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Eve  作者: 日生
10/11

9.決意

 痛い。

 全身が痛い。体が動かない。

 目の前には巨大な闇の塊がいる。血を流し瀕死のイヴに向かって鋭い爪を振り上げる。

「――死んだぁっっ!」

「きゃあ!?」

 イヴが飛び起きたのと同時、誰かが叫び声を上げた。

「・・・・・あれ?」

 周りを見回しても、闇の塊はいない。どころか辺りは明るく、おそらくはまだ昼だ。

 イヴ自身も瓦礫の上に横たわってはいなかった。ふかふかの清潔なベッドの上で、全身に包帯を巻かれて寝かされていた。

「よかったっ! お目覚めになられたのですね!」

 声の主はコレットで、彼女はうっすら涙を浮かべていた。

「ひどいお怪我をなされて、心配致しました。どこかお辛いところはございませんか? すぐに宮医を呼んで参りますので」

「え、あ、あの・・・コレットさん?」

「はい、なんでしょう?」

「・・・ここ、王宮ですか?」

「? はい、もちろんにございます」

 答えてからコレットは気付いた。

「そうでした、イヴ様はずっと気を失ってらしたのですもの、まずご説明しなければいけませんよね。気が回らず申し訳ございませんでした」

 謝罪し、イヴにあの夜から今に至るまでのことをざっと説明した。

 魔物を倒した後、イヴは二日ほど気を失って目を覚まさなかった。これでもかと巻かれた包帯の理由は、全身打撲と擦り傷、やけど、頭と腕を浅く切っていたためで、大怪我ではあるが命に別条はない。疲労と安堵のために深い眠りに入ってしまっていただけだった。

 枕元を見れば、聖剣が鞘に収められて柱頭に立て掛けられていた。

(助かった、けど、戻って来ちゃったぁぁ)

 一転して激しく後悔するイヴ。しかしいくら気の利く侍女でもそんなイヴの心中までは見抜けない。

「陛下をお呼びして参りますね。お目覚めになられたら真っ先にお知らせするよう仰せつかっておりますので。騎士団長の皆様方も、とても心配してらしたんですよ?」

 コレットはさっそく彼らを呼びに部屋を出て行った。

(今なら逃げ・・・いや無理。この体じゃ)

 少し動かすだけで痛むようでは走ることさえできない。戦っている時は痛みなどほとんど感じなかったのだが。

 イヴは聖剣を見やって溜め息を吐いた。

「・・わかったよ。ちゃんと責任取れってことなんでしょ?」

 魔物を倒しただけでは終わらなかった。イヴは、覚悟を決めた。

 やがてコレットがオズウェルと騎士団長らを連れて来た。まさかとは思ったが見事に全員そろっていた。

「目を覚ましてくれてよかった。大丈夫か?」

 オズウェルが、心底ほっとした声で言う。対して普段から怪我の多い騎士たちはおそらくそこまでは心配していなかったのだろう、あまり表情は変わっていない。

「此度のお前の活躍は皆から聞いた。本当によくやってくれた、さぞかし恐ろしかったろうに」

「陛下、それはいいので聞いてもらえますか?」

 イヴはオズウェルの話が終わるのを待っていられず、割り込んでしまった。

「あ、コレットさんもいてください」

 部屋を出ようとするコレットを呼び止め、イヴはシーツの間から出て聖剣を腿の上に置いた。

「みなさんに謝らなくちゃいけないことがあるんです」

 この場にいる全員に向かって、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい、わたしは聖騎士じゃなかったんです」

 イヴは全部あらいざらい喋った。

 皆驚いていたが、黙ってイヴが話し終えるまで聞いていた。

「・・・つまり、お前はその悪い魔法使いに魔法をかけられたために、聖剣を抜くことができたのだと?」

 拙い説明を、オズウェルが代表してまとめた。

「まちがいないです。じゃなきゃ、わたしに聖剣が抜けた理由がわかりません。悪い魔法使いのしわざです。でも」

 イヴは一旦言葉を止めてから、意を決して続きを紡ぐ。

「わたしも悪かったと思います。よく考えもしないで聖剣を抜いたから。この国には聖騎士を必要としている人がたくさんいるのに、その人たち全部だまして裏切りました。それに気付いたら、なんだかすごく、怖くなったんです。聖剣を元の場所に返して消えれば、本物の聖騎士が現れるんじゃないかと思いました。でも、聖剣は逃げても逃げても追いかけてきました。たぶん、わたしに責任取れって言ってるんです。だからちゃんと、責任取ろうと思います」

 そうして、イヴは決心したことをオズウェルに告げた。

「本物の聖騎士、探します。見つかるまで聖剣がわたしにしか使えないなら、本物のかわりに戦います」

 恐怖を押さえ、声が震えないよう、痛む腹に精一杯の力を込めた。

「・・・戦うことは怖くないのか?」

 オズウェルが静かに問いかける。

「怖いです」

 イヴは正直に答えた。

「死ぬのは嫌ではないか?」

「イヤです。でも責任取るって言うからには命を懸けなきゃうそです」

 まっすぐオズウェルの瞳を見つめて言い切った。

「――お前の決意は、よくわかった」

 オズウェルは深く頷き、そして尋ねた。

「ところでお前が出会った悪い魔法使いというのは、仮面をした黒ずくめの男だったのだよな?」

「はい、そうです」

「あんな感じか?」

 すい、とオズウェルはテラスに通じる窓の外を指した。

「? あ、はい、まさしくあんなかん・・・じ・・・」

 真っ黒なフード付きの黒い外套を羽織り、顔の上半分を銀色に光る仮面で隠したとてもとても怪しい男が、テラスに佇んでいた。

「ああああぁぁぁぁああああっっ!」

 イヴは体の痛いことも忘れて叫んだ。男は窓を押して中に入り、にこやかに手を挙げる。

「やあイヴ、久しぶり。聖騎士になったのに相変わらずみじめな姿だね」

「な、なんでここにいるんですか!?」

「いちゃ悪いかい? まったく心外だよ、あんなに親切にしてあげた僕を悪い魔法使いだと思うだなんてさ」

「誤解されるような真似をしたお前が悪い」

 オズウェルが咎めると、「これはこれは国王陛下」と男はまるで今気付いたかのように恭しく頭を下げた。

「誉れ高き騎士団長の方々まで。皆さんおそろいでパーティーでも?」

「ふざける前にイヴに名乗れ」

「はいはい」

 男は肩をすくめ、イヴに向き直った。

「僕は聖剣の守護者にして魔法使いのシエルと申します。以後お見知りおきを」

「・・・聖剣の、守護者?」

「聖剣と共に生き、主なき時の聖剣を守護し、あとはまあ聖剣に選ばれそうな人間をテキトーに見繕って連れていく、っていう仕事だよ」

「シエルは聖騎士候補を聖剣のもとへ導く者。つまり、魔法のせいで聖剣が抜けたわけではないということだ」

 困ったイヴがオズウェルを見ると、簡単にまとめてくれた。

 イヴは頭の中でもう一度話を整理し、

「あれ? じゃあ、わたしって?」

「おめでとう。正真正銘、君が本物の聖騎士だ」

 ぱちぱちとシエルの拍手が虚しく響いた。

「っていうか聖剣に魔法は効かないからね。聖騎士をすり替えるなんてどんな大魔法使いでも無理無理。君の前で見せた魔法は、ただのこけおどしだよ」

 イヴが事実を飲み込むまでとてもとても時間がかかったのは、悩んだ時間もそれだけ長かったためだ。

「えっと、じゃあ、さっきわたしがした決意って意味ないですか?」

「なくもないよ。戦う覚悟はできたってことでしょ。やった、成長したねっ」

「えぇ~・・・っていうかなんで最初から言ってくれなかったんですか?」

「聖剣の守護者の役目には、迷い多き人間である聖騎士を導くことも含まれている。そのために時には試練を与えるんだよ。おかげでおバカな君もさんっざん必要以上に悩んだでしょ?」

「見てたんですか?」

「うん。魔法で姿隠してずっと見てた。君って独り言大きいよね」

「本当に、わたしが聖騎士なんですか?」

「まだ疑うの?」

「だって、わたしは弱いです。臆病だし、バカだし、小さいし、ちっとも勇敢じゃないし最強になれそうもないです。それじゃ困りますよね?」

「君は自分が聖騎士に相応しくないと思うわけだ? ならばイヴ、少し聞くよ」

 シエルはそう断りを入れた。

「聖騎士ではない君がどうしてあの時、魔物に立ち向かったの?」

「え?」

「逃げることもできたはずだよね。現に君は逃げたでしょう。でも途中で立ち止まって、剣を取ると魔物に猛然と向かっていった。どうして? 君は一体何に突き動かされたの?」

 イヴは戸惑いの後に、答えた。

「・・親子が、いたんです。震えながら物陰に隠れていました。その、親子は、戦で家と土地をなくして、隣の国からガランバルドに流れてきたんだと言っていました。ここなら安全だと思ってがんばって旅してきたって。なのに、苦労してやっとここまで辿り着いたのに、ここで魔物に殺されてしまうなんてあんまりだと思ったんです」

 安息を約束された地で親子が絶望に堕ちるさまを、見ていられなかった。

 灼熱の業火に包まれる死の世界を前に、本来のガランバルドはこんな国ではないと強く思った。

「ここはとてもすばらしい国なんです。わたしのようなみなしごが生きていけるんです、戦に巻き込まれた人たちが逃げて来るんです、この国にはみんなの生きる希望が詰まってるんです、だから絶対に壊されたらダメなんです」

 その時、部屋の隅でぐすりと音がした。

 コレットが、零れ落ちる涙を拭っていたのだ。

「すみま、せん。父が、同じことを申していたのを、思い出したのです」

 先代聖騎士の娘は、潤んだ瞳でシエルを見やった。

「やはり、この方は・・・」

「うん」

 シエルは頷きを返し、呆然とするイヴへ言葉を続けた。

「勇気とは臆病者が持つものだ。恐怖を感じない者は勇者ではなくただの狂者。イヴ、誰より弱く小さな君はあの夜、見事恐怖に打ち勝ち、たった一人で魔物と戦った。それを勇敢な者であるとは思わない?」

「・・・でも、わたしは」

「もちろん、君はもっともっと強くならねばならない。だが国を守るのは君一人ではないよ。この屈強な騎士たちがなんのためにいると思ってるんだい」

 シエルは手を広げ、背後の騎士団長たちを示す。

「彼らが共に戦ってくれる。大丈夫だよイヴ、君は一人じゃない」

 イヴは、騎士たちを見た。彼らの顔には様々な表情が浮かんでいたが、代表してアルバートが一歩、前に出た。

「私は見誤っていた。お前は愚者ではない。聖騎士の使命を正しく理解し、恐怖を前に覚悟を決め、一人立ち向かったその勇気に、今は心から敬服する」

 腰の剣を抜いて眉間に掲げ、床に跪いた。

 他の騎士団長たちも次々と剣を抜きアルバートにならった。

「え・・え?」

「皆がお前を聖騎士に認めたということだ。応えてやれ」

 戸惑うイヴへ、オズウェルが優しく教えてやった。

 イヴは軽く混乱しながらも、聖剣を騎士たちと同じく眉間に掲げた。

 オズウェルは満足そうな、コレットは穏やかな笑みを共に浮かべた。

 イヴは剣越しに騎士たちの姿を見つめながら、重大な決断を下した後にやって来る、初夏の風のような清々しい空気を感じていた。

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