7 あたしが決めたの
「ねえ、果歩たーん、遊ぼうよぉ」
「ちょっと待っててね、ようちゃん」
鏡の前でくるりと回る。一週間前に買った、小さな花柄模様のスカートがふわりと揺れる。
変じゃないかな? 制服以外でスカートをはくなんて、何年ぶりだろう。
鏡を見ていたら髪の跳ねが気になって、ドライヤーを手に取った。
「果歩たんー、まだぁ」
「うん、もうちょっとね」
鏡の前に置いてあった携帯が震える。ドライヤーをかけながら片手で開いたら、藤枝くんからのメールだった。
『もう近くまで来てんだけど』
「えっ!? うそっ」
ドライヤーを止め、手ぐしで髪を整える。携帯をバッグに押し込んで、あわてて部屋を飛び出す。
「果歩たーん」
「ごめんね、ようちゃん。あとで遊ぼうね」
追いかけてくる陽太を抱き上げ、階段を下りる。キッチンをのぞいたら、母が深刻そうに顔をしかめて、父と話をしていた。
「佐藤さんの奥さん、あまり具合がよくないらしいのよ」
私の足がその場に止った。佐藤さんの奥さんというのは、穂積の母親のことだ。私の腕から、陽太がするりと床に降りる。
「この前は、軽いうつ状態だって言ってたよな?」
「そうなの……でも昨日会ったらね、なんだか言ってることがおかしくて……」
「おかしくもなるよ。大事な息子さん亡くしたんだからさ……」
陽太がふたりに駆け寄って「お腹すいたー」と言う。母は陽太を抱き上げ、「じゃあ、おやつにしましょうか」と微笑む。
だけど……私は立ち尽くしたままだった。
――あたしが殺したのに……あたしがおばさんの大事な伊織を殺したのに……。
「あら、果歩。支度できたの? でかけるんでしょ?」
「果歩ちゃん、そのスカート、かわいいじゃないか」
父が笑顔で私に言う。だけど私は笑えなかった。
バカみたい、あたし。浮かれてデートだなんて……佐藤家にとって伊織のことは、まだ過去になっていないというのに……。
「やっぱり……行くのやめる」
「え? どうして?」
不思議そうな母の声と同時に、家のインターフォンが鳴った。玄関に出ようとする父をさりげなく追い越し、ドアに駆け寄る。
「あ、果歩。ごめん、来ちゃった」
立っていたのは私服姿の藤枝くんだ。ピンクのパーカーにキャップをかぶって、「ごめん」と言いながらにこにこしている。
「家の前まで着いちゃったからさ、待ってるより来たほうが早いと思って……」
母が奥から顔を出し、藤枝くんを見るなり「あら、まあ」と口に出した。
「ごめん、ちょっと外行こっ」
私はそんな視線から逃げ出すように、藤枝くんの背中を押して家から飛び出した。
五月晴れの午後。家の前の歩きなれた道を早足で歩いた。そんな私の後ろから藤枝くんが黙ってついてくる。三軒隣の穂積の家は、今日も雨戸が閉まったままだ。
「……果歩」
呼び止められて足を止める。我に返って周りを見ると、いつの間にか近所の公園まで来ていた。初めて伊織と話した日、一緒に桜を見に来た公園だ。
子どもたちのはしゃぎ声を聞きながら、私は思わず息を吐く。
「ごめん。なんか……迷惑だったかな?」
藤枝くんに振り返って首を振る。
「ううん、違うの……」
目の前の藤枝くんが困った顔をしている。こんな顔をさせたのは私だ。つくづく自分が嫌になる。
「違うの。あたし、今日はやっぱり断ろうと思って……」
「どうして?」
藤枝くんが私を見る。
「また、なんかあった?」
――だったら言って? おれになんでも
あの日の藤枝くんの声が頭をかすめる。
「あたし……やっぱり藤枝くんと付き合えない……」
私がつぶやく。子どもたちの声に交じって、遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
「やっぱり誰とも付き合えない。付き合わない」
「なんでだよ?」
顔を上げたら泣きそうで、藤枝くんの顔を見ることができない。
「あたしは……幸せになっちゃいけないから」
そう誓った――伊織がいなくなったあの日から。
「なんだ、それ。誰が決めたんだよ、そんなこと」
藤枝くんがあきれたように笑いだす。私は思わず顔を上げて言い返した。
「あたしが決めたのっ! あたしがそう決めたんだからっ!」
「そんなのありえない。誰だって幸せになっていいはずだろ?」
いつの間にか公園の真ん中で言い合っていた。バケツをぶら下げた小さな男の子が、不思議そうに私たちを見上げて、またどこかへ走っていく。
「とにかく。そんな理由じゃ別れないから」
藤枝くんがさりげなく視線をそらす。
「おれのこと嫌いじゃないなら、別れないから」
ぼんやり藤枝くんの顔を見つめた。藤枝くんはちらっと振り返ったあと、照れくさそうに帽子のつばを下げた。
「とりあえず今日は帰る……また明日な」
少し早足で、藤枝くんの姿が消えてゆく。そんな背中を、私は黙って見送っていた。