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序章

カルディ…現在のエチオピア・アビシニア高原に住む羊飼いの青年。

     飼っていた羊が興奮していることに気付き、

     羊たちの食べた物を辿って珈琲の実を発見した。

     <コーヒー発見のキリスト教説>

オマール…イスラム僧侶。

     現在のイエメン、アラビア半島南西端で、空腹に飢えていたところ

     珈琲の実をついばむ鳥を発見。

     <コーヒー発見のイスラム教説>

 息が苦しい。

 それでも、走ることを止めるわけにはいかなかった。ジリリリリリと、無慈悲に鳴り響く電子音が聞こえたとき、彼はやっと改札口を抜けた。階段を二段飛ばしで駆けあがってホームに辿り着いた時、電車は、口を閉じて沈みかかった夕陽に向かって走り出した。17時46分発の‘終電’だった。

「畜生。」

息も絶え絶えに呟いた言葉は、誰に届くことも無く消えていった。

雑誌の取材で、街の中心部からかけ離れた地に彼は来ていた。申し訳程度にページの隅に載る、イベント宣伝のための取材だ。滅多に人の来ないこの村にとって、来月末にある豊作祭が数少ない集客のチャンスなのだろう。村の広報部から、雑誌に取り上げて欲しいと電話が来たのは三日前のことだった。ページレイアウトを担当する社員のミスで空いてしまったスペースを埋めるのに丁度いい、と編集長は彼をこの村に送り込んだ。までは、良かった。

それなりの下調べとインタビュー内容をかるくまとめて今日の朝、始発に乗って3時間かけてこの村まで来た。直線距離にしたら、そんなにかかることは無いのだろうが、何しろ山奥の村。執拗に蛇行する道と、各駅停車しか走らない路線の所為で、こんなにも時間がかかる。そこから歩いて1時間のところに、取材先があった。村役場の広報部を訪ねると、珍しい客に、手厚い歓迎がされた。ありがたかったが、それに時間を取られ過ぎた。取材が始まったのが昼過ぎ。予定では取材を終えて帰路につくはずの時間だった。焦り気味で取材をすすめる彼の気持ちと裏腹に、役所の担当者はのんびりと喋り続ける。役所を出られたのは、17時を15分過ぎていた。担当者は流石に悪気を感じたのか、バイクで送って行こうと提案してくれたし、彼もそれに乗ることにしたのだが、途中ですれ違ったトラックに乗っていたおじいさんと、バイクから降りて話し始めてしまったために、彼はそれを横目に一人走って駅に行く羽目になった。

「どうしたものかな。」

 辺りは暗くなりかけている。泊まれそうなところを見回してみるも、道沿いに並ぶ小さな個人店は既にシャッターをおろしており、明かりが見えるのは民家と、小さな案内所、それから錆びれたバーくらいだった。知らない人の家に泊めてもらうほどの図々しさが彼には無かったし、案内所からは人の気配がしなかったため、仕方なくバーの扉を開いた。汗で湿ったカッターに、冷たい風が痛く刺さった。

「いらっしゃい。」

 カランカランと鳴る扉に、店の中の女が反応して、済んだ声を出した。6つあるカウンター席には既に女が一人座っていて、今「いらっしゃい。」と行った女と静かに話をしていた。テーブル席も、3つほどあったが、どれも4人席で、一人で座るのには何となく居心地が悪かったため、カウンターの端に腰をおろした。

「ご注文は?」

 カウンターの女が温かいお絞りとメニューを渡した。暖房の効いた店内に入ってから、収まりかけていた汗が再び出始めた。スーツを脱いで背もたれにかけながら、彼はメニューもろくに開かずに、生ビールを注文した。女はそれに微笑んで答えた。目鼻立ちのはっきりした、線の細い女で、なかなかにきれいな人だな、と思った。

「お客さん、一体なにしにこの村に来たんです?」

 女がビールをカウンターに置きながら、意外そうに尋ねた。彼がこの村の住民で無いことくらい、この村に住む人には容易に分かってしまうのだろう。

「雑誌の取材で。」

 ビールの泡を一口かじってから、簡潔に答えた。

「雑誌の取材?」

 理解できないという風に、女は首をかしげた。簡潔に答えすぎたか、と思い口を開きかけると、カウンターに座っていた女が

「豊作祭じゃない?村おこしになんとかつなげようと、役場の人たち毎年躍起になってるじゃない。」

 と言った。その声が意外と高い声で、少し意表を突かれた気がした。

「あぁ、豊作祭ね。」と女は納得してしきりに頷いた。それから、カウンターの奥に入っていき、直ぐにお皿を片手に戻ってきた。

「豊作祭と言えば、今年は枝豆が凄くたくさんとれちゃってね。お客さん、酒のつまみにどう?」

 と言ってそれをすすめた。走ってかなりのエネルギーを消耗した彼は、ありがたく頂くことにした。気付かないうちにガツガツ食べていたようだ。

「お腹すいてたのね。何か他にも持ってくるわ。」

 と気遣ったのを止める間もなく、女はカウンターの奥に入って行った。

「災難ね。終電に乗り遅れたのでしょ?」

 客の女が心配そうに声をかけた。

「ええ。どこか、とまれる場所しりませんか。」

 ダメ元で尋ねてみる。女は少し考えてから、笑って言った。

「ここに一晩いると良いわ。店は閉まるけどスペースはあるもの。多分理央さんも納得してくれるわ。」

 そう言ってから彼女は付け足した。「理央さんって、あの人よ。」とカウンターの奥を指差しながら。

「でも、仮に僕が泥棒だったらどうするんです?店の者何もかも持ち出して逃げたら?」

 彼女は意表を突かれたような表情をしてから、直ぐに笑みを漏らした。

「ありえないわ。大体、どうやってこの村から出てくのよ。無理だわ。隣の駅までだって歩いて結構あるのに。」

 確かに、納得できる理屈だった。でも、その小馬鹿にしたような物言いにムッとしてつい言い返していた。

「カルディの羊なら街までだって一晩で連れてってくれますよ。」

 言った後に、後悔した。ほとんどの人には伝わらない例えをしてしまった。

「何言ってるの。羊なんかこの村にはいないわ。それに、異常があったら、オマールの鳥が鳴いて教えてくれるわ。」

「くっ。」またもや言いくるめられてそんな言葉しか出てこなかった。

 が、何かがおかしい。あれ?なんで会話が成立してるんだ?脳が追い付くまでに少し時間がかかった。相手にも同じ反応が起きてたらしい。不思議の正体すら分からない、モヤモヤした表情をした後に、何かに気付いた。

「相当マニアックな歴史好き?それとも熱心なキリスト教徒?」

 彼女は後半部分を問う時に、とても神経質な声色になった。もしかして酷い侮辱をしたかもしれないという、罪悪感がそうさせた。

「どちらでも。」

 彼は簡潔に答えてから

「そういうあなたは熱心なイスラム教徒ですか?」

 と質問で返した。

「いいえ。」

 彼女も簡潔に答えた。

「それじゃあ・・・」

 と二人の声が重なった。女性の顔は活き活きしていたし、自分も顔がにやけるのを止めることが出来なかった。久々にコーヒー談義が出来るかもしれない。そう思った。

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