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Eve  作者: 日生
8/11

7.責任

 夜の帳が静かに降りてゆく頃、王宮のバルコニーでは二人の男が共に瞬き始めた星のもとで向かい合っていた。

 金色の国王、オズウェルは手すりに寄りかかる気楽な姿勢でおり、青の騎士団長アルバートは直立不動で主から三歩下がった場所に立っている。先程、廊下を行くアルバートをオズウェルが呼び止め、なるべく余計な人のいないところを探した結果ここに連れて来た。というのも、近頃気にかけている新たな聖騎士について、その教育係である者に一度じっくり話を聞いてみようと思ったのだ。

「それ程に難しいか?」

 率直に、どんな感じだと尋ねたことに対し、珍しく口ごもったアルバートに、オズウェルは苦笑を返した。

「素直な優しい娘ではないか」

「・・性格のことであれば、特別悪いということはございません。基本的にこちらの言うことはよく聞きます。意味を理解しているかは怪しいところですが」

 イヴの頭が悪いことをアルバートは暗に言っている。

「剣の腕にも問題はありますが一朝一夕にてどうにかなるものではなく、まだ時間が掛かりましょう。そもそも、聖騎士の強さは単純な剣術のみでなく聖剣の力を如何に引き出せるかということも重要な要素となります。現時点ではなんとも申せません」

「ならば何が問題なのだ」

「・・・心持ち、と申しましょうか」

 アルバートは一番しっくり嵌まる言葉を考えながら答えた。

「覚悟ということか?」

「それも含めたあの者の在り方です。おそらく、己が国を守らねばならぬ存在であることを真に理解してはいないでしょう。目の前の欲につられて動き、状況に翻弄され、己の頭で考えることもできず近くの人間に従い生きる―――愚者の典型に見えます。覚悟を決める云々より、あの者が使命を理解できるのかが疑問です。聖剣を疑うわけではありませんが、あの者はあまりにも・・」

 そこで言葉を止めた。

 アルバートがイヴに接したのはたった数日でしかないが、たった数日で見極められるほど、あの娘に底がないことは容易に知れた。愚者という言葉が娘を言い表すのに最も相応しい。行動原理は食などのわかりやすい欲。他には何もない。意地も誇りも、貫くべき信念も、守るべき大事な物さえも。生き方がほとんど獣と同じだ。まるで何も考えていないように見える。

「らしくないことだ」

 オズウェルにはアルバートの言い様が弱音にも聞こえた。

「申し訳ございません」

 アルバートは謝罪し、気を取り直す。

「聖剣の選定に間違いはあり得ない。おそらく私が見落としているのでしょう。指導を急ぎます」

「頼む。だがあまり厳しくし過ぎないようにしてやってくれ。あの子は、まだ子供なのだ。騎士の家に生まれたわけでもない。四日前までは乞食だった。急に覚悟を迫っては可哀想だ。逃げ出さずお前の指導に耐えているだけでも十分立派ではないか」

 オズウェルがフォローを入れた直後だった。

「注進っ、申し上げるっ!」

 激しい足音と共にバーソロミューがバルコニーにやって来た。主を探してあちこち走り回ったのか息も荒々しい。驚くオズウェルの前に跪き、腹の底から怒りを込めて報告した。

「あの愚か者めが逃げましたっ!」

「は?」

「夕刻、大手門より金髪の娘が王宮の外へ出て行くのを門兵が捕まえ損ねたと報告を受けました。侍女に確認を取りましたところ、奴は部屋におりませんでした。アルバートのもとにもいないことは、今わかりました」

 じろりとバーソロミューは横のアルバートを睨み、報告を続けた。

「十中八九、金髪の娘とはイヴのことです。即刻、出動のご命令をっ」

「待てっ。本当に王宮にはいないのか?」

「兵に探させておりますが、いまだ発見されておりません。大方怖じ気づき逃げたのでしょう、あの愚か者めがっ!」

 最後は拳を床に叩きつけた。王の前で礼を忘れるほどに、この騎士にとっては腹立だしい行為であったのだ。

 アルバートは、ここ数日間で何度も感じてきた頭痛に眉間を押さえた。

「・・・陛下、私の隊にも出動のご命令を」

 そして彼もまたバーソロミューの隣に跪く。

「監督不行き届きでした。なんとしても連れ戻します」

 かつて見たこともないほどの黒いオーラを発する騎士たちを前に、オズウェルは咄嗟にイヴの身を案じ、命令を躊躇った。


          *****************


 きゅるるる、と腹の虫が情けない声を上げた。

「だから鳴くなよぉ。しかたないじゃんかぁ」

 街の闇の中をとぼとぼ歩きながら、イヴは自分の腹をさする。思えば今日はまだ何も食べていなかった。

「夕飯食べてから出てくれば良かったかなあ。いやいや」

 自分で言ってすぐに首を振る。

「ダメだよ、わたしは聖騎士じゃないんだから、あんなごちそう食べちゃいけなかったんだ。あ、でも服はこのままで来ちゃったか」

 赤と白を基調とした上着とパンツに、ショートブーツ。今歩いている掃き溜めの街の中で、イヴは一番上等な格好をしていた。とはいえ、暗い中では鼻が付くくらい近くに寄らねばわからないだろう。

 王宮を飛び出し、イヴはなるべく遠くへ行こうと王都の外側へ向かってずっと走り続けた。疲れたのと、すっかり日が落ちて道が見えにくくなったのとで今は歩いているが、まだ止まる気はない。とにかくできるだけ遠くへ。だが、これからどうするかは何も考えていない。

「まあ、乞食に戻るわけだから」

 明日のことなど考える必要もない。目が覚めたら命を繋げられたことを喜んで、空腹を満たすためだけに街を彷徨い、夜になったら寝ている間死なないことを祈って眠る。その繰り返し。

「人生の中で一回でも貴族さまみたいな暮らしさせてもらって、すっごい幸せだったなぁ。だましたのは申し訳なかったけど、でもきっとすぐにちゃんとした聖騎士が現れるよ。うん、これでいいんだよ。これでみんな、幸せになれるはず」

 何度も何度も、自分に言って聞かせた。声に出していないとなんとなく不安になってきて、歩みが遅くなるから、独り言を続けた。

「――っもう、このへんでいっかな?」

 月が中天に差し掛かった頃、だいぶ王都の端まで来たところで近くの路地裏に入り、地べたに腰を降ろした。暗い路地裏では浮浪者たちが身を折り重ねて眠っている。服が薄いためくっついた方が温かいのだ。その鼻をつくような体臭と、淀みきった空気が落ち着く。やはり自分の居場所はここなのだと再確認した。他の浮浪者に倣って横になり、隣の者と身を寄せ合う。イヴは上等な服のおかげで寒くはなかったが、密集しているため横になるとどうしても体が触れるのだった。

 だがうとうとし始めたところで、何かに髪を引っ張られて目を覚ました。

「っんぅ?」

 金髪はコレットが綺麗な三つ編みにして紺のリボンで留めてくれている。うなじの近くを掴んで引っ張ってみるが、何かに挟まっているのか抜けない。手探りで辿ってみると、柔らかい感触に行き当たった。

 闇によくよく目を凝らしていると、ぼんやりと、小さな子供の姿が見えた。母親の腕に抱かれている子が、イヴの髪の先を掴んでしきりと匂いを嗅いでいた。

「いいにおいがするー」

 舌ったらずな声が言い、ついでとばかりに、ぱくりと口に入れた。

「うわやめてよ、食べられないって」

 唯一の自慢の金髪を、もしゃもしゃ噛まれて気持ち良いわけがない。多少、無理やり子供の手から髪を外した。

「お腹空いてるの?」

「うん」

「そっかー、わたしもだよ。でも髪は食べられないからね?」

「すごい、いいにおいするー」

「これはねー、香油っていう、いい匂いのする油を塗ってもらったからだよ。偉い人は毎日お風呂で塗るみたいだよ。ぜーたくだよねー」

「おねーちゃん、えらいひと?」

「ちがうよ。偉い人のフリして塗ってもらったんだ。――あ、お腹空いてるならこれ、あげるよ」

 イヴはライナスにもらったキャンディを子供に渡した。

「わあいいの!?」

「うん。わたしは食べたらいけないものだから」

「ありがと!」

 子供は大喜びで口に放りこんだ。すると母親が騒ぎ声に気付いて起きた。

「おかあさん、このひと、おいしものくれた!」

「え、だれ?」

 子供が知らない人間と話していたことに母親は驚いたようだ。暗闇で相手の姿が見えなければなおさら恐ろしかろう。イヴは事情を説明してあげた。

「それは、すみません、ありがとうございました」

 とりあえずイヴが怖い相手ではなかったことに安堵し、母親は頭を下げた。それから母親の方とも少し話をした。

「あなたは、他の国からいらしたんですか?」

 尋ねられた内容にイヴは首を傾げる。

「? いえ、王都の生まれです。どうしてですか?」

「私たちは隣の国から流れて来たんです。戦で家と土地を焼かれて・・・」

「そうなんですか」

 よくある話だった。似たような境遇の相手をイヴは他にもたくさん知っている。

 母親の話し方が乞食にしては品の良い感じなのは、まだこの生活を始めて日が浅いためだろう。数年も経つと男を泣き落とす時くらいにしか、身の上話などしなくなる。

「必死に旅をしてきました。ガランバルドは安全だと聞いたもので」

「それ、みんな言います。わたしは王都の外に出たことないから、よくわからないですけど」

「私の国に比べれば平和ですよ。ここに来るまでは、道で眠ることさえ怖くてできませんでした」

「どうしてです?」

「夜盗や魔物が出るんです。何度も命からがら逃げてきました。ですがガランバルドには伝説の聖騎士様がいらっしゃるのですよね?」

「えっ」

 どき、とした。母親は明るい声で続けた。

「ガランバルドに入った時は驚きました、魔物に全く出くわさないないんですから。それでも、前の聖騎士様が亡くなられてからは魔物が出るようになったそうですが、ついこの間、次の聖騎士様が選ばれたそうで」

「え、あ、それは、そうなんですけど・・・」

「本当に安心しました」

 心の底から言っているのが、顔が見えなくても口調から察せられて、イヴは何も言えなくなった。

(・・・大丈夫、大丈夫だよ。すぐに本当の聖騎士が現れるって)

 不安が胸中に広がる前に、急いで打ち消した。

 そのうち、どちらからともなく会話がなくなり、親子が眠ったようだと思うとイヴは浮浪者の群れを離れ、路地裏を出たところで横になった。

「はぁ・・・」

 いつかのように大の字に寝転がり、星空を見上げていた。

「聖騎士って大変だな。乞食や、他の国から流れて来た人まで守らなきゃいけないんだ」

 とすれば、守る対象は何十何百万にものぼる。たった一つの体で、たった一振りの剣では、無謀に思える数だ。できる者があるならそれはやはり、人並み外れた才能と力を持った者だけだろう。

「わたしも、聖騎士に守られてたってことだよね」

 聖騎士の話は知っていても、上の上にいる人間が、最下層の住人たちのためにも動いてくれているなど知らなかった。しかし本当は見えないところで、守られて生きていたのだ。

「あー、めちゃくちゃ悪いことしたんだなあ」

 これまでまったく善良に生きてきたとは言わないが、今回のは洒落にならなかった。

 たくさんの人間をぬか喜びさせてしまった。期待させて裏切ることが、こんなにも重く胸にのしかかるものだったとは知らなかった。

「本当の本当にごめんなさい」

 面と向かって謝る勇気はなくて、瞼の裏に代表してオズウェルの顔を思い浮かべ、謝った。

「・・・ん?」

 しばらくして何か、ちかちかと光るものが見えて、イヴは目を開けた。

「っ!?」

 鼻の先に鋭く尖ったものが突き付けられている。慌てて地を転がって逃げ、起き上がって見て更に驚いた。

 抜き身の刃が、青白い光を宿し空中に浮いていた。

 クロスを模した金の柄は見紛うはずもない。台座に刺して置いて来たはずの聖剣が今、持ち手もないのにイヴの目の前にある。

「ど、なっ・・・」

 一体何が起きているのかわからない。混乱し、イヴは訳もわからぬまま逃げ出した。

 暗い夜道を走りながら、ちらりと後ろを振り返ると青白い光が追ってくる。それもイヴから数歩後ろを付かず離れず、刃を下にして滑るように宙を飛んでくる。

「なんで追っかけてくるの!?」

 聖剣は答えない。怖くて、イヴは全力で走った。

 やがて、王都をぐるりと囲む城壁まで辿り着いた。

行き止まりだ。後ろを振り返ると、聖剣はさっきとまるで同じ距離に浮いていた。

「なんでっ・・なんでわたしなの?」

 イヴは壁を背に、怯えていた。

「ちがうって言ったでしょ? わたしは魔法でズルしたの、本物の聖騎士は他にいるの! わかるでしょ? ねえ・・・」

 いつしか青い瞳からは、涙がぽろぽろ零れ始めた。

「ごめんなさい、だましてごめんなさい、悪かったのわかってるから、謝るから、ちゃんとした聖騎士を選んであげてよ。みんな待ってるんだよ? 聖騎士を待ってる。ここが安全だと思って遠くから逃げてくる人もいるんだよ。お願いだから、本当に国を守れる人を選んでよ。お願いだから・・・」

 イヴは何度も謝罪を口にし、何度も選定のやり直しを懇願した。だが聖剣には王宮へ帰ろうとする素振りすらなかった。

「・・・わたしにどうしてほしいの・・・どうすればいいの・・・」

 やがて涙も枯れ、イヴは途方に暮れた。

 もし神様がいるなら喋れない剣のかわりに答えてほしくて、イヴは天を仰いだ。

 ―――その時だった。

 城壁の上の巨大な闇の塊に、イヴの目は釘付けになった。

月光が、異形を浮き彫りにする。

ソレはまるで宣戦布告をするように、夜の王都へ猛々しく咆哮した。

「っ!?!? あっ・・・ああっ・・!」

 魔物だ。

 今宵も王都に魔物が現れたのだ。

 命が恐怖を感じ、尋常でなく体が震え出す。早く逃げろと頭は大声で怒鳴っているというのに、頼りない手足はまったく動こうとしない。しかしそれがかえってイヴを助けることになった。

 壁にへばりついていたために、城壁の上にいる魔物からはイヴの姿が見えず、結果、魔物はイヴの頭上を飛び越え随分遠くへと着地した。

―――グルォォォォッ!

 魔物が吼えると、その口から赤い炎が迸った。通りの幅は魔物の巨体を収めるには狭く、毛の生えた長い前足で周囲の建物を破壊する。中にいた者、その側の道で眠っていた者が、悲鳴を上げて逃げ惑った。

 更に魔物はどこかの屋根に登ると、かぱっ、と口を開けたその先に炎を集結し、やがて大きな塊となったものを街へ放った。

 瞬間、辺りが昼のように明るくなり、爆発の衝撃に地が揺れ爆音に悲鳴が掻き消えた。

 衝撃が収まった頃、顔を上げると、辺り一面炎に包まれていた。

「っ・・う、そ・・?」

 街に、橙色の絨毯を敷いたようだった。黒い煙が夜空にとぐろを巻いている。

 魔物は地面に降り立ち、泣き叫ぶ人々の群れを無造作に前足で払った。食べようとするでもなく、いたずらに爪の先で弄び、気まぐれに炎をまき散らす。

 まるで猫が鼠で遊んでいるようだった。目的のない、ただの戯れ。あるいは破壊と殺戮そのものが目的であるように。

(逃げ・・なきゃ・・)

 ここにいてはいずれ自分も殺される。

(立て! 立って逃げろ!)

 産み落とされたばかりの仔馬のように四肢を震わせながら、イヴはなんとか立ち上がり、走った。

 空気が熱せられて息をするたび喉が痛い。炎の海から脱出するのは困難だった。どの方向へ行っても火の壁に突き当たり、崩れた家屋が道を塞いでいる。しかし戻れば魔物がいる。逃げ道がなかった。

「ど、どうしよう!?」

 先程からすれ違う人間にも見覚えがある。皆、逃げ場を探して右往左往しているのだ。

「あ――」

 逃げるのを諦め瓦礫の影に隠れる者の中に、小さな子供と母親の姿を見つけた。震えながら抱き合ってうずくまり、子供は母親の腕の中でわんわん泣き叫んでいる。

 それがさっき会話を交わした親子だったかは、よくわからない。暗くて顔までは見えなかったから。だがイヴは、その親子の光景を目にした途端、動けなくなった。

 安息の地を求め、親子二人、命辛々ここまで辿り着いたのだという話を思い出していた。

 その時、聖剣がイヴの前に回り込んだ。

 青白く美しい輝きを放つ聖剣は何も言わない。しかし。

「・・・戦え、ってこと?」

 震える声で尋ねた。

「わたしが聖騎士じゃないことわかってて、でもそうしろって言ってるの?」

 それが償いになるとでも言うのだろうか。敵うはずがないのに。イヴのような者は魔物に殺されてしまえと言うのだろうか。

 イヴは、乾いた空気を大きく、大きく吸い込んだ。

「―――わかった」

 両手を伸ばし、柄を握った。すると聖剣の纏っていた光は失せ、剣に重みが戻る。

「でも、ほんとは死にたくないから、今だけでいいから、わたしを本物の聖騎士だと思って力貸してね」

 剣に願い、イヴは魔物の咆哮が聞こえる方角へ走った。

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