を楽しみ、そして別離を惜しむ夜である。

――よりにもよって…… 父上は慣れぬことを……

 泰時の心配どおり、実朝は恋人を思い出して内心穏やかではいられなかった。

 夜空を眺める歌会など、どうしたって四月の歌会を思い出してしまう。

 和田一族との合戦、朝盛との別れの予感に煩悶した望月の夜……

 何より、あの歌会で、自分が彼に与えたものが(あだ)となったことがつらい。

 所領所識で人の心を掴もうなど、叔父を真似しようにも遠く及ばず、彼の実家との乖離を理解していなかったせいで、自分の真意は伝わらなかった。

――今思えば、あれば最後の……

 実朝は、思わずうつむきかけた。けれど、その顔をしっかり前に向ける。

 今宵もまた、正念場だった。自分にとっても、幕府にとっても。

 この歌会の開催に、義時の歩み寄りを感じた。それを徒にしてはいけない。

 ご機嫌な叔父に合せ、どうにか笑って会を終えた。


 数日後、実朝は仮御所で、義時から酒杯を献じられていた。このところ、叔父はよく自分を取り持つ。何かあるなと察していたが、案の定、

「和田の囚人のなかに、富田三郎というおもしろい男がおりましてね。(かなえ)を持ちあげて大石を割るという力芸を持っているそうで」と言い出した。

――そら、来た。

 義時のやり方はよくわかっていた。実朝も気づかぬふりをして、

「そうだね、相州が言うのなら、富田の力芸を見てみたいね」

 主君の言葉に、義時はさっそく富田を呼びに行かせた。

「和田といえば」

 実朝は、さりげなくを装って口を開いた。

「和田金吾の妻女のことだけど、いくら一族の者だといっても女性に罪はないよね。それに妻女は豊受(とゆけ)(だい)神宮(じんぐう)の神官の縁者でしょう。今回のことで妻女の所領まで取り上げたそうだけど、そもそも、その土地は社領だったと聞いたよ。神仏を敬う私としては見過ごしにはできないのだけど、どう思う? 相州」

 実朝は義時の目を見た。

――叔父上が助けようとする富田を私も助けたい。その代わりに私の願いも聞けませんか。

 そう言外に含ませた。

 義時は、表情一つ変えず頷き、

「御所の御賢察、しかと承りました」と述べ、側近に何かを命じる。

 実朝はほっと安堵して富田を待った。

 やがて、富田がやってくる。思ったとおり体格のよい男だった。力芸の道具も運ばれてきた。が、それは鼎ではなく、一対の大鹿の角であった。焼け残った大倉の宝物庫に仕舞われていた珍品で、少し前に奥州から献じられたものだった。実朝は、すぐに叔父の意図を悟った。

「鼎は重すぎて運べませんでしたので、代わりのものを用意しました」

 それこそ、富田に運ばせればよいものを。

「さぁ、富田、この鹿の角を、二本まとめて折ってみろ」

 義時に命じられるまま、富田は上着の袖をまくりあげ、鹿の角の両端を掴むと、ぐっと腕に力を入れた。角はばきばきと乾いた音を立て、大きく分かれた枝が富田の逞しい腕を傷つけながら、たちまちにへし折られる。

 周囲の人々からどよめきが起こる。いく分、戸惑うような。

 実朝は御家人たちの視線を感じ、酒杯を持ったまま息もできなかった。

 その主君へ、

「この鹿の角は、滋養強壮の薬として御所が特別に求められ、私がほうぼう手を尽くして探し出したものです。鹿の角は大きければ大きいほど、薬効があると聞きます。が、なにぶん大き過ぎたため人の手に余りました。こうして富田が折ってくれたことで、薬師たちも加工しやすくなったでしょう」

 と、義時が披露する。そこで人々はようやく、

「そうだったのですか、いやはや」と、手を叩き、富田を称えた。

 実朝もどうにか心を立て直し、

「すばらしいものを見せてもらったよ。富田、これに免じて、そなたを許そう」

 と、富田を讃することができた。

 叔父義時へ、少しは対抗できたと思ったのも束の間だった。権力を行使するということがどういうことか、段違いの相手に見せつけられ、今はただ叔父に屈する他なかった。


 主君に苦杯をなめさせた義時ではあるが、実朝との約束は守り、後日、和田義盛の妻は恩赦を受ける。実朝は心が折れそうになるのをこらえ、日々の行事をこなした。


 八月三日、大倉御所の上棟式が行われた。将軍以下鎌倉の要人が南庭へ入御するなか、騒ぎが起きた。

「金吾殿の仇!」

 叫び声のほうへ、実朝は振り向いた。義時の参列を狙って、和田の残党が群衆に紛れ、一太刀浴びせようとしていたらしい。先月にも似たようなことが起きたが、こういった式典では、儀式の進行に人々の意識が集中するため、隙をつかれやすいのである。

 凶徒はすぐさま周囲の者に取り押さえられ、

「皆の者、鎮まりなされ、将軍家の御前にありますぞ」

 義時は、御家人らを落ち着かせた。

 その手際の良さ。

――己れが命を狙われたというのに。

 実朝は、儀式を滞りなく進行させる叔父を見つめた。


 自分がどんなに対抗しようとしても適わぬ相手に、実朝はほとほと疲れ果てていた。

 御所の上棟式という区切りを終え、張りつめていた気持ちがゆるみ、疲労感に押しつぶされそうになる。当の義時が、体をいたわるよう休みを与えてくれたが、体を動かさぬ分、余計に数ヶ月前のできことが心に蘇ってしまう。

――和田一族との開戦を、どうすれば事前に止められただろう。

 常盛たちを上手になだめることができたら、もっと早くに叔父の企みに気付くことができたら、そもそも御家人たちの謀叛を未然に防ぐことができたら――後悔は自分の不甲斐なさに帰ってくる。全ては、自分が恋人にうつつを抜かしている間に進んでいたのだから。

 実朝は、息苦しさに上着の衣をはだけ、脇息にもたれかかった。

 風も秋めいて過ごしやすくなったが、庭の草木は盛りを過ぎ、寂寥(せきりょう)とした眺めは自分の心象とも重り、このまま何もしたくなくなる。

 先日、(みやこ)の歌の師、藤原定家から双紙が届いたが、開く気にもならなかった。

 定家が実朝の師として歌の添削をしてくれるのは才能を見込んでのことではない。関東の長者(富豪)に関わることで何がしかの利権が欲しいからだ。彼は少し前、勅撰和歌集のことで上皇から御不興を買った。その反動で鎌倉へ近づこうとしているのだろう。実朝が気乗りしないときに詠んだ歌でさえ、素朴な歌です、素直な歌ですと、絶賛されてしまう、張り合いのなさである。

 京の人たちは、恋人と別れても、親しい者が亡くなっても、歌に技巧を使い、自分の心情を詠み、人に披露する。けれど、今の自分にはそれができない。生まれながらの東人(あずまびと)が都人の真似をするなど、とうてい無理なのだ。

――最近、歌を詠むこともなくなったな。

 途端、歌の上手な恋人の顔が胸に浮かんだ。

 今まで封じ込めていた思いが溢れだす。

 生きているか、死んでいるかもわからぬ恋人。

 そして、もう二度と会えることはない恋人。

 実朝は、ぽろぽろとこぼれる涙をおさえることはできなかった。

 後日、この邸の持ち主にして双紙を仲介した広元は、京の定家へ、

「将軍家は双紙を特に気に入られ、大変ご満悦の様子です」と手紙を書き送った。


 真夜中、実朝は南庭に向かい、一人、歌を口ずさんでいた。

 大倉の新御所への入御を、二日後に控えた晩だった。

 部屋の灯りは消え、人々が寝静まるなか、虫の音に耳をかたむける。

 欠けはじめた月の色を眺めているうちに、いつの間にか歌が口をついて出た。

 去年の今ごろ、朝盛から贈られた歌だ。歌い手の軽薄さそのままに、遠く離れても想っていますとか、死んでも愛しますとか、恋人が好みそうな言葉ばかり選んで。

――うそつき。生きているかどうかも私に報せないで。夢にも現れないで。

 実朝の瞳は虚空をさまよった。

 南庭の衛士は、主君の口ずさみを切れ切れに聞いていたが、庭の一隅に、ふいに光るものを見た。灯火めいたそれは、ふわふわと漂いながら突然光を強めたかと思うと、一人の若い女性の形をとり、庭の外へ走り出ようとした。

 不審に思った衛士らが名を訪ねようと近寄った。けれど、女は無言で、するりと彼らの間を抜け出ていった。さして早足とも思えぬのに、警備の者たちは誰一人制止することはできなかった。やがて門外に飛び出した女は再び光り物となって、空へと消えた。

 夢のようなできごとに、急ぎ、陰陽師が呼ばれた。

 実朝へも一連の報告がなされたが、動じたようすはなかった。

 陰陽師から、

「いかが致しましょう。悪霊封じの祈祷を致すべきでありますが」

 と問われたが、実朝は相手に目を合わせることもなく、

「いいの。何もしなくて」

 脇息に寄りかかりながら、うつろな目のままで答える。

 しかし、陰陽師も何か察することがあったのか、使いをやって道具を取り寄せると、南庭に祭壇を整え、死者の霊を招いて慰撫する招魂祭を行うという。

 実朝は、彼らの支度をぼんやりと見ていた。

 先刻、走り去った女の姿、あれは我が身の分身だった。

 実朝の女の部分、行方知れずとなった恋人を探し、この体から抜け出した自由。

――では、ここにいる私は何? 抜けがら?

 傍らには、侍女が心配そうに自分を見下ろしてしていた。

 いつの間にか、自分は横たわっていたのだ。

「あの、お召しになられているお着物をお借りしたいと……」

 言いづらそうに伝える侍女に手を取られて体を起こすと、なすがままに上衣を譲る。誰の指示か、すでに周囲には几帳がめぐらされていた。

 陰陽師も、実朝が怪異の由来だと気づいているのだろうか。体に力が入らず、意識も濁っている。このまま息絶えても良いと思った。だのに、陰陽師や僧たちは祈祷を始める。

――もうやめて、私のことなんて放っておいて。私の分身を引き戻さないで。

 自由になった魂魄を、もう一人の自分を。この御所から、この鎌倉から、自分を閉じ込めるこの世界から。

 実朝は、ふいにひらめく。

――そうだ、飛ぼう。私だって飛び上がって、あの人を空から探せばいいんだ。

 実朝の体は軽くなる。いや、体はその場に残し、実朝の意識は先に逃げ出した分身を追いかけるように、薄暗い部屋のなかから月明かりの庭へ。

――このまま、高く高く、天へ駆けのぼるの。

 実朝は中空へ、けれど、上昇はそこまでだった。ふと足元から、護摩の煙が白い触手のように伸びて、実朝の体を絡め取る。それは前庭の祭壇から繋がり、実朝を捕えて離さなかった。

――やめて、やめて、私には行くところがあるの。

 陰陽師の祈祷は止まなかった。自由を奪われた実朝は抗うこともできず、本来の体へと引き戻された。実朝は、陰陽師、あるいは古代よりの秘法を侮っていた。

 気がつけば、臥所のなかで天井を見上げている自分がいた。

 どこに行くこともできぬ自分――

 周囲には、見知った女房の顔、乳母の顔、そして母の顔があった。

 皆の目には涙がにじんでいた。

――逃げても、逃げても。

 逃げることは許されなかった。


 次の日、深夜に大きな地震があったものの、翌日の新御所への入御の儀は日延べされず、秋晴れの空清(さや)かに、広元邸より将軍家の行列が出発した。

 隋兵は三浦義村を先頭に、武田信光、波多野忠綱、小山朝政、安達景盛と、和田合戦で活躍した面々が続く。前駆のあとを京より招かれた殿上人が通り過ぎ、実朝の輿が進んだ。予定では京都から特別仕立ての牛車が届くはずだったが、間に合わずに御輿が用いられた。

 武士の棟梁が、車だの輿だのに乗る――鎌倉の人々にはもう見慣れた光景だった。

 将軍家の輿は御簾が上げられ、束帯姿の実朝が()していた。心なし顔色が青みかがって見えるのは、御簾の影のせいだろう。

 御剣役の泰時が徒歩(かち)で付き添い、後駆の先頭に義時が続く。

 実朝の御輿が南門から入る際、陰陽師が剣を手に、(じゅ)を唱えながら独特の足取りで進む反閇(へんばい)の法を行った。水火の童女(一人は水盥、一人は灯火を捧げ持つ)を従えながら南庭の土を踏みしめ、邪気を払う。

 実朝は陰陽師のあとに続き、西廊から御輿を降り、寝殿に入った。

 しかし、これを見た中原広元が、

「御殿移りの際は、すぐに寝殿にお入りになるべきなのに、この儀は普通の作法ではありませんな」と呟き、しきりに首を傾げた。

 その後の尼御台入御、御家人らの垸飯・献杯がすむころにはすでに夜となり、執権の義時が持参した吉書を実朝が覧じて、亥の刻(午後八時ごろ)、厄除けの護符を将軍寝所の天井の上に置き、これをもって殿移りの儀を終えた。


 このところの怪異を鎌倉の住人はどう受け止めたか、翌日も鶴岡八幡宮に大小の黄色い蝶が群集し、人々を驚かせている。それでも転居による儀式は続き、殿移り後の御成り始めは、正月と同様、実朝は広元の邸へ向かった。

 そういえば、今年正月一日の垸飯は例年とは異なり、義時ではなく広元が任された。

 根回しは義時によるものだが、実朝には叔父の意図が見え透いていた。

 御家人らの嫉妬をそらすため、時々に主君に次ぐ席を他人へ譲ってみせる。好いことづくめではいつか足元をすくわれることを知っているのだ。(その深謀が必ずしも成功するとは限らないが)義時にとって京出身の官吏の広元は良い隠れ蓑だったのだろう。

 今回も、義時は広元に譲った。


 数日後、広元の娘が死んだ。わずか六歳の愛娘を失い、広元は年甲斐もなく泣いた。

 先日の蝶の怪異で、兵乱の前触れだと言う者がいたため、八幡宮では百怪祭が行われたばかりだったが、

「あれは、兵乱の前触れなどではなかったのだな」

 幕府重臣の家族に不幸が訪れたことを、人々はそのように解した。

――好いことづくめではいられない。

 人の嫉気はともかく、叔父が天の勘気をかわしたように、実朝には思えた。


 九月も半ばを過ぎたころ、大倉の実朝のもとへ急を告げる使者が参じた。

 日光山満願寺の別当から、

「当山のふもとの寺に、故畠山重忠の遺児で出家した重慶(ちょうけい)という僧がおります。この重慶が浪人どもを集め、寺に籠って何やら一心に祈祷をしております。これは謀叛に違いありません」と、取次の源仲兼から使者の口上を伝えられた。

 実朝のかたわらには、ちょうど下野出身の長沼五郎宗政が伺候していた。長沼と日光山別当は北関東の権要同士、親戚にあたる。

 実朝は長沼へ、

「別当の訴えは、謀叛に違いないとしながら、十分な証拠もないんだよね。この件は私の目の前で裁断させるから、重慶を連れてきてほしい」

 非業の死を遂げた義理の叔父のこともあって、実朝は慎重を期した。

 何より、重慶は従弟にあたり、

「必ず生け捕りしにするんだよ。くれぐれも間違いは起こさないように」

 幾度も念を押して長沼を送り出した。

 長沼は小山朝政の弟、結城朝光の兄である。治承以来の御家人の彼は武功の多い一方、幕府内の勢力争いから一線を画しており、坂東武者の典型である『口は悪いが心はまっすぐな男』という印象があった。若いころは血の気の多い人物だったと聞くが、さすがに五十路を過ぎた男が早まったことはすまいと、実朝はすっかり安心していた。


 主命を受けた長沼は古例にのっとり、自邸には戻らず、

「おまえら、このまま真っすぐ日光山に向かうぞ!」

 わずかな郎党を連れ下野へ向かった。報せを受けた邸の者たちが弓箭で武装し、慌てて主人を追いかけた。それを見た街の人々は、

「また合戦でも起きたのか」と驚き、ちょっとした騒ぎになった。


 七日後、長沼が重慶の首を持って南庭に参じたと伝えられ、実朝は気を失いそうになった。怒りのあまり――

「あれほど、生きて連れて帰れと言ったのに!」

 久しぶりにかんしゃくを起こした。

「重慶の父は過ちなくして誅された。その遺児が陰謀を企んだとしても不思議じゃない。でも、その陰謀だって実否は確かめられてない! 命令通り、重慶を生け捕りにして聴取の(のち)沙汰すべきところを、殺してしまうなんて!」

 大きく息をつき、南面から居室へ引き籠った。

 しかし、長沼はさらに辛辣だった。事情を聴くため、近侍の仲兼が間に入ったが、

「歌や蹴鞠にうつつを抜かす将軍家は、何にもご存じないようですな!」

 長沼が大声を張り上げたので、廊を渡る実朝の耳にも届いた。

 実朝は先日、火取り沢まで足を伸ばし、当地を散策し秋の草花を愛でた。時房や泰時、三浦義村、結城朝光ら、歌の上手を誘って和歌を詠んだが、それが鎌倉に戻った長沼の耳にも届いたのだろうか。

――そのあてこすりか!

 今月は、御厩(みうまや)別当の三浦義村奉行による(こま)御覧(ぎょらん)が催され、千人を超える(にぎ)やかな行事となった。義時にも手伝われながら御家人らへ名馬を下賜し、将軍らしい役目を果たしたと思っていた。

 実朝にとって、火取り沢の散策は、武の大事をなしたあとのささやかな息抜き、しかし、それとて将軍家としての文の事業であった。だのに、風雅を嫌う長沼に主君への容赦はなく、

「御所が重慶を生け捕るよう命じたのは、かの僧を救いたいというお気持ちからだと承知しておりました。また、ご命令通り、重慶を連れて帰るのは容易いことでした。ですが、それでは御所の女性らが助命し、裁定を正しく行うのに支障を来すでしょう!」

 と、南庭でわめき続けた。

 彼の言う御所の女性らとは尼御台や阿波の尼など実朝周辺の近親女性のことだ。

 長沼は、母たちの幕政への口出しが気に食わなかったのか。女の分際でと。

 けれど、逆にいえば幕政を任せられる男がこの東国にどれほどいるのか。

 武芸一辺倒の、この長沼を含めて。

 彼はなおも、

「裁定に女性が口出しするなぞ間違いのもとです! だから私は、敢えて重慶を当地で誅殺してきたのです。だいたい御所は女性ばかりを大切にして勇者を軽んじ、武芸は廃れる一方ではありませんか。故殿のころは武士が武士として認められておりましたのに、近年は合戦での恩賞すら女性に贔屓なさる。没収した土地を勲功のあった者に与えず、五月の和田征伐でも先年の畠山征伐でも、合戦に関係のない御所女房に与えてしまったではありませんか!」

 長沼は目をつりあげ、その他悪口(あっこう)は数限りなかったという。

 詳細を報告する仲兼も言いにくそうであったが、実朝は強いて彼を促した。

 当然、仲兼は言葉を選んで伝えたが、長沼の暴言のひどさは想像できた。

 しかし、彼の直言はいくつも聞き捨てならぬものがあった。

 所領の配分に関してはいえば、五月の合戦については実朝にも考えがった。和田の女性たちは御所に勤めていた者も多く、出仕を停止せざるをえない彼女らを、縁者の女房らに世話を任せる約束で土地の権利を与えたのだ。

 また、八年前の畠山との戦いでは、自分には何の権限もなかった。叔父の義時が当時の執権、時政との対決を控えていたため、立場を明確にしなかった御家人たちへ、妻を通じて所領を与え、夫を転向させるという彼一流の寝刃ねたばをしこんだのだ。が、考えてみれば、小山の三兄弟のような幕府への忠誠心の厚いものほど、その恩恵に預かれないという矛盾も生じた。当時の義時の措置に対する遺恨が、今になって噴き出したのだろうか。

――だからって私に文句を言うのは筋違いだ。人の気も知らないで。


 実朝は怒りがおさまらず、長沼に謹慎を命じた。母を含めた幕政のあり方や、日ごろ思うところあった義時も庇ってやりたい気持ちになった。

――我々だって、一生懸命にやっているのに。なんで、そんなことを言うかな。

 さらに、長沼の言葉の端々からにじみ出る、絶対的な女性への否定、実朝への否定。

 長沼は実朝を、武士の棟梁と認めないと言っているようなものだった。

 しかし、後日、彼の暴言が鎌倉中に広まると、

「よくぞ我らの思いを代弁してくれた」

 長沼を称賛する武将も多かったという。

 実朝は、自分はいまだ御家人たちの信頼を取り戻していなかったことに気づかされる。

 彼らは昔を懐かしがった。

「故殿のころは良かった。武士が武士として認められた時代だった」

 しかし、武士が武士として認められるとは、その前提に合戦がある。人の命のやりとりがある。それは自分のもっとも望まぬものだ。


 翌日、実朝はひそかに僧を呼び、重慶の冥福を祈らせたが、

――平和な時代に、長沼のような者は生きづらい。本来の武士ほど生きづらい。であれば、武士の都、武士の棟梁というのは何のためにあるというのだろう。

 ここで、またも迷う。

 ただ、長沼の暴言に関しては、すぐに近習の結城朝光が、

「馬鹿な兄が馬鹿なことを申しまして」と主君へ詫びた。

 また長兄の小山朝政も、

「馬鹿な弟が馬鹿なことを申しまして」と謝罪に訪れた。

 親兄弟が殺し合いを演じる武士の世界にあって、いい年した大人が兄弟のために頭を下げにやってくる、この光景は決してわるいものではなかった。ついには、義時までもが、

「長沼は幕府や将軍家のことを考え、重慶を誅殺したのです。あの男の言葉づかいはどうかと思われますが、良主というものは耳の痛い臣下の進言も聞くものです」

 和田合戦では波多野忠綱の活躍を「言葉づかいがわるい」と無効にしたくせに、友人の小山から頼まれたのか、実朝に長沼の宥免をすすめるのだ。

「長沼五郎が重慶を殺したのは、畠山の叔父上と何か因縁でもあったの」

 実朝が仕方なく義時に訪ねると、

「長沼は生前の梶原と年はだいぶ違いましたが、かなり懇意にしていましたから」

 義時は過去の経緯を語った。

「畠山と梶原が互いに反目しあっていたのはご存じでしょう。両人は出自も人柄も、ずいぶんと違いましたから」

 一方は自分の才覚だけで頼朝の側近となった成り上り、一方は武蔵の名門。

 治承の旗挙げから間もなく、梶原は畠山を陥れようとしたらしい。が、例によって頼朝の意向があったかはわからない。当時は畠山の潔白が証明され、十数年後、頼朝という後ろ盾を失った梶原が失脚する。きっかけは、結城朝光を頼家に讒言した、その反動だった。

 長沼は実の弟と年上の親友との間に挟まれ、さぞ苦しんだだろう。

 しかも、煮え切らぬ彼の態度は兄の小山を激怒させ、

「友人たちが命懸けで弟の身を案じているに、お前という奴はっ! 梶原の権勢を恐れてのことかっ」

 同僚らの前で厳しく叱責されたという。

 実朝は長沼に同情を覚えた。

――あの顔の怖いお兄さんから怒鳴られるなんて、私だったら泣いちゃうよ。

 当時、梶原の排斥には畠山も加わっていたが、その遺恨に、十数年の時を経て復讐したというのか。

「いや、長沼が梶原と懇意だったとはいえ、今さらそれはないでしょう。それより、梶原が滅ぼされたあとの彼の行いに、我々は感心させられたものです」

 長沼は、生き残った梶原の幼子らを引き取った上、下野の自領の一部を分け与えている。

――長沼五郎って、すごくいい人じゃないか。

 身を削ってまで弱い者を救うなど、(さい)(ろう)のような坂東武将の行いとは思えない。

 実朝は、自分の知らぬところで自分と同じような志を持ち、実行していた長沼を見直したくなったが、であればこそ、

――重慶を討ったのはなぜだろう。

「確か、日光山の別当は、長沼の親類だったよね」

 実朝が思いついたことをそのまま口にすると、義時は、

「それはそうですが……」と、言葉を濁した。

 所領か何かの問題で重慶を疎ましく思った別当が、たまたま捕縛に訪れた親戚へ殺害を依頼したのか。勢力争いとは無縁と思っていた長沼も、結局、幕府の宿老と変らなかったのか――そう疑えばきりがなかった。

――もとより、この叔父上が長沼を唆したとしても不思議ではないんだ。だからこそ、彼の宥免を乞おうとしているのかも。

 実朝は義時へも疑惑の目をむけたが、すぐにやめた。

――こうして、人が人に対して疑心暗鬼となるから、不要な争いが生まれるんだ。

 それに比べて長沼の率直なもの言いは、心に疾しさを持つ者が言えるものではない。

 彼の直言は自身を利するものではなく、真に幕府の現状を憂えての言葉だ。

――むしろ、彼のような者こそ、幕府に必要ではないか。

 実朝は長沼へのわだかまりを乗り越え、一月ほどで彼の出仕を許した。


 義時は、実朝の変化に気づいた。

 日光山の一件を経て、和田の敗残者の処遇にばかり気を取られることなく、武家の棟梁として幕府全体を見渡そうとする、そんな甥の姿に、

――長沼が怒らせてくれたおかげで、真に前を向く力が湧いて来たか。

 再び、主君に期待することができた。

 今年は鎌倉だけでなく、奈良でも暴動が起き、朝廷から治安維持の催促をされ、出費もかさんだ。やつらは何かあると鎌倉を頼る。武力ばかりではない。秋の収穫もとっくに過ぎた十月になって、西国の将軍家直轄領へ臨時の税を課したのだ。

 幕府の評議では、広元がまっさきに、

「こんなもの、急に言われましても困ります。いっさい取り合ってはなりません」

 京下りの文官は存外、京に厳しい。義時は朝廷と摩擦を起こしたくなかったが、こちらの言い分も伝えねばなと思っていると、上座の実朝が口を開いた。

「ちょっと待って。一方的にこちらから断るのは問題があるよ。朝廷には『急に命じられても当国の者が対応できませんので、今後は期限に余裕をもってご用命くださいませ』と伝えて、先方にお伺いを立てる(てい)でお断りしよう」

 幕府が下手に出てもいけない。かといって京の権威をないがしろにもしない。その微妙な均衡を、理をもってあたろうとしている。

――男にうつつを抜かす前に戻ったか。いや、もっと……

 義時は、甥の回復ぶり、成長ぶりを見るのであった。


 小雪(しょうせつ)の初候に、京の定家から相伝の万葉集の写しが届いた。とても貴重なものを贈られ、実朝はそのうちの一冊を手に取ったが、素直に喜べなかった。

 秋に定家から双紙を贈られた際、仲介した広元が気を遣って、

「何か所領のことで問題はありませんか」と訪ねていた。

 京人同士、相手の下心を見透かして。

 これに、定家はさっそく返事を寄越した。

「私は伊勢に所領をもっておりますが、当地の地頭が非法を働き、経営もままなりません。歌の道に精進するばかりで、世事に疎い私はなすすべもなく年月が経ってしまいましたが、領民どもを安んじるためにも何とぞよきようにお計らいくださいませ」

 これを伝えられた実朝は、すぐに伊勢の件を裁定し、道理にそむいた地頭の職を停止させた。

 今日の万葉集は、その礼である。

「三位殿(定家)には歌の道があって良かったね」

 広元へ呟いた言葉は皮肉になってしまった。少し前までは、和歌の才によって上皇から重用されるも、御勘気を受ければ実朝にすり寄る定家を評して。

 自分の裁定に一点の曇りもないつもりだが、

「将軍家は自ら任命した地頭より、歌の師のほうを贔屓したのか」

 一部の武将たちの非難を覚悟しなければならなかった。


 自分がどんなに手を尽くしても、取りこぼしてしまうものがある。

 先月も、和田方の囚人を何とか延命させながら、結局首を刎ねることになった。囚人は「赦免の期待をさせておいて、やっぱり死ねとは、あんまりだ」と言い残して果てた。

 幕府内の力のせめぎ合いのなかで、人の心を翻弄させたことが苦しい。


 十一月、兄の三男、千寿が出家した。義時が尼御台のお計らいとして、御所内で執り行わせたもので、今後また、反対勢力に担ぎあげられることを恐れたのだ。

 十三歳の千寿は元服を控えていた。

 それを俗世から外し、源氏の流れから外すということ。

――あの子は長生きすることができるのだろうか。

 千寿を生き延びさせるために仏弟子にさせたと、それが母の真意だと信じたかった。

 反義時派に担ぎあげられたという千寿の過去。

 その汚点(しみ)が雪がれることを祈るばかりだった。


 十二月に入ってすぐ、御所の近辺が大火に見舞われた。時房や広元、八田知家の邸が焼失した。彼らの名前を聞いて、実朝はとっさに和田の残党の報復かと思い、

「叔父上の邸は無事か?」

 思わず、取次ぎの者に訪ねた。

「ご無事だそうです。――相州殿のお邸は警固が厳重でありますから」

 主君の胸を読んでか、取次ぎは一言、添えた。

「結局、一番わるい人間が……」と、思わずこぼしそうになって、慌てて口をつぐむ。

 火事にあった邸主たちも無事だったらしい。実朝はさっそく見舞いの使いを遣った。

 二日後、実朝は和田一族の冥福を祈るとして、亀谷の寿福寺で法要を行った。

 当地は土屋義清の邸地があったため、周辺には合戦に参加しなかった、あるいは許されて放免となった彼の縁者らが住んでいた。この法要によって、世の安寧を祈る自分の気持ちが、死者にも生き残った者たちにも届くことを願った。


 (おお)三十日(みそか)、今年最後の日、実朝は三浦義村を呼んだ。

一昨日(おととい)は大儀だったね」

と、彼をねぎらったのは、二日前、御所内で義時の九歳の息子の元服が取り行われ、義村が烏帽子親を務めたからだ。彼に加冠役を命じたのは実朝だった。

九歳(ここのつ)で元服というのは早過ぎたよね。でも、行儀見習いのつもりで出仕させればいいかな」

 義時の息子は義村の一字を授けられ、政村と名付けられた。

「政村を我が子と思って、かわいがろうと思います」

 こういうことが平然といえる彼に、実朝はほろりと笑った。

 和田義盛亡き今、執権の義時に対抗しえるのは三浦義村だと誰もが思っている。本人にその気がなくとも、人々の憶測は不安を醸造させる。それを未然に防ぐための、実朝なりの方策だった。泰時と義村の娘はだいぶ前に離縁していたから、義時がかわいがっている息子を三浦の烏帽子子(えぼしご)にすることで両家の紐帯をつくりたかった。

 両人とも思うことあったらしく、実朝の命に唯々として従った。これは実朝が、今年のうちにやっておきたかったことの一つだ。

 去る十五日、朝廷より改元の詔書が届いた。この十二月(しわす)六日をもって建暦三年を改め、建保元年となすと。天変地異が続き、京や奈良で僧らが暴れたことが理由だという。

 自分たちのことしか考えない公家どもである。和田の乱や、今も余震が続く関東の大地震のことなど眼中になかったろう。しかし、実朝にとって、今年中の改元は意味のあることのように思えた。

 一つの区切り。

――もう戦いはよそう。生きている者が心あらたに、新年を迎えねばならない。

 そして、もう一つやっておきたいこと、やらねばならぬことがあった。

 数日前から実朝は自ら筆をとり、和田一族の冥福を祈りながら円覚経を写していた。

 この経は、苦しみの中にある全ての衆生を救うという大乗経典の一つである。

 大乗――その字の通り、この世の全ての人々を、理想世界である彼岸に運んでくれる大きな乗りもの……

 実朝には、仏の大きな(たなごころ)が差別なく人々を掬いあげるようすが浮かんだ。

 全ての人に、平等に――罪を犯した人間も大乗の教えであれば救われる。

 いや、和田一族の罪など、勝者が敗者に押しつけたものだ。それをなお罪だというのであれば、武士は皆、罪人だ。

 武士は生きるために人を殺す。人殺しを生業とするのが武士。勝者も敗者もない。

 ふと、この鎌倉に寺院が多い理由がわかるような気がした。

「これを、三浦の海に捧げてほしい」

 和田義盛の故郷の海へ。

 肉体は朽ち果てたあと土に還る。では、人の魂はどこにいくのだろう。

 極楽浄土がこの世の地続きにないならば、空の果てか、海の果てか。

 人の身で届けようとするのであれば、海へ。

 この経文が彼らの供養となるように。


 実朝から命じられた義村は、鎌倉の海から船を出し、故郷の半島が見渡せる沖で船を停めさせた。彼が船ばたから経巻を納めた箱を海面に投じると、美しく細工をほどこされた黒漆の経箱は、波の(かいな)に掴まれるようにして、海の底深くへと沈んでいった。


                 ◇



 凍てつく風にさらされるなか、

 沖に浮かぶ船から、供物が捧げられた。

 波の下、海の底へ底へと沈みながら、

 金銀螺鈿で装飾された経箱の緒はゆるみ、蓋は外れ、

 収められていた経巻がすべり出る。


 巻き物は自ら紐を解き、くるりくるりとまわりながら経面を広げ、

 静かに水の青にたゆたい、やがて真白な双の手に捉えられた。

 ゆらゆらとただよう黒髪の隙間から、まどかな瞳が文字をたどり、

 唇からため息がこぼれる。

 その息が経の(おもて)にあたると、文字の一つひとつが浮かび上がり、

 やがて幾多の泡となって立ち昇る。


「みれん、あいせき、れんぼ、こうかい…」

 呪文のように、歌うように、吐きだされる言葉もやがて泡となる。

「救いを求められたとて、我こそ救われたく願っているものを」

 傍らに呟く、人ならぬ者の身には、真珠色の鱗がきらめいていた。

「のう、我が罪は許されざれしものか」

 傍らから答えは届かず。

「人の世を捨て、蓮の(うてな)をめざしたものを――」

 ここは海底深き溟々(めいめい)の浄土。

 黒い瞳は空ろを見つめた。


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